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エホバ聖書から論じる
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実際的根拠によるものである。ここで最も重要なのは,神のみ名が示しているものを容易に識別できるようにすることである」―(ロンドン,1911年),29ページ。
ドイツのグスタフ・フリードリヒ・エーラー教授はさまざまな発音について論じた後,結論としてこう述べました。「ここからのち,わたしはエホバという語を使う。なぜなら,事実上,この名は今では我々の語彙の中でいっそう国語化されており,他の語に替えることができないからである」―「旧約聖書の神学」,第2版(シュトゥットガルト,1882年),143ページ。
イエズス会の学者ポル・ジョユオンはこう述べています。「我々の翻訳では,ヤハウェという(憶測に基づく)語形ではなく,エホバという語形を用いてきた。……この形はフランス文学で伝統的に用いられている」―「聖書ヘブライ語の文法」(ローマ,1923年),49ページの脚注。
大抵の名は一つの言語から別の言語へ移し変えられると,ある程度変化します。イエスは一ユダヤ人として生まれ,その名はヘブライ語で多分エーシューアと発音されたと考えられますが,霊感を受けてクリスチャンの聖書を書いた人たちは,イエスの名のギリシャ語の形であるイエースースをためらうことなく用いました。他の大抵の言語でもその発音は少しずつ異なっていますが,わたしたちは自国語で普通に用いられている形を自由に用います。聖書のほかの名についても同様のことが言えます。では,どうすればあらゆる名の中でも最も重要な名を持っておられる方に対して正しく敬意を示すことができますか。その元の正確な発音が分からないから,その名を絶対に口にしないように,あるいは書かないようにすれば,敬意を表わせるのでしょうか。それとも,自分たちの言語で普通に行なわれている発音を用いたり,それをつづったりするとともに,その名を所有する方をほめたり,その崇拝者として,その方を敬う仕方で振る舞うほうが,敬意を示せるでしょうか。
神ご自身の名を知り,それを用いるのはなぜ重要なことですか
人は名前の分からない人と親しい関係を持てるでしょうか。神を無名の存在と見る人々にとって,多くの場合,神は単なる非人格的な力であって,実在者ではありません。自分が知っており,愛している方,祈りのうちに心から話しかけることのできる方ではありません。そのような人は実際に祈るとしても,その祈りは単なる儀式,つまり暗記した言葉の形式的な反復にすぎません。
真のクリスチャンは,すべての国の人々を弟子とする任務をイエス・キリストから受けています。そのような人々を教えるに際して,どうすれば,まことの神が諸国民の偽りの神々とは異なることを明らかにすることができるでしょうか。聖書自体がそうしているように,神ご自身の名を用いて初めてそうすることができます。―マタイ 28:19,20。コリント第一 8:5,6。
出エジプト 3:15: 「神は……モーセに言われた,『あなたはイスラエルの子らにこう言うように。「あなた方の父祖の神……エホバがわたしをあなた方のもとに遣わされた」。これは定めのない時に至るわたしの名,代々にわたるわたしの記念である』」。
イザヤ 12:4: 「あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知らせよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ」。
エゼキエル 38:17,23: 「主権者なる主エホバはこのように言われた。『そしてわたしは必ずわたしを大いなるものとし,わたしを神聖なものとし,多くの国々の民の目の前でわたしを知らせるであろう。そして彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる』」。
マラキ 3:16: 「エホバを恐れる者たちが互いに,各々その友に語り,エホバは注意して聴いておられた。そして,エホバを恐れる者のため,またそのみ名を思う者たちのために,覚えの書がそのみ前で記されるようになった」。
ヨハネ 17:26: 「[イエスはみ父に祈ってこう言われた。]わたしはみ名を彼ら[ご自分の追随者たち]に知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」。
使徒 15:14: 「シメオンは,神が初めて諸国民に注意を向け,その中からご自分のみ名のための民を取り出された次第を十分に話してくれました」。
“旧約聖書”のエホバは,“新約聖書”のイエス・キリストのことですか
マタイ 4:10: 「イエスは彼に言われた,『サタンよ,離れ去れ!「あなたの神エホバ[「主」,欽定,口語その他]をあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」と書いてあるのです』」。(明らかにイエスは,ご自分が崇拝されるべきであると言っておられたのではありません。)
