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読むことに励む神権宣教学校の教育から益を得る
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読むことに励む
あなたが今していることは,動物にはできません。人間の6人に1人は,読むことを習得していません。学校に通う機会に恵まれなかったのがおもな理由です。また,読むことを習得してはいても,普段あまり物を読まない人も少なくありません。しかし,読む能力があれば,書物を通して他の国々に旅行したり,自分の生活を豊かにしてくれる人々に出会ったり,生活上の諸問題に対処するための実際的な知識を得たりすることができます。
読み聞かせる事柄は,子どもの人格形成に役立つ
若い人の場合,学校教育からどれほど益を得るかは,読む能力にかかっています。就職するときも,読む能力があれば,就ける仕事や,生計のために働く時間の長さが違ってくるかもしれません。主婦の場合,十分に読解力があれば,栄養,衛生,病気の予防など,家庭内の事柄をより上手に扱うことができます。母親の場合も,読むことに習熟していれば,子どもの知能の発達に大いに好ましい影響を与えることができます。
読むことから得られる最大の益は,言うまでもなく,それによって『まさに神についての知識を見いだせる』ことです。(箴 2:5)わたしたちは様々な方法で神に仕えますが,読む能力はその多くの面に関係しています。会衆の集会では,聖書や聖書に基づく出版物が朗読されます。野外宣教での効果性も,朗読の仕方によって相当変わります。また,そうした活動の準備にも,読むことがかかわっています。そのようなわけで,あなたの霊的な成長は,読む習慣に大いに依存しているのです。
よい機会をとらえる
表現力豊かな朗読の仕方を学ぶ
神の道を学んでいる人たちの中には,わずかな教育しか受けられなかった人もいます。それらの人は,霊的な進歩を図るために,読み方を教えてもらう必要があるかもしれません。あるいは,読む技術を向上させるための個人的な援助が必要かもしれません。地元の地域でその必要がある場合,会衆は,「読み書きに励む」という出版物に基づく識字クラス(読み書き学級)を組織するように努めます。これまでにも非常に大勢の人が,そうした備えから大きな益を得てきました。よく読めるというのは重要なことなので,神権宣教学校に関連して朗読改善クラスを設けている会衆もあります。そのようなクラスがないとしても,毎日幾らかの時間を取って朗読し,いつも神権宣教学校に出席して参加すれば,進歩を遂げることができます。
残念なことに,多くの人の生活の中で読書は,とりわけ漫画やテレビなどによって脇に押しやられています。テレビを見るだけであまり読書をしないと,読む技術は伸びず,物事を考え,筋道立てて推論し,自分の考えをはっきり表現する能力も,あまり発達しない場合があります。
「忠実で思慮深い奴隷」は,聖書を理解するのに役立つ出版物を提供しています。それらの出版物から,霊的に肝要な事柄に関する豊富な情報が得られます。(マタ 24:45。コリ一 2:12,13)それらはまた,世界情勢の重要な進展とその意味について理解させてくれます。さらには,自然界をよく知るよう助け,わたしたちにかかわる種々の問題に対処する方法を教えます。何よりも,どうすれば受け入れられる仕方で神に仕え,神の是認を得られるかに焦点を当てています。そのような健全な読み物は,霊的な人としての成長を促します。
もちろん,上手に読む能力そのものが美徳であるというわけではありません。その技術は,正しく用いる必要があります。読み物は,食べ物と同様,よく選ばなければなりません。実質的に何の栄養もない物,さらには毒にさえなるような物は食べたりしないでしょう。同様に,思いと心を腐敗させかねない物は,偶然目にしたとしても,それを読んだりしないでしょう。どんな読み物を選ぶにしても,聖書の原則を選択の規準とすべきです。何を読むか決める前に,伝道の書 12章12,13節,エフェソス 4章22-24節,5章3,4節,フィリピ 4章8節,コロサイ 2章8節,ヨハネ第一 2章15-17節,ヨハネ第二 10節などの聖句について考えてください。
正しい動機で読む
正しい動機で読むことの重要性は,福音書の記述を調べれば明らかです。たとえばマタイの福音書の中で,イエスは,聖書によく通じていたはずの宗教指導者たちに,「あなた方は……読まなかったのですか」とか,「読んだことがないのですか」と問いかけた上で,その人たちのこうかつな質問に聖書から答えておられます。(マタ 12:3,5; 19:4; 21:16,42; 22:31)ここから学べる一つの教訓があります。読む動機が正しくないと,間違った結論を下したり,大切な点が全く見えなかったりするということです。パリサイ人は聖書を読んでいましたが,それは,聖書によって永遠の命を得られる,と考えていたためです。しかしイエスが指摘したとおり,永遠の命という報いは,神を愛さず,神による救いの手だてを受け入れない人には与えられません。(ヨハ 5:39-43)パリサイ人の意図は利己的であり,そのために結論の多くが間違っていました。
