コンピューター・ゲームはどのような影響を与えますか
1 協会は,これまで様々な出版物を通して,ある種のコンピューター・ゲームによる有害な影響について注意を喚起してきました。中には,戦争,殺人,暴力など,聖書が非とする要素を含んでいないものであれば大丈夫だと思う人がいるかもしれません。しかし,クリスチャンすべては,こうしたゲームによる影響を真剣に考えるべきです。
2 警戒すべき幾つかの分野が観察されています。その一つは,世の仲間から受ける直接的な影響から子供たちを守りたいと願うあまり,自宅でならどんな種類のゲームでも楽しんでよいと親が安易に容認してしまうことです。すべてのゲームが有害ではないとしても,大半のゲームはサタンの世が提供する世の霊に汚染されたものであり,それを楽しむなら,結局のところ,世と深く交わることになるという点を忘れるべきではありません。賢明な親は,子供の遊びを思慮深く選択し,適切な指導を与えるはずです。―コリント第一 10:23; 15:33。ヨハネ第一 2:15。
3 別の影響は,ゲームのために多大の時間を費やすことです。新しい製品が次々に発表され,それに付いてゆこうとするとますます時間を費やすことになります。(エフェソス 5:15-17)その結果,ゲームに支配され,自分で自分を制御できなくなります。この影響を受けているかどうかは次のように自問して知ることができるでしょう。『週にどのくらいの時間を費やしているだろうか。神権的な活動がおろそかになったり後回しになったりしていないだろうか。ゲームがないとやってゆけないだろうか』。
4 さらに,経験の少ない若者たちは,ゲームを通して世が思いに描かせる空想の世界を現実のものと置き換えてしまうという危険があります。悪を行なうことを空想したり,他の人の益を無視し仲間を操って自分が“勝つ”ことや“征服”することに思考力を働かせたりするなら,事実上,実際に行なう事柄を思いの中で予行演習していることになるでしょう。―ヤコブ 1:14,15。
5 さらに憂慮すべき点は,王国の希望が薄らぐ可能性があることです。コンピューター・ゲームに熱中するあまり,王国の希望ではなく,その幻想が現実性を帯びているかのように錯覚し,信仰を弱めてしまうのです。楽園の希望は,黙想の伴った個人研究や王国について語ることによってのみ強められます。―ヘブライ 6:18。ペテロ第二 3:13。
6 それほど有害な影響を及ぼしていないとしても,コンピューター・ゲームには極めて大切なことが欠けています。それは,わたしたちが霊的な面で必要としているものを何一つ提供できないということです。霊的食物と家族や霊的な兄弟との健全な交わりこそ,わたしたちの必要を真に満たすものです。ある種のゲームをどのように用いるかは,各自の決定することです。しかし,サタンが提供するものではなく,エホバが備えてくださるものから喜びを得るようにしたいものです。