ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 若い人たち,自分の命を用いて何を行なうつもりですか
    ものみの塔 1987 | 8月15日
    • 若い人たち,自分の命を用いて何を行なうつもりですか

      『生きている者たちがもはや自分のために生きず,自分たちのために死んでくださった方のために生きるためである』― コリント第二 5:15。

      1 人々はどのような感謝の言葉を述べてきましたか。それはなぜですか。

      「ありがとうございました! あなたはわたしの命の恩人です」。火事になった家から,あるいは溺れていたところを救い出された人々は,自分を救出してくれた人にそのように言います。感謝の念の厚いクリスチャンの若者たちも,自分の親にそういう意味のことを語ってきました。それらの若者たちは,親から受け継いだ肉の命のことだけを言っていたのではありません。特に,『神自身がわたしたちに約束してくださった永遠の命』を得られるようにするための愛ある世話と教えに言及していたのです。―ヨハネ第一 2:25。

      2 自分の命を用いて何を行なうつもりかという質問は,どんな情報に照らして考慮すべきですか。

      2 わたしたち一人一人に永遠の命,すなわち「真の命」を得させるようエホバ神を動かしたものは愛でした。「神(は)わたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった」のです。(テモテ第一 6:19。ヨハネ第一 4:10)み子イエスが,わたしたちに永遠の命を得させるために苦しい死を遂げてお示しになった愛についても考えてください。(ヨハネ 15:13)ここに述べた事柄に照らしてみて,あなたは自分の命を用いて何を行なうつもりですか。

      3 多くの場合,人々が自分の命を用いて行なう事柄は,何に支配されますか。

      3 この質問はしばしば学校のカウンセラーや,若い人々の将来に関心を持つ他の人たちから,いろいろな形で若者に投げかけられます。あなたの答えは何に支配されますか。個人的な好みだけに支配されますか。世俗の安定した立場を得させたいと願う人々の助言が,決定的な要素となりますか。それとも,あなたが自分の命を用いて行なう事柄を支配するのは,もっと優れた考え方でしょうか。霊感を受けて記された諭しはこう述べています。「彼がすべての人のために死んだのは,生きている者たちがもはや自分のために生きず,自分たちのために死んでよみがえらされた方のために生きるためである」。(コリント第二 5:15)そうです,自分の命の用い方に,イエス・キリストとその天のみ父がわたしたちのために行なってくださった事柄に対する感謝が反映されているのは,何とすばらしいことでしょう。

      理想的人物として,もてはやされている人々

      4 いま理想的人物として一番もてはやされているのはどんな人ですか。

      4 しかし,いま一番もてはやされている人々,一般に若い人々が理想的人物とみなしているのはどんな人ですか。それは,道徳的な規準がどうあろうとも,裕福で世に名を知られた人ではないでしょうか。多くの若者たちの部屋を見てください。壁にはだれの写真が掛かっていますか。大抵は,演奏家,映画スター,スポーツ選手などの写真です。若者がよく抱く夢は,いつかこの世で同じような成功を収めることです。もしかすると,顔形がそういう人たちに似ているだれかと結婚することも夢見ているかもしれません。あなたはどうですか。あなたは人生から何を得たいと思いますか。

      5,6 (イ)この世で成功しても真の満足が得られないと言えるのはなぜですか。(ロ)真の満足感の源となるのは何ですか。

      5 この世で成功を収め,人々からちやほやされる有名人になれば,本当に幸福感と満足感を味わえるのでしょうか。ハリウッドで華々しい成功を収めた女優の一人はこう語りました。「わたしは富とあらゆる物を手に入れてみました。でも,そういうものは重要ではありません。夫婦が離婚し,子供が親を憎むようになったことに加えて,ここハリウッドでは,プールがある家には必ずかかりつけの精神科医がいます」。―伝道の書 5:10。テモテ第一 6:10。

      6 ニューヨーク市で1981年に行なわれた女子1万㍍競走に優勝した著名な一学生選手は,非常な幻滅を感じて自殺を企てました。その女性は後にこう書いています。「この数か月間にわたしは人生に関する多くの真理を学びました。その一つは,何とかして物事を完全に行ない業績を上げようとして大勢の人々が採用する方法では,真の満足は得られないということです。わたしの場合,成績が全優の生徒,州の選手権走者,魅力的な容姿の持ち主ということから満足感は得られませんでした」。そうです,人々は,真の満足感が神との個人的な関係を築くことからしか得られないことを学ぶ必要があります。神だけが真の平和と幸福を与えることがおできになるのです。―詩編 23:1,6; 16:11。

