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悪いことを報告するべきなのはなぜですかものみの塔 1997 | 8月15日
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てしまうかもしれません。―ヘブライ 10:26-29。
悪行を報告することは,悪行を犯した人に純粋の気遣いを示す行ないです。ヤコブはこう書いています。「わたしの兄弟たち,もしあなた方の中のだれかが惑わされて真理からそれ,別の人がこれを立ち返らせるなら,罪人をその道の誤りから立ち返らせる人は,その人の魂を死から救い,多くの罪を覆う,ということを知りなさい」― ヤコブ 5:19,20。
では,悪いことを報告するべきなのはなぜでしょうか。なぜなら,それによって良いことが成し遂げられるからです。実際,悪行を報告することは,神に対し,会衆に対し,また悪行を犯した人に対して示す,原則に基づいたクリスチャンの愛の行ないなのです。会衆の成員一人一人が神の義の規準を忠節に擁護するとき,エホバはその会衆を全体として豊かに祝福されます。使徒パウロはこう書いています。エホバはまた,「あなた方を終わりまで確固たる者とし,わたしたちの主イエス・キリストの日にあなた方が何ら訴えられることがないようにしてくださるでしょう」― コリント第一 1:8。
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読者からの質問ものみの塔 1997 | 8月15日
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読者からの質問
テトラグラマトン(神の名を指すヘブライ語の4文字)は,14世紀のユダヤ人医師シェム・トブ・ベン・イサーク・イブン・シャプルトが書き写した,マタイによる書のヘブライ語本文に出ていますか。
いいえ,出ていません。マタイによる書のこの本文は,ハッシェームを(正式もしくは略式のつづりで)19回用いています。それは,「ものみの塔」誌,1996年8月15日号,13ページに示されているとおりです。
ヘブライ語のハッシェームは「み名」という意味で,疑いなく神の名を指しています。例えば,シェム・トブの本文には,ハッシェームの省略形がマタイ 3章3節に出ています。マタイがイザヤ 40章3節を引用した一節です。マタイがヘブライ語聖書から四文字語<テトラグラマトン>の出ている節を引用した時,その神の名を自分の福音書に載せたと考えるのは理にかなっています。ですから,シェム・トブの提示したヘブライ語本文が四文字語<テトラグラマトン>を用いてはいなくても,マタイ 3章3節などで「み名」という表現を用いていることは,クリスチャン・ギリシャ語聖書に「エホバ」を用いる根拠となります。
シェム・トブは,マタイによる書のそのヘブライ語本文を,自分の反論書,「エヴェン・ボーハン」に書き写しました。ところで,そのヘブライ語本文はどこから出ていたのでしょうか。この点を徹底的に調査したジョージ・ハワード教授は,「シェム・トブの,ヘブライ語のマタイによる書は,キリスト紀元後の最初の4世紀のいつかのもの」ではないかとしています。a この点については,意見を異にする人もいます。
ハワードはこう述べています。「この本文に収録されたヘブライ語のマタイによる書の何よりの特徴は,正典のギリシャ語のマタイによる書との多くの違いである」。例えば,シェム・トブの本文によれば,イエスはヨハネについてこう言いました。「真実なこととしてあなた方に言いますが,女から生まれたすべての者の中で,バプテスマを施す人ヨハネより偉大な者は一人も起きていません」。その本文は,イエスの次の言葉,「しかし,天の王国において小さいほうの者も彼よりは偉大です」を省いています。(マタイ 11:11)それとほぼ同様に,ヘブライ語聖書の現存するヘブライ語本文とそれに対応するギリシャ語セプトゥアギンタ訳の本文の言葉遣いには多くの違いがあります。そのような違いを認めるとしても,そうした古代の本文は比較研究の面でそれなりの価値があります。
すでに述べたとおり,マタイによる書のシェム・トブの本文は,マタイが実際に四文字語<テトラグラマトン>を用いたと信じるに足る箇所で「み名」という表現を含めています。ですから1950年以来,シェム・トブの本文はクリスチャン・ギリシャ語聖書に神の名を用いる根拠として採用され,今でも「新世界訳聖書 ― 参照資料付き」に取り上げられています。b
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