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命 ― 神からの贈り物ものみの塔 1992 | 8月1日
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造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです」― 詩編 139:14。
この美しい言葉を書いた人が,生命は盲目的な進化によって偶然にできたにすぎないなどと考えていなかったことは確かです。もし進化によるのであれば,わたしたちには自分の命の用い方について実際には何の義務も責任もないことになります。しかし,生命のメカニズムは明らかに設計を反映しており,設計には設計者が必要です。聖書はこの原則を次のように言い表わしています。「言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です」。(ヘブライ 3:4)ですから,『エホバが神であることを知る』のは肝要です。「わたしたちを造ったのは神であって,わたしたち自身ではない」のです。(詩編 100:3)確かに,命は運よく偶然にできあがったものではありません。命は神ご自身からの贈り物なのです。―詩編 36:9。
そうすると,わたしたちには命の贈り主に対するどんな義務があるのでしょうか。その方はわたしたちが命をどのように用いることを期待しておられるのでしょうか。こうした疑問や関連した疑問が,次の記事で扱われます。
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命という貴重な贈り物に感謝するものみの塔 1992 | 8月1日
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命という貴重な贈り物に感謝する
命 ― 何と貴重な持ち物なのでしょう。命がなければ何もできません。一度失えば人間はどんな方法を使ってもそれを取り戻すことができません。命が危険にさらされると,わたしたちは命を守るために可能な範囲で何でも行ないます。苦難に遭うと超人間的な助けを求める人もいるほどです。
思い出されるのは,海で大あらしに巻き込まれた船に関する聖書の話です。船が今にも難破しそうになった時,『船員たちは恐れて,各々自分の神に助けを呼び求めるようになりました』。その後,彼らは一人残らずまことの神に呼ばわるようになり,「ああ,どうかエホバよ,……わたしたちが滅びてしまうことのないようにしてください」と言いました。聖書は,「彼らは船内の品物を次々に海に投げ出した。その分だけ船を軽くしようとしてであった」とも述べています。―ヨナ 1:4-6,14。使徒 27:18,19と比較してください。
それらの船乗りたちは自分の命を守るために,大切にしていた物質の所有物をさえ進んで犠牲にしました。物質の持ち物であれば代わりを手に入れることができますが,命はそういうわけにはゆきません。わたしたちは本能的に命を大切にするので,危険に面すると後ずさりします。また,自分の体に食べ物を与え,服を着せ,養います。病気になると治療を求めます。
それでも命の贈り主は,自己防衛本能に従う以上のことをわたしたちに要求しておられます。結局,命はお金では買えない贈り物,全宇宙で最も重要な方から与えられるものです。贈り主と贈り物に対して心から感謝し,命を大切にすべきではないでしょうか。そしてそれには,他の人の命にも敬意を示すことが含まれるのではないでしょうか。
ですから,エホバがイスラエル国民にお与えになった律法に,他の人の命や健康を保護するためのおきてが含まれていたとしても,驚くべきことではありません。(出エジプト記 21:29。申命記 22:8)今日のクリスチャンにも同様の安全意識がなければなりません。例えば,家に幼い子供たちがいる場合,ビーズやピン類あるいは鋭利な刃物などをうっかり子供の手の届くところに置いたままにしておくことがあるでしょうか。子供は何も知らずにそういうものをおもちゃにして遊んだり,飲み込んだりして大けがをするかもしれません。危険な化学製品や薬品は子供の手の届かないところに保管してありますか。床に水をこぼしたら,事故を防ぐためすぐにふき取るようにしていますか。調子の悪い電気器具はすぐに修理するようにしていますか。車の整備は定期的に行なわれていますか。安全運転に努めていますか。命の大切さを本当に認識していれば,このような点に関して適度な予防策を講じる気持ちになるでしょう。
しかし残念なことに,自分の命でさえ当たり前のものとみなす人がいます。例えば,いまどき喫煙が体に悪いことを知らない人がだれかいるでしょうか。それでも,大勢の人がこの習慣にとらわれており,有毒な煙を吸い込む度に自分の健康を害しているのです。麻薬を乱用する人もいれば,お酒を飲み過ぎる人もいます。いずれも健康を害することになるだけです。エイズは命取りの病気で,その治療法は知られていません。それでも,性の不道徳や輸血やある種の麻薬の乱用を避けていれば,多くの人はこの病気にかからずにすんだはずです。命に対する感謝が欠けていたため何と悲劇的な結果になったのでしょう。―ローマ 1:26,27。コリント第二 7:1。
変化は可能!
偉大な創造者エホバに感謝する人々には,命を貴重なものとみなすべき強力な理由があります。命はエホバからの神聖な贈り物です。ですから,命を神からの贈り物として扱うために,必要ならどんなことでも進んで改めます。ガーナで教師をしているクワクの経験を考えてみましょう。向こう見ずなアルコール依存症だったクワクは命を無駄にしていました。
クワクは昔を思い出してこう語りました。「私は妻に敬意を示させようと強要したので,時々激しい口論やけんかが起きました。特に酔っ払っている時はそれはひどいものでした。酒に溺れていたのでお金のないことが多く,家族の生活費にも事欠くことがしばしばありました。そのために妻がひどくいらいらしていたのは無理もありません。酒代がなくなると(これはしょっちゅうあり
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