      7 真の満足感を味わうことに関して,大学教育や,この世での成功はどれほど重要ですか。

      7 ですから,単に名声や富を得るために奮闘している人々に見倣おうとすべきでないのは明らかです。世俗の作家でさえ,この世で成功しても真の満足が得られないことを指摘しています。コラムニストのビル・リールはこのように書きました。「君たちは将来に対する夢を抱いて大学を卒業する。悲しいかな,その希望のほとんどは灰と化してしまうだろう。君たちの士気をくじくつもりはない。ただ次のような事実があることを知っておいてもらいたい。仮にの話だが,君たちが自分の切望する富を手に入れた時,またこれも仮にの話だが,君たちが自分の追い求めている成功を自分のものにした時,それらの富や成功は君たちを満足させはしないだろう。それどころか,勝利に酔いしれるはずのまさにその時,充足よりも空しさを,歓喜よりも失望を,安らぎよりも動揺を覚えるだろう」― 1983年5月26日付,ニューヨーク・デイリー・ニューズ紙。

      8 この世での成功を追い求めてはならない,どんな強力な理由がありますか。

      8 しかし,聖書預言の光に照らし,世界の出来事の意味に綿密な注意を払うわたしたちには,この世での成功を人生の最重要事とすべきではない,さらに強力な理由があります。(マタイ 24:3-14)わたしたちは自分自身を,「この会社は破産寸前です」というサインの付された建物を見ている人になぞらえることができるでしょう。わたしたちは,その会社に雇ってもらいたいと思うでしょうか。もちろん,そのようには思いません。また,そういう会社で働いていたなら,別の仕事を探すほうが賢明でしょう。この世のどんな機関にも,「破産寸前 ― 終わりは近い!」というサインがはっきり示されています。確かに聖書は,「世は過ぎ去りつつあ(る)」と断言しています。(ヨハネ第一 2:17)ですから,世に深くはまり込んでいる人たちを理想的人物とするのは賢明ではありません。

      どんな助言に従うべきか

      9 あなたにとって最善の事柄を願っているように思える人々が,この世的などんな助言を与えるかもしれませんか。

      9 あなたの生活を形造るのは,あなたが尊敬する人たちだけではありません。『あなたにとって最善の事柄を願っています』というような言い方をする親族や友人もしばしばそのような影響を及ぼします。彼らは,『君は生計を立てなければならないんだ』と言うかもしれません。そのため,大学教育を受けて,給料のよい職業に就く準備をするよう助言するかもしれません。『聖書筆者のルカは医師だったし,使徒パウロは律法教師ガマリエルから教えを受けていた』と言う場合もあるでしょう。(コロサイ 4:14。使徒 5:34; 22:3)しかし,そのような助言は注意深く分析してみなければなりません。

      10 ルカとパウロはどのような助言を与えていますか。クリスチャンになる前の二人の活動については何と言えますか。

      10 医師ルカは,人が医者になって,自分の以前の生き方に倣うようクリスチャンに勧めたことは一度もありませんでした。むしろルカはイエスと使徒たちの生活を見倣うべきものとして示しました。ルカはキリストについて学ぶ前に医師になったものの,その後はクリスチャン宣教を生活の中で第一にしたと言えるでしょう。事情はパウロの場合も同じでした。パウロは,わたしがガマリエルに見倣ったように,わたしに見倣いなさい,と他の人に勧めたのではなく,「わたしがキリストに見倣う者であるように,わたしに見倣う者となりなさい」と書きました。パウロはキリストに関する知識を非常に高く評価していたので,それに比較するなら自分の以前の仕事は「多くのくず」のようなものだと思うと述べました。―コリント第一 11:1。フィリピ 3:8。

      11 (イ)ペテロはイエスに何と言いましたか。なぜですか。(ロ)イエスはどのようにお答えになりましたか。

      11 あなたを愛している人でさえ,感情的になって間違った助言を与える場合のあることを忘れてはなりません。例えば,イエスがエルサレムで宣教を行ないながら,自分を待ち受けている事柄について話された際,使徒ペテロは,「主よ,ご自分を大切になさってください。あなたは決してそのような運命にはならないでしょう」と答えました。ペテロはイエスを愛していたので,イエスが苦しむことを望みませんでした。それでもイエスはペテロを叱責なさいました。神のご意志を成就するには,自分が苦しみ,反対者によって殺されなければならないことを理解しておられたのです。―マタイ 16:21-23。

      12 悪気のない人々が若者たちにどんな助言を与えるかもしれませんか。それはなぜですか。

      12 同様に,親や友人の中には,自己犠牲的な歩みをやめさせようとする人がいるかもしれません。それらの人は浅はかな感情から,あなたが全時間の開拓宣教の割り当てを受け入れたり,宣教者として奉仕したり,エホバの証人の支部事務所で自発的な仕事を行なったりするよう励ますことを躊躇するかもしれません。『そんなことより,結婚してわたしたちの近くに住んだらどうだい』,『ベテルの仕事はきついよ。わたしたちと一緒にいたほうがいいと思う』などと言うかもしれません。言い換えれば,ペテロが述べたように,『自分を大切にしなさい』と言うのです。

