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乳聖書に対する洞察,第2巻
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的な教理は霊的な赤子が飲む「乳」になぞらえられており,そのような乳はより深い霊的な真理である「固い食物」を吸収できるようになるまで彼らを強めて成長させます。(コリ一 3:2; ヘブ 5:12-14)使徒ペテロはクリスチャンに語りかけて,『生まれたばかりの幼児のように,み言葉に属する,何も混ぜ物のない乳を慕う気持ちを培いなさい』と述べています。その目的は何でしょうか。それは,彼らが成長しつづけて,単に円熟だけではなく,「救いに」至る,つまり自分の召しと選びを自ら確実にすることです。(ペテ一 2:2; ペテ二 1:10)イザヤ 55章1節で,神は成長を促すこの霊的な「乳」を買うよう霊的に渇いている者たちに呼びかけておられますが,彼らは神の過分のご親切によって,「金も払わずに,代価も払わずに」その乳を手に入れることができます。
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父なし子聖書に対する洞察,第2巻
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父なし子
(ちちなしご)(Fatherless Boy)
父なし子つまり孤児,それにやもめは,自分を養い,自分の利益を守ってくれる男性が家にいないために,圧迫や窮境にひときわ陥りやすい立場にありました。ですから,律法のもとではそのような人たちの福祉が考慮に入れられており,父なし子,やもめ,外人居留者のための公正が保証されると共に,彼らの生活を維持するための規定も律法に含まれていました。(出 22:22-24; 申 24:17)これらの貧しい人たちは畑やオリーブの木,またぶどう園に残された落ち穂や採り残しをもらうことができました。(申 24:19-21)年ごとの寛大な取り入れの祭り(仮小屋の祭り)の際には,それに参加するようにとの特別な招待が彼らに差し伸べられ,その祭りの期間中,彼らは祝いに伴う宴を楽しむことができました。(申 16:9-14)3年ごとに,イスラエル人が通常はエルサレムで食べる特別な什一が彼らの郷里の都市の門の内側に置かれました。父なし子はこの什一の一部を受ける権利を法的に与えられていました。―申 14:28,29; 26:12,13。
神の僕の中にいる孤児たちに愛ある関心を示すのはどれほど大切なことですか
これら家族を失った無防備な人々は見過ごされやすかったため,エホバはイスラエルが義にかなっている度合いや,義から逸脱している度合いを描写するのに「父なし子」という表現をお用いになりました。国民が霊的に健全な状態にあった時には,父なし子は顧みられました。その地で公正がゆがめられるようになると,父なし子は必ずなおざりにされ,これが国の衰退の兆候となりました。(詩 82:3; 94:6; イザ 1:17,23; エレ 7:5-7; 22:3; エゼ 22:7; ゼカ 7:9-11; マラ 3:5)父なし子を虐げる者たちの上にはエホバののろいがありました。(申 27:19; イザ 10:1,2)エホバはご自分を,父なし子を請け戻す方(箴 23:10,11),その助け手(詩 10:14),また父(詩 68:5)として表現しておられます。神は彼らのために裁きを執行し(申 10:17,18),彼らに憐れみを示し(ホセ 14:3),彼らを助け(詩 146:9),また生き続けさせる方です。―エレ 49:11。
真のキリスト教を見分けるための印の一つは,夫や親を亡くして後に残された人たちに対する思いやりです。弟子ヤコブはクリスチャンにあててこう書いています。「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― ヤコ 1:27。
ヨハネ 14章18節では,孤児に相当するギリシャ語(オルファノス)が比喩的な意味で用いられており,「見捨てられた」(ア標),「見放された」(モファット),「寄る辺のない」(聖ア),「取り残された」(新世; ヤング)などと様々に訳出されています。
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父の家聖書に対する洞察,第2巻
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父の家
(ちちのいえ)(Father's House)
ヘブライ語のベート アーヴ(複数形,ベート アーヴォート)という表現は,(1)住まい(申 22:21),(2)父の住まいにいる父の家の者たち(創 31:30; 38:11),(3)父祖の家から離れた場所でも,その家を構成する者たち(創 46:31; 裁 9:18),(4)様々な仕方に翻訳されるとおり,場合によっては幾つかの家族を包含する,「父の家」,「長の家」,「父祖の家」,「父方の家」などを指すことがあります。例えば,荒野でイスラエル人を数えた時,四つの家族がコハトの父方の家を構成しているとみなされました。(民 3:19,30。出 6:14; 民 26:20-22; ヨシュ 7:17も参照。)幾つかの父方の家は(ゲルション,コハト,メラリの父方の家で構成されたレビの部族のように)一つの部族を構成しました。
しかし,「父方の家」,「父の家」,「わたしたちの父の家」といった表現は,必ずしも上記の用法に限られていたわけではありません。(「父方の家」のより広い用法については,民 17:2,6を参照。そこでは一つの父方の家が一つの部族を成している。)
イスラエルの人口が増加し,約束の地の様々な地域に人が定住するようになると,父方の家の数も増加しました。祭司たちは,ダビデにより,それぞれの父方の家にしたがって24の奉仕の組に組織され,エレアザルには16組,イタマルには8組ありました。24人の頭たる者は,「その父方の家の頭たち」と呼ばれました。(代一 24:4-6)残りのレビ人は,その父方の家の頭たちの年齢順にかかわりなく,くじによって一定の職務に選ばれました。―代一 24:20-31。
イスラエルの各父方の家は,部族の公式の務めや公正の施行に関連して,世襲の頭によって代表されました。(ネヘ 7:70,71; 11:13)ヨシヤ王の時代にエルサレムで行なわれた過ぎ越しの祝いで,民は各自の犠牲をささげるために父方の家
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