み言葉を読むときの最も純粋な動機は,エホバに対する愛です。その愛を抱いていれば,神のご意志を学びたいという気持ちになります。愛は「真実なことと共に歓(ぶ)」からです。(コリ一 13:6)以前は読むのが好きでなかったとしても,「思いをこめて」エホバを愛するなら,神に関する知識を取り入れることに,思いを集中させようと懸命に励むでしょう。(マタ 22:37)愛は関心を起こさせ,関心は学習意欲を生じさせます。
速度を考慮する
読むことと認識することは不可分の関係にあります。今こうして読んでいるあなたは,語句を認識しつつその意味を思い出しています。認識する範囲を広げれば,読む速度を上げることができます。一つ一つの語に目を留めるのではなく,一度に数語を見るようにしてください。この能力が身につくと,読んでいる事柄がより明快に理解できるようになります。
一緒に朗読すれば,家族はより親密になる
しかし,深い内容のものを読むときには,別の方法を用いると,努力の成果がさらに上がるかもしれません。エホバは,聖書を読むことに関してヨシュアに助言し,「この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを……小声で読まなければならない」と言われました。(ヨシュ 1:8)人は熟考していると,よく小声で独り言を言います。ですから,『小声で読む』と訳されているヘブライ語の言葉は,『思い巡らす』とも訳されます。(詩 63:6; 77:12; 143:5)人は思い巡らしている時,深く考えています。急ぎません。神の言葉は,じっくり考えながら読むほうが,思いと心に大きな感化を与えます。聖書には,預言,助言,格言,詩,神の裁きの宣言,エホバの目的に関する詳細が記され,生活上の実例が数多く収められています。そのすべては,エホバの道を歩もうとする人にとって価値があります。聖書を思いと心に深く刻みつけるようにして読むのは,まさに有益です。
集中することを学ぶ
読書の良い習慣は霊的な成長に役立つ
読みながら,描かれている一つ一つの場面の中に自分を置いてみます。登場人物を心の目で見るようにし,それらの人物の生活体験に加わって,感情を酌み取るようにするのです。サムエル第一 17章に記録されているダビデとゴリアテに関する記述などは,比較的容易にそれができます。また,出エジプト記やレビ記で,幕屋の造営や祭司団の任職を詳しく説明している箇所も,寸法や材料を思い浮かべ,香や炒った穀物,焼燔の捧げ物として差し出された動物の香りを想像すると,生き生きしてきます。祭司の務めを遂行することがどれほど畏敬の念を抱かせるものであったかについて考えてください。(ルカ 1:8-10)そのように感覚や感情を働かせることは,読んでいる事柄の意味を把握するのに役立ち,記憶の助けにもなります。
しかし,用心しないと,読もうとしているのに気持ちのさまようことがあります。目は紙面を見ていても,考えはよそに行っている場合があります。音楽が流れていますか。テレビがついていますか。家族のだれかが話をしていますか。できれば,静かな所で読むのが最善です。一方,気を散らすものが内面から生じることもあります。忙しい一日を過ごしたとしたら,つい,その日にあった事柄を思い返してしまいます。もちろん,一日の出来事を振り返るのは良いことですが,何かを読んでいるときにすべきではありません。思いを整えてから読み始める,あるいは祈りをもって読書を始めるという方法もあるでしょう。しかしそれでも,読んでいるうちに,思考を集中できなくなります。もう一度やり直してください。読んでいる資料にずっと思考を集中できるよう自己鍛錬するのです。やがて上手にできるようになります。
意味の分からない言葉が出てきたら,どうしますか。あまり知られていない言葉は,本文中に定義や説明が加えられている場合もあります。あるいは,文脈から意味を識別できるかもしれません。そうでないときには,辞書があれば時間を取ってその語を調べましょう。あるいは,後でだれかに意味を尋ねることができるよう,その語にしるしを付けておきましょう。そうすれば,語彙は増え,読解力も増すでしょう。
公の朗読
公の朗読に励む
使徒パウロはテモテに,朗読にもっぱら励むようにと命じた時,特に他の人たちのために行なう朗読のことを述べていました。(テモ一 4:13)効果的な公の朗読とは,単に紙面から言葉を読み上げるだけのことではありません。朗読者は,語句の意味を理解し,そこに表明されている考えを把握していなければなりません。そうして初めて,考えを正しく伝え,種々の感情を正確に再現できるのです。言うまでもなく,そのためには徹底的な準備と練習が必要です。それでパウロは,「公の朗読……にもっぱら励みなさい」と勧めたのです。神権宣教学校では,この技術に関する貴重な訓練を受けることができます。
