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    • この書物は信頼できるか

      「一般の[世俗の]いかなる歴史書と比べても,聖書には信ぴょう性の高さを明確に示すしるしがより多く見られる」― 英国の著名な科学者,アイザック・ニュートン卿。1

      この書物,聖書は信頼できるのでしょうか。聖書に出てくる人々や場所は実在したのでしょうか。記されている出来事は本当に起きたのでしょうか。もしそうであれば,聖書の筆者は慎重かつ正直な人たちであるという証拠があるはずです。証拠は確かに存在します。その多くは地中から発見されていますが,さらに多くの証拠は,聖書自体の中にあります。

      証拠を掘り起こす

      聖書の土地に埋もれていた古代の人工遺物が発見されて,聖書が歴史的にも地理的にも正確であることが裏付けられました。考古学者が掘り起こした証拠のごく一部に注目してみましょう。

      聖書を読む人であれば,イスラエルの王となった勇敢な年若い羊飼いダビデのことはよく知っています。聖書の中にその名は1,138回,おもにダビデの王朝を指す「ダビデの家」という表現は25回出てきます。(サムエル第一 16:13; 20:16)ところが最近まで,ダビデが実在した明白な証拠は,聖書以外には全くありませんでした。ダビデは単なる架空の人物だったのでしょうか。

      アブラアム・ビラン教授の率いる考古学者のチームが1993年に驚くべき発見をし,その報告が「イスラエル踏査ジャーナル」に掲載されました。イスラエルの北部に位置するテル・ダンと呼ばれる古代の塚の遺跡で,玄武岩の石が見つかったのです。石には「ダビデの家」および「イスラエルの王」2 という文字が刻まれており,西暦前9世紀のものとされるその碑文は,イスラエルの敵で東方に住んでいたアラム人が立てた戦勝記念碑の一部だと言われています。古代のこの碑文にそれほどの意義があるのはなぜですか。

      ビラン教授とその仲間であるヨセフ・ナベ教授の報告に基づき,「聖書考古学レビュー」誌の一記事は,こう述べました。「聖書以外の古代の碑文の中でダビデという名が発見されたのは,これが最初である」。3a この碑文に関しては,ほかにも注目すべきことがあります。「ダビデの家」という語句は一つの語として記されています。言語の専門家であるアンソン・レイニー教授は次のように説明しています。「単語区分記号はしばしば省略される……。その組み合わせが固有名詞として定着している場合は特にそうである。『ダビデの家』という語句は確かに,西暦前9世紀半ばのそうした政治的また地理的固有名詞であった」。5 ですから,ダビデ王とその王朝は,古代世界に広く知られていたものと思われます。

      ニネベ ― 聖書に出てくるアッシリアの大都市 ― は実在したのでしょうか。19世紀初頭まで,一部の聖書批評家たちは信じようとしませんでした。しかしオースティン・ヘンリー・レイヤード卿が1849年に,クユンジクのセナケリブ王の宮殿の遺跡を発掘し,そこは古代ニネベの一部だったことが判明しました。そのため批評家たちはこの問題について沈黙せざるを得ませんでした。ところがこの遺跡には,さらに多くの情報が含まれていました。かなり保存状態の良いある部屋の壁に,堅固な要塞都市を攻略する場面が描かれていたのです。侵略する王の前を捕虜たちが行進させられています。王の上方には,「世界の王,またアッシリアの王であるセナケリブはニーメドゥの王座に座し,ラキシュ(ラキス)から(奪った)戦利品を検閲した」という碑文があります。6

      大英博物館で見ることができるこの展示物と碑文は,聖書の列王第二 18章13,14節に記されている,セナケリブがユダの都市ラキシュを攻略した記述と調和しています。レイヤードはこの発見の意義について注解し,こう書きました。「ニネベの遺跡の目印となった土砂やがれきの山の下から,[ユダの王]ヒゼキヤとセナケリブの間で行なわれた戦争の歴史が発掘される,あるいはその可能性があるなどと,だれが事前に想像したであろう。しかもその歴史は,戦争が現になされている時にセナケリブ自身によって記され,聖書の記録のごく詳細な点の正しさをも裏付けるものだったのである」。7

      考古学者たちはほかにも,陶器や廃墟,粘土板,硬貨,文書,記念碑,銘刻など,聖書の正確さを裏付ける多くの人工遺物を掘り起こしてきました。アブラハムが住んでいた商業と宗教の中心地,カルデア人の都市ウルが発掘されました。8 (創世記 11:27-31)19世紀に発掘されたナボニドス年代記には,ダニエル 5章に記述されているとおり,西暦前539年にバビロンがキュロス大王の手に落ちる様子が描かれています。9 古代テサロニケのアーチ道で発見された銘刻(大英博物館に断片が保存されている)には,“ポリタルカス”と表記された都市支配者たちの称号が見えます。それはギリシャの古典文学にはなく,聖書筆者ルカだけが用いている称号です。10 (使徒 17:6,脚注)このようにルカの記述の正確さは,他の詳細な点と同様に,この点においても立証されました。―ルカ 1:3と比較してください。

      とはいえ,考古学者は互い同士の間で常に一致しているわけではありません。聖書との一致となればなおのことです。それでも,聖書そのものの中には,聖書が信頼できる書物であることの強力な証拠が含まれています。

      記録の背後にある正直さ

      正直な歴史家であれば(セナケリブのラキシュ攻略に関する碑文のように)勝利だけでなく敗北を,成功だけでなく失敗を,強い所だけでなく弱い所をも記録するでしょう。そのような正直さを反映する世俗の歴史は少数にすぎません。

      アッシリアの歴史家についてダニエル・D・ラッケンビルは,「大抵の場合,王の虚栄心のために歴史的正確さがもてあそばれたことは明らかである」と説明しています。11 そうした「王の虚栄心」の一例として,アッシリアの王アシュルナシルパルの年代記は次のように豪語しています。「余は帝王にして,君主なり。余は高貴にして,強大なり。余はあがめられ,賛美さる。余は秀でたる者にして,強力なり。余は勇壮にして獅子のごとき勇気あり。余は英雄なり」。12 こうした年代記の内容をすべて正確な歴史として受け入れることができるでしょうか。

      対照的に聖書筆者は気持ちのよい正直さを示しました。イスラエルの指導者であったモーセは,兄のアロン,姉のミリアム,甥のナダブとアビフ,自分の民の落ち度だけでなく,自分自身の間違いをも率直に伝えています。(出エジプト記 14:11,12; 32:1-6。レビ記 10:1,2。民数記 12:1-3; 20:9-12; 27:12-14)ダビデ王の重大な間違いも覆い隠されることなく,書き留められました。しかもそれは,ダビデがまだ王として支配している時に書かれたのです。(サムエル第二 11章と24章)マタイ ― その名の付された書物の筆者 ― は,使徒たち(自分も含まれる)が自分たちのうちで一番偉いのはだれかと議論したことや,イエスが捕縛された晩にイエスを見捨ててしまったことを述べています。(マタイ 20:20-24; 26:56)クリスチャン・ギリシャ語聖書中の手紙の筆者たちは,初期クリスチャン会衆の一部に,性の不道徳や不和など,幾つかの問題があったことを隠さずに認めています。しかも,それらの問題を扱う際には,単刀直入な言い方をしています。―コリント第一 1:10-13; 5:1-13。

