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    聖書に対する洞察,第2巻
    • によって,彼らはエホバにいっそう近づけられ,自分たちの自由を保ったはずです。エホバは,イスラエル人がもし不従順になり,ご自分の律法(安息年やヨベルの年に関する律法が含まれていた)を繰り返し無視するなら,悲劇を経験することになるであろうと警告されました。―レビ 26:27-45。

      イスラエル人が約束の地に入った時を起点にして年を数えると,彼らの最初のヨベルの年は西暦前1424年のティシュリに始まりました。(レビ 25:2-4,8-10)西暦前1473年に約束の地に入った時から西暦前607年のエルサレムの陥落までの間に,イスラエル人はヨベルを祝う義務が17回ありました。しかし,彼らがエホバを自分たちの王と認めなかったと述べられているのは,彼らの歴史に関する悲しむべき記述です。彼らは結局,安息に関する律法を含む神の命令を無視し,彼らのために神が取り決めた祝福を失うという憂き目に遭いました。彼らの失敗は世の諸国民の前で神にそしりをもたらし,神権的な統治のほうが優れていることを諸国民が認識するのに妨げとなりました。―代二 36:20,21。

      象徴的な意味 ヨベルの取り決めに暗に言及した箇所がクリスチャン・ギリシャ語聖書中にあります。イエス・キリストはご自分が『捕らわれ人に釈放を宣べ伝える』ために来たと言われました。(ルカ 4:16-18)また後日,罪への束縛からの解放に関して,「もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になる」と言われました。(ヨハ 8:36)西暦33年のペンテコステをもって,霊によって油そそがれたクリスチャンは命のために義と宣せられ,神の子として生み出されるようになったので,使徒パウロはその後,「キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,その霊の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にした」と書くことができました。(ロマ 8:2)ローマ 8章19-21節に示されているとおり,キリストの千年統治の期間中,他の人々も「腐朽への奴隷状態から自由にされ」,試みのもとでエホバに対する忠節を証明した後に「神の子供の栄光ある自由を持つ」ようになります。彼らは持って生まれた罪と罪の行き着く先である死から解放されるのです。地そのものの管理は真の崇拝者たちに戻され,人間に対するエホバの最初の目的に調和して遂行されることになります。―啓 21:4; 創 1:28; イザ 65:21-25。

  • 読む,朗読
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 読む,朗読

      (よむ,ろうどく)(Reading)

      書いてある事柄を見て学ぶこと。書かれているものを声に出して言うこと。

      遠い昔から人間は読むことに関心を抱いていました。2万2,000点の粘土板や資料を収める図書館を設立したアッシリアのアシュルバニパル王は,「私は洪水より前の時代の石の碑文を読むことを喜びとした」と主張しました。(「遠い過去からの光」,J・フィネガン著,1959年,216,217ページ)これは地球的な規模の大洪水に関する何らかの伝説的な記述のことを指しているのかもしれず,そうでなければどこかの局地的な洪水よりも前のアッシリアの記録に言及したものかもしれません。アシュルバニパルの宮殿の廃墟で発見された洪水に関する唯一の書物は,多くの神話を含むバビロニアの洪水説話でした。異教徒のアッシリア人が実際に地球的大洪水以前のものである本物の記述や書物を所有していたのかどうか,今日では確かめることができません。

      読むことの起源は,言うまでもなく書くことの起源と関連していることでしょう。この点に関して得られる証拠については,「書く」を参照してください。

      西暦前16世紀のモーセの時代の出来事に関する聖書の記録の中に,読むことと書くことについてのはっきりとした言及があるのは注目に値します。(出 17:14)イスラエル国民は読むことや書くことを励まされました。(申 6:6-9)モーセの後継者のヨシュアは,イスラエルの指導者として,神から与えられた任務を首尾よく果たすために,「昼も夜も」,つまり定期的に聖書を読むようにとの命令を受けていました。ヨシュアは神の言葉の重要性を銘記するために,また疑いなく記憶の助けのために,「小声で」読むことになっていました。―ヨシュ 1:8。

      イスラエルの王たちは,神の律法の写しを自分のために書き取り,それを日ごとに読むようにとの神の命令のもとにありました。(申 17:18,19。「黙想,思い巡らす」を参照。)彼らがこの命令に留意しなかったことが一因となって,真の崇拝はその地でなおざりにされるようになり,結果として民の堕落が生じ,それが西暦前607年のエルサレムの滅びにつながりました。

      イエスは,霊感を受けたヘブライ語聖書のすべての巻き物を会堂で参照することができました。記録に残っている一つの例では,イエスは会堂で公に朗読し,その聖句をご自分に適用されました。(ルカ 4:16-21)また,3回にわたってサタンに試みられた際,3回とも,『……と書いてあります』とお答えになりました。(マタ 4:4,7,10)イエスが聖書に精通しておられたことは明らかです。

      聖なる神殿であるクリスチャン会衆の副次的な土台石を成す使徒たちは,宣教の務めを果たすために聖書を読むことが不可欠であることに気づきました。彼らは自分たちの書いたものの中で何百回もヘブライ語聖書を引用したり,それに言及したりしましたし,他の人々がそれを読むよう唱道しました。(使徒 17:11)ユダヤ人の支配者たちは,ペテロとヨハネが無学な普通の人であることを知りました。(使徒 4:13)と言っても,それは彼らが読み書きのできない人だったという意味ではありません。彼らにその能力があったことは,これらの使徒たちが書いた手紙が証ししているとおりです。とはいえ,彼らは書士たちの足下で,ヘブライ人の学校の高等な学問の教育を受けてはいませんでした。同様の理由で,ユダヤ人は,彼らに言わせれば「学校で学んだこともない」のに,イエスに知識があるのを見て驚きました。(ヨハ 7:15)当時,読書が広く行なわれていたことは,改宗者であったエチオピアの宦官に関する記述からうかがわれます。この人は預言者イザヤの書を朗読しており,その理由でフィリポはこの人に近づきました。宦官は神の言葉に関心を抱いていたことの報いとして,キリストの追随者となる特権に恵まれました。―使徒 8:27-38。

