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  • ピラト
    聖書に対する洞察,第2巻
    • と,この人物の人となりをかなり正確に洞察することができます。ピラトの物事に対する取り組み方はいかにもローマの支配者らしいもので,話し方はそっけなく,ぶしつけでした。「真理とは何か」と尋ねるなど,表向きは世をすねた懐疑的な態度を示しましたが,自分の扱っているのが自ら神の子と称する人物であることを聞いて,恐れの気持ちを示しました。それは迷信的な恐れだったようです。ピラトは横柄な人間でなかったことは明らかですが,政治家に付き物の不誠実さをあらわにしています。彼は第一に自分の地位のこと,つまり自州内でさらに騒ぎが生じ,それが上官の耳に入った場合,何と言われるだろうかということが心配だったのです。扇動の罪で告発された者たちに対して寛大すぎると思われることを恐れました。ピラトはイエスが無罪であること,またイエスの告発者たちを動かしたのはそねみであることを知っていました。しかし,ピラトは,自分の政治家としての経歴を損なう危険を冒すよりも,群衆に屈し,無実の人間を群衆に引き渡して殺させました。

      「上位の権威」の一部であったピラトは神の許しによって権力を行使しました。(ロマ 13:1)彼は自らの決定に対する責任,水では流し去ることのできない責任を負っていました。ピラトの妻の見た夢は,あの日に生じた地震や異常な闇,また垂れ幕が裂けたことなどと同様,神から出たものだったのかもしれません。(マタ 27:19,45,51-54; ルカ 23:44,45)妻から夢のことを聞いてピラトは,これが普通の裁判ではなく,普通の被告人ではないことに気づくべきでした。とは言え,イエスが言われたように,イエスをピラトに引き渡した者には「さらに大きな罪があります」。(ヨハ 19:10,11)最初にイエスを裏切ったユダは「滅びの子」と呼ばれました。(ヨハ 17:12)イエスの命をねらう陰謀の共犯者となったパリサイ人は「ゲヘナに行くべき者」と言われています。(マタ 23:15,33。ヨハ 8:37-44と比較。)とりわけサンヘドリンを率いていた大祭司は,神の子をこの異邦人の支配者に引き渡して死刑を宣告させた責任を神のみ前で負っています。(マタ 26:63-66)ピラトの罪はそれらの者たちの罪ほどではありませんでしたが,その行為は大いに責められるべきものでした。

      この犯罪の扇動者たちをピラトが嫌っていたことは,杭につけられたイエスの頭上に,イエスを「ユダヤ人の王」であるとする標識を掲げたことや,「わたしが書いたことはわたしが書いたことだ」と言って,その罪名の変更をぶっきらぼうに断わったことに表われています。(ヨハ 19:19-22)アリマタヤのヨセフが遺体を引き取りたいと願い出ると,ピラトは,まず,いかにもローマの役人らしい周到さを示して,イエスの死亡を確認し,それからその要請を受け入れました。(マル 15:43-45)死体が盗まれはしまいかという祭司長やパリサイ人の危惧に対しては,「あなた方には警備隊がある。行って,あなた方の知る限りの方法で守り固めるがよい」とそっけなく答えています。―マタ 27:62-65。

      解任と死 ヨセフスによれば,ピラトが後に解任されたのは,サマリア人がピラトの直接の上官であるシリアの総督ウィテリウスに訴状を提出したためでした。その訴状は,大勢のサマリア人が詐欺師に惑わされ,モーセが隠したとされる神聖な財宝の発見を夢見てゲリジム山に集まっていた時に,ピラトが彼らを殺害したことに関するものでした。ウィテリウスはローマのティベリウスの前に出頭することをピラトに命じ,その代わりとしてマルケルスを総督にしました。ティベリウスはピラトがローマへ向かう途上にあった西暦37年に死亡しました。(ユダヤ古代誌,XVIII,85-87 [iv,1]; XVIII,88,89 [iv,2])ピラトに対する裁判の最終的な結果については,信頼できる歴史的な資料がありません。西暦3世紀後半から4世紀前半の歴史家エウセビオスは,ティベリウスの後継者ガイウス(カリグラ)の治世中,ピラトは自殺に追い込まれたと述べています。―「教会史」,II,VII,1。