      このように率直で包み隠しのない伝え方は,真実に対する誠実な関心を物語っています。聖書筆者たちは自分の愛する家族,自分の民,さらには自らに関する不利な情報も伝えようとしているのですから,彼らの書いたものを信頼できる確かな理由があるのではないでしょうか。

      細部にわたる正確さ

      裁判の場合,証人による証言が信頼できるかどうかは,細かな事実に基づいて決定されることが少なくありません。細かな部分が調和していれば証言は正確かつ正直なものとされますが,重大な食い違いがあれば,その証言は偽物と判断されます。逆に,できすぎた話 ― どんな細かい部分もきちんと整っている話 ― も,偽証のしるしとなることがあります。

      聖書筆者の“証言”はどのようにこの基準にかなっているでしょうか。聖書を書いた人たちは際立った一貫性を示しました。ごく細かい点においても見事な調和が保たれています。しかしその調和は,共謀の疑いを起こさせるような,念入りに調整されたものではありません。合致する点があるとしても,筆者たちはたいてい図らずも一致したのであって,事前に謀ったのでないことは明らかです。幾つかの例を考えてみましょう。

      聖書筆者マタイはこう書きました。「それからイエスは,ペテロの家に入った際,そのしゅうとめが伏せっており,熱病にかかっているのをご覧になった」。(マタイ 8:14)ここでマタイは,ペテロが結婚していたという,重要でないとはいえ,興味深い詳細な情報を示しました。パウロもこの細かな事実を支持し,こう書いています。「わたしには,ほかの使徒や……ケファのように,クリスチャンである妻を伴う権利がないのでしょうか」。b (コリント第一 9:5,「新英訳聖書」)文脈には,いわれのない批判に面したパウロが自分を弁護している様子が示されています。(コリント第一 9:1-4)この細かな事実 ― ペテロが結婚していたこと ― は明らかに,パウロがマタイの記述の正確さを裏付けるために付け加えたのではなく,付随的に記されたものです。

      福音書の4人の筆者 ― マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ ― はすべて,イエスが捕縛された晩に弟子たちの一人が剣を抜き,大祭司の奴隷に切りかかって耳を切り落としたことを記録しています。「その奴隷の名はマルコスといった」という不要と思える詳細を伝えているのは,ヨハネによる福音書だけです。(ヨハネ 18:10,26)ヨハネだけがその男の名前を記しているのはなぜでしょうか。その数節後の記述には,他の箇所では述べられていない細かな事実が示されています。ヨハネは「大祭司に知られていた」のです。ヨハネは大祭司の家の者たちにも知られていました。その家の僕たちはヨハネを知っており,ヨハネも彼らを知っていました。(ヨハネ 18:15,16)ですから,負傷した男の名をヨハネが明らかにしていても,他の福音書筆者たちがそれを記さないのは,全く当然のことでした。彼らにとって,その男は見知らぬ人間だったのです。

      ある記述では省かれている詳細な説明が,他の箇所の,付随的に述べられた事柄の中で示されることがあります。例えば,ユダヤ人のサンヘドリンの前で行なわれたイエスの裁判に関するマタイの記述には,そこにいたある人々が「顔を平手で打って,こう言った。『キリストよ,わたしたちに預言せよ。お前を打ったのはだれか』」とあります。(マタイ 26:67,68)打った者はイエスのすぐ前に立っているのに,その者たちがイエスに『預言する』よう求めたのはなぜでしょうか。マタイは説明していません。しかし,他の二人の福音書筆者は,省略された詳細な情報を提示しています。つまり,イエスを迫害する者たちはイエスを平手で打つ前に,イエスの顔を覆ったのです。(マルコ 14:65。ルカ 22:64)マタイは自分の資料を提示する際,詳細な情報が漏れなく伝えられることには関心を払いませんでした。

      ヨハネによる福音書は,大群衆がイエスの教えを聞くために集まった時のことを述べています。記録によれば,イエスは群衆をご覧になった時,「『これらの人々の食べるパンをどこで買いましょうか』とフィリポに言われ」ました。(ヨハネ 6:5)なぜイエスは,そこにいた弟子たちの中からフィリポを選び,どこでパンが買えるかと尋ねているのでしょうか。筆者は説明していません。しかし,その並行記述の中でルカは,この出来事があったのは,ガリラヤの海の北岸の都市ベツサイダの近くであったと述べており,ヨハネによる福音書のそれより前の所には,「フィリポは,ベツサイダから……来ていた」とあります。(ヨハネ 1:44。ルカ 9:10)ですから,近くに郷里の町がある人にイエスが尋ねたのはもっともなことでした。細部の情報が調和しているのは注目すべき点ですが,明らかにこれは意図的なものではありません。

      特定の詳細な情報が省かれていることが,結果的には聖書筆者の信頼性を増し加える場合もあります。例えば,列王記第一の筆者は,イスラエルで生じた深刻な干ばつについて述べています。王が自分の馬やらばを生かしておく水や草を見つけられないほどの深刻な干ばつでした。(列王第一 17:7; 18:5)ところがその同じ記述には,預言者エリヤが,1,000平方㍍ほどの場所を囲むみぞに満たす水を(犠牲に関係して用いるため)カルメル山に持ってくるよう命令した,とあります。(列王第一 18:33-35)干ばつの最中に,これほどの水がどこから得られたのでしょうか。列王記第一の筆者はそこまではあえて説明しませんでした。しかし,後にこの話の中で付随的に述べられたように,イスラエルに住んでいる人なら,カルメルが地中海沿岸にあることを知っていました。(列王第一 18:43)ですから,海水はすぐに使えたはずです。他の点では詳細な情報を提供しているこの本が真実を装ったフィクションにすぎないとしたら,筆者は巧みな創作者であるはずなのに,なぜ一見難解なこうした箇所を本文中に残したのでしょうか。

      では,聖書は信頼できる書物でしょうか。考古学者は聖書に出てくる人々や場所が実在したこと,記された出来事が実際に起きたことを裏付ける人工遺物を掘り起こしてきました。しかし,それよりも説得力のある証拠は聖書そのものの中にあります。率直な筆者たちは厳然たる事実を記録するに当たって,だれをも,自分自身をも容赦しませんでした。事前に謀ることなく合致した点を含め,書かれた事柄が一貫していることは,“証言”に真実の明確な響きを与えます。こうした「信ぴょう性の高さを明確に示すしるし」があるのですから,聖書はまさしく,信頼できる書物です。