ヨハネ 8:54: 「イエスは[ユダヤ人に]答えられた,『わたしが自分に栄光を付すのであれば,わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父,あなた方が自分たちの神であると言うその方です』」。(ヘブライ語聖書の示すところによると,エホバと,ユダヤ人が崇拝すると公言した神とは同一であることが明確です。イエスは,ご自分はエホバではなく,エホバがご自分の父であると言われました。イエスはここで,ご自分とみ父が異なった別個の存在であることを非常にはっきりさせておられます。)
詩編 110:1: 「わたし[ダビデ]の主に対するエホバのお告げはこうです。『わたしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは,わたしの右に座していよ』」。(マタイ 22章41-45節で,イエスは,ご自分がこの詩編の中で言及されているダビデの「主」であることを説明されました。ですから,イエスはエホバではなく,ここでエホバからその言葉を告げられた方なのです。)
フィリピ 2:9-11: 「まさにこのゆえにも,神は彼[イエス・キリスト]をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。それは,天にあるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名によってかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした。[ドウェー訳はこうなっています。「……すべての舌が,主イエス・キリストは父なる神の栄光のうちにあることを告白するためでした」。ノックス訳と信心会訳も同様に訳していますが,ノックス訳は脚注で次の点を認めています。「……このギリシャ語は『に栄光を帰するため』と訳すほうが恐らくもっと自然な訳し方であろう」。新アメリカ訳やエルサレム聖書もそのように訳しています。]」(イエス・キリストはみ父なる神とは異なっており,神に服する立場にあることがここで示されている点に注目。)
エホバを恐れると同時にエホバを愛することがどうしてできますか
聖書は,わたしたちがエホバを愛すると同時に(ルカ 10:27),エホバを恐れるべきであると命じています。(ペテロ第一 2:17。箴言 1:7; 2:1-5; 16:6)神への健全な恐れがあれば,わたしたちは神の不興を買わないように細心の注意を払うようになります。エホバに対する愛があれば,その愛に動かされて,エホバに喜ばれる事柄を行ない,エホバの愛と過分のご親切の表われである数え切れないほど多くの事柄に対する感謝の気持ちを表わしたいと思うようになります。
例え: 息子が父の不興を買うことを恐れるのは正しいことですが,父が息子のためにする事柄すべてに対する感謝の気持ちがあれば,息子は父に対する純粋の愛を表わすよう動かされるはずです。アクアラングを着けて潜水する人は海が好きだと言うかもしれませんが,海に対する健全な恐れがあるので,してはならない事柄があることを自覚しています。同様に,神に対するわたしたちの愛は,神の不興を買うようなことをしないようにする健全な恐れと結び付いていなければなりません。
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エホバの証人聖書から論じる
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エホバの証人
定義: エホバ神と,人類に影響を及ぼすエホバ神の目的について活発に証しをする人々で成る世界的なキリスト教社会。エホバの証人の信条は聖書だけに基づいています。
エホバの証人はどんな信条を持っているために他の宗教団体とは異なっていますか
(1)聖書: エホバの証人は,聖書全体が霊感を受けて記された神の言葉であることを信じており,人間の伝承に基づく信経を固執する代わりに,自分たちのすべての信条の規準として聖書に固く従います。
(2)神: 証人たちはエホバを唯一まことの神として崇拝し,エホバについて,また人類に対するエホバの愛ある目的について他の人々に自由に話します。エホバについて公に証しをする人はだれでも普通,「エホバの証人」という一つのグループに属していることが分かります。
(3)イエス・キリスト: 証人たちは,イエス・キリストが三位一体の一部であるとは信じていませんが,聖書が述べるとおり,イエス・キリストは神のみ子,つまり神の創造物の最初の者であること,人間となる以前にも存在しておられ,その命は天から一人の処女マリアの胎に移されたこと,犠牲として捨てられたその完全な人間としての命のお陰で,信仰を働かせる人たちのために,とこしえの命をもたらす救いが可能になったこと,キリストは1914年以来,神から与えられた,全地を治める権威を帯びて,王として活発に支配しておられることを信じています。
(4)神の王国: 証人たちは,神の王国が人類のための唯一の望みであること,王国は一つの現実の政府であること,それは間もなく,すべての人間の政府を含め,現在の邪悪な事物の体制を滅ぼし,義が行き渡る新しい体制をもたらすことを信じています。
(5)天の命: 証人たちは,霊で油そそがれた14万4,000人のクリスチャンが天の王国でキリストに加わり,キリストと共に王として支配すること
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