あらゆる種類の人々の心を動かし,良いたよりを伝える
1 現在,日本の約22万人を超える王国宣明者は,精力的に野外奉仕に取り組んでいます。一方,野外の状況はここ数年の間に大きく変わりました。人々の活字離れが進み,多くの人は以前のように健全な読み物によって思いと心を養う代わりに,漫画本を読んだり,テレビやビテオを見たり,インターネットを通して情報を入手したりすることに心を奪われるようになりました。また,宗教的な事柄にかかわりたくないと考える人が増えています。これまで頼りにしてきた資産価値が目減りし,終身雇用の道が閉ざされ,社会の基盤が揺らぐようになった今,かつてないほど多くの人が自分と家族の将来について不安を抱いています。急激に変化してゆく社会の中で,「痛めつけられ,ほうり出されて」いるような人々がわたしたちの周囲には大勢います。(マタ 9:36)わたしたちは,このような変化にどのように対処すべきでしょうか。
2 これからは,一方的に聖書を説明するやり方ではなく,人々と会話する技術を習得することが一層求められます。そのためには,まず個々の奉仕者が自分の奉仕する区域の特徴や人々の考え方を理解するよう努めなければなりません。日本支部は,戸別伝道に関連した問題点を調査し,その対処方法について検討を重ねてきました。この機会にわたしたちは,日本の区域と人々についての分析結果,および野外の経験を積んだ多くの奉仕者たちが用い,効果的であることが実証された方法を皆さんにお分かちしたいと思います。
聖書的な背景のない人たちに良いたよりを伝える
3 日本人の多くは創造者の概念を持っていません。神道は自然そのものや人間を神格化し,人々を先祖崇拝と自然崇拝のとりこにしてきました。また,仏教にはもともと人格神,創造者の概念がありません。したがって,「神」という言葉についての人々の理解は,わたしたちの持つそれと大きく異なります。また,日本のキリスト教人口はわずか1%以下であり,聖書に接したことのない人たちがほとんどです。このような区域で奉仕を効果的に行なってゆくには,創造者の存在について考えさせ,聖書の価値を認識してもらえるよう人々を援助する必要があります。
地方的な特徴と人々を分析する
4 わたしたちは,自分の奉仕する区域の特徴について観察する必要があります。例えば,農村社会について考えてみてください。農村では同一の家が長年にわたって存続し,村民同士の緊密な関係を土台とした一種の地域共同体が形成されています。人々は農耕に必要な水を分け合い,農作業を中心として生活しているため,何よりも隣人との関係を大切にします。したがって,自分たちと異なった考え方をしたり行動を取ったりする人々を受け入れにくいと考えるかもしれません。一方,都市部では隣人との関係が希薄なため,地域共同体としてのまとまりが弱くなりがちです。人々の生活様式や仕事が多様化しているため,隣近所の付き合いも少なく,見知らぬ人に対する警戒心を強く持っているかもしれません。さらに,歴史と伝統のある町で生活している人は,古くからの生活習慣やしきたりの中で生活せざるを得ない状況にあり,新しい考えを取り入れることは容易ではありません。宗教都市とも言える町に住む人々は,宗教とのかかわりを持つことを余儀なくされます。
人々について分析する
5 人は,人生および宗教についてそれぞれ異なった考え方や見方を持っています。なぜでしょうか。人は他からの影響を受け,次第に独自の考え方を形成するようになるからです。主な影響力として,生まれ育った社会環境,学校や職場での交友や受けた教育,地域社会の習慣,家族や嫁ぎ先,近所の人々などを挙げることができます。親の愛を受けることなく大人になった人には,他の人を愛することを学ぶのに普通以上の努力と時間が求められます。精神的・霊的必要が満たされることなく,ただ幅広い知識を学び取るのに時間と労力を費やしてきた人は,宗教教育の必要性を認めにくいかもしれません。自然や人間を神としている人や,偶像を崇拝の対象としてきた人が造物主の概念を受け入れることは容易ではありません。
宣教活動に対する人々の受け止め方を分析する
6 人々は奉仕者に対して好意を抱いていますか。人々がわたしたちの訪問を拒否する理由はどこにあると考えられますか。音信そのものですか。それとも,わたしたちの伝道の仕方ですか。わたしたちは家の人にとって魅力ある存在となっていますか。彼らが関心を示す話題はどのようなものですか。