  • この書物は科学と一致しているか
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    • この書物は科学と一致しているか

      宗教は必ずしも科学を友とみなしてきたわけではありません。過去何世紀もの間,ある神学者たちは,科学上の発見が自分たちの聖書解釈を脅かすと見て取るや,そうした発見に敵対してきました。しかし,科学は本当に聖書の敵なのでしょうか。

      もし聖書筆者が,当時の最も広く受け入れられていた科学的見解を支持したとしたら,科学上の不正確さが目立つ書物ができ上がったことでしょう。しかし筆者たちはそうした非科学的な誤りを助長しませんでした。それとは正反対に,科学的に正確であるだけでなく,当時受け入れられていた見方とは真っ向から対立する記述を幾つも残しています。

      地球はどんな形をしているか

      この質問は幾千年にもわたって人間の好奇心をそそってきました。地球は平たいというのが古代の通念でした。例えばバビロニア人は,宇宙は地球を床とする箱もしくは部屋であると信じていました。インドのベーダ人の祭司たちは,地球は平たく,その片面だけに人が住む,と考えました。アジアに住む原始的な一部族は,地球を巨大な茶盆として描写しました。

      西暦前6世紀という昔にギリシャの哲学者ピタゴラスは,月も太陽も球体である以上,地球も球体であるに違いない,と唱えました。アリストテレス(西暦前4世紀)も後にこれに同意し,地球が球体であることは月の満ち欠けで証明できると説明しました。月に映る地球の影は弧を描くからです。

      しかし,地球は平たい(上側だけに人が住む)という考えは,完全には消え去りませんでした。中には,地球が丸いことの当然の帰結 ― 対蹠地aの概念 ― を受け入れられなかった人もいたのです。西暦4世紀のクリスチャンの護教論者ラクタンティウスは上記の考えを嘲笑し,こう論じました。「足跡が頭より高い人間の存在……穀物や木が下に伸びること,雨や雪やひょうが上に向かって降ることを信じるほど無分別な人がいるのだろうか」。2

      少数の神学者は対蹠地の概念によって窮地に立たされました。対蹠地に住人がいても,海が広すぎて航海ができない,あるいは赤道付近の灼熱の地域は通行できないので,既知の人間と彼らが接触するのは不可能であろう,と主張する説がありました。では,対蹠地の住人は一体どこからやって来たのでしょうか。一部の神学者たちは困惑し,対蹠地の住人は存在し得ない,あるいはラクタンティウスが主張したように,地球はそもそも球体であるはずはない,という考えを好みました。

      それでも,球形の地球という概念は優勢になり,やがて広く受け入れられるようになりました。20世紀に入り,宇宙時代の夜明けを迎えて初めて,人間は大気圏外に行き,じかに地球を観察して,球体の地球を確認できるようになりました。b

      では,この問題に関して,聖書はどんな立場を取っているでしょうか。西暦前8世紀,地球は平らなものという考えが支配的だったころ,また,ギリシャの哲学者たちが地球は球形であろうとの理論を打ち立てる幾百年も前,さらには人間が宇宙から球体の地球を実際に眺める何千年も前に,ヘブライ人の預言者イザヤは極めて簡潔に,「地の円の上に住む方がおられ(る)」と述べました。(イザヤ 40:22)ここで「円」と翻訳されているヘブライ語フーグは「球体」と訳すこともできます。3 他の聖書翻訳ではそこが「地の球」(ドウェー訳),「丸い地」となっています。―モファット訳。c

      聖書筆者のイザヤは,地球について一般に知れ渡っていた作り話を取り入れませんでした。むしろ,科学上の新たな発見にも脅かされない記録を残しています。

      何が地球を支えているのか

      古代において,人間は宇宙をめぐる他の質問にも頭を悩ませました。例えば,地球は何の上に載っているのか,太陽,月,星を持ち上げているものは何か,といった質問です。彼らは,アイザック・ニュートンが1687年に公式化して発表した万有引力の法則を知りませんでした。天体はすべて,実際には虚空に,何もないものの上に留まっているというのは,彼らにとって未知の考えでした。そのため,彼らの説明の中では,有形の物か何かの物質が地球その他の天体を空中に持ち上げているという考えがしばしば示唆されました。

      例えば,地球は水に囲まれており,その水に浮かんでいるという説が古代にはありました。恐らく島の住人が考え出したものでしょう。ヒンズー教徒が想像した地球には数種類の土台があり,各々が他の土台の上に載っていました。地球は4頭の象の上,象は巨大な亀の上,亀は大きな蛇の上に載り,とぐろを巻いた蛇は宇宙の海に浮かんでいました。西暦前5世紀のギリシャの哲学者エンペドクレスの考えによれば,地球はつむじ風に乗っており,このつむじ風が天体を運行させるとみなされました。

      最も大きな影響を及ぼしていた見解として,アリストテレスの考え方を挙げることができます。アリストテレスは地球球体説を唱えましたが,虚空に浮かんでいるとはとても考えられない,と主張しました。「天体論」と題する自作の論文の中で,アリストテレスは地球が水の上にあるという説を論駁し,こう述べました。「空中にとどまることは地球の性質でもなければ,水の性質でもない。地球は何かの上に載っていなければならない」。4 では地球は何の「上に載って」いるのですか。アリストテレスの教えによれば,太陽と月と星は固い透明な幾つかの球体の表面に付着しています。それらの球体は固定された地球を中心として,それぞれ他の球体の中に納まっており,各々の球体が回転すると,その上の物体,つまり太陽や月や惑星なども空を横切ります。

      アリストテレスの説明は筋が通っているかに見えました。もし天体が何かにしっかり付着していないとしたら,どうして空中に留まれるでしょうか。大家アリストテレスの考え方は約2,000年間,事実として受け入れられました。新ブリタニカ百科事典によると,16,17世紀にアリストテレスの教えは,教会から見て「宗教教義の域に高められて」いました。5

      望遠鏡が発明されて,天文学者たちはアリストテレス説を疑問視し始めました。それでも,アイザック・ニュートン卿が,惑星は虚空に留まり,見えざる力,重力で軌道に保たれていると説明するまで,答えは得られませんでした。そんなことはあり得ないように思えました。また,ニュートンの仲間の中にも,宇宙が空間であり,その大部分には物質が存在しないという考えを信じ難く思った人がいました。d 6

      この問題に関して,聖書は何と述べているでしょうか。3,500年ほど前,聖書は地球が「無の上に」掛かっていると至極明快に述べました。(ヨブ 26:7)ここで用いられている「無」に相当する原語のヘブライ語(ベリーマー)には,字義的には「何もない」という意味があります。7 現代英語訳聖書は「虚ろな空間に」という表現を用いています。

      当時の人々の大半にとって,地球が「虚ろな空間に」掛かる惑星であるとは,想像も及ばないことでした。ところが聖書筆者は,時代をはるかに先取りし,科学的に正確な事柄を記したのです。