読む時間を作る
「勤勉な者の計画は必ず益をもたらし,性急な者はみな必ず窮乏に向かう」。(箴 21:5)これは,読書をしたいという願いに関して何と真実なのでしょう。「益」を得るには,勤勉に計画を立てて,読む時間が他の活動に奪われないようにする必要があります。
どんな時間帯に読んでいますか。早朝に読んで益を得ていますか。それとも,日中の他の時間のほうが頭がさえていますか。毎日15分か20分を読書に充てるだけでどれほど多くのことが成し遂げられるかを知れば,きっと驚かれるでしょう。かぎは,定期性です。
エホバがご自分の壮大な目的を一つの書物に記させたのはなぜでしょうか。それは,人々が,記されたみ言葉を調べられるようにするためです。これによって人々は,エホバのくすしいみ業に注意を払い,それを子どもに語り告げ,神の行なわれた事柄を記憶することができます。(詩 78:5-7)このようなエホバの寛大さに対するわたしたちの感謝は,命を与えるこのみ言葉を読むことにどう励むかという点に最もよく表わされます。
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研究することには報いがある神権宣教学校の教育から益を得る
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研究することには報いがある
果物を選んでいる人を観察したことがありますか。たいていの人は,熟れ具合を判断するのに,色や大きさを見ます。香りをかぐ人,触ってみる人,さらには押してみる人もいます。また,両手に一つずつ載せて,どちらが果汁を多く含んでいて重いかを比べる人もいます。それらの人は何を考えているのでしょうか。細かな点を分析し,違いを見極め,以前に選んだものを思い出し,今見ている事柄とすでに知っている事柄とを比較しているのです。細心の注意を払うなら,報いとしておいしいものを味わえます。
言うまでもなく,神の言葉を研究することには,はるかに大きな報いがあります。そのような研究が生活の中で重要な位置を占めると,信仰は強くなり,愛は深まり,宣教はより産出的になり,下す決定は識別力と敬虔な知恵を一層はっきり示すものとなります。そのような報いに関して,箴言 3章15節は,「あなたの他のすべての喜びもこれに及ばない」と述べています。あなたはそのような報いを経験していますか。その点では,研究の仕方が一つの要素となっているかもしれません。―コロ 1:9,10。
時間を取って黙想する
研究とは何でしょうか。ただざっと読むだけのことではありません。研究には,知能を働かせて一つの論題を注意深く,また集中的に考察することが伴っています。また,読んだ事柄を分析し,すでに知っている事柄と比較し,なぜそうかという理由に注目することも含まれます。研究の際,自分にとって新しいと思える考えに気づいたら,その点について深く考察してください。また,聖書の助言を個人としてどのように十分当てはめられるかを考えましょう。あなたはエホバの証人として,どんな機会にその資料を使って他の人を助けることができるかについても考えたいと思うでしょう。明らかに,研究には黙想が含まれます。
正しい心構えを持つ
個人研究から十分に益を得るために,心の準備をする
研究するときには,聖書と,使う予定の出版物,鉛筆かペン,必要ならノートなどを用意します。しかし,心の準備もしていますか。聖書は,エズラが「エホバの律法を調べ,これを行ない,イスラエルで規定と公義を教えるよう心を定め(た)」ことを述べています。(エズ 7:10)そのように心を定める,つまり心の準備をすることには何が含まれるでしょうか。
祈りは,神の言葉の研究に対して正しい態度を抱かせます。わたしたちは自分の心,すなわち内奥の自分が,エホバの与えてくださる教えをよく受け入れるようにと望みます。毎回,研究の初めに,霊の助けをエホバに請願しましょう。(ルカ 11:13)学ぶ事柄の意味を理解させてくださるようお願いするのです。つまり,それが神の目的とどのように関係しているか,善悪を識別するのにどのように役立つか,種々の原則をどのように生活に当てはめるべきか,その資料が自分と神との関係にどのように影響するか,などを理解できるように祈るのです。(箴 9:10)研究しながら,知恵を「神に求めつづけ(て)」ください。(ヤコ 1:5)誤った考えや有害な欲望を除き去るためにエホバの助けを求める際には,学んだ事柄に照らして自分自身を正直に評価してください。エホバが啓示してくださる事柄には,常に「感謝のことばをもってエホバにこたえ応じ」ましょう。(詩 147:7)こうして祈りをこめて研究に取り組むなら,エホバとの親密さが育まれます。エホバがみ言葉を通して語りかけてくださるとき,よくこたえ応じるようになるからです。―詩 145:18。
