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  • 人に対する恐れはゼデキヤ王にとってわなとなる
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 7/1 28–29ページ

人に対する恐れはゼデキヤ王にとってわなとなる

「人に対するおののき」,すなわち人に対する恐れに屈することは『わなとなるが,エホバにより頼んでいる者は保護される』ということを思い起こさせる神の言葉は至言です。(箴 29:25,新)受け継いだ弱さのゆえに,危険にさらされたり不快な思いをすることが少しでも分かっていたりすると,人は妥協する傾向があります。ですから,人の目や言葉を恐れると,自分が正しいと分かっている事柄であってもしりごみして行なわなくなることがあります。

例えば,クリスチャンであれば他の人々に聖書の真理について語らねばならないことを知っているでしょう。それはイエス・キリストやその初期の追随者たちに見倣うものです。それらの追随者の中には,「公にも家から家にも」人々を教えた使徒パウロも含まれています。(ルカ 8:1。使徒 20:20)ところが,他の人々の目や言葉を恐れる余り,しりごみしてこのクリスチャンの活動に携わろうとしない人がいます。人を恐れて妥協し,自らの身に災いを招いた著しい例となる人物がいます。それは2部族から成るユダ王国の最後の王,ゼデキヤです。

約束を守る面での挑戦

ゼデキヤは元の名をマッタニヤと言い,ヨシヤ王の息子で,ヨシヤの妻ハムタルから生まれました。甥のエホヤキン王がバビロンへ捕らわれて行った時,マッタニヤはバビロンの王ネブカデネザルに従属する王とされました。その時にネブカデネザルは,マッタニヤという名をゼデキヤという名に変えさせました。その名には「エホバは義」という意味があります。ゼデキヤはネブカデネザルに忠節を保つことをエホバの名によって誓うよう求められました。では,ゼデキヤは誓いの加えられたその約束を守るでしょうか。―列王下 24:12,17,18。歴代下 36:13。エレミヤ 37:1。

しばらくの間ゼデキヤは約束を守りました。しかし,バビロニア人に対して反乱を起こすよう扇動する自国の有力な君たちの圧力にやがて屈してしまいました。そこで,ゼデキヤは約束を破ってネブカデネザルに反旗を翻し,エジプトに助けを求めました。この反乱を鎮圧するため,バビロンの王は軍勢を率いてエルサレムに攻め上り,ゼデキヤの治世の第9年にその都市を包囲しました。―エレミヤ 52:3,4。エゼキエル 17:15。

ゼデキヤが預言者エレミヤに人をやって,エルサレムがどうなるかを尋ねたのは,この包囲が始まった時のことのようです。エレミヤを通して与えられたエホバの言葉は,その都市を守ろうとする努力すべては必ず失敗に終わることを警告していました。唯一の逃れ道は包囲軍に降伏することである,とエレミヤは語りました。―エレミヤ 21:1-10。

しかし,あわれみを示されたいなら,ゼデキヤ王とその配下の者たちには取るべき道がほかになかったわけではありません。エホバはご自分の預言者エレミヤを通して次のような勧めをお与えになりました。「朝ごと,公正をもって裁きを下し,かすめられている者を,だまし取る者の手から救い出せ。わたしの激怒が火のように出て行って,実際に燃え,あなた方の行動の悪ゆえにそれを消す者がいなくなるようなことのないためである」― エレミヤ 21:12,新。

包囲されている間,ゼデキヤとその君たち,およびエルサレムの人々は,神の律法にこたえ応じることを何か行なってエホバの恵みを勝ち得ようとしました。その年はヨベルの年ではありませんでしたが,人々はヘブライ人の奴隷を男女とも解放するという協定を結び,その言葉通り奴隷たちを解放しました。ところが,エルサレムを助けるためにエジプトの援軍がやって来て,バビロン軍がエジプト軍の脅威に対処するため包囲を解くと,人々は考えを変えました。奴隷たちを連れ戻し,再び有無を言わせず隷属の身にしてしまったのです。ゼデキヤ王はこれに対してどんな手を打ちましたか。

王は,君たちや民がヘブライ人の奴隷を解放するという自分たちの協定を破っても,それをとどめようとはしませんでした。そうした行動がいかに悪いことであるかは承知していましたが,それら有力者たちの不興を買うことを恐れたのでしょう,王はそうした邪悪な行為を見て見ぬふりをしました。ですから,エルサレムに災難が臨むことは目に見えていました。エホバは堕落した民を救われることはないからです。―エレミヤ 34:8-22; 37:5。

カルデヤ人に投降しようとしたとの偽りの告発を受けてエレミヤが投獄された後のこと,エルサレムが再び包囲されると,ゼデキヤはエレミヤを呼びにやりました。これから先の事態について尋ねる王に対し,エレミヤは,「バビロンの王の手に,あなたは渡されます!」と言いました。そしてエレミヤはこの機に,自分をヨナタンの家での監禁状態に戻さないで欲しいと,ゼデキヤ王に嘆願しました。王はこの求めに応じ,エレミヤは「警備の中庭に拘禁」されることになりました。―エレミヤ 37:11-21,新。

再び恐れに屈する

ゼデキヤはエレミヤが不公正な仕打ちを受けていることを知っていました。しかし,エレミヤが民の士気を低下させているとして,君たちが後日エレミヤを告発した時,ゼデキヤはその預言者を守るために何の手も打ちませんでした。再び人に対する恐れに屈し,ゼデキヤはエレミヤを君たちの手に与えて,「見よ,彼はあなた方の手の中にある。王があなた方に打ち勝てる事は一つもないからだ」と言いました。君たちはエレミヤを連れて行って泥の多い水溜に投げ込み,そこで死なせようとしました。エチオピア人の宦官エベデメレクの勇気ある介入がなかったなら,エレミヤはその中で死んでいたに違いありません。

後にゼデキヤ王はもう一度エレミヤと個人的に会います。エレミヤは再び,バビロニア人に降伏することによってのみエルサレムは救われる,と王に告げます。ところが,ゼデキヤは霊感によるエレミヤの助言に従いませんでした。なぜなら王は,すでにバビロニア人に投降していたユダヤ人の手に渡され,それらのユダヤ人の拷問を受けることを恐れていたのです。その話合いの内容をユダの君たちに明かさないようエレミヤに求めたことにも,人に対するゼデキヤの恐れが表われています。―エレミヤ 38:1-28。

エレミヤの予告通り,エルサレムはバビロニア人の手に落ちました。ゼデキヤの治世の第11年に,敵の軍勢は同市の城壁を破りました。ゼデキヤと兵士の一隊は夜陰に乗じて逃れましたが,エリコの荒野で追い付かれました。裁きを受けるためネブカデネザルの前に連れて来られたゼデキヤは,まず自分の息子たちが殺されるのを目撃します。それから,目をつぶされてバビロンへとりことして連れて行かれました。人に対する恐れは確かにゼデキヤにとってわなとなったのです。―エレミヤ 52:9-11。

ゼデキヤの事例は人に対する恐れがわなになることを如実に物語っています。人に対する恐れに対抗するどんな手段がありますか。エホバに信仰を働かせ,神の不興を買うことを恐れるのです。「エホバを恐れることには強い確信があ(る)」からです。(箴 14:26,新)また,人に対する恐れに立ち向かうのに役立つもう一つのものは,神の聖霊です。それは,「憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの霊」だからです。―テモテ第二 1:7。

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