      13 (イ)ペテロは再調整を施されたどんな考え方を言い表わしましたか。(ロ)真のクリスチャンであるとはどのような意味ですか。

      13 エホバの僕たちでさえ,時に考えの再調整を必要とします。ペテロにはそれが必要でした。そして考え方を再調整されたペテロはこのように書きました。「事実,あなた方はこうした道に召されたのです。キリストでさえあなた方のために苦しみを受け,あなた方がその歩みにしっかり付いて来るよう手本を残されたからです」。(ペテロ第一 2:21)真のクリスチャンとしての生活を送ることには自己犠牲,そうです,場合によっては苦しみが伴います。それは楽な道ではありませんが,わたしたちはクリスチャンとしてそのような道に召されたのです。その道を受け入れるとは,『もはや自分のために生きず,わたしたちのために死んでくださった方のために生きる』という意味です。(コリント第二 5:15)正しい理想像をいつも思い描くことは,この自己犠牲の道を歩むよう自分の命を用いるための助けとなります。

      思い描くべき理想像

      14 イエスはどんな模範を示されましたか。

      14 特に,イエスがお示しになった理想像を思い描く必要があります。イエスは完全な人間でしたから,これまで世界に登場した人々の中で最も優れた運動選手,演奏家,医師,法律家になることもできました。しかし,若い時であっても,イエスの注意は天の父を喜ばせることに向けられていました。(ルカ 2:42-49)イエスは後に,「わたしは……神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」と言われました。(ルカ 4:43)昨年の夏,教会誌「ミニストリー」に次のような内容の手紙が掲載されました。「我らの救い主は群衆から離れていることを愛された。そこで,魂を探し求めて家から家に訪問された。一つの魂だけに聞いてもらうことを喜びとされた。そのようにして真理を,神の愛を注ぐことができた」。―ルカ 10:1-16。

      15 (イ)家から家に宣べ伝えることが挑戦となるのはなぜですか。(ロ)若者たちの行なう家から家の宣教が効果的であることを,何が示していますか。

      15 家から家に宣べ伝えるのが簡単でないことは認めましょう。王国の良いたよりを理解するには勤勉な研究が求められ,意味深い証言の準備をするには多くのことが必要になります。同時に,この奉仕には勇気が求められます。家の人はほとんど関心がなく,中には敵意を抱く人さえいるからです。とはいえ,イタリアの教区雑誌「ラ・ボーチェ」の中に示されているように,皆さんのような若い人たちが行なう家から家の宣教にはすばらしい効果があります。その雑誌の筆者は,「私個人としては,家に来てくれるエホバの証人を好ましく思っている」と述べ,「私が知っている人たちの礼儀作法は非の打ちどころがなく,話し方も物柔らかである。きれいな人々で,若い人たちが多い。美しさと若さが表に現われているのは,非常に説得力がある」と説明しています。

      16 (イ)若者たちはどんな活動のゆえにほめられるに値しますか。(ロ)地上における最重要な業を遂行する面で,エホバの証人の組織は諸教会とどのように違いますか。

      16 キリストを理想像として受け入れている皆さんのような若い人たちは,確かにほめられるべきです。米国で開拓の業にあずかっている25歳以下の若者は1万2,000人を超えています。ほかの場所ではさらに幾万もの人々が開拓奉仕を行なっています。(詩編 110:3)皆さんが行なえる業で,開拓奉仕以上に重要なものはないという確信を抱いてください。前述の教会誌の筆者でさえ,「最も肝要な業は,魂を探し求めて家から家に訪問することである,と神は言われる」と述べ,「読者はこの問題についてどうお考えだろうか。読者や私は,どれほど訪問活動を行なっているだろうか。『ミニストリー』誌上で,この種の業について多くのことが語られた例を私は知らない」と続けました。わたしたちは,宣べ伝える面でのイエスの模範に見倣う必要があることを強調する組織と交わっていることを,感謝できるのではないでしょうか。

      17 テモテは恐らく十代の時にどんな仕事を成し遂げたと思われますか。テモテがその時十代の若さであったと思われることを,何が示していますか。

      17 あなたが自分の命を用いて行なう事柄は,あなたが称賛する人々に大きく影響されるのですから,若いテモテが示した模範を称賛する気持ちをも培うようにしましょう。イエスが亡くなる少し前に生まれた若者テモテは,自分の家族を離れ,第二回宣教旅行で使徒パウロに同行しました。数か月後,パウロとシラスは暴徒のためにテサロニケから逃げることを余儀なくされましたが,二人はすでにそこで幾人かの弟子を生み出していました。(使徒 16:1-3; 17:1-10,13-15)その後まもなくパウロは,試練に遭っているそれらの弟子たちを慰めるため,その危険な区域にテモテを遣わしました。(テサロニケ第一 3:1-3)その時テモテは十代の後半だったようです。その約12ないし14年後に,パウロはまだテモテの「若さ」について語っているからです。(テモテ第一 4:12)皆さんはそのような勇敢で自己犠牲的な若者を称賛したいと思いませんか。

