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目ざめよ! 1990
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聖書の見方

自殺した人に復活はありますか

人が自殺したという悲報は,その親族や友人にしてみれば,人生の一章を閉じるというより一つの章を開くものとなります。同情と怒り,悲しみと罪悪感の入り混じった一章が始まるのです。それと同時に,自ら命を絶った友に関して何らかの希望が持てるのだろうか,という疑問も生じてきます。a

自ら課した死は決して正当化されるものでも義にかなったことでもありませんが,確かに使徒パウロは,一部の不義者たちにさえすばらしい希望を差し伸べました。彼はローマの法廷に対し,「わたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望は……義者と不義者との復活があるということです」と語りました。―使徒 24:15。

しかし多くの神学者たちは,不義者の復活によって自殺した人々にも希望の道が開かれるかもしれないという意見を長いあいだ退けてきました。それはなぜでしょうか。

神学者たちは復活の希望を否定する

ウィリアム・ティンダルは16世紀の自訳聖書の序文で問題の一部を明らかにし,「死んだ魂を天国や地獄や煉獄に置くことは,キリストやパウロが復活を証明するのに使っている論議を損なうことである」と述べました。そうです,何世紀も前に僧職者たちは,人間が死ぬ時,不滅の魂は肉体を離れて天国,煉獄,リンボ,あるいは地獄へ直行する,という非聖書的な概念を取り入れました。その概念は,将来の復活に関する聖書の明確な教えと衝突しました。バプテスト派のチャールズ・アンドルーズ牧師もこう問いかけています。「もし魂がすでに天で喜びに満ちあふれている(あるいは正当なこととして地獄で火あぶりにされている)なら,この上何が必要とされようか」。同牧師はさらに,「この内部矛盾は幾世紀にもわたってクリスチャンを悩ませてきた」と述べました。

そのような誤った神学の結果,アーサー・ドロージがバイブル・レビュー誌1989年12月号で述べているように,「教会はアウグスティヌスの時代[西暦354年-430年]以降,自殺を罪,それも背教や姦淫のような請け戻しの効かない罪としてとがめて」きました。

『請け戻しが効かない』,あるいは地獄の火に引き渡されてそこからは出られないとする過酷な評決により,死の時点での裁きという論議は,はなはだ当てにならなくなりました。ナショナル・カトリック・リポーター紙は次のことを認めています。「二人の偉大な教会博士は自殺を激しく非難した。アウグスティヌスはそれに『忌むべき,また地獄に落ちるべき邪悪な行為』というらく印を押し,アクィナスはそれが神と地域社会に対する地獄行きの[許されざる]罪であることを示した。しかし,すべての聖職者が同意してきたわけではない」。

幸いわたしたちは,矛盾のない二つの聖書的真理を受け入れることにより,そのような「内部矛盾」を避けることができます。第1に,『罪を犯している魂 ― それは死にます』。(エゼキエル 18:4)第2に,死んだ魂(人々)のための真の希望は,「義者と不義者との復活」を通して再び生きることです。(使徒 24:15)では,自殺した人々についてどんなことを期待するのは道理にかなっているでしょうか。

復活させられる一人の不義者

イエスは,死刑の判決を受けた一人の犯罪者に,「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。その人は不義者 ― 取り乱して自殺したのではなく法律を破った人 ― で,自分の罪状を率直に認めたことにより有罪となりました。(ルカ 23:39-43)その人は,天へ行ってイエスと共に支配するという希望を持ってはいませんでした。ですからこの盗人は,エホバ神の王国の支配を受ける美しい地球上のパラダイスで生き返るという希望を抱くことができました。―マタイ 6:9,10。啓示 21:1-4。

神はどんな目的でこの犯罪者を眠りから覚ますのでしょうか。無情にも,過去の罪のことでその犯罪者を責めたてるためでしょうか。決してそうではありません。なぜなら,ローマ 6章7節と23節に,「死んだ者は自分の罪から放免されているのです」,また「罪の報いは死です」と述べられているからです。その犯罪者に過去の罪が帰されることはありませんが,それでもやはり,自分を完全な状態へと引き上げるために贖いが必要でしょう。

ですから,神学者のアルバート・バーンズの主張は間違っており,人々を誤導するものでした。彼は,「悪を行なった者たちは,とがめられ,のろわれるためによみがえらされる。これがそのような者たちをよみがえらせる目的である。これ以外の意図はない」と主張しました。公正と愛の神を卑しめる何とひどい主張でしょう。むしろ,地上のパラダイスにおける命への復活は,この元犯罪者(および他の不義者たち)が復活後に行なう事柄によって裁かれるという貴重な機会を開くことになります。―ヨハネ第一 4:8-10。

憐れみが示される機会

それで,友が自殺してぼう然とさせられている人々は,「エホバはご自分を恐れる者たちを憐れんでくださった。神ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり,わたしたちが塵であることを覚えておられるからだ」,ということを知って慰めを得ることができます。(詩編 103:10-14)“自殺の危険が高まる時期”に精神病や極度のストレス,場合によっては遺伝的欠陥がどんな役割を果たすのか,それを十分に理解できるのは神だけです。ナショナル・オブザーバー誌は,その「自殺の危険が高まる時期」は「生涯付いてまわるものではなく,多くの場合,数分,もしくは数時間しか続かない」と述べています。―伝道の書 7:7をご覧ください。

もちろん,自分の命を絶つ人には自己の殺害を悔い改める機会はなくなります。しかし,ある自殺者が,仮に自殺に失敗していたら心を変えたかどうかはだれにも分かりません。事実,悪名高い殺人者の中にも,生きている間に変化を遂げ,神の許しを得た人がいるのです。―列王第二 21:16。歴代第二 33:12,13。

ですから,憐れみを一部の自殺者たちにまで広げて彼らを復活させ,「悔い改め,かつ悔い改めにふさわしい業をして神に転ずる」貴重な機会を与える権限は,「多くの人と引き換える贖い」を払われたエホバにあるのです。―マタイ 20:28。使徒 26:20。

命に対する,聖書に基づく確実な見方

命は神からの賜物であり,乱用したり自らの手で終わらせたりすべきものではありません。(ヤコブ 1:17)それゆえに聖書は,わたしたち自身を不滅の魂としてではなく,神の貴重な被造物と見るよう勧めています。神はわたしたちを愛し,わたしたちが生きていることを重要視しておられ,復活の時を喜びをもって待ち望んでおられるのです。―ヨブ 14:14,15。

愛があるなら,自殺は自分自身の重荷を取り去ることはできても,残された家族の上にさらに多くの問題を積み上げるにすぎないという認識は強まります。早まって命を絶った人に関する限り,その人が復活するかどうかはわたしたち人間には判断できません。その人はどの程度とがめを負っているでしょうか。ただ神だけが『すべての心とすべての考えの傾向』を探られます。(歴代第一 28:9)しかし,わたしたちは『全地を裁く方が,愛のある,公正で正しいことを行なわれる』と確信できるでしょう。―創世記 18:25。

[脚注]

a この記事は自殺者の遺族を対象にしています。自殺という問題に関する詳しい論考をお調べになりたい方は,「ものみの塔」誌1983年11月1日号,3-11ページ,ならびに「目ざめよ!」誌1981年11月8日号,5-12ページをご覧ください。

[22ページの図版のクレジット]

Kollektie Rijksmuseum Kröller-Müller, Otterlo

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