      聖書と医学 ― 調和しているか

      現代医学は病気の伝染や予防について多くのことを教えてきました。19世紀の医学の進歩により,医学上の消毒の習慣 ― 清潔を保って感染症を減らす方法 ― が導入されるようになりました。その結果には目を見張るものがありました。感染症と早死にが激減したのです。

      しかし古代の医師は,病気の伝染の仕方,病気予防における衛生の重要性を十分理解してはいませんでした。それらの医師の医療行為の多くが,現代の基準からすれば野蛮とみなされるのも無理はありません。

      現存する最古の医学書の一つにエジプト人の医学知識を集めた西暦前1550年ごろの文献,エーベルス・パピルスがあります。この巻き物には,「ワニに噛まれた傷から足指の爪の痛みに至る」様々な苦痛に対応する700ほどの治療法が収められています。8 国際標準聖書百科事典は,「これらの医者たちの医学上の知識(は)ひとえに経験的なもの,多分に魔術的で,全く非科学的なものだった」と述べています。9 治療法の大部分は効果がないというだけでしたが,中には危険極まる方法もありました。傷の治療のため,人間の排泄物に他の物質を混ぜて作った合剤を塗ることが,処方の一つとして勧められていました。10

      エジプト人の医療に関するこの文献は,モーセの律法を含む聖書の最初の五書とほとんど同じ時期に書かれました。西暦前1593年に生まれたモーセはエジプトで成長しました。(出エジプト記 2:1-10)モーセはファラオの家の者の一員として「エジプト人の知恵をことごとく教授され」ました。(使徒 7:22)モーセはエジプトの「医者たち」と交流がありました。(創世記 50:1-3)効果のないもの,危険なものもあった彼らの医療行為はモーセの執筆に影響を及ぼしましたか。

      影響はありませんでした。それどころか,モーセの律法には,時代をはるかに先取りした衛生に関する規定が含まれていました。例えば,軍の宿営地に関する律法は,糞便を宿営から離れた場所に埋めることを定めていました。(申命記 23:13)これは,はなはだ進んだ予防措置でした。そのおかげで,水は汚染されず,ハエが媒介する細菌性赤痢その他の下痢性疾患にもかからずにすんだのです。それらの病気は今も,衛生状態が劣悪な国々で毎年おびただしい数の人命を奪っています。

      モーセの律法に含まれていた他の衛生規定も,感染症が広まらないようイスラエルを保護しました。伝染病に冒された人や,その疑いのある人は隔離されました。(レビ記 13:1-5)自然死した動物(原因は恐らく病気)と接触した衣や器は,処分するか,再使用する前に洗うかしなければなりませんでした。(レビ記 11:27,28,32,33)死体に触れた人はみな汚れた者とみなされ,衣を洗ったり,自らも水を浴びたりすることを含む清めの手順に従わなければなりませんでした。その人は汚れているとみなされた7日間,他の人々と身体的な接触を避けることになっていました。―民数記 19:1-13。

      衛生に関するこの法典は,当時の周辺諸国家の医師たちも持ち合わせていなかった知恵を明らかにしています。病気の広まり方を医学が知る何千年も前に,聖書は病気にかからないようにする道理にかなった予防措置を規定していました。モーセが当時の一般のイスラエル人の寿命を70年ないし80年としているのも,驚くべきことではありません。e ―詩編 90:10。

      上記の聖書中の記述が科学的に正確であることは皆さんも認められるでしょう。しかし聖書には,科学的に正確であることを証明できない記述も含まれています。では必然的に,聖書は科学と相いれないことになりますか。

      証明不能の事柄を受け入れる

      証明不能の記述は真実ではない,とは必ずしも言えません。十分な証拠を発見し,データを正確に解釈する人間の能力からして,科学的な証明にはおのずと限界があります。しかし中には,証拠が保存されていない,証拠が不明確,もしくは発見されていない,さらには,科学的な手腕や専門技術が不十分で,議論の余地のない結論を導き出せないなどの理由で,証明が不能な真実もあります。聖書中の特定の記述で,独立した有形の証拠が欠落しているものも,その範ちゅうに属するのでしょうか。

      例えば聖書の中で,目に見えない領域に霊者が住むと述べる箇所は,科学的に証明できません。科学的に反証することもできません。聖書に記されている奇跡についても同じことが言えます。ノアの時代の全地球的な洪水についても,ある人々を満足させるほどの明確な地質学的証拠は入手できません。(創世記 7章)では,洪水は起きなかったと結論すべきですか。時間の経過と事情の変化に伴い,歴史上の出来事は明確でなくなることがあります。ですから,幾千年にも及ぶ地質の活動が,大洪水の証拠の多くを消し去った可能性はあるのではないでしょうか。

      入手できる有形の証拠によって証明もしくは反証のできない記述が聖書にあることは認めましょう。しかし,それは驚くほどのことでしょうか。聖書は科学の教科書ではなく,真理の書物です。聖書の筆者たちが忠誠と正直の人であった強力な証拠はすでに考慮してきました。さらに,彼らが科学に関連した事柄を述べるときの言葉遣いは正確であり,後に単なる作り話であることが判明した古代の“科学的”学説とは全く関係がありません。ですから,科学は決して聖書の敵ではありません。偏見を持たずに聖書の内容を比較検討すべき理由は十分にあるのです。

      [脚注]

      a 「対蹠地とは……地球上で正反対の位置にある2地点を指す。これら2地点を結ぶ直線は地球の中心を通る。対蹠地に相当するギリシャ語は,足対足を意味する。対蹠地に立つ二人の人は,足の裏において最も近くなる」1 ― ワールドブック百科事典。

      b 厳密に言えば,地球は楕円体であり,南北両極の側が少し平たくなっています。

      c さらに言えば,どんな角度から眺めても円に見えるのは球体だけです。平たい円盤は,円よりも楕円に見えることが多いでしょう。

      d ニュートンの時代に優勢だったのは,宇宙は液体 ― 宇宙“スープ”― に満たされており,その液体の渦動が惑星を回転させるという見解でした。

      e 1900年当時,多くのヨーロッパ諸国と米国における平均寿命は50歳を下回っていました。それ以来,病気を制する医学の進歩に加えて,衛生および生活環境が改善されたこともあって,平均寿命は急激に伸びました。

      [21ページの拡大文]

      証明不能の記述は真実ではない,とは必ずしも言えません

      [18ページの図版]

      人間が球体としての地球を宇宙から実際に眺める幾千年も前に,聖書は「地の円」について述べていた

      [20ページの図版]

      アイザック・ニュートン卿は,惑星が重力の働きで各々の軌道に留まっていることを説明した

  • 現代の生活に役立つ実際的な書物
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    • 現代の生活に役立つ実際的な書物