      聖書のうち1世紀になる前に書かれた部分の言語はヘブライ語とアラム語でした。西暦前3世紀に,ヘブライ語聖書は,国際語となっていたギリシャ語に翻訳されました。クリスチャンの聖書は,マタイの福音書以外はすべて最初からギリシャ語で書かれました。それによって,ローマ帝国内の読み書きのできる人ならほとんどだれでも聖書を読めるようになりました。特にパレスチナのユダヤ人と離散したユダヤ人の双方にとって聖書は手に入れることの可能なものとなりました。

      大勢の人が聖書を求めるという事実は聖書の読みやすさと価値を反映しています。というのも,聖書は発行部数においても普及の程度においても他のすべての書物をはるかにしのいでいるからです。本書の執筆の時点で,聖書は全巻もしくは一部が3,000以上の言語や方言に翻訳され,幾十億冊も出ています。地上人口の約90%は自国語で聖書を読めると言われています。

      聖書は,それを読んで得られる多くの益を挙げていますが,謙遜になれること(申 17:19,20),幸福が得られること(啓 1:3),および聖書預言の成就を識別できること(ハバ 2:2,3)などはその一部です。聖書は,読み物をよく選ぶようにと読者に警告しています。すべての書物が思いを築き上げたりさわやかにしたりするわけではないのです。―伝 12:12。

      神の言葉を真に識別し,理解するには,神の霊の助けが必要です。(コリ一 2:9-16)理解や他の益を得るには,偏見や先入観をすべて捨てて,心を広くして神の言葉の朗読にかからなければなりません。そうしないと,イエスの宣べ伝える良いたよりを退けたユダヤ人がそうであったように,ベールが掛かって理解ができなくなります。(コリ二 3:14-16)字面を読むだけでは十分ではありません。読むときには読むことに心を打ち込み,資料の研究に没頭し,深く黙想し,資料から個人的に益を得ようとしなければなりません。―箴 15:28; テモ一 4:13-16; マタ 24:15。「公の朗読」を参照。

  • 嫁
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 嫁

      (よめ)(Daughter-in-Law)

      息子の妻。「嫁」と訳されているヘブライ語(カッラー)とギリシャ語(ニュムフェー)が同様に幾つかの箇所では「花嫁」とも訳出されています。―歌 4:8-12; イザ 61:10; エレ 7:34; ヨハ 3:29; 啓 18:23; 21:2,9; 22:17。

      族長時代には普通は父親が自ら息子の結婚を取り決めたので,嫁はおもに父親が選びました。(創 24章)嫁は父の家の者に迎え入れられ,その家の者たちが移動する時には共に移動しました。(創 11:31)モーセの律法は人が自分の嫁と関係を持つことを禁じ,違犯すれば死刑に処されました。―レビ 18:15; 20:12; エゼ 22:11。

      嫁の気質や義理の親に対する嫁の態度は実に様々でした。例えば,ルツはしゅうとめのナオミにとってオルパ以上に非常に忠節で献身的な友であることを示し,次のように言いました。「あなたの民はわたしの民,あなたの神はわたしの神となります。あなたが死なれる所でわたしも死に,そこにわたしも葬られるのです」。(ルツ 1:6-17,22; 4:14,15)エサウのヒッタイト人の妻たちは,義理の親であるイサクとリベカを大変当惑させました。(創 26:34; 27:46)キリスト・イエスは,王国の音信が嫁としゅうとめを分裂させると予告されました。―ルカ 12:53。

  • ヨヤキム
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヨヤキム

      (Joiakim)[エホヤキムの短縮形。恐らく,「エホバは起き上がらせてくださる」の意]

      流刑後の大祭司エシュアの子で,恐らく後継者と思われます。(ネヘ 12:10,12,26)彼はエズラが帰還した時に在任していたようです。(ユダヤ古代誌,XI,121 [v,1])しかし,後にネヘミヤが到着した時には(西暦前455年),ヨヤキムの子エルヤシブが大祭司になっていました。―ネヘ 3:1。

  • ヨヤダ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヨヤダ

      (Joiada)[「エホバが知ってくださるように」を意味するエホヤダの短縮形]

      1. パセアハの子で,ネヘミヤがエルサレムの城壁を再建させた時,“旧市の門”の修理を手伝った人。―ネヘ 3:6。

      2. 流刑後の大祭司の家系の人で,エシュアのひ孫,またヨハナン(ヨナタン)の父。(ネヘ 12:10,11,22)ヨヤダの子らの一人はホロン人サンバラテの娘と結婚して自分と祭司職を汚したので,ネヘミヤはこの者を追い払いました。―ネヘ 13:28,29。

  • ヨヤリブ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヨヤリブ

      (Joiarib)[「エホバが闘ってくださるように; エホバは[わたしたちに関する]法的な訴えを処理してくださった」を意味するエホヤリブの短縮形]

      1. 祭司の父方の家の頭。エホヤリブとも呼ばれています。(代一 24:6,7)その家の代表者たち(または,同名の別の祭司)は,ゼルバベル,ネヘミヤ,ヨヤキムと同時代の人でした。―ネヘ 12:1,6; 11:4,10; 12:12,19,26。

      2. エズラの時代の「教え諭す者」。―エズ 8:16。

      3. マアセヤの先祖であるユダ人。―ネヘ 11:5。

  • ヨラ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヨラ

      (Jorah)

      「ハリフ」を参照。

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