7 このように,地域の特徴や個々の人について分析すると,人々の考え方が一様ではなく,その地方で受け入れられる話題とは何かをある程度見定めることができます。また,証人に対する区域の人々の反応について観察したり分析したりすることも,わたしたちの携える音信を人々に受け入れやすいものにするのに大いに役立ちます。
観察と分析から教訓を引き出す
8 これまでの観察や分析からどんな教訓を引き出すことができますか。農村社会など家族や隣人との絆が強いところでは,関心を示した人だけではなく,家族の成員や近所の人たちとの関係を良いものにすることによって誤解を解き,問題の芽を早めに摘み取り,音信を受け入れやすい土壌を作り出すことができます。都市部では,人々は見知らぬ人を警戒しますので,礼儀正しく自己紹介した後,訪問の目的についてはっきり述べるのは賢明です。ある奉仕者は,「わたしたちは,セールスマンでも,会員を募ったり寄付集めをしたりしている者でもありません。地域社会の人々に関心を持ち,少しでも役立ちたいと思い,訪問している者です」と述べ,人々の不安な気持ちを取り除くことに努めています。
9 創造主に関する概念がないことをマイナス要因としてとらえるよりも,自然を,恵み深い造り主の,人間に対する気遣いの表われとして話題にすることができます。農村では,稲の生育を見守り秋に豊かな実りを授ける田の神を迎えます。農耕を営む人にとって,雨は「生ける神」に関する証であり,神の善良さの表われであることを話し合うことができます。(使徒 14:14-17)万病を癒してくれる仏として薬師如来を信仰する人々もいます。そのような人とは,「目ざめよ!」誌に載せられている健康に関する実際的な知恵や正確な情報に加え,啓示 21章4節にある慰めとなる聖書の音信を分かち合うことができるでしょう。
地域社会の人々と良い関係を築く
10 人々は見知らぬ人の訪問を心配します。セールス,宗教への勧誘,寄付集め,塾の生徒の募集など様々な目的で人々が家を訪問するため,初対面の人とあまり話をせず,すぐに断わろうとする人が多くいます。こうした障害を克服するためには,エホバの証人の一人として日ごろから近所や地域社会の人々と良い関係を保つことが必要です。近所の人には,顔見知りの人として元気よくあいさつをし,短い会話を交わすことを習慣としてください。一人の姉妹は「いただいたお菓子があるので一緒に食べませんか」と近所の主婦に声をかけて家に招き,ごく自然に自分たちのことを知ってもらうようにしています。また,地域の定期清掃に参加して近所の人々との交流を図り,知り合いになったうえで非公式の証言を行なっています。奉仕の時も,散歩している人や子供と共にいる人たちに声をかけています。このようにすることによって,エホバの証人がごく普通の人々であることが知られるようになると,近所の人は家を訪ねて来る奉仕者たちを受け入れやすくなります。
11 エホバの僕たちは,「平和の良いたより」を携えて平和な態度で家から家を訪ね平和の友を探します。(エフェ 6:15)人々は戸口に立つわたしたちの温和な話し方や上品な装い,そして子供の礼儀正しさを見てしばしば感銘を受けます。一人の主婦は玄関先で証言を始めた姉妹とそばに立っていた子供の振る舞いを見て,「聖書を学んだら,お宅のお子さんのようになるんですか」と尋ね,その場で研究が始まりました。
12 また,相手のことを気遣っていることが言葉や表情にはっきり表われるなら家の人に良い印象を与えます。ある姉妹は,「あなたのことがいつも思いの中にありましたので,おうかがいしました」と述べます。また,訪問先の家庭の子供,相手の特質などを目ざとく褒めます。それは家の人の心を動かす力となっています。
農村部で奉仕する
13 農村部では近所の人とのつながりを大切にするため,どちらかというと人々は周りの人からどう思われるかを気にします。“信頼できる人”と家の人に受け止めてもらうために,友好的で短い訪問を辛抱強く重ねる必要があります。最初の訪問から宗教的な話題を持ち出すよりも,天気や健康について尋ねたり,農作業の労をねぎらったり子や孫のことを話題にしたりすることもできるでしょう。お年寄りは,年配者を狙った悪質な物売りなどが多いため,普通以上に警戒心を抱きやすいものです。巧みな奉仕者たちはそうした点を心に留め,お年寄りに対して親しみ深く接し,笑顔を絶やさず,友達に話しかけるようにし,自分たちが家の人の心配するような者ではないことを伝え,警戒心を解くようにしています。