エホバの民を,学習する他の人たちと異ならせるのは,そのような受容力のある態度です。敬虔な専心のない人たちの間では,書かれている事柄を疑い,異議を唱えることがもてはやされます。しかし,それはわたしたちの取る態度ではありません。わたしたちはエホバを信頼しています。(箴 3:5-7)理解できないことがあっても,それを誤りだとせん越に断定するようなことはありません。答えを求めて調査し,掘り下げながら,エホバを待ちます。(ミカ 7:7)わたしたちはエズラのように,学んだ事柄に基づいて行動し,かつそれを教えるという目標を持っています。心がそのような傾向にあるなら,研究から豊かな報いを刈り取ることができます。
どのように研究するか
ただ単に1節から始めて,そのまま最後まで行ってしまうのではなく,まず時間を取って記事全体もしくは資料の中の一つの章を概観しましょう。初めに,表題の言葉遣いを分析します。それは,研究しようとしている事柄の主題です。次に,副見出しがその主題にどのように関連しているかを注意深く見てゆきます。本文に挿絵,図表,または教えのための囲みが添えられていれば,それもよく見ます。こう自問してください。『いま概観したことからすると,どんなことを学べるのだろうか。それは自分にとってどんな価値があるだろうか』。これで研究の方向づけができました。
自国語の調査用の道具によく通じる
では,内容を確かめましょう。「ものみの塔」誌の研究記事や一部の書籍には,質問が載せられています。一つの節を読むごとに,答えにしるしを付けておくのは有益です。研究用の質問がない場合でも,覚えておきたい大切な点にしるしを付けることができます。自分にとって新しい考えがあれば,よく理解できるまで少し余分の時間をかけてください。野外宣教で役立つ,あるいは今度の割り当ての話に織り込めそうな例えや論じ方を見逃さないでください。あなたが研究している事柄を話してあげれば信仰を強められそうな人のことを考えましょう。使いたいと思う点にしるしを付け,研究を終える際にそれらの点を見直してください。
資料を考察するとき,引照されている聖句を調べてください。それぞれの聖句が節全体の要旨とどのように関連しているかを分析しましょう。
すぐに理解できない点や,もっと徹底的に掘り下げたい点にぶつかるかもしれません。そのために脇道にそれてしまうのではなく,後でさらに考察できるよう注記しておきましょう。それらの点は,読み進むうちに明らかになる場合も少なくありません。そうならなかった場合には,さらに調べてみることができます。どんな事柄にそうした注意を払えるでしょうか。はっきり理解できない引用聖句があるかもしれません。あるいは,その聖句が研究中の論題にどう当てはまるのかがすぐには分からないかもしれません。また,資料の中のある考えは,自分ではどうにか理解できても,ほかの人に説明できるほどではないかもしれません。それらの点はそのままにしておくのではなく,ひととおりの研究を終えたあとに調べてみるのは賢明でしょう。
聖句を開いてみるようにする
使徒パウロは,ヘブライ人のクリスチャンにあてて詳しい手紙を書いた時,中程の所で間を置き,「これがその要点です」と述べました。(ヘブ 8:1)あなたもそのようにして,大切な点を時折自分で振り返ってみますか。パウロがなぜそうしたのかを考えてください。パウロは,霊感のもとに書いた手紙のそれまでの章で,キリストが神の偉大な大祭司として天そのものに入ったことをすでに示していました。(ヘブ 4:14–5:10; 6:20)それでも8章の冒頭で,その要点を選び出して強調することにより,読者の思いを整え,それが読者の生活にどう関連しているかを深く考えさせようとしました。またパウロは,キリストが人々のため神ご自身の前に出て,天の「聖なる場所」へ人々が入るための道を開かれた,と指摘しています。(ヘブ 9:24; 10:19-22)読者は,自分たちの希望の確かさを知れば,信仰,忍耐,クリスチャンの行状などに関して,この手紙がさらに与える助言を当てはめるよう動かされることでしょう。同様にわたしたちも,研究の際,要点に注意を集中すれば,主題の発展を理解でき,それにしたがって行動するべき理由も銘記できます。
あなたの個人研究は行動を促しますか。これは重要な質問です。何かを学んだら,こう自問してください。『これは自分の態度や生活の目標にどう影響するだろうか。問題を解決し,決定を下し,目標を達成するのに,この情報をどう当てはめられるだろうか。家族で,野外宣教で,会衆内で,どのように用いることができるだろうか』。祈りをこめてこうした点を考察し,得た知識を実際のどんな状況で活用できるかについて熟考してください。
一つの章か一つの記事を研究し終えたら,簡単に復習する時間を取ってください。要点とそれを支持する論議が思い起こせるかどうかを確かめましょう。そうすることは,得た情報を将来使えるよう記憶にとどめる助けになります。
何を研究するか