      18 パウロがコリントの人たちのもとにテモテを遣わそうとしていたのはなぜですか。

      18 テモテがテサロニケの兄弟たちを強める割り当てを与えられてから5年後,パウロはエフェソスからコリントの人々にこのように書きました。「わたしに見倣う者となってください。そのために,わたしはテモテをあなた方のところに遣わします。……彼はキリスト・イエスに関連したわたしのやり方を,わたしがいたるところ……で教えているそのとおりに,あなた方に思い出させるでしょう」。(コリント第一 4:16,17)パウロと共にすでに5年間働いていた若いテモテは,パウロの教え方に十分通じていました。パウロがどのように「公にも家から家にも」エフェソス人を教えたかということや,どのようにエフェソス人に音信を伝えたかを知っていたのです。(使徒 20:20,21)そうした伝道方法の訓練を受けていたので,テモテは諸会衆に対する優れた助けとなったに違いありません。

      19 パウロは,テモテと共に奉仕し始めてから10年余り後に,テモテについて何と述べましたか。

      19 さらに五,六年が経過して,パウロはローマの獄に入れられています。自分自身,獄から釈放されたばかりのテモテは,パウロと共にいます。(ヘブライ 13:23)次のような場面を想像してください。パウロはテモテを秘書として用いたと思われますが,フィリピ人への手紙を書き取らせています。パウロは慎重にこう語ってゆきます。「わたしとしては,テモテをまもなくあなた方のもとに遣わすことを,主イエスにあって希望しています。……あなた方のことを真に気づかう,彼のような気持ちの者は,わたしにとってほかにいないのです。……あなた方は,彼が自分自身について実証した事柄を知っています。つまり,良いたよりを推し進めるため,子供が父親に対するようにして,わたしと共に奴隷として仕えてくれたことです」。―フィリピ 1:1; 2:19-22。

      20 テモテが,非常な称賛に値する,若者の理想像とされているのはなぜですか。

      20 確かに,若いテモテは称賛に値する模範です。テモテはパウロにとって非常に信頼できる忠実な仲間であり,どんなことがあってもパウロに堅く付き,宣べ伝える業においてパウロを支え,どこに遣わされても喜んで仕えました。自分の家でのいわゆる普通の生活を犠牲にしたとはいえ,神に奉仕するその生活はテモテに何と大きな満足感と充足感をもたらしたのでしょう。テモテはまさに,『もはや自分のために生きず,自分のために死んでくださったキリストのために生きて』いました。(コリント第二 5:15)あなたは,テモテの模範を見倣いたいと思いますか。

      神の新しい世のために生きなさい

      21 テモテは霊的な思いを持っていたとなぜ言えますか。

      21 テモテは結局,神の新しい世のために生きていました。目先のことだけではなく,自分の命を用いて永続的な益を生み出すことを考えていたのです。(マタイ 6:19-21)テモテの父親はギリシャ人で,未信者だったようですから,テモテに高等教育やこの世での成功を追い求めるよう勧めたかもしれません。しかし,母親と祖母から敬虔な教えを受けた結果,テモテの生活はクリスチャン会衆と深く関わるようになりました。少なくともしばらくは独身を保ったと考えられますが,霊的な関心事を追い求め,使徒パウロと共に奉仕する資格を得ました。―テモテ第二 1:5。

      22 「学校」のブロシュアーは今日の若者に対して,どのようにテモテのような生き方を強調していますか。

      22 あなたはいかがですか。自分の若さをテモテが用いたように用いますか。「学校とエホバの証人」というブロシュアーは,エホバの証人の若者たちについて説明する箇所で,そのような生き方に言及してこう述べています。「若者たちの人生の主要な目標は,神の奉仕者として効果的に仕えることですから,学校教育をその目的を達成する一つの助けとして評価します。ですから,大抵,現代の世界で自活するのに役立つ教科・科目を選択します。このようなわけで,職業科を選んだり,職業学校に入ったりする場合が少なくありません。それで,学校を終えるとき,自分たちの主要な職業,つまりクリスチャンの携わる宣教に打ち込めるような仕事に就くことを願います」。

      23 クリスチャンの若者にとって,わたしは自分の命を用いて何を行なうつもりだろうかという質問に答えるのが難しくないのはなぜですか。

      23 エホバ神とそのみ子が自分のためにしてくださったことを本当に感謝している人にとって,わたしは自分の命を用いて何を行なうつもりだろうか,という質問に答えるのは難しくないはずです。その人は,自分自身や個人的な楽しみのために生きるのではなく,神のご意志を行なうために命を用いることでしょう。そして,テモテのように,霊的な人として生きることでしょう。