      今日の世界では,アドバイスを与える書物が非常な人気を博しています。しかし,そのような書物は時代後れになりやすく,すぐに改訂されたり別のものに取って代わられたりします。聖書はどうでしょうか。完成したのは2,000年ほど前ですが,その初めの音信が改訂されたり,更新されたりすることはありませんでした。そのような書物に含まれる導きが,現代にも実際に役立つということがあり得るのでしょうか。

      あり得ない,とある人は言います。イーライ・S・チェサン医学博士は,聖書が時代後れであると思える理由を説明して,「1924年版の化学の教科書を現代の化学の授業に使おうと言う人はいないだろう」と書きました。1 もっともらしい論議に聞こえます。人間は聖書が書かれて以来,健全な精神や人間の行動について多くのことを学んできたのですから,どうしてこんなに古い書物が現代の生活に関係があると言えるのでしょうか。

      時代を超越した原則

      確かに時代は変わりますが,人間が基本的に必要とするものは変わっていません。歴史上どの時代の人々も,愛と愛情を必要としてきました。幸福であることを願い,有意義な生活を送りたいと思ってきました。経済的な苦境に対処する方法,満ち足りた結婚生活を送る方法,子供たちに正しい道徳観や倫理観を教え諭す方法などについて,アドバイスを必要としてきました。聖書には,こうした基本的な必要に関するアドバイスが収められています。―伝道の書 3:12,13。ローマ 12:10。コロサイ 3:18-21。テモテ第一 6:6-10。

      聖書の諭しには,人間というものに対する鋭い認識が表われています。現代の生活にも実際に役立つ,時代を超越した具体的な原則を幾つか考慮してみましょう。

      結婚生活のための実際的な導き

      「国連クロニクル」誌によれば,家族は「最も古く,最も基本的な,人間の組織の単位; 複数の世代を結ぶ最も重要な絆」です。しかし,この「最も重要な絆」も,恐ろしい勢いで砕かれつつあります。同誌は,「今日の世界において,多くの家族は,意気をくじくような難問に直面しており,家族として機能する力,また家族として存続する力そのものが脅かされている」と述べています。2 聖書は,家族という単位が存続することに貢献するどんなアドバイスを与えていますか。

      まず最初に,聖書は夫婦が互いをどう扱うべきかについて,多くのことを述べています。例えば,夫については,「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,また大切にします」と述べています。(エフェソス 5:28,29)妻は,「夫に対して深い敬意を持つ」ようアドバイスされています。―エフェソス 5:33。

      そうした聖書の諭しを当てはめることの意味を考えてください。「自分の体のように」妻を愛する夫は,妻に憎しみを表わしたり,厳しい態度を取ったりしません。妻の体を打ちたたくことも,言葉で,また感情を逆なでして妻を虐待することもありません。むしろ,自分に示すのと同じ敬意や思いやりを妻にも示します。(ペテロ第一 3:7)ですから,そのような夫の妻は,結婚生活の中で愛を感じ,安心感を覚えます。夫はそうすることにより,女性との接し方に関する良い模範を子供たちに示すのです。一方,夫に「深い敬意」を持つ妻は,夫を絶えず批判したりみくびったりして夫の威厳を損なうことはしません。妻が夫を敬うので,夫のほうは,信頼されている,受け入れられている,感謝されていると感じます。

      このようなアドバイスは今の世の中でも実際的でしょうか。家族問題の専門家が今日,それと同様の結論に達しているのは興味深いことです。家族のカウンセリング・プログラムを監督しているある人は,「私が最も健全な家族だと思うのは,母親と父親の間に愛情深いしっかりした関係がある家族である。……最重要なこのしっかりした関係は,子供たちの安心感を育むように思える」と述べました。3

      結婚生活に関する聖書の助言が,無数にいる善意の家族問題カウンセラーのアドバイスよりはるかに信頼できることは,長年にわたって明らかにされてきました。多くの専門家が,味気ない結婚生活を早急に終わらせる簡便な方法として離婚を提唱するようになったのは,そんなに昔のことではありません。今はそれらの専門家の中でも,結婚をできるだけ長続きさせることを強く勧める人が多くなっています。しかし,この変化がもたらされるまでには,多大の犠牲を払わなければなりませんでした。

      それとは対照的に,聖書は結婚に関係した問題について,信頼できる平衡の取れた助言を与えています。聖書は,ある種の極端な状況のもとでは離婚が許されることを認めています。(マタイ 19:9)と同時に,勝手気ままな離婚を非としています。(マラキ 2:14-16)不貞も戒めています。(ヘブライ 13:4)また聖書は,結婚には誓約の関係が関与すると述べています。こう記されています。「それゆえに,男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである」a ― 創世記 2:24。マタイ 19:5,6。

      結婚生活に関する聖書のアドバイスは,聖書が書かれた時と同じように,今日でも当を得ています。夫と妻が愛と敬意をもって互いを扱い,結婚を専有の関係と見るとき,結婚は ― それに伴って家族も ― 存続しやすくなります。

      親のための実際的な導き

      数十年前,多くの親は子供のしつけに関する“革新的な思想”に刺激され,“子供に何かを禁じることは,禁じられている”と考えました。8 子供に制限を課すことは,精神的衝撃を与え,欲求不満を生じさせるのではないかと懸念したのです。誠実な意図を持った子育てのカウンセラーたちは,子供をごく穏やかに矯正する以上のことは差し控えるようにと主張しました。ところが今,そうした多くの専門家たちは懲らしめの役割を再評価し始めており,親たちは心配顔で,この問題に関する明確な指針を探し求めています。

      しかし聖書はいつも,子育てに関する明確で道理にかなった助言を与えてきました。2,000年ほど前に聖書はこう述べました。「父たちよ,あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。(エフェソス 6:4)「懲らしめ」と訳されているギリシャ語の名詞は「薫陶,訓練,教え」を意味します。9 そのような懲らしめや教えは親の愛の証拠である,と聖書は述べています。(箴言 13:24)明確な道徳上の指針を持ち,正邪の感覚が身につくとき,子供たちは伸び伸びと成長します。懲らしめは,子供自身と子供の将来の人格特性に対する親の気遣いを子供に示すものです。

      とはいえ,親の権威 ―「懲らしめのむち棒」― は決して乱用してはなりません。b (箴言 22:15; 29:15)聖書は親にこう警告しています。「あなた方の子供を矯正しすぎてはなりません。さもないと,彼らをすっかり落胆させてしまうことになります」。(コロサイ 3:21,「フィリップス訳」)さらに聖書は,体罰が普通は最も効果的な教え方でないことも認めており,箴言 17章10節には,「理解ある者にとって,一度の叱責は愚鈍な者を百回打つよりも深く入る」と記されています。それだけでなく,聖書では予防策としての懲らしめが勧められています。申命記 11章19節は,普段のちょっとした時間を活用して子供たちに道徳的価値観を教え込むよう,親たちに促しています。―申命記 6:6,7もご覧ください。