エホバの民であるわたしたちには,研究すべきものが数多くあります。何から始めたらよいでしょうか。毎日,「日ごとに聖書を調べる」の聖句と注解を研究するのは良いことです。毎週,会衆の集会に出席するので,その予習ができれば大きな益を得ることができます。それに加えて,自分が真理を学ぶ前に発行されていたわたしたちクリスチャンの出版物の幾つかを研究するため,賢明に時間を用いてきた人もいます。また,週ごとの聖書通読箇所から一部を選んで,それらの節を深く研究している人もいます。
事情により,週ごとの会衆の集会で考察する情報すべてを注意深く研究できない場合はどうでしょうか。ともかく終わらせるために資料に急いで目を通すだけ,さらには,全部はできないのだから何も研究しない,といった傾向に陥らないようにしましょう。むしろ,研究できる量を見定めて,それをよく研究してください。毎週そうするのです。ゆくゆくは,他の集会の分もできるよう努力しましょう。
『自分の家を築く』
エホバは,一家の頭が家族を養うため一生懸命に働かなければならないことをご存じです。「自分の仕事を戸外で整え,自分のためにそれを畑で用意せよ」と箴言 24章27節も述べています。しかし,家族の霊的な必要を見過ごすことはできません。ですから,その節は続けて,「その後,あなたはまた,自分の家を築かなければならない」とも述べています。そうするために一家の頭はどうすればよいでしょうか。箴言 24章3節には,「[家は]識別力によって堅く立てられることになる」とあります。
あなたの家族はどのように識別力の恩恵にあずかれるでしょうか。識別力とは,明白な事柄の向こうを見る知的能力のことです。効果的な家族研究は,自分の家族そのものを研究することから始まる,と言ってよいでしょう。家族の成員は霊的にどのように進歩しているでしょうか。会話しながら注意深く聴いてください。すぐに不平を言ったり憤慨したりする傾向がありますか。物質的なものを重視していますか。子どもと一緒に野外宣教をしている時,子どもは同世代の人たちの前で,自分がエホバの証人であることをためらわずに明らかにするでしょうか。家族で行なう聖書朗読や研究を楽しんでいるでしょうか。エホバの道を本当に自分の生き方としているでしょうか。注意深く観察すれば,家族の頭として一人一人の内に霊的な特質をしっかり築き上げるために何をすべきかが明らかになるでしょう。
「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌を調べて,特定の必要にかなった事柄を扱っている記事を見つけてください。それから,何を研究するかを前もって家族に知らせ,皆がその情報について考えておけるようにします。研究の間,愛に満ちた雰囲気を保ちましょう。家族のだれにも罰を与えたり,きまりの悪い思いをさせたりせずに,考慮中の資料の価値を際立たせ,家族が必要としている面に具体的に当てはめてください。家族のだれもが常に討議に加われるようにします。生活にまさしく必要なものを供給する点でエホバの言葉が「完全」であることを理解できるよう,一人一人を助けてください。―詩 19:7。
報いを刈り取る
観察力はあっても霊的な把握力のない人々は,宇宙や世界の出来事,さらには人間自身を研究できても,見ている物事の本当の意味を把握できません。一方,神の霊の助けを得て神の言葉を定期的に研究する人は,それらの事柄の中に神のみ手の業,聖書預言の成就,従順な人間を祝福する神の目的の展開などを識別できます。―マル 13:4-29。ロマ 1:20。啓 12:12。
それは驚嘆すべきことですが,わたしたちに誇るべき理由はありません。かえって,日ごとに神の言葉を吟味することが,謙遜な態度を保たせてくれます。(申 17:18-20)また,「人を欺く罪の力」に影響されないようにも守られます。なぜなら,神の言葉が心の中で生きていると,罪を犯させようとする力が,それに抵抗しようとする決意より強くなるようなことはまずないからです。(ヘブ 2:1; 3:13。コロ 3:5-10)こうして,わたしたちは『あらゆる良い業において実を結びつつ,神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしい仕方で歩んで』ゆけます。(コロ 1:10)そうすることこそ神の言葉を研究するわたしたちの目標であり,それを達成することが最大の報いなのです。
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調査の仕方神権宣教学校の教育から益を得る
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調査の仕方
ソロモン王は,『多くの箴言をまとめるために,熟考し,徹底的に調べ』ました。なぜなら,「真実の正確な言葉」を書き記すことに関心を抱いていたからです。(伝 12:9,10)ルカは,キリストの生涯における出来事を論理的な順序で述べるため,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどり」ました。(ルカ 1:3)これら神の僕はいずれも,調査を行ないました。