  • ひら豆
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ひら豆

      (ひらまめ)(Lentil)[ヘ語,アダーシャー]

      長いあいだ人間が栽培してきた,マメ科の一年生植物。今でも,エジプトやイスラエルその他の国々で広範囲にわたって栽培されています。(サム二 17:27,28; 23:11)この小さな植物(Lens esculenta)は,高さが15ないし46㌢で,水はけのよい乾燥した土壌に繁茂します。その複葉は,一般に6組の長円形の小葉から成っており,先端は巻きひげになっています。細長い小枝にはエンドウのような小さな花が二つないし四つずつ付きます。花から生長する短いさやはエンドウのさやに似ており,普通,レンズの形をした小さな種を二つ含んでいます。種の色や花の色は,ひら豆の種類によって異なります。種は赤みがかった褐色,灰色,または黒で,花は白か薄青をしています。この種はタンパク質と炭水化物を豊富に含んでいるので,昔と同様に,一般にはスープを作るのに用いられています。(創 25:34)ひら豆は大麦と組み合わせてパンを作るのに用いられてきました。(エゼ 4:9と比較。)この植物自体は,家畜の飼い葉として十分役立ちます。

  • ヒラム
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヒラム

      (Hiram)[恐らく,「わたしの兄弟は高い(高められる)」を意味するアヒラムの短縮形]

      マソラ本文では幾つかの聖句中に“Hirom”(王一 5:10,18; 7:40前半)とか“Huram”(代二 2:3)といった代わりのつづりが見られます。

      1. 西暦前11世紀のティルスの王。同時代の王であるダビデやソロモンとは友好的な関係にありました。

      ダビデがシオンの砦を攻略し,その場所に宮殿を建設し始めた後に,ヒラムは使者を送ってダビデとの間で通商条約を取り決めました。それからヒラムは,レバノンの西斜面から切り出した杉材,および木や石の熟練した細工師をダビデに提供しました。―サム二 5:11; 代一 14:1。

      ダビデが死に,ソロモンが代わって統治していることを聞くと,ヒラムは友好条約を更新するために使者を遣わしました。(王一 5:1)それでソロモンは,大きな神殿の建造に必要な資材とある程度の労働力の提供に関してヒラムの援助を取り付け,それと同時にヒラムの提供した労働力に対しては大量の小麦,大麦,ぶどう酒,油で支払いを行なうという交換条件を定めました。(王一 5:2-6; 代二 2:3-10)次いでヒラムがエホバを賛美し,両国間で友好契約が結ばれました。―王一 5:7-12; 代二 2:11-16。

      20年に及ぶソロモンの建設事業が終了した時,ソロモンはヒラムに20の都市を与えましたが,それらの都市はヒラムの目に全く望ましくないものでした。(王一 9:10-13。「カブル」2項を参照。)ヒラムがその同じ都市をソロモンに返したのか,それともソロモンにほかの都市を与えたのかは定かではありません。(代二 8:1,2)また,ヒラムがソロモンに金120タラント(4,624万2,000㌦)を贈ったのは都市を贈り物としてもらったためであったのか,あるいはそれが何かの交換と関係があったのかも定かではありません。―王一 9:14。

      ヒラムは,ソロモンと組んで別の共同事業も行ないました。ソロモンはそのためにアカバ湾のエツヨン・ゲベルで船団を作りました。それでヒラムは経験のある水夫たちを差し向けて,ソロモンの僕と共に船団に乗り組ませました。ヒラムとソロモンは,アフリカの東海岸沖の海上を航行するそれらの船に加えて,恐らく地中海の西端にあったと思われるタルシシュにまで航海する船を有していました。それらすべて,つまり外洋における大規模な事業によって,ばく大な富がもたらされました。その中には金,銀,象牙,宝石,高価な木材,それにさる,くじゃくなどの珍しいものが含まれていました。―王一 9:26-28; 10:11,12,22; 代二 8:18; 9:10,21。「エツヨン・ゲベル」を参照。