      親に対する,時代を超越した聖書のアドバイスは明確です。子供たちは首尾一貫した愛ある懲らしめを必要としています。そうした助言が現に成果をもたらしていることは,実際の経験に示されています。c

      人々を分断する障壁を乗り越える

      今日,人々は,人種や国家や民族の関係した障壁によって分断されています。人間の作ったそうした壁は,世界各地の戦争で罪のない人々が虐殺されるという事態を招いてきました。歴史を指標にするなら,人種や国籍の異なる人々が互いを同等のものと見,同等に扱うことなど,全く期待できません。アフリカの一政治家は,「解決策は我々の心にある」と語っています。11 とはいえ,人間の心を変えるのは容易ではありません。しかし,聖書の音信がいかに人々の心に訴え,同等の意識を育むかについて考えてください。

      神が「一人の人からすべての国の人を造っ(た)」という聖書の教えからすれば,優秀な人種という考えはすべて排除されます。(使徒 17:26)これは,実際のところ人種は一つ,つまり人間という種族しか存在しないことを意味します。聖書はさらに,「神を見倣う者となりなさい」とわたしたちに勧めています。その神については,「不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」と記されています。(エフェソス 5:1。使徒 10:34,35)この知識は,聖書を真剣に受け止め,聖書の教えにかなった生き方を本当に求める人々にとって,一致を促す効果があります。人間の心の最も深い部分に働きかけ,人々を分断する人間製の障壁を打ち壊します。一つの例について考えてみましょう。

      ヒトラーがヨーロッパ全土で戦争をしていたころ,罪のない人々の殺戮に関与することを断固たる態度で拒んだクリスチャンの一団がいました。エホバの証人です。彼らは仲間の人間に『剣を上げようとは』しませんでした。神を喜ばせたいとの願いがそうした立場を取らせたのです。(イザヤ 2:3,4。ミカ 4:3,5)彼らは他と比べて勝った国民や人種は存在しないという聖書の教えを心から信じました。(ガラテア 3:28)エホバの証人は平和を愛する立場のゆえに,強制収容所に最初に入れられた人たちの中に含まれていました。―ローマ 12:18。

      しかし,聖書に従うと主張する人々すべてがそのような立場を取ったのではありません。第二次世界大戦後まもなく,ドイツのプロテスタントの一牧師,マルティン・ニーメラーは次のように書きました。「[数々の戦争]に関して神を非難したがる人は神の言葉を知らない。あるいは知りたいと思っていない。……キリスト教の諸教会は長年にわたり,戦争や軍隊や武器を祝福することに繰り返し身をゆだね……クリスチャンとしての道から大きくはずれ,戦争で敵が壊滅することを祈り求めた。このすべては我々と我々の父祖たちの失策であって,断じて神を非難すべきではない。また,今日のクリスチャンである我々は,誠心聖書研究者[エホバの証人]のような,世で言う分派の前に立つとき,自分を恥じる。彼らは軍務と,人間を射殺することを拒んだゆえに,幾百人また幾千人と強制収容所に送られ,[その挙げ句]死んでいったのである」。12

      エホバの証人は今日に至るまで兄弟関係でよく知られており,それはアラブ人とユダヤ人,クロアチア人とセルビア人,フツ族とツチ族を結びつけています。しかしエホバの証人は,そうした一致が存在するのは,証人たちが他の人々より優れているからではなく,聖書の音信の力に動かされたためであることをすぐに認めます。―テサロニケ第一 2:13。

      健全な精神を培うための実際的な導き

      人の身体的な健康は,健全な精神と感情に左右されることが少なくありません。例えば,科学的な研究により,怒りの有害な影響が確認されています。デューク大学医療センターの行動研究主任レッドフォード・ウィリアムズ医学博士と,その妻バージニア・ウィリアムズは,共著「怒りは殺し屋」の中でこう述べています。「入手できる証拠の大半は,敵意を表わす人々の場合,数々の理由で心臓動脈疾患(および他の疾病)に見舞われる危険が高まることを示唆している。その理由としては,人との交流で得られる支えが弱まること,怒ったときの生物学的な反応性が高まること,健康を脅かす行動にふける回数が増えることなどがある」。13

      聖書はこういう科学的な研究が行なわれる数千年も前に,「穏やかな心は身体の命であり,ねたみは骨の腐れである」という簡潔ながらも明確な言い回しを用いて,人間の感情と身体の健康を結びつけました。(箴言 14:30; 17:22)聖書は賢明にも,「怒りをやめ,激怒を捨てよ」,「自分の霊にせき立てられて腹を立てては[または「怒っては」,ジェームズ王欽定訳]ならない」と助言しています。―詩編 37:8。伝道の書 7:9。

      聖書には,怒りを制御するための分別のあるアドバイスも収められています。例えば,箴言 19章11節には,「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」とあります。「洞察力」に相当するヘブライ語は,何らかの“理由に関する知識”に注意を喚起する動詞から出ています。14 “行動する前に考えよ”というのは賢明なアドバイスです。他の人の特定の話し方や行動の仕方の背後にある理由を理解するよう努めるなら,より寛大になり,怒りも抑えやすくなります。―箴言 14:29。

      実際的なアドバイスの別の例は,コロサイ 3章13節にあります。そこには,「引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい」と記されています。小さないら立ちは日常茶飯事です。「引き続き……忍び」という言い方は,他の人に自分の気に食わないところがあっても,それを大目に見ることを示唆しています。『許す』とは,憤りを放免することを意味します。苦々しい気持ちを心に抱くのではなく,放免するほうが賢明な場合があります。怒りを宿すなら,重荷が増えるだけです。―「人間関係のための実際的な導き」と題する囲み記事をご覧ください。

      今は助言や導きがあちらこちらから得られる時代です。しかし,聖書はまさしくユニークです。その助言は単なる学説ではなく,そのアドバイスは決してわたしたちを害することがありません。むしろその知恵は「非常に信頼できるもの」となっています。(詩編 93:5)さらに,聖書の助言は時代を超越しています。およそ2,000年前に完成されていても,その言葉は今も当てはまります。しかも,皮膚の色や国籍に関係なく,等しく当てはまるのです。そして,聖書の言葉には力があります。人々を良い方向へ変化させる力です。(ヘブライ 4:12)この書物を読み,含まれる原則を当てはめるなら,自分の生活の質を向上させることができます。

      [脚注]

      a ここで「堅く付き」と訳されているヘブライ語のダヴァクには,「だれかに深い愛情を抱いて忠実に付き従うという意味があり」ます。4 ギリシャ語の場合,マタイ 19章5節で「堅く付き」と訳されている語は,「のり付けする」,「セメントでつなげる」,「堅く結びつける」を意味する語と関連があります。5

      b 聖書時代,「むち棒」という語(ヘブライ語はシェーヴェト)は羊飼いが用いるような“棒”または“杖”を意味していました。10 この文脈では,権威のむち棒は,厳しく残虐な行為ではなく,愛ある導きを示唆しています。―詩編 23:4と比較してください。

      c ものみの塔聖書冊子協会発行の「幸せな家庭を築く秘訣」と題する本にある,「幼い時から子供をしつける」,「伸び伸びと成長するよう十代の子供を援助する」,「家の中に反抗者がいますか」,「ご家族を破壊的な影響から守ってください」といった章をご覧ください。

