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確かにあなたは神の目に貴重ですものみの塔 1995 | 4月1日
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の創造者が,はばかりのないことばで祈りによってご自分に近づくようわたしたちに促しておられるのです。あなたの請願は,ささげられなかったなら行なわれなかったかもしれないことを行なうよう,エホバを動かすことさえあるかもしれません。―ヘブライ 4:16。ヤコブ 5:16。イザヤ 38:1-16をご覧ください。
20 神はわたしたちに対して愛を抱いておられるとはいえ,なぜこのことを自分たちがうぬぼれる,あるいは自己本位になる言い訳にすることはできませんか。
20 釣り合いの取れた見方をするクリスチャンで,神が愛と敬意を抱いておられることを示すこうした証拠を,自分自身を実際の自分以上に重要な者とみなす言い訳にするような人は一人もいないでしょう。パウロはこう書きました。「わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって,あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい」。(ローマ 12:3)ですから,わたしたちは天のみ父の温かな愛に包まれてはいても,健全な思いを抱き,神の愛ある親切が過分のものであることを忘れないようにしましょう。―ルカ 17:10と比較してください。
21 わたしたちはサタンに由来するどんなうそに引き続き抵抗してゆかなければなりませんか。わたしたちはどんな神の真理を常に熟考しなければなりませんか。
21 わたしたちは各々,この滅びゆく古い世でサタンが助長している考え方すべてに抵抗するため,力の及ぶ限り何でも行なうことにしましょう。それには,自分は価値がない,あるいは愛されていないといった考え方を退けることも含まれます。もし現在の体制における人生経験により,自分自身のことを,神の計り知れない愛をもってさえ乗り越えるのにおじけてしまうほどの障害とみなすとか,あるいは自分の良い業を,万物を見通される神の目には注目するのに余りにも取るに足りないとか,または自分の罪は余りにも大きいため神の貴重なみ子の死をもってさえ覆えないほどのものとみなすよう教えられてきたとすれば,あなたはうそを教えられてきたのです。そのようなうそはそれに対して示すに値する嫌悪の情をこめて是非とも退けてください。ローマ 8章38節と39節にある,霊感を受けて記された使徒パウロの言葉を常に銘記することにしましょう。「死も,生も,み使いも,政府も,今あるものも,来たるべきものも,力も,高さも,深さも,またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを,わたしは確信してい(ます)」。
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愛とりっぱな業とを鼓舞しなさい ― どのようにそうしますかものみの塔 1995 | 4月1日
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愛とりっぱな業とを鼓舞しなさい ― どのようにそうしますか
「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い……互いに励まし合い,その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」― ヘブライ 10:24,25。
1,2 (イ)初期クリスチャンが共に集まり合うことに慰めや励ましを見いだしたのはなぜ重要なことでしたか。(ロ)パウロの述べたどんな助言の中で,共に集まり合う必要のあることが取り扱われましたか。
彼らはひそかに集まり,内側から戸に錠をかけて身を寄せ合っていました。家の外には至る所に危険が潜んでいました。彼らの指導者だったイエスは公開処刑されたばかりでしたし,またご自分と同じような仕方で扱われるであろうと追随者たちに警告しておられました。(ヨハネ 15:20; 20:19)しかし,彼らは自分たちの愛するイエスについて静かな口調で話した時,少なくとも一緒にいるほうが安全に思えたに違いありません。
2 それから何年かたって,クリスチャンはあらゆる種類の試練や迫害に直面しました。彼らはそれら
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