  • 若い人たち,霊的に進歩していますか
    ものみの塔 1987 | 8月15日
    • 若い人たち,霊的に進歩していますか

      「これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」― テモテ第一 4:15。

      1,2 霊的に進歩するとはどのような意味ですか。また,どんな意味ではありませんか。

      霊的に進歩するとはどのような意味でしょうか。それは,生活の中で霊的な関心事を第一にした若いイエスやテモテのようになるという意味です。霊的に進歩しているなら,自分の命を用いて何を行なったらよいかが分かるようになります。『エホバに仕えることを真剣に考えるのは,もう少し年を取ってからにしよう』などとは言いません。そうです,そのような人は今エホバに仕えます!

      2 一方,霊的に進歩するとは,修道僧のようになったり,信心深げな雰囲気を身に着けたりすることを意味していません。本の虫になるということでもないのです。悲しげで陰気な顔をし,打ち解けた交わりを一切避けるという意味でもありません。(ヨハネ 2:1-10)エホバは幸福な神であられ,地上の子供たちが幸福になることを望んでおられますから,スポーツその他のレクリエーションに適度に参加することは,神も認めておられます。―テモテ第一 1:11; 4:8。

      バプテスマ ― 一つの証拠

      3 テモテはほぼ間違いなく,いつごろバプテスマを受けたと思われますか。

      3 バプテスマの備えをし,実際にバプテスマを受けるのは,若い人が霊的に進歩していることを示す証拠です。もしテモテが,先に述べたようにまだ十代のうちから使徒パウロの宣教旅行の同行者になったとすれば,テモテは十代の初めか半ばにバプテスマを受けたと言えるでしょう。テモテは幼い時から聖書を教えられ,十分な知識と認識が備わってからは,迷わずにバプテスマを受けました。―テモテ第二 3:15。

      4 フィリポはどんな質問を受けましたか。その質問をした人はキリストについて学んだばかりなのに,フィリポがその人の願いを聞き入れたのはなぜですか。

      4 聖書を教えられてきた皆さんのような十代の人たちはどうですか。『わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるだろうか』という質問を考えたことがありますか。1世紀当時,聖書を熟知してはいたものの,キリストがどんな方なのかを学んだばかりの男の人も,それと同じ質問をしました。確かにこの人は,神の目的に関して知っておくべきことすべてを知っていたわけではありませんが,自分が実際に知っていた事柄に対する深い認識に動かされました。ですから,弟子のフィリポには,バプテスマを差し控えるべき正当な理由がありませんでした。―使徒 8:26-39。

      5 あなたがバプテスマを受けるためには何が求められますか。

      5 あなたがバプテスマを受けるのを妨げているものは何ですか。もちろん,その資格を得るには,バプテスマに関連した事柄を理解しなければなりません。エホバを愛するゆえに,エホバに仕えたいと心から願わなければなりません。祈りの中で,エホバに個人的に献身する必要もあります。それに加えて,神の道徳上のご要求を固守し,他の人々に自分の信仰を伝える面で十分な経験を積んでいなければなりません。そのようにして資格が備わったなら,なお先へ進み,バプテスマを受けることが肝要です。―マタイ 28:19,20。使徒 2:38。

      6 バプテスマは何に例えられますか。その後は何をしなければなりませんか。

      6 バプテスマを受けるのは,あなたが霊的に進歩している証拠ですが,バプテスマは最初の段階にすぎないということを忘れるべきではありません。あなたはエホバに献身することにより,サタンが支配するこの古い世に住む外国人になります。そのようなわけで,献身は,神の新しい体制における永遠の命を得るための申し込みをすることに例えられるかもしれません。そして,バプテスマの正式の儀式は,基本的にその事実を証人たちの前で証明することです。(ヨハネ 12:31。ヘブライ 11:13)その後は,永遠の命という神からの賜物をいただくために,献身にふさわしい忠実な生き方をしなければなりません。―ローマ 6:23。

      行状による証拠

      7 世の事柄に対する態度は,あなたの霊的な進歩とどのような関係がありますか。

      7 世の事柄に対する態度も,あなたが霊的に進歩しているかどうかを示す証拠となります。どのような事柄ですか。その中には,無責任な生き方,麻薬,性的な自由,不道徳な映画,いかがわしい音楽,みだらな話,官能的なダンス,人種的・国家的誇りなどが含まれます。(ヨハネ第一 2:16。エフェソス 5:3-5)とりわけ若者たちは用心しなければなりません。そうしたものに関する行動の仕方は,あなたの霊的な健康状態を明らかにするということを忘れてはなりません。―箴言 20:11。