調査とは何でしょうか。それは,ある特定の事柄について情報を得るために注意深く調べることです。それには読むことが伴い,研究に関する種々の原則を当てはめることが求められます。また,人々に質問して答えてもらうことが必要な場合もあります。
どんなときに調査が必要になるでしょうか。二,三の例を挙げれば,個人研究や聖書通読をしていて自分にとって重要な質問が生じたとき,自分が証言した人の質問に答えるため明確な情報が欲しいとき,また,話の割り当てを受けたときなどでしょう。
ここに挙げた,話をするという割り当てについて考えてみましょう。扱うべき資料は,かなり一般的なものに感じられるかもしれません。どのように地元に当てはめることができるでしょうか。調査を行なって内容を充実させてください。当たり前と思えた点も,一,二の統計や,資料にかなった,しかも聴いている人たちの生活によくあるような実例を裏づけとして挙げれば,情報に富み,意欲を高めさせるものともなるでしょう。取り上げている資料が全世界の読者を対象に準備されたものであっても,要点を敷衍し,例証し,一つの会衆あるいは一人の人に適用できるものにする必要があります。どのようにしたらよいでしょうか。
急いで情報探しに取りかかる前に,自分の聴衆について考えてみてください。聴衆はすでにどんなことを知っているでしょうか。何を知る必要があるでしょうか。次に,話の目指すところを見定めてください。説明する話ですか。確信を与える話ですか。論駁する話ですか。それとも,意欲を起こさせる話でしょうか。説明するには,物事をはっきりさせるためにさらに多くの情報を提供しなければなりません。基本的な点は理解されているとしても,言明する事柄をいつ,どのように行なうかについて,詳しく述べる必要があるかもしれません。確信を与えるには,証拠を提出することも含め,ある事がなぜそうなのかについて理由を示すことが必要です。論駁するには,一つの争点について双方の見解を十分に知ると共に,挙げられている証拠を注意深く分析しなければなりません。もちろんわたしたちは,単なる強力な論議ではなく,物事を親切に提示する方法を求めます。意欲を起こさせるには,心を動かす必要があります。つまり,聴衆に刺激を与え,論じられている事柄に基づいて行動したい,という気持ちを抱かせることです。困難に直面してもなおそのように行動した人の実例は,心を動かすのに役立ちます。
ではこれで,始めることができますか。いいえ,まだです。どれほどの情報が必要かを考えてください。時間が重要な要素となるかもしれません。その情報を他の人に伝える場合,そうするのにどれほどの時間を使えるでしょうか。5分ですか。45分ですか。持ち時間は,会衆の集会の場合のように,決められていますか。それとも,聖書研究や牧羊訪問の場合のように,融通を利かせられますか。
最後の点として,調査のためにどんな道具が使えるでしょうか。自宅にあるもののほかに,王国会館の図書棚にはもっと多くのものがあるでしょうか。長年エホバに仕えてきた兄弟たちにお願いすれば,調査用の道具を快く使わせてくださるでしょうか。あなたの地域には公共の図書館があって,必要な場合に参考書を使えますか。
最も重要な道具である聖書を使う
調査する事柄に聖句の意味が関係しているのであれば,まず聖書そのものから始めてください。
文脈を調べる。こう自問しましょう。『この聖句の言葉はだれに対して語られたものだろうか。前後の節は,こう述べられるに至った事情,あるいは関係している人々の態度について,何を示しているだろうか』。そのような詳しい点を知ることは,多くの場合,聖句を理解する助けになり,その聖句を使う話も生気のあるものとなります。
たとえば,ヘブライ 4章12節は,心に響き,生活に影響する,神の言葉の力を示すためにしばしば引用されます。文脈を考えると,どうしてそう言えるのかについて認識が深まります。その部分では,エホバがアブラハムに約束しておられた土地にイスラエルが入る前の,荒野で40年を過ごした時の経験が取り上げられています。(ヘブ 3:7–4:13)「神の言葉」,すなわち,アブラハムとの契約どおりこの民を休みの場所に携え入れるという神の約束は,廃れてはいませんでした。生きていて,成就へと向かっていたのです。イスラエル人には,その約束に対する信仰を示すべき理由がそろっていました。しかし,エホバがエジプトからシナイ山へ,次いで約束の地へと導いておられた時,彼らは繰り返し信仰の欠如を示しました。こうして,み言葉を遂行する神の方法に対する反応の仕方で,民の心の内があらわになりました。今日でも同様に,神の約束の言葉は人の心の内をはっきり見えるようにします。