      2. ソロモンの神殿の調度品の多くを造った熟練した工匠。この人の父親はティルス人でしたが,母親は「ダンの子らの出」で(代二 2:13,14),「ナフタリの部族の出身の」やもめでした。(王一 7:13,14)食い違って見えるこれらの記述も,一部の学者の見解に従うならおのずと解決されます。つまり,その女性はダンの部族に生まれ,ナフタリの部族出身の最初の夫と死別してやもめとなり,ティルス人と再婚したのです。

      ティルスの王ヒラム(1項)は,ソロモンのための特別な建設を監督するようこのヒラムを派遣しました。この人には,金,銀,銅,鉄,石,木材などの材料を取り扱う能力と経験があったからです。ヒラムは,染色,彫り物,あらゆる考案物の設計にも特別に熟練していました。ヒラムは子供のころからティルス人の父親によって当時の工業技術の専門的な訓練を幾らか施されていたに違いありません。彼の父親自身,熟達した銅の細工師でした。―王一 7:13-45; 代二 2:13,14; 4:11-16。

      ティルスの王はこの人物を指してヒラム・アビと呼んでいるようです。これは,字義的には「わたしの父ヒラム」という意味の呼称と思われます。(代二 2:13)王は,ヒラムが自分の実の父親であるという意味でそのように呼んだのではなく,ヒラムが王の「顧問」もしくは「優れた職人」という意味でそのように呼んだのかもしれません。同様に,ヒラム・アビブ(字義的には「彼の父ヒラム」)は『ヒラムは彼の(すなわち,王の)優れた職人』を意味するようです。―代二 4:16。

  • ヒラム・アビ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヒラム・アビ

      (Hiram-abi)[わたしの父ヒラム]

      ソロモンの神殿の備品を造るためにティルスの王が遣わした「熟練した人」を指して用いられた呼称。ヒラムが優れた職人であるという意味で「父」であったことを示唆しているようです。―代二 2:13。「ヒラム」2項を参照。

  • ヒラム・アビブ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヒラム・アビブ

      (Hiram-abiv)[彼の父ヒラム]

      ソロモンの神殿の備品の建設を監督するためにティルスから遣わされた,熟練した職人に関連して用いられた語。ヒラムは文字通りにではなく,優れた職人であるという意味で「父」であったことが示唆されているように思われます。―代二 4:16。「ヒラム」2項を参照。

  • 昼
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 昼

      (ひる)(Day)

      「日,昼」を参照。

  • 蛭
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 蛭

      (ひる)(Leech)[ヘ語,アルーカー]

      血を吸う虫。体は扁平で多くの節があり,前後の両端が先細りの形をしていますが,後部の幅が最も広くなっています。蛭には体長が1㌢余りのものから10㌢を超えるものまでいます。この動物には,体の両端に平円盤状組織,つまり吸盤があり,前端頭部の吸盤には,食い付くための口があります。

      中東の多くの河川には沢山の蛭がいます。ある種の蛭(Limnatis nilotica)の幼虫は,飲み水と一緒に呑み込まれると,宿主の鼻腔,喉頭や喉頭蓋に付着します。幼虫は急速に成長し,容易には取り除くことができません。これが寄生していると呼吸が妨げられる場合があり,このことと失血も原因して宿主は死に至ることもあります。

      蛭(ヘ語,アルーカー)については,一回だけ箴言 30章15節で言及されています。そこでは飽くことを知らない貪欲に注意が向けられており,「蛭には,『与えよ! 与えよ!』と叫ぶ二人の娘がいる」と述べられています。F・C・クックの著わした「注解」には,蛭の貪欲さがここでは「その娘」とみなされ,激しさを表現するため,複数形で語られているのではないだろうかと述べられています。ほかに,この「二人の娘」とは蛭の吸血盤の二つの唇のことであるとみなす人たちもいます。蛭は自分の体重の3倍の血を吸うことがあります。その唾液には強力な血液凝固防止物質が含まれているため,宿主の血は流出し続けることになるのです。

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