14 家の人に聖書の音信を話すときには,ゆっくり,はっきり,分かりやすく述べることを学ばなければなりません。聖書を見たことも読んだこともない人々にとって,わたしたちの語る直接的な聖書の音信は理解しがたいものとして受け止められることが少なくありません。パウロは,「異言で一万の言葉を話すより,むしろ自分の思いをもって五つの言葉を話し,こうして他の人たちを口頭で教え諭すこともできるようにと願う」と述べました。(コリ一 14:19)聖書的な考えを説明するときには,難しい言葉を分かりやすい言葉に言い換え,繰り返し説明しながら相手の理解を確かめることが必要です。話し合う話題は当然ながら家の人に応じたものが望ましいでしょう。多くの場合,家の宗教があるため,キリスト教について学ぶことには少なからず抵抗があるはずです。むしろ,「目ざめよ!」誌で取り上げられた「嫁と姑」(1990年2月22日号),「祖父母」(1999年3月22日号),「夫婦間のコミュニケーション」(1994年1月22日号)といった一般的な話題から話し合ってみることができるでしょう。
15 人々が人生や家の宗教についてどのように考えているかを徐々に,また巧みに知るように努めることができます。自分は現在の生活に満足しており,何の心配もしていないという人もいれば,病気や老齢のために不安を感じている人,家族や親しい友人を亡くして悲しみを経験している人など,いろいろなタイプの人がいます。
16 地方では,代々,寺とかかわりを持ってきた家が少なくありません。多くの人は,経典を読んだり定期的に教えを聞いたりしておらず,昔からの慣習に基づき仏事を行なっています。そのような人たちと死者の状態について,次のように話し合うことができるかもしれません。「年を重ねてゆくと,同年輩の人や親しい友人が亡くなったという知らせを聞き,悲しい思いをすることがあります。『なぜあの方が』とか,『もっと長生きしてほしかった』と考え,人は死ぬとどうなるのだろうと疑問に思う方によくお会いします。__さんは,どのようにお考えですか」。
17 また,「事故などに遭い,頭を強く打つと意識不明になることがあります。しかし,もっと強く頭を打つと人は死んでしまいます。では,死んだ人に意識はあると思いますか」と尋ねて考えさせ,会話への糸口をつかむこともできます。
18 あるいは,次のように尋ねることもできます。「人の死後については様々な意見があります。死んだら『極楽や地獄に行く』という人もいれば,『いろいろな生き物に生まれ変わる』という考え方をする人もいます。一方,『死んだら無になる』という考えの人もいます。信じていることが違えば,死後の行き先はそれぞれ別になるのでしょうか。それとも,すべて同じでしょうか」。こうした質問がきっかけとなり,再訪問が続くようになるかもしれません。
19 関心事は人によって異なりますので,予断するのは賢明ではありません。家庭や職場,学校,地域社会で人々が抱える様々な問題に聖書の実際的な知恵を当てはめ,解決に取り組んでみるよう励ますこともできます。家の人は,聖書の教えが役立つことを経験し,新しいものを学んでみようという気持ちになるかもしれません。
都市部で奉仕する
20 都市部は,その土地で生まれ育った人と他の場所から移り住むようになった人たちとで構成されています。緊密な人間関係が見られる地域は別として,新たに開発されたニュータウンなどは近所同士の付き合いはそれほど多くないようです。人々の生活は多様化し,特に情報化社会と言われる今日,わたしたちは人々を一様に考えるわけにはいきません。むしろ,背景の異なる家族や個人に対して,『ユダヤ人にはユダヤ人のように,ギリシャ人にはギリシャ人のように』話しかける必要があります。―コリ一 9:20。
21 経験を積んだある奉仕者は,区域の人々を観察し,家の人の霊的な事柄への関心のレベルを五つの段階に分類しています。
霊的食欲5: 霊的な事柄に関心があり,聖書に好印象を持っている人 ―「求め」
霊的食欲4: 霊的な事柄に多少の関心はあるが,聖書を読んだことがない人
―「見よ!」,『神は気遣っておられますか』
霊的食欲3: 特に信仰もなく,霊的な事柄に関心があるわけではないが,自分が興味