      [24ページの拡大文]

      聖書は家族生活について,明確で道理にかなった助言を与えている

      [23ページの囲み記事]

      健全な家族の特色

      数年前,教育者であり家族問題の専門家でもある人が広範な調査を行ない,家族の援助を専門とする500人以上の人たちに,“健全な”家族に見られる特質についての注解を求めました。興味深いことに,非常に多くの人が挙げた特質の幾つかは,ずっと昔,聖書が勧めていたものでした。

      それらの特質の中でトップの座を占めたのは,良いコミュニケーションを習慣とすることでした。それには,意見の相違を調整する効果的な方法も関係しています。健全な家族に共通して見られたのは,「だれも,他の人に対して怒りを抱いたまま床に就かない」という方針だった,と調査書の執筆者は書きました。6 しかし聖書は,すでに1,900年余り前に,「憤っても,罪を犯してはなりません。あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」というアドバイスを与えていたのです。(エフェソス 4:26)聖書時代は日没から日没までを一日と数えました。ですから聖書は,現代の専門家たちが家族について研究するずっと前から,不和を生じさせる問題は早いうちに,つまり一日が終わり,次の日が始まる前に解決するように,と賢明にアドバイスしていました。

      上記の執筆者は,健全な家族が「家を出る直前や就寝時には,口論になりそうな話題を持ち出さない」ことに気づきました。「私は『適切な時に』という表現を幾度となく耳にした」7 とも書いています。そのような家族は知らずして,「適切な時に話される言葉は,銀の彫り物の中の金のりんごのようだ」という,2,700年以上前に記された聖書の格言を繰り返しているのです。(箴言 15:23; 25:11)この直喩は,彫刻の施された銀の盆の上に置かれた,りんごの形をした金の装飾品のことを言っているのでしょう。これは聖書時代の貴重な美しい財産でした。この格言が伝えているのは,ふさわしい時に語られる言葉は麗しく価値があるということです。張り詰めた状況にあるとき,適切な時に発せられる適切な言葉には計り知れない価値があります。―箴言 10:19。

      [26ページの囲み記事]

      人間関係のための実際的な導き

      「気をかき乱されるがよい。だが,罪をおかしてはならない。言いたいことは心の中で,寝床の上で言い,黙っていよ」。(詩編 4:4)間違いがささいなものであれば,大抵は言葉を抑え,感情的な対立を避けるのが賢明でしょう。

      「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」。(箴言 12:18)話す前に考えましょう。無思慮な言葉は他の人を傷つけ,友情を破壊することがあります。

      「温和な答えは激しい怒りを遠ざけ,痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」。(箴言 15:1)温和に返答するには自制が必要ですが,そうした方法はしばしば問題を和らげ,平和な関係を促進します。

      「口論の始まりは人が水を噴き出させるようなものである。それゆえ,言い争いが突然始まってしまう前にそこを去れ」。(箴言 17:14)自分の怒りが爆発する前に,険悪な状況から離れるのは賢明なことです。

      「憤りを表わすのに速くあってはならない。憤りは愚か者が抱くものだからである」。(伝道の書 7:9,「新英訳聖書」)大抵の場合,まず感情があって行動がそれに続きます。腹を立てるのに速い人は愚かです。その人は軽率な言動に走ることがあるからです。

      [25ページの図版]

      エホバの証人は,強制収容所に最初に入れられた人たちの中に含まれていた

  • 預言の書物
    すべての人のための書物
    • 預言の書物

      人は将来に関心があります。天気予報から経済指標まで,幅広い問題に関する信頼できる予言を探し求めています。とはいえ,その種の予告に基づいて行動した結果,落胆することもよくあります。聖書には前途の予告や預言が多く含まれています。それらの預言はどれほど正確ですか。それは前もって書かれた歴史なのでしょうか。それとも,預言を装った歴史なのでしょうか。

      ローマの政治家カトー(西暦前234-149年)は,「占い師が,別の占い師を見ても笑わないのは不思議なことだ」と言ったと伝えられています。1 実際,現代においても,易者,占星術者,その他の占い師たちを疑ってかかる人は少なくありません。彼らの予言は得てしてあいまいな言い方で語られ,どのようにでも解釈できるようになっています。

      しかし,聖書の預言はどうでしょうか。疑うべき理由がありますか。それとも,確信できる根拠がありますか。

      単なる経験に基づく推測ではない

      聡明な人は観察可能な動向を基に,将来を正確に予測しようとするかもしれません。しかし,それが必ず的中するということは決してありません。「未来の衝撃」という本はこう述べています。「どの社会においても,現実化する公算の強い将来の姿が続々と提示されるだけでなく,現実化する可能性のある将来の姿が列挙されたり,望ましい将来像との矛盾が明らかにされたりする」。さらにこの本は,「もちろん,完全な意味で未来を『知る』ことはだれにもできない。仮説を体系化して深め,その仮説が現実化するよう努めるほかに方法がない」と付け加えています。2

      しかし聖書筆者は単に,将来に関する「仮説」が「現実化するよう」にしたのではありません。彼らの予言を,どのようにでも解釈できるあいまいな言葉として片づけることもできません。それとは逆に,預言の多くは異例なほど正確に語られ,極めて具体的であり,予想できそうな事柄の正反対を予言することもしばしばでした。一例として,聖書が古代都市バビロンについて事前に述べた事柄を取り上げてみましょう。

      『絶滅のほうきで掃かれる』

      古代バビロンは「もろもろの王国の宝石」となりました。(イザヤ 13:19,「新アメリカ聖書」)無秩序に広がるこの都市は,ペルシャ湾から地中海へ抜ける通商路の要地にあり,東西間の海上および陸上貿易における流通拠点となっていました。

      西暦前7世紀までに,バビロンはバビロニア帝国の首都として,難攻不落の様相を呈していました。この都市はユーフラテス川をまたぎ,その川の水を用いて広くて深い堀が造られ,運河が張り巡らされました。それに加え,この都市は堂々たる二重構造の防壁で保護され,それらの壁はおびただしい数の防御用の塔で支えられていました。バビロンの住民が安心しきっていたのも不思議ではありません。

      それにもかかわらず,バビロンが栄華を極める前の西暦前8世紀,預言者イザヤはバビロンが『絶滅のほうきで掃かれる』ことを予告しました。(イザヤ 13:19; 14:22,23)イザヤはバビロンがどのように倒壊するかも描写しています。侵略者たちは,堀のような防御の源である川を『干上がらせ』,その都市を攻撃しやすくするのです。イザヤは征服者の名前さえ明らかにしました。それはペルシャの大王「キュロス」であり,「その前に門は開かれ,扉は閉じられない」と記されました。―イザヤ 44:27–45:2,「新英訳聖書」。