相互参照を調べる。相互参照の付いた聖書があります。あなたの聖書にも付いていますか。そうであれば,それが役立つかもしれません。「新世界訳聖書」から一つの例を取り上げましょう。ペテロ第一 3章6節は,クリスチャンである妻の見倣うに値する模範としてサラを挙げています。相互参照聖句の創世記 18章12節はその裏づけとして,サラがアブラハムを「自分のうちで」主と呼んでいたことを明らかにしています。ですから,サラの柔順は心からのものだったのです。相互参照を調べれば,そのような洞察が得られるだけでなく,聖書預言の成就や,律法契約で型となっていた事柄の成就を示す聖句にたどり着くかもしれません。しかし次の点も覚えておきましょう。中には,そのような説明を意図していない相互参照もあります。単に,類似している考えや伝記的または地理的情報に言及しているだけの場合もあります。
聖書用語索引で調査する。聖書用語索引は,聖書で使われている言葉をアルファベット順もしくは五十音順に挙げた索引です。これは,調査中の論題と関係のある聖句を見つけるのに役立ちます。それらの聖句を探ってゆけば,参考になる他の詳細な点も知ることができます。神の言葉にある真理の「型」を示すものを見ることもできます。(テモ二 1:13)「新世界訳」には,基本的な語を挙げた「聖書語句索引」が載せられています。「総合語句索引」(英語)は,さらに詳細にわたる索引です。聖書中の主立った語句一つ一つについて,それを含む聖句すべてを知ることができます。
調査用の他の道具の使い方を学ぶ
33ページの囲みには,「忠実で思慮深い奴隷」が提供してきた調査用の他の幾つかの道具が挙げられています。(マタ 24:45-47)その多くには目次があり,巻末には特定の情報を見つけるための索引が付いているものが少なくありません。毎年の終わりには,「ものみの塔」誌にも「目ざめよ!」誌にも,1年間に掲載された記事の題目索引が載せられます。
これら聖書研究用の出版物の中にどんな種類の情報が提供されているかに精通すれば,調査は手早く行なえます。たとえば,預言,教理,クリスチャンとしての振る舞い,聖書の原則の適用法について知りたいとしましょう。その種の情報は,「ものみの塔」誌にあると思われます。「目ざめよ!」誌は,昨今の出来事,時事問題,宗教,科学,様々な国や地域の人々などを扱っています。福音書のそれぞれの記述を年代順に並べ,それに説明を加えたものは,「これまでに生存した最も偉大な人」にあります。聖書中の一つの書全体の節ごとの注釈は,「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」,「ダニエルの預言に注意を払いなさい」,2巻から成る「イザヤの預言 ― 全人類のための光」などの出版物に見いだせます。「聖書から論じる」には,野外奉仕でよく提起される,聖書に関連した幾百という質問に対する,納得のゆく答えがあります。他の様々な宗教,その教えや歴史的背景などをより明確に理解するには,「神を探求する人類の歩み」をご覧ください。エホバの証人の現代史に関する詳細な記述は,「エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々」に収められています。良いたよりを宣べ伝える世界的な業の現在の進展に関しては,最新の「エホバの証人の年鑑」を調べてください。「聖書に対する洞察」は,聖書の百科事典および地図帳<アトラス>です。聖書に関連のある人々や場所,事物,言語,歴史上の出来事などについて詳細を知りたい場合,これは優れた情報源となります。
「ものみの塔出版物索引」。この「索引」は20余りの言語で出版されており,これを使えばわたしたちの多様な出版物の中から情報を探し出すことができます。その中は,事項索引と聖句索引に分かれています。事項索引を使うには,詳しく調べたい事柄のかぎとなる語句を探します。聖句索引を使うには,理解を深めたいと思う聖句を,列挙されている中から探します。「索引」が扱っている何年かの期間に,その事項もしくは聖句に関してその言語で何か掲載されていれば,参考資料のリストが見つかるはずです。挙げられている出版物名の略号を理解するために,「索引」の初めの部分にある略称の一覧表を参照してください。(これを参考にすれば,たとえば,塔99 3/1 15とは,「ものみの塔」誌,1999年3月1日号,15ページであることが分かります。)「野外宣教の経験」とか「エホバの証人のライフ・ストーリー」といった主な見出しは,会衆の意欲を高める話を準備するのに有用です。
調査は熱中させる面があるので,脇道にそれないよう注意しましょう。当面の課題に必要な資料を探すという目標に注意を集中しましょう。「索引」がどれかの情報源を指し示しているなら,そこに参照されているページを開き,副見出しや幾つかの節の冒頭にある二,三の文を読んで,必要にかなった資料を見つけます。聖書の特定の節の意味を探求しているのであれば,指し示されているページのどこにその聖句があるかをまず探しましょう。そのあとで,周囲の注解を調べます。