を持つ話題や自分が抱えている問題については話し合いに応じる
―「家族生活」,「目ざめよ!」誌
霊的食欲2: 話し合いをするだけの時間がない人 ― 雑誌経路
霊的食欲1: 話し合いに応じないものの感じ良く断わる人
― 友好関係を築き,メモを用いて再訪問を行なう
22 別の奉仕者は,家の人が霊的な飢えをまったく感じていないように思える場合でも真理の水をごく少量与え,徐々に関心を高めています。(マタ 5:3)その奉仕者は,家の人を納得させるような話題をいくつも準備しています。例えば,創造者がいると言えるのはなぜか,進化論はどうか,人口爆発の問題をどう考えるか,多くの宗教があるのに真の宗教をどのように見分けることができるかといった話題です。この奉仕者は,家の人の関心に応じて,準備したカードを用いながら興味深い話し合いをしています。
23 都市部では様々な娯楽施設や文化施設があり,種々の催し物が周期的に開かれており,人々の関心事は多方面にわたっています。そのため,奉仕者自身が身の回りで生じている出来事に通じ,人々に共感できるようになることが成功の秘訣の一つです。それで,区域の人々が普段考えている話題に通じるために,新聞(社説・家庭欄・教育欄),市町村の広報,自治会ニュース,学級通信,PTA通信などから有用な情報を集め,活用することができます。ある姉妹は子育てに励む主婦と有意義な会話ができるよう,専用のファイルを作成しています。そこには,「目ざめよ!」誌,1997年8月8日号を土台に,市の広報の記事の一部や,子供が通っている学校の先生から分けてもらった生活指導に関するプリントなどが体裁良く織り交ぜられています。また,新聞の投書欄から世代ごとの関心事を知るようにして,会話に役立てている人もいます。
今後の宣教に意欲的に取り組む
24 宣教で家の人と会話するのは難しいと感じている奉仕者は少なくありません。しかし,わたしたちは日常会話をそれほど苦にせず行なっているのではないでしょうか。必要なのは,(1)地元の出来事について意見を求める,(2)地元の出来事について話す,(3)相手を褒める,(4)家の人に役立つ情報を手短に伝えることです。若い奉仕者であれば,「目ざめよ!」誌に掲載されている「若い人は尋ねる」の記事をよく調べ,その中から共通の話題と思えるものを選び,学校や区域内の若い人たちと話し合うことができるかもしれません。すべての奉仕者が健全な読書の習慣を身につけ,いろいろな分野の知識を増やすことを目標とすることができるでしょう。とりわけ,「目ざめよ!」誌は聖書に関する情報だけでなく,多方面にわたる情報を載せています。情報を多く取り入れるならば,それだけ話題が増えていきます。
25 こうしたことを習慣にすると,わたしたちの奉仕は大変楽しいものになります。奉仕者と家の人双方が,会話することに慣れるまでにしばらく時間がかかるかもしれませんが,主の業に対する労苦が無駄に終わることはなく,エホバからの祝福を経験するようになるに違いありません。(コリ一 15:58。箴 10:22)たとえ宣教で期待したような成果が得られないとしても,このような奉仕を通してわたしたちは,霊の実を豊かに結ぶクリスチャンとして成長することができるのです。
26 今や世の中は大きく変化しながら預言の成就に向けて突き進んでいます。人々の生活様式や考え方,関心事は明らかに世の影響を受けています。状況の変化に伴い,今奉仕者に求められているのは,宣教に関するこれまでの経緯を見据えた上での創意工夫です。わたしたちは,幾十年にもおよぶこれまでの宣教活動の上に新たなものを築いてゆきたいと思います。
27 人々をよく観察し,生活習慣を分析し,宣教面で役立つ教訓を引き出すよう努力しましょう。聖書的背景のない人,農村部や都市部で生活する人々は,おのずと関心事が異なります。
28 一方的に証言するのではなく,家の人と会話することを学ぶ必要があります。さらに,クリスチャンとして健全な生活を送り,霊の実を豊かに結び,地域社会の人々にとって魅力的なクリスチャンであることも大切です。王国の良いたよりを語り,クリスチャンとしての光をいっぱいに輝かせるとき,エホバは今後のわたしたちの奉仕を大いに祝福してくださるに違いありません。(マタ 5:16)近い将来の「王国宣教」では,新しい聖書研究を取り決めるための再訪問に関する記事が折り込みに掲載される予定です。ぜひそれを楽しみになさってください。