      これらは大胆な予言でした。しかし,そうした予言は的中しましたか。歴史がそれに答えています。

      「戦わずして」

      イザヤが預言を記してから2世紀後,西暦前539年10月5日の夜に,キュロス大王の率いるメディア-ペルシャ軍がバビロンの近くに陣営を張りました。しかしバビロニア人たちは自信に満ちていました。ギリシャの歴史家ヘロドトス(西暦前5世紀)によると,バビロニア人には何年分もの糧食の備えがありました。3 ユーフラテス川とバビロンの強大な防壁が彼らを守っていました。にもかかわらず,その夜,ナボニドス年代記によれば,「キュロスの軍隊は戦わずしてバビロンに入城」しました。4 どうしてそんなことができたのでしょうか。

      ヘロドトスの説明によれば,都市の中は「祭りだったので,[人々は]踊り続け,浮かれ騒いで」いました。5 ところが外では,キュロスがユーフラテスの水流を変えていました。水位が下がったため,キュロスの軍隊は股のあたりまで水が引いた川床を進みました。彼らはそびえ立つ防壁を通過し,ヘロドトスの言う「開いていた川沿いの城門」を通り抜けました。それらの門は不注意にも開け放たれていたのです。6 (ダニエル 5:1-4; エレミヤ 50:24; 51:31,32と比較してください。)クセノフォン(西暦前431年ころ-352年ころ)を含む他の歴史家たち,および考古学者たちが発見した楔形文字の粘土板も,バビロンが突然キュロスの前に倒れたことを裏付けています。7

      バビロンに関するイザヤの預言はこのように成就しました。それとも本当は違うのでしょうか。これが実際には予言ではなく,事後に書かれた可能性はありますか。確かに,他の聖書預言についても同じ疑問が生じるかもしれません。

      預言を装った歴史なのか

      イザヤを含め聖書の預言者たちが,単に歴史を書き直し,預言に見せかけたのであれば,それらの預言者たちは頭の良い詐欺師にすぎません。しかし,どんな動機でそんな策略に走ったのでしょうか。真の預言者たちは,自分たちが買収されないことを知らせるのにやぶさかではありませんでした。(サムエル第一 12:3。ダニエル 5:17)また,すでに考慮したように,聖書筆者(その多くは預言者)が自分の犯した厄介な過ちさえも進んで知らせる信頼の置ける人であることは,確かな証拠によって裏付けられています。そのような人が歴史を預言と見せかけ,手の込んだ欺瞞を働くとは考えにくいことです。

      ほかにも考慮すべきことがあります。多くの聖書預言には,祭司や支配者を含む預言者自身の民を痛烈に糾弾する言葉が含まれています。例えばイザヤは,当時のイスラエル人が指導者も民も道徳的に嘆かわしい状態にあることを公然と非難しました。(イザヤ 1:2-10)祭司たちの罪を情け容赦なく暴露した預言者たちもいます。(ゼパニヤ 3:4。マラキ 2:1-9)なぜ預言者たちは,自分たちの民に対する最高に厳しい譴責の含まれた預言をでっち上げるのでしょうか。なぜ祭司たちは,そうした策略に協力したのでしょうか。何とも解しがたい話です。

      それに,預言者が単なるペテン師であったとして,そういう偽物をどのように作り上げることができたのでしょうか。イスラエルでは読み書きが奨励されていました。子供たちは幼いころから読み書きを教わりました。(申命記 6:6-9)聖書を個人的に読むことが強く勧められていました。(詩編 1:2)週ごとの安息日には会堂で公に聖書が読まれました。(使徒 15:21)読み書きができ,聖書に通じていた国民全体がそうした偽物に欺かれたとは,考えにくいように思えます。

      さらに,バビロンの倒壊に関するイザヤの預言には,もっと多くのことが関係しています。成就した後に書かれたとは全く考えられない詳細な情報が含まれているのです。

      「彼女は決して人の住む所とはならず」

      バビロンは倒れた後どうなりますか。イザヤは予告しました。「彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない。そしてアラブ人はそこに天幕を張らず,羊飼いもその群れをそこに伏させない」。(イザヤ 13:20)これほど地の利に恵まれた都市に永久に人が住まなくなるという予言は,控え目に言っても,奇妙に思えたかもしれません。イザヤが,荒廃したバビロンを見た後にこれを記した可能性はあるのでしょうか。

      キュロスに占拠された後,バビロンの勢力は衰えたものの,そこには何世紀も人が住み続けました。死海文書の中に,イザヤ書全巻の西暦前2世紀の写本が含まれていたことを思い起こしてください。この写本の巻き物が作られていたころ,バビロンを支配していたのはパルチア人でした。西暦1世紀にはバビロンにユダヤ人の居留地があり,聖書筆者のペテロはそこを訪れました。(ペテロ第一 5:13)その時点で,イザヤ書の死海文書はほとんど2世紀の間,存続してきたことになります。ですから,バビロンは西暦1世紀の時点で,まだ完全には荒廃していませんでした。しかしイザヤ書はそのずっと前に完成していたのです。a

      予告どおり,バビロンはついには「石の山」になりました。(エレミヤ 51:37)ヘブライ語学者のヒエロニムス(西暦4世紀)によれば,当時のバビロンは,「ありとあらゆる種類の野獣」がうろつく猟場になっていました。9 バビロンは今も荒廃したままです。

      イザヤは,人が住まなくなったバビロンを決して生きて見たわけではありません。しかし,バグダッドから南へ約80㌔,今のイラクにある,かつての強力な都市の遺跡は,「彼女は決して人の住む所とはなら(ない)」というイザヤの言葉の成就を無言のうちに証ししています。観光客誘致のためバビロンの復興を図れば,旅行客は誘い込まれるかもしれません。しかし,バビロンの「子孫と後裔」は永久に失せました。―イザヤ 13:20; 14:22,23。

      ですから預言者イザヤは,将来のどんな出来事にも当てはまる漠然とした予言を語ったのではありません。歴史を書き直して預言に見せかけたのでもありません。次のことも考えてください。強大なバビロンは二度と再び人の住む所とはならないという,自分の力では全くどうにもならない事柄を,どうしてペテン師があえて“預言する”でしょうか。

      バビロンの倒壊に関するこの預言は,聖書にある一例にすぎません。b 多くの人は聖書預言の成就に,聖書が人間より高い源から出ているに違いないということの証拠を見て取ります。恐らく皆さんも,この預言の書物には少なくとも調べる価値があるということに同意されるでしょう。一つのことは確かです。現代の占い師たちが語るあいまいな,あるいはセンセーショナルな予言と,明快かつ厳粛で具体的な聖書預言との間には大きな違いがあるのです。

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