CD-ROMの“Watchtower Library<ワッチタワー ライブラリー>”。コンピューターを利用できる人は,CD-ROMのWatchtower Libraryから益を得られます。これには,膨大な量の出版物が収められています。使いやすい検索プログラムが組み込まれているので,そこに収められているどの出版物についても,その中の単語,語の組み合わせ,あるいは引照聖句を探すことができます。この調査の道具が自国語で利用できないとしても,広く使われていて,あなたの読める言語の版から益を得られるかもしれません。
他の神権的な図書
パウロは,霊感のもとに書いた,テモテへの第二の手紙の中で,ローマにいる自分のところに「巻き物,特に羊皮紙のもの」を持って来てくれるよう若いテモテに頼みました。(テモ二 4:13)パウロはある特定の書物を高く評価し,自分の手元に置きました。あなたも同じようにすることができます。あなたは,「ものみの塔」誌,「目ざめよ!」誌,「王国宣教」などの個人用のものを,会衆の集会で扱われた後も保管していますか。もしそうなら,自分の持つ他のクリスチャン出版物と併せて,それらを調査の道具として備えておけるでしょう。大抵どの会衆にも,王国会館の図書棚に神権的な出版物がそろっています。それらは,会衆全体のためのもので,王国会館にいる時に使うためのものです。
個人用ファイルを保つ
話したり教えたりする際に使える,興味深い話題に目ざとくあってください。新聞や雑誌の中に,宣教奉仕で使えるニュースや統計あるいは実例を見つけたら,それを切り抜くか,その情報をコピーしておきましょう。その日付,刊行物の名称,できれば著者または発行者の名前も含めておきます。会衆の集会でも,聞いた論点や例えが,真理を他の人に説明するのに役立ちそうであれば,メモしておきましょう。良い例えを考えついたのにすぐに使う機会がなかった,ということはありませんか。それも書き留めて,ファイルに保管してください。神権宣教学校に入ってしばらくたっている人なら,これまでに何度か話を準備したことでしょう。それらの話の筋書きを捨てるのではなく,取っておきましょう。行なった調査は,後で役立つかもしれません。
人々に話しかける
人々は豊かな情報源です。ルカは,福音書の記述をまとめるに際して,目撃証人たちに会って多くの情報を集めたようです。(ルカ 1:1-4)仲間のクリスチャンは,あなたが調査するよう努めてきた事柄に光を当ててくれるかもしれません。エフェソス 4章8,11-16節によれば,キリストは「人々の賜物」を用い,「神の子についての正確な知識」において成長するようわたしたちを助けてくださいます。神に仕える点で経験のある人たちに質問してみれば,役に立つ考えが得られるかもしれません。人々と話してみれば,どんなことを考えているかも分かり,実際的な内容を準備できるようになります。
調査の結果を評価する
小麦を収穫したら,殻を除いて穀粒を取り出さなければなりません。あなたが調査して得た実についても同じです。使えるようにする前に,価値あるものを余分のものからえり分ける必要があります。
ある情報を話の中で使う場合は,こう自問してください。『使おうと思う点は,この論題の話に価値あるものを付与するだろうか。それとも,興味深いだけで,話すべき論題から注意をそらしてしまうだろうか』。時事問題,あるいは科学や医学など変化の激しい分野の資料を使うつもりなら,必ず最新の情報を用いてください。また,わたしたちの以前の出版物に出ている点が改められている可能性を考え,その話題に関する最新の説明について考慮してください。
一般の情報源から資料を集める場合は,特に用心する必要があります。神の言葉こそ真理である,ということを決して忘れてはなりません。(ヨハ 17:17)イエスは,神の目的の成就において重要な役割を果たします。ですから,コロサイ 2章3節は,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」と述べています。自分が調査して得た実をその観点から評価しましょう。一般資料からの調査結果については,こう自問してください。『この資料は,誇張されたもの,推測に基づくもの,あるいは近視眼的なものではないだろうか。利己的もしくは商業主義的な動機で書かれたものではないか。他の権威筋の見解もこれと一致しているだろうか。何よりも,聖書の真理と調和しているだろうか』。
箴言 2章1-5節は,知識,理解,識別力などを,『銀を求めるように,隠された宝を求めるように』尋ね求めつづけるよう勧めています。この言葉は,骨の折れる作業と豊かな報いの両方を暗示しています。調査には努力が要りますが,そうすることは,物事に関する神のお考えを知り,間違った考えを正し,真理をしっかり把握する助けになります。また,あなたの話は内容の濃い,生気のあるものとなり,話して楽しく,聞いて喜ばしいものとなるでしょう。
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