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みだらな行ない聖書に対する洞察,第2巻
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律法のもとでは,みだらな行ないを非とする同じ見解が言い表わされていました。神はこの件に関して見方を変えておられません。みだらな行ないは違法とされ,違犯者の処罰は死刑でした。(レビ 18:17; 20:14)ダビデは『血の罪を負った者たちの手には,みだらな行ないがある』と述べ,自分の命をそのような者たちと共に連れ去らないでくださいと神に訴えました。―詩 26:9,10。
エホバは預言者のエレミヤとエゼキエルを通し,身体面でも霊的な面でもみだらな行ないを習わしにしていたイスラエルに裁きをもたらすことを警告されました。―エレ 13:26,27; エゼ 16:27,43,58; 22:9; 23:21-49; 24:13。
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道聖書に対する洞察,第2巻
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道
(みち)(Way,the)
この表現は,道路,街路,軌道,小道,あるいは行動や振る舞いの様式,さらには通常の方針,やり方,方法などを指して用いられることがあります。聖書の中でこの表現は,エホバ神に是認される,あるいはその不興を買う,振る舞いや行動の仕方に関連してしばしば用いられています。(裁 2:22; 王二 21:22; 詩 27:11; 32:8; 86:11; イザ 30:21; エレ 7:23; 10:23; 21:8)イエス・キリストが到来してからは,人が神との正しい関係を享受し,祈りの中で受け入れられる仕方で神に近づけるかどうかは,その人がイエス・キリストを受け入れるかどうかにかかっていました。神のみ子が述べられた通りです。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」。(ヨハ 14:6; ヘブ 10:19-22)イエス・キリストの追随者になった者たちは「この道」に属する者と言われましたが,それは彼らがイエス・キリストに対する信仰を中心とした生き方または生活様式を堅く守り,その模範に倣っていたということです。―使徒 9:2; 19:9,23; 22:4; 24:22。
「街道,道路,道」も参照。
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道のり聖書に対する洞察,第2巻
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道のり
(みちのり)(Journey)
「旅,旅路,道のり」を参照。
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蜜,蜜ばちの巣聖書に対する洞察,第2巻
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蜜,蜜ばちの巣
(みつ,みつばちのす)(Honey,Honeycomb)
はち蜜は,蜜ばちによって作られる,ねばねばした甘い液です。ヘブライ語聖書ではノーフェト(流れる蜜,もしくは蜜ばちの巣の蜜)とデヴァシュという言葉が蜜のことを指しています。この後者の言葉は,はち蜜だけでなく,果物のシロップをも指して用いられています。(レビ 2:11,脚注)ギリシャ語聖書では,メリは「野生の」という意味の形容詞アグリオスと共に使われ,野生のはちの蜜のことを指します。
蜜ばちの巣 蜜ばちの巣は,工学技術の驚異です。それは,そのような“工学技術”と構築本能を蜜ばちに付与された,創造者の比類のない知恵と能力を明らかにするものです。巣室の六角形の形状は,巣室の壁を作る材料である蜜ろうを最小限にして最大量の蜜を入れるのに理想的です。はちの巣を作る時,はちの体内にある特別な腺で蜜ろうが作られます。蜜ろうは体の小孔からにじみ出て,白い薄片状のものを形成します。蜜ばちは脚を使ってその薄片状のものを口もとに運びます。それから,そのろうをかんで,構築中の蜜ばちの巣のある部分に置きます。蜜ばちの巣は壁の厚さがわずか1㍉の3分の1しかありませんが,その30倍の重さのものを支えることができます。
蜜ばちは,木や岩などを含め,様々な場所に巣を作ります。ある時には,太陽にさらされて干からびてしまい,もはや腐敗した状態ではないような動物の死がいの中にさえ作られました。それはライオンの死がいで,サムソンはその中からはち蜜を取って食べました。―裁 14:8,9。
蜜 はち蜜は花や果実から得られる花蜜からできています。花蜜を集めて,蜜ばちの巣に入れる過程で,はちの体から出るある化学物質が加わります。花蜜からは水が幾らか蒸発し,その化学物質により花蜜は,はち蜜に変えられてゆきます。はち蜜の色や風味は,花蜜の入手源によって異なります。はち蜜は,容易に体内で吸収され,直ちにエネルギーに変えられます。
聖書で言及されているはち蜜は大抵,バプテスマを施す人ヨハネが荒野で食べたような野蜜のことです。(マタ 3:1,4)蜜が活力を与える特性を持っていることを示す例として挙げられるのは,戦いで疲れ切っていた時,蜜を幾らか味わったサウル王の息子ヨナタンの場合です。その目はたちまち,『輝きだしました』。(サム一 14:25-30)活力を与えるこの食物は,神が荒野でご自分の民に供給された食料の一つに挙げられています。木があまりなかった荒野では,民は「大岩から」,つまり岩の多い場所にはちが作った蜜ばちの巣から蜜を取って食べることができました。―申 32:13。
例証的な用法 病気を治す特性のある蜜は,快いことばや知恵に例えられています。それは,その甘さと良い味だけでなく,健康に寄与する特質のためでもあります。快いことばは,ちょうど蜜が体に良いのと同様に霊的健康にも良いものです。「箴言」の筆者は,「快いことばは蜜ばちの巣であり,魂に甘く,骨のいやしとなる」と述べています。―箴 16:24; 24:13,14。
蜜の甘さとそれを食する喜びは,聖書の至る所で例えとして用いられています。その実例は,エゼキエル 3章2,3節や啓示 10章9節に見いだされます。蜜ばちの巣の蜜のことがよく引き合いに出されます。それは,しばらく空気にさらされた蜜よりも風味や甘さや濃厚さの点で,より勝ると考えられているためです。シュラムの娘が語った言葉の善良さや快さを強調した羊飼いである彼女の恋人は,それらの言葉を彼女の唇から滴り続ける「蜜ばちの巣の蜜」であると語っています。(歌 4:11)エホバの司法上の定めは,非常によく,健全で,有益なので,「蜜,それも蜜ばちの巣から流れる蜜よりもなお甘い」
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