      8 ある若者たちがバプテスマをためらうのはなぜですか。

      8 サタンはこの世の不道徳な道がとても魅力的に見えるよう物事を操作しています。実際,ある15歳の若者は,「性や麻薬のことをテレビで見ているうちに,そういうものがだんだん社会の正常な姿に思えてくる」と言いました。世の道に加わらない若者たちは,自分たちが変わり者であるとか,楽しみを得そこなっていると思わされます。あなたもそのように感じたことがありますか。会衆と交わっている人の中にも,そう思っている人がいます。彼らは優柔不断です。一人の若者はバプテスマを受けることについて尋ねられ,『排斥されるようなことをするかもしれないので,今は受けたくありません』と言いました。しかし,日和見をする,つまり二つの異なった意見の間でふらついているわけにはいきません。かつて神の預言者は,「もし,エホバがまことの神であれば,これに従って行きなさい。しかし,もしバアルがそうであれば,それに従って行きなさい」と語りました。―列王第一 18:21。

      9 霊的に進歩するなら,実際にどのように保護されますか。

      9 この世の不道徳な道を避けることによって実際に失うのは,数々のやっかいな問題だけです。ある女性はこのように告白しました。「自分のこれまでの生き方に対する強い嫌悪感と後悔の念で,わたしは押しつぶされそうでした。自分自身とおなかにいた子供を見くびって欺いたのです」。確かに,悪魔の世の外面的な魅力と華やかさは,ただの蜃気楼,つまり欺きにほかなりません。価値あるものは少しもありません。世の道に従う結果は,結婚関係外の妊娠,欠損家族,性行為感染症,言いようのない挫折と苦悩です。ですから,諭しに聞き従い,霊的に進歩してください。「悪いことから離れて善いことを行ない」なさい。―ペテロ第一 3:11。

      10 霊的に進歩する若者たちは,どんな訓戒とだれの模範に注意を払いますか。

      10 霊的に進歩している若者は,「悪に関してはみどりごでありなさい。そして,理解力の点では十分に成長した者となりなさい」という使徒パウロの訓戒に注意を払うでしょう。(コリント第一 14:20)若いテモテは確かにこの諭しを当てはめました。テモテが当時の世の気ままな若者たちとの交友を求めるところを想像できますか。全くできません! テモテが友としたのは,仲間の神の僕たちでした。(箴言 13:20)その模範に見倣いましょう。疑わしい何らかの活動に関係しそうになったら,テモテやイエスだったらこういうことをしただろうか,と自問してください。

      聖書研究による証拠

      11 この世の若者の目にどんなものは見えませんか。どうすればそれを見,また見つづけることができますか。

      11 ワールド・プレス・レビュー誌に掲載されたイタリアからの記事には,「若者たちの妄想と自暴自棄は日を追って激しくなる。励みとなる将来を示せる人は一人もいない」と記されていました。サタンの世にいる人々のくらまされた目には,神が約束しておられる新しい世や,そこで生きる資格を持つ人々を待ち受けている輝かしい将来が見えないのです。(コリント第二 4:4。箴言 29:18。ペテロ第二 3:13)しかし,霊的に進歩する若者たちにはそれが見えます。定期的な聖書研究によって,視界はいつも明るく鮮明に保たれているのです。

      12 (イ)神に関する知識を得るには,どのようにしなければなりませんか。(ロ)この知識には努力するだけの価値があるとどうして言えますか。

      12 神の新しい世はあなたにとって現実的なものですか。それは現実的なものとなり得ますが,その新しい世に到達するには,あなたの側に徹底的な努力が求められます。聖書を理解したいという強い欲求を培って,「銀を求めるようにそれを求めつづけ,隠された宝を求めるようにそれを尋ね求めつづける」必要があります。(箴言 2:1-6)宝を探し求める人が,時には幾年もかけて探し続け,掘り続けられるのはなぜですか。その人は,宝から得られる富を手に入れたいと強く願っています。しかし,知識は物質的な宝よりもはるかに貴いものです。イエスは言われました。「唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)この時にイエスが言われた事柄を本当に信じているなら,熱心に聖書研究を行なうようになるでしょう。そのようにして得られる報いには,貴重な宝石よりも貴い価値があります。―箴言 3:13-18。

      13 霊的に進歩する若者たちは,研究に関するどんな提案に従いますか。

      13 研究すればするほど,霊的な食物を取り入れたいという欲求が強くなることに気がつくでしょう。良い研究方法を学ぶようにしてください。答えに下線を引くだけではなく,引照聖句を調べ,それから聖書の相互参照を使って関連聖句を追ってみます。「ものみの塔出版物索引1930-1985」(英文)などの索引を用い,補足的な研究を行なうこともできます。資料をどのように当てはめ,どのように実際に用いることができるかを分析してください。自分が研究している事柄を他の人たちに話しましょう。そうすれば,要点が銘記でき,研究を行なうよう他の人たちを励ますこともできます。本当にそのような研究に身を入れるなら,「これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」という,若いテモテに与えられた諭しに注意を払っていることになります。―テモテ第一 4:15。テモテ第二 2:15。

