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イエスが世界に及ぼした影響ものみの塔 2005 | 3月15日
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な魅力や影響力の面でイエスの足元にも及ばない。イエスは歴史上最も興味をそそる人物となった」。ヒンズー教の指導者モハンダス・K・ガンジーはこう述べました。「イエス以上に人類に貢献した人をわたしは知らない。実際,キリスト教には何も悪いところがない」。しかし,ガンジーはこう付け加えています。「問題はあなた方クリスチャンにある。あなた方は自分たちの教えに従っているとは到底言えない」。
キリスト教世界には,イエスの教えに従う面で失敗してきた長い記録があります。キリスト教の歴史家セシル・ジョン・カドゥーによると,「ある種の道徳的な緩みが教会全体に徐々に,また着実にはびこりつつあった」ことは「早くも……西暦140年ごろにクリスチャンの指導者たちの注意を」引いていました。カドゥーはこう述べています。「このように初期の道徳的厳格さが衰えたことは,必然的に世の様式に従う傾向を助長した」。
この傾向は,4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を受け入れた時に勢いを増しました。「歴史家たちが注目し,少なからず嘆いていることだが,教会はコンスタンティヌスとの協調関係により計り知れない妥協を強いられた」とカドゥーは書いています。そのとき以来,幾世紀にもわたって,自称クリスチャンたちはキリストの名に恥辱をもたらす邪悪な事柄を数多く行なってきました。
ですから,気になる疑問が生じます。イエスは実際にはどんなことを教えたのでしょうか。その教えは,わたしたちにどのような影響を与えるはずですか。
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イエス・キリストはあなたにどんな影響を与えますかものみの塔 2005 | 3月15日
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イエス・キリストはあなたにどんな影響を与えますか
前の記事で考えたとおり,イエスの教えが世界に影響を及ぼしてきたことに疑問の余地はありません。しかし,考慮すべき重要な質問があります。「イエスの教えは,わたし個人にどのような影響を与えるだろうか」というものです。
イエスの教えは非常に多くのテーマを扱っています。その貴重な教訓は,生活のあらゆる面に影響を及ぼします。では,生活の中で優先順位を定めること,神との友情を培うこと,他の人と良い関係を築くこと,問題を解決すること,暴力行為を避けることに関するイエスの教えに注目しましょう。
生活の中で優先順位を定める
今日の慌ただしい世の中で,時間と体力がどんどん奪われ,霊的な事柄が押しやられてしまうことは少なくありません。ある20代の男性の例を考えてみましょう。ジェリーと呼ぶことにします。ジェリーは霊的な話題で話し合うのが好きで,そうした会話から学ぶ事柄を高く評価していますが,こう嘆きます。「どうしても時間がなくて,いつもそういう会話をするというわけにはいきません。週に6日働いていて,休みは日曜日だけです。しなければならない用事を幾つか済ませると,もうくたくたです」。あなたも同じような厳しい状況にあるなら,イエスが山上の垂訓の中で教えた事柄から益を得られるでしょう。
イエスは,自分の話を聞きに集まった群衆にこう述べました。「何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい。魂は食物より,体は衣服より大切ではありませんか。天の鳥をよく観察しなさい。種をまいたり,刈り取ったり,倉に集め入れたりはしません。それでも,あなた方の天の父はこれを養っておられます。あなた方はそれらより価値のあるものではありませんか。……それで,思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」。(マタイ 6:25-33)この言葉から何を学べるでしょうか。
イエスは,わたしたちが自分や家族の身体的な必要をないがしろにすべきだと言っていたのではありません。「自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」と聖書は述べています。(テモテ第一 5:8)しかしイエスは,わたしたちが第一にすべきものを第一にし,霊的な事柄を優先させるなら,神が必ず他の必要を顧みてくださると約束しておられます。ここで得られる教訓は,優先順位を定めることです。この助言に従うなら幸福になれます。「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸い」だからです。―マタイ 5:3。
神との友情を培う
自分の霊的な必要を自覚している人は,神との良い関係を培う必要性を認識しています。だれかと良い関係を築くには,どうしますか。その人をよりよく知ろうとするのではないでしょうか。時間をかけて,その人の見方,態度,能力,成し遂げた事柄,好き嫌いなどを知るように努めます。神との友情を築く場合にも,同じことが当てはまります。神についての正確な知識が必要です。イエスはご自分の弟子たちについて神に祈った時,こう言いました。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)そうです,神との親密な関係を培うには,神を知ることが必要です。そのような知識の唯一の源は,神の霊感のもとに記されたみ言葉 聖書です。(テモテ第二 3:16)わたしたちは時間を取り分けて,聖書を研究しなければなりません。
しかし,知識だけでは不十分です。イエスは同じ祈りの中で,「彼ら[弟子たち]はあなたのみ言葉を守り行ないました」と述べています。(ヨハネ 17:6)神についての知識を取り入れるだけでなく,その知識と調和して行動しなければなりません。そうせずに果たして神の友になれるでしょうか。意図的にだれかの考えや原則に反する行ないをしておきながら,その人との友情がはぐくまれることなど本当に期待できるでしょうか。ですから,神の見方や原則は,生活のすべての面でわたしたちの歩みを導いているべきです。
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