1997奉仕年度の日本の目標 ― 緊急感を抱いて自分と他の人の救いを達成する
1 魂をこめてエホバに仕えるには,心に深く根ざした真の緊急感が求められます。「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」とパウロは述べました。(フィリピ 2:12)またイエス・キリストは,「ずっと見張っていなさい」,『あなた方は用意のできていることを示しなさい』,「目を覚ましていなさい」などと,繰り返し強調することにより,追随者たちに緊急感を植え付けられました。―マタイ 24:42-44。マルコ 13:33。
2 イエスは時の緊急性について語っただけでなく,緊急感に満ちた生涯を送り,ご自分の教えた事柄が現実に則していることを立証なさいました。そして,1世紀のクリスチャンたちもイエスの手本に倣い,『自分と自分のことばを聴く人たちを救う』ため,全力を尽くして緊急な業を成し遂げました。―テモテ第一 4:16。
3 今日のわたしたちにも敬虔な緊急感が大いに求められています。わたしたちのうちのだれも,大患難が勃発する正確な「日と時刻」を特定できません。(マタイ 24:36)ですから,「あなた方も用意をしていなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」というイエスの言葉が,わたしたちの耳の中で常に鳴り響いていなければならないのです。(ルカ 12:40)それで,1997奉仕年度の間,わたしたちは「緊急感を抱いて自分と他の人の救いを達成する」という目標に向かって邁進することになりました。
4 緊急感を抱くべき分野の一つは集会です。五つの集会は,エホバの目的に関する漸進的な進展を理解し,神のご意志と調和して生活する方法を知るための不可欠な備えです。また,「『今日』ととなえられる限り日ごとに勧め合い,……初めに抱いた確信を終わりまでしっかりと堅く保(つように)」との諭しに従い,互いに『愛とりっぱな業とを鼓舞し合う』優れた機会ともなっています。(ヘブライ 3:13,14; 10:24,25)救いが確かなものとなるかどうかは,集会の備えに対するわたしたちの認識いかんによります。
5 緊急感が求められる別の分野は野外宣教です。現在の邪悪な体制に対するエホバの忍耐は尽きようとしているので,救いの音信と表裏一体になっている裁きの警告を熱心に伝える業は急務であり,大災害時における救命活動にも似たこの業は一刻を争うものです。区域内のすべての人に神の言葉を伝え,『エホバからの警告を与えない』なら,血の責任が問われるでしょう。(エゼキエル 33:7-9)それで,この種の緊急性を認識する人は家から家の証言だけでなく,非公式の証言,電話や街路,ビジネス街の証言などに一層力を入れたいと心を動かされるはずです。
6 “新しい区域”を開発したり,区域を徹底的に網羅したりすることによって見いだされるすべての人に聖書研究を積極的に勧めてください。そして研究が始まったなら,最初から熱意をこめて研究生を集会に招待しましょう。そうするなら,ハルマゲドン前に「知識」の本を用いて行なわれる“短期間の収穫の業”にあなたもあずかることができます。―エゼキエル 9:4。
7 自分の愛する家族を救いの側に導くことは,緊急感を抱くべきもう一つの重要な分野です。一刻を争う救命活動の対象には,未信者の配偶者や子供たちが含まれているのです。それで次のように自問できます。『わたしは,家族が揃って大患難を生き残ることを心の底から願っているだろうか。家族を真理に導くことができるようにエホバの導きを求め,できる最善のことを行なっているだろうか』。―コリント第一 7:16。
8 わたしたちは人類史上,前例のない緊急な時代に生きています。それゆえ,1997奉仕年度中,「緊急感を抱いて自分と他の人の救いを達成する」という目標に向かって励むことは非常に時宜にかなっています。