      集会と奉仕において示される

      14 クリスチャンの集会の楽しさを増し加えるのに何が助けになりますか。集会に出席する時には,どのような方法で他の人たちを励ませますか。

      14 聖書研究を楽しく行ない,十分準備をしておけば,クリスチャンの集会の楽しさは増し加わります。(詩編 122:1。ヘブライ 2:12)そして,聴衆の参加する部分にあずかったり,神権宣教学校で話をしたりすることがますます楽しみになります。しかし,集会に出席する際には,『互いに励まし合いなさい』,『愛とりっぱな業とを鼓舞し合いなさい』という命令に別の方法で従うことができます。(ヘブライ 10:24,25)例えば,あなたは自分から進んで他の人々に話しかけますか。特に若い人が親しみをこめて,「お会いできてうれしいです」と言ったり,「お元気でしょうか」と誠実に尋ねたりするのは,大きな励ましになります。

      15 必要な奉仕を行なうため,どのように自分を役立てることができますか。キリストの模範を念頭に置くのは良いことだとどうして言えますか。

      15 会衆の運営に必要な仕事はたくさんあります。あなたはそのような仕事を行なえますか。若いテモテは,走り使い,物資の購入,伝言など,パウロにとって助けとなる奉仕をたくさん行なったことでしょう。これまでそのような仕事をしたことがなければ,助けになりたい気持ちがあることを長老たちに話してみてはどうですか。多分,集会の割り当てを配ったり,会場をきれいにしたり,何らかの他の必要な奉仕を行なったりするよう頼まれるでしょう。キリストが弟子たちの足を洗われたことを思い出してください。ですから,霊的に進歩する人の威信にかかわるような仕事は一つもありません。―ヨハネ 13:4,5。

      16 カトリックの一定期刊行物は,どんな活動をクリスチャンが担うべき責任として認めていますか。

      16 ほかの宗教を調べると,わたしたちが集会で,極めて重要な宣べ伝える業のための訓練を受けられることに対して,深い感謝の気持ちを抱けます。昨年の9月,ケニス・グエンタートは「US・カトリック」誌上で次のように述べました。「私が育ったのは,カトリック教徒たるもの聖書を読むべからず,とされていた時代である。クリスチャンは人々を改宗させることに努め,戸口を叩いて回らなければならないというような,おかしな考え方を持つようになるから,というのがその理由だった。その後,第二バチカン公会議が開かれ,私は聖書を読み始めた。果たせるかな,いま私は,クリスチャンは人々を改宗させることに努め,戸口を叩いて回らなければならないと考えている」。この人はさらにこう語りました。「ご存じのように,この考えは私にとって大変心地よいというわけではないが,新約聖書を読めば,この結論は,まず避けて通れない」。―マタイ 10:11-13。ルカ 10:1-6。使徒 20:20,21。

      17 どうすれば,宣教はあなたにとって一層楽しいものになりますか。

      17 そうです,初期クリスチャンは家から家に宣べ伝える業に熱心でした。そして,テモテのような若者たちは年長の人々と共に進んでその業に加わり,宣教を行なったようです。しかし,今日の一部の人々にとって,これが最も楽しい業となっていないのは明らかです。どうしてでしょうか。一つの要素は巧みさです。例えば,何かのゲームやスポーツが上手にできれば,楽しさも増すのではないでしょうか。宣教もそれと大体同じです。聖書の使い方と聖書の話題について話し合う技術が上達するにつれて,宣教から喜びが得られるようになるのです。命を与える知識を受け入れてくれる人を見いだせた時は,特にそうした喜びが得られます。ですから,霊的に進歩してください! 戸別訪問の際の証言の仕方を練習してください。他の人たちの提案を求めてください。エホバの助けを請願してください。―ルカ 11:13。

      年長の人々との関係によって

      18 イエスとテモテは,年長の人々とのどのような関係を享受していましたか。

      18 イエスはわずか12歳という若さで,年長の人々と霊的な事柄を論じて楽しく時を過ごしました。イエスの両親は,ある時,『彼が神殿におり,教師たちの真ん中に座って,その話すことを聴いたり質問したりしているのを見つけ』ました。(ルカ 2:46)テモテの場合もそのようなことがありました。使徒パウロとその仲間たちがルステラを訪問した時,テモテは彼らとの交わりを楽しみ,彼らの教えに真剣な注意を払ったようです。テモテは自分を強力に推薦してくれた地元の兄弟たちと親密な関係を保っていました。―使徒 16:1-3。

      19 パウロが旅行の同行者として特にテモテを選んだのはなぜですか。テモテはどのように助けになりましたか。

      19 テモテは他の人々のための,霊的な性質の伴わない奉仕を進んで行ないましたが,パウロはそのテモテを,とりわけ人々の霊的な必要のために仕える能力のゆえに,旅行の同行者として選びました。パウロはその点を考慮に入れ,自分が暴徒のためテサロニケから去らざるを得なくなった時,新しい弟子たちを慰め,強めるために若いテモテを遣わしました。したがってテモテは,年長の人々から学んだり,彼らと楽しく交わったりすることをしきりに願っただけではなく,年長の人々にとって真の霊的な助けになったのです。―使徒 17:1-10。テサロニケ第一 3:1-3。

      20 何をするのは賢明なことですか。年長の人々のためにどんな奉仕ができますか。

      20 イエスやテモテに見倣い,熱心な態度で年長の人々の経験や知識から益を得ようとするのは賢明なことです。そのような人たちとの交わりを求め,質問をしてください。しかし同時に,彼らを援助して,自分が霊的に進歩していることを示してください。こちらが何かの買い物や他の必要な仕事をすれば感謝していただけるような,高齢の方々や病弱な人たちがいますか。そのような人たちの家を訪問し,何かを読んであげ,宣教で経験した楽しい事柄について話してあげるだけでもよいでしょう。

      親や他の人々の役割

      21 親の役割はどれほど重要ですか。どんなことは,いくら強調しても強調しすぎることはありませんか。

      21 若者たちの霊的な健康は,親の教えと模範に大きく依存しています。(箴言 22:6)イエスは確かに,神を恐れる地的な両親から与えられた導きによって益を得ました。(ルカ 2:51,52)また,母親と祖母の訓練がなかったなら,テモテは霊的な進歩を遂げる少年とはならなかったに違いありません。(テモテ第二 1:5; 3:15)聖書の教えを定期的に与えることの重要性は,いくら強調しても強調しすぎることはありません。皆さんは親として,そうした教えを与えておられますか。それとも,それはなおざりにされていますか。

      22 (イ)親が家族の聖書研究を肝要なものとみなすなら,子供たちはどのような影響を受けますか。(ロ)親は子供たちにどのような指示を与えるべきですか。

      22 エホバの証人の世界本部にいる一人の若者は,自分が大人になるまでの間,家族生活の揺るぎない特色となっていたのは,子供たちとの週ごとの聖書研究だったと説明しています。「時々父は,仕事のせいで起きていられないほど疲れ切っていましたが,それでも研究は行なわれました。そのために私たちは,研究の重要性を認識させられました」。親の皆さん,皆さんが霊的な事柄を高く評価しない限り,子供たちが霊的な事柄を高く評価することはないでしょう。ですから,開拓奉仕,宣教者,ベテル奉仕などの目標を掲げてください。宣教は将来性のある仕事であり,この世の仕事には真の将来性がないことを認識するよう子供たちを助けてください。―サムエル第一 1:26-28と比較してください。

      23 会衆内の他の人々は,霊的に進歩するようどのように若者たちを助けることができますか。

      23 ほかの人たちも若者たちが霊的に進歩するよう助けることができます。集会で必ず若者たちと会話するよう心がけることができます。また,自分の活動の一部に若者たちを含めるようにしてください。長老なら,親の許可を得た上で,若者を講演の割り当てに伴って行ったり,ピクニックに一緒に行ったりするよう取り決めるかもしれません。(ヨブ 31:16-18)ささいに思えるような事柄が,大いに意味のある場合があるのです。ある旅行する監督は,自分の話を聞いている一人の少年が聖書を持っていないことに気づき,あとでその子に聖書を1冊プレゼントしました。その少年はプレゼントに感銘を受けただけではなく,自分が関心を示されたことにも感銘を受けました。30年余りが経過し,今では長老になったかつての少年は,今もってその兄弟の愛ある行為を懐かしく思い出します。

      24 どんなことを知ると胸の躍るのを感じますか。わたしたちはどんな決意を抱くべきですか。

      24 幾十万という『露玉のような若い男性』がさわやかな王国の音信を言い広め,また少なくともそれと同じほど多くの若い女性が『良いたよりを告げる大軍』をなしているのを知ると,胸の躍るのを感じませんか。彼らすべてが霊的な進歩を遂げることに専念できますように。そして霊的な進歩を遂げられるようわたしたちもこぞって彼らを助けることができますように。―詩編 110:3; 68:11。

      復習の質問

      □ 若者がバプテスマを受けるべき時を決定するのに,何が助けになりますか

      □ 若者の行状は,どのように霊的な進歩を測る尺度になりますか

      □ 若者が集会と野外奉仕を楽しむために,何が助けになりますか

      □ 若者は,年長の人たちとどのような関係を築くべきですか

      □ 親と年長の人たちは,どのように若者を助けることができますか

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする