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サンヘドリンでの裁判の後,ピラトの所へ連れていかれるイエス 道,真理,命
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127章
サンヘドリンでの裁判の後,ピラトの所へ連れていかれる
マタイ 27:1-11 マルコ 15:1 ルカ 22:66–23:3 ヨハネ 18:28-35
朝に行われたサンヘドリンでの裁判
ユダ・イスカリオテは首をつって死のうとする
イエスはピラトの所へ連れていかれ,訴えられる
ペテロがイエスを知らないと3度言ったのは,夜明けごろでした。サンヘドリンは形だけの裁判を終え,解散しています。しかし金曜の朝,彼らは再び集まります。それは,昨晩の違法な裁判を合法的に見せ掛けるためなのでしょう。イエスはサンヘドリンの前に連れ出されます。
彼らはもう一度,「もしあなたがキリストなら,そう言いなさい」と命じます。それに対しイエスは,「たとえ言っても,あなた方は全く信じないでしょう。また,質問しても,あなた方は答えないでしょう」と言います。しかしイエスは勇敢にも,自分がダニエル 7章13節で予告されていた人物だと明言します。「今後,人の子は強力な神の右に座ります」。(ルカ 22:67-69。マタイ 26:63)
すると彼らは,「では,あなたは神の子なのか」と念を押します。イエスは,「あなた方自身が私のことをそう言っています」と答えます。これを根拠にしてイエスを冒瀆の罪で死刑にできそうです。そこで彼らは,「どうしてこれ以上,証言が必要でしょうか」と言います。(ルカ 22:70,71。マルコ 14:64)それからイエスを縛り,ローマ総督ポンテオ・ピラトの所へ引いていきます。
ユダ・イスカリオテはイエスがピラトの所へ連れていかれるのを見たのでしょう。イエスが有罪とされたのを知り,後悔と絶望の気持ちに襲われます。しかし,心から悔い改めて神に許しを求めることはせず,銀30枚を返すため祭司長たちの所へ行きます。そして,「私は無実の人を裏切って罪を犯した」と言います。すると彼らは冷酷な態度で,「私たちの知ったことではない。あなたが始末すべきことだ!」と答えます。(マタイ 27:4)
それでユダは銀30枚を神殿へ投げ込みます。そして自殺を図り過ちを重ねます。首をつろうとしますが,縄を結んだ木の枝が折れたようです。ユダは岩の上に落ち,体が裂けてしまいます。(使徒 1:17,18)
イエスは朝早くポンテオ・ピラトの邸宅に連れていかれます。しかし,イエスを連れてきたユダヤ人たちは中に入ろうとしません。異邦人と接するなら身を汚してしまうと考えているからです。身を汚すなら,無酵母パンの祭りの初日であるニサン15日の食事ができなくなるのです。その日も過ぎ越しの期間とされていました。
それでピラトは出てきて,「どんな理由でこの人を訴えるのか」と尋ねます。ユダヤ人たちは,「この男が悪事をしていなければ,あなたに引き渡したりはしません」と言います。ピラトは圧力を感じたようで,こう言います。「彼を連れていき,自分たちの律法に従って裁きなさい」。すると彼らは,「私たちが人を殺すことは許されていません」と言います。彼らがイエスを殺したいと思っていることは明らかです。(ヨハネ 18:29-31)
もし祭りの期間に,尊敬されているイエスを殺せば,大騒ぎになるでしょう。それで,ユダヤ人たちは責任を免れようとして,ローマ人に彼らの権限でイエスを政治犯として処刑させようと考えます。
宗教指導者たちは,自分たちがイエスを冒瀆の罪で有罪にしたことは話しません。別の罪状をでっち上げ,こう言います。「この男は[1]私たちの民を惑わし,[2]カエサルに税を払うことを禁じ,[3]自分が王キリストだと言っていました」。(ルカ 23:2)
ローマを代表する総督としてピラトが知りたいのは,イエスが自分を王だと名乗ったという罪状です。ピラトは邸宅に入ってイエスを呼び,「あなたはユダヤ人の王なのか」と尋ねます。つまり,あなたはカエサルに反抗して自分が王であると名乗ることでローマ帝国の法を破ったのか,ということです。ピラトがどの程度のことを耳にしているのか知るために,イエスは,「自分の考えでそう尋ねているのですか。それとも,ほかの人が私について告げたのですか」と質問します。(ヨハネ 18:33,34)
ピラトはイエスについて何も知らないことを認めつつ,知りたいという気持ちを表し,こう言います。「私がユダヤ人だとでも言うのか。あなたの国の人々と祭司長たちがあなたを私に引き渡したのだ。あなたは何をしたのか」。(ヨハネ 18:35)
イエスは自分が王なのかどうかという問題をはぐらかそうとはせず,ピラトがとても驚くような答えをします。
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ピラトもヘロデもイエスが無実であると認めるイエス 道,真理,命
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128章
ピラトもヘロデもイエスが無実であると認める
マタイ 27:12-14,18,19 マルコ 15:2-5 ルカ 23:4-16 ヨハネ 18:36-38
イエスはピラトとヘロデから取り調べを受ける
イエスは自分が王であることをピラトに隠そうとはしません。しかし,自分の王国がローマにとって危険な存在ではないことを,次のように説明します。「私の王国はこの世のものではありません。もし世のものだったら,私に付き従う者たちは,私をユダヤ人たちに渡さないように戦ったでしょう。しかし実際は,私の王国はこの世からのものではありません」。(ヨハネ 18:36)イエスの王国は地上のものではないのです。
ピラトはイエスの言葉から,イエスが王であることを理解します。しかし,もう一度,「それでは,あなたは王なのだな」と質問します。イエスはピラトが正しいことを認め,こう答えます。「あなた自身が,私が王だと言っています。真理について証言すること,このために私は生まれ,このために私は世に来ました。真理の側にいる人は皆,私の声を聞きます」。(ヨハネ 18:37)
以前イエスはトマスに,「私は道であり,真理であり,命です」と語ったことがあります。そしてピラトも,イエスが地上に来たのは,「真理」について証言するためだということを知りました。その真理とは,特にイエスの王国についての真理です。イエスは命を失うとしても,その真理に忠実であることを決意しています。ピラトは,「真理とは何か」と言います。でも,それ以上の説明を聞こうとはしません。裁きを下すのに必要なことはもう十分聞いたと感じたのです。(ヨハネ 14:6; 18:38)
ピラトは外で待っているユダヤ人たちの所に戻ります。そして,恐らくイエスを自分の横に立たせ,祭司長たちとその支持者たちに,「この男は犯罪など犯してはいない」と言います。すると彼らは怒り,「彼はユダヤ全土で教えて民をあおっています。ガリラヤから始めてここまで来たのです」と強く言い張ります。(ルカ 23:4,5)
ユダヤ人たちが狂ったように抗議するのを見てピラトはあっけにとられたに違いありません。そこでイエスに,「この人たちがあなたに不利な証言をこんなに多く行っているのが,聞こえないのか」と尋ねます。(マタイ 27:13)でもイエスは何も答えません。怒り狂った人々を前にしても穏やかなイエスを見てピラトは驚きます。
ユダヤ人たちが,イエスは「ガリラヤから始め」た,と言うのを聞いてピラトは,イエスがガリラヤ人であると知ります。そして,イエスを裁かずに済む良い方法を思い付きます。ちょうど,ガリラヤの支配者ヘロデ・アンテパス(ヘロデ大王の子)が過ぎ越しの時期にエルサレムに来ていたのです。それでピラトはイエスをヘロデの所に送ります。ヘロデ・アンテパスはバプテストのヨハネの首をはねた人物です。イエスが奇跡を行っているといううわさを聞いたヘロデは,ヨハネが生き返ったのではないかと不安に思っていました。(ルカ 9:7-9)
ヘロデはイエスに会えるので喜びます。イエスを助けたいとか,イエスの罪状が事実かどうか本気で知りたいとか思っているわけではありません。ただ好奇心があるだけです。「イエスが行うしるしも見たいと思って」います。(ルカ 23:8)しかし,イエスはヘロデの好奇心を満たすことは何もしません。ヘロデから質問されても何も答えません。がっかりしたヘロデは,兵士たちと一緒に「イエスを侮辱」します。(ルカ 23:11)さらに,イエスにきらびやかな服を着せてあざけった後,ピラトの所にイエスを送り返します。それまでヘロデとピラトは敵同士でしたが,この時以降,親しくなります。
ピラトはイエスが送り返されてくると,祭司長と支配者たち,また民を呼び集め,こう言います。「あなた方の前で取り調べたが,あなた方が訴えているような罪は全く見つからなかった。それはヘロデも同じだ。彼を私たちに送り返してきた。彼は死に値することは何もしていないのだ。それで,彼を懲らしめてから釈放する」。(ルカ 23:14-16)
ピラトは何とかイエスを釈放したいと思っています。祭司長たちがねたみゆえにイエスを引き渡したことに気付いたからです。そうしているうちに,イエスを釈放しようという気持ちを強める別の出来事が生じます。ピラトが裁きの座に座っている間に,妻から次のような伝言が届いたのです。「その無実の人に関わらないでください。私は今日,その人のことで[神からのものと思われる]夢の中でとても苦しんだのです」。(マタイ 27:19)
ピラトは釈放すべき無実の人をどうしたら釈放できるでしょうか。
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ピラトは「見なさい,この人だ!」と宣言するイエス 道,真理,命
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129章
ピラトは「見なさい,この人だ!」と宣言する
マタイ 27:15-17,20-30 マルコ 15:6-19 ルカ 23:18-25 ヨハネ 18:39–19:5
ピラトはイエスを釈放しようとする
ユダヤ人たちはバラバを釈放するよう求める
イエスはばかにされ虐待される
ピラトはイエスの死を望む人々にこう言います。「あなた方が訴えているような罪は全く見つからなかった。それはヘロデも同じだ」。(ルカ 23:14,15)そして,イエスを助けようとして別の方法を試み,人々にこう尋ねます。「あなた方の習慣に従って,過ぎ越しの時に1人を釈放することになっている。ユダヤ人の王を釈放してほしいか」。(ヨハネ 18:39)
ピラトは,強盗,扇動家,殺人犯として有名なバラバという囚人を知っています。それでこう質問します。「どちらの人を釈放してほしいのか。バラバか,それともキリストといわれるイエスか」。祭司長たちにあおられた人々はバラバを釈放するよう求めます。ピラトはもう一度,「2人のうちどちらを釈放してほしいのか」と質問します。人々は,「バラバを」と叫びます。(マタイ 27:17,21)
ピラトは動揺し,「では,キリストといわれるイエスの方はどうしたらよいか」と聞きます。人々は,「杭に掛けろ!」とわめきます。(マタイ 27:22)彼らは無実の男性の死を求めたのです。ピラトはさらにこう訴えます。「この男がどんな悪事をしたというのか。死に値することは何も見つからなかった。それで,彼を懲らしめてから釈放する」。(ルカ 23:22)
ピラトは何度も粘りますが,怒り狂った群衆は,「杭に掛けろ!」と叫び続けます。(マタイ 27:23)人々は宗教指導者によってあおられ,狂ったようにイエスを殺そうとします。犯罪者や殺人犯の死を求めているのではありません。無実の男性,しかもたった5日前には王としてエルサレムに迎え入れられた人を殺そうとしているのです。もしイエスの弟子たちがその場にいたなら,黙って目立たないようにしていたでしょう。
ピラトはいくら訴えても無駄であることに気付きます。それで,叫び声が大きくなる中,そばにあった水で人々の前で手を洗い,「この人の血について私は潔白だ。あなた方自身が責任を負わなければならない」と言います。その言葉を聞いても,人々は静まりません。むしろ彼らは,「彼の血はわれわれとわれわれの子に降り掛かってもよい」とまで言います。(マタイ 27:24,25)
ピラトは何が正しいかは分かっていますが,民を満足させたいという気持ちに負けてしまいます。彼らの声に従ってバラバを釈放し,イエスの服を剝いでむちで打たせます。
残酷なむち打ちが終わると,兵士たちはイエスを総督の邸宅に連れていきます。そして全部隊が集まり,イエスにさらに虐待を加えます。まず,いばらで編んだ冠をイエスの頭に押し付けます。そしてイエスの右手にアシを持たせ,王が着るような紫の長い衣を着させます。それからばかにして,「ごあいさつ申し上げます,ユダヤ人の王よ!」と言います。(マタイ 27:28,29)またイエスに唾を掛け,顔を平手打ちします。イエスが持っている丈夫なアシを取ってイエスの頭をたたきます。イエスを侮辱する冠の鋭いとげは,頭皮を突き破って深く刺さったでしょう。
こうした虐待を受けてもイエスが威厳と強さを保っていることにピラトはとても感銘を受けます。そしてイエスを処刑する責任を何とか免れようとして別の手を試し,ユダヤ人たちにこう言います。「さあ,彼をあなた方の前に連れ出す。何の過失も見つけられないのだ」。傷だらけで血まみれになったイエスを見れば,彼らも少しはおとなしくなるとピラトは思ったのでしょうか。ピラトはイエスを非情な民の前に連れ出し,「見なさい,この人だ!」と宣言します。(ヨハネ 19:4,5)
ピラトのその言葉には敬意と同情心が感じられます。イエスは痛めつけられ傷だらけになっても,ピラトが認めざるを得ないほど,静かな威厳と穏やかさを保っていたのです。
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イエスは引き渡され,処刑場所へ連れていかれるイエス 道,真理,命
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130章
イエスは引き渡され,処刑場所へ連れていかれる
マタイ 27:31,32 マルコ 15:20,21 ルカ 23:24-31 ヨハネ 19:6-17
ピラトはイエスの釈放を試みる
イエスは有罪とされ,処刑場所へ連れていかれる
イエスは残酷な虐待を受けてばかにされます。ピラトは何とかイエスを釈放しようとします。しかし,祭司長とその支持者たちの態度は変わりません。何としてでもイエスを殺したいと思っています。それで,「杭に掛けろ! 杭に掛けろ!」と叫び続けます。ピラトは,「自分たちで連れていって杭に掛けなさい。私は彼に何の過失も見つけられない」と答えます。(ヨハネ 19:6)
ユダヤ人たちは,政治犯としてイエスを殺させるのが難しいと知ると,今度は宗教上の罪状で訴えます。その罪状とは,彼らがサンヘドリンの裁判で持ち出した冒瀆の罪です。こう言います。「私たちには律法があり,その律法によれば,彼は死に値します。自分を神の子としたからです」。(ヨハネ 19:7)ピラトにとっては初耳です。
ピラトは邸宅の中に戻ります。そして,厳しい虐待を耐えているこの男性,また妻が夢で見たこの男性を何とか釈放する道はないかと考えます。(マタイ 27:19)自分を「神の子」としたという耳新しい罪状についてはどうでしょうか。ピラトはイエスがガリラヤ出身であることを知っています。(ルカ 23:5-7)それでもピラトはイエスに,「あなたはどこから来たのか」と質問します。(ヨハネ 19:9)イエスは人間になる前から生きている神かもしれない,と思ったのでしょうか。
イエスはピラトに対し,自分は王だが自分の王国はこの世のものではない,とすでに話しました。さらに説明する必要はありません。それでイエスは黙っています。ピラトはイエスが答えないのでプライドを傷つけられ,腹を立ててこう言います。「黙っているつもりか。あなたを釈放する権限も処刑する権限も私にあることを知らないのか」。(ヨハネ 19:10)
イエスはこう答えます。「天から与えられていなかったなら,あなたは私に対して何の権限もないでしょう。それで,私をあなたに引き渡した人の方が罪が重いのです」。(ヨハネ 19:11)イエスはここで,誰か1人のことを言っていたのではないようです。ピラトよりも,カヤファやその支持者たちやユダ・イスカリオテの方に重い責任があると言っていたのです。
ピラトはイエスの態度と言葉に心を動かされ,イエスは神ではないか,という恐れの気持ちが強まってきたこともあり,イエスを釈放する方法を再び探し始めます。ところが,ユダヤ人たちはピラトに恐れを抱かせる別の点を挙げ,こう脅します。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者は皆,カエサルに逆らっているのです」。(ヨハネ 19:12)
ピラトはイエスをもう一度連れ出し,裁きの座に座って,「見なさい,あなた方の王だ!」と民に言います。しかし彼らはそれを無視し,「殺せ! 殺せ! 杭に掛けろ!」と叫びます。ピラトは,「あなた方の王を私が処刑するのか」と反論します。ユダヤ人はこれまでローマの支配にいら立ちを募らせてきました。ところが祭司長たちもこの時だけは,「私たちにはカエサルのほかに王はいません」と平気な顔で言います。(ヨハネ 19:14,15)
ピラトはユダヤ人たちのしつこさに耐え切れなくなり,要求通りイエスを処刑するために引き渡します。兵士たちはイエスから紫の衣を剝ぎ取り,もともと着ていた外衣を着せます。イエスは引いていかれる際,自分で苦しみの杭を担いでいかなければなりません。
今はニサン14日金曜日の正午近くです。イエスは木曜日の早朝から一睡もしていません。しかも,苦しみに満ちた経験の連続でした。イエスは杭を引きずりながら進み始めますが,その重みに耐える力が尽きてしまいます。そこへ,アフリカのキレネから来たシモンという男性が通り掛かります。それで兵士たちはシモンに杭を処刑場所まで運ばせます。大勢の人がその後に付いていきます。胸をたたいて悲しむ人たちもいます。
イエスは悲しむ女性たちにこう言います。「エルサレムの女性たち,私のために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい。人々が,『子供ができない女性,また子供を産まなかった女性や乳を飲ませなかった女性は幸せだ!』と言う時が来るからです。その時人々は,山に向かって,『われわれにかぶさってくれ!』と言い,丘に向かって,『われわれを覆ってくれ!』と言いだします。木に生気がある時にこうしたことがなされるのであれば,枯れた時には何が起きるでしょうか」。(ルカ 23:28-31)
イエスはユダヤ国民のことを話しています。彼らは枯れていく木のようですが,まだ生気が残っています。イエスも,イエスに信仰を抱くたくさんの人たちもいるからです。しかし,イエスが殺され,神が弟子たちをユダヤ国民から取り去ると,同国民は神の目から見て枯れた木のような状態になります。そして,ローマ軍が神からの刑を彼らに執行する時,大きな悲しみが生じるでしょう。
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無実の王が杭の上で苦しむイエス 道,真理,命
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131章
無実の王が杭の上で苦しむ
マタイ 27:33-44 マルコ 15:22-32 ルカ 23:32-43 ヨハネ 19:17-24
イエスは苦しみの杭にくぎ付けにされる
頭上に掲げられた罪状ゆえにイエスはばかにされる
イエスは地上のパラダイスで生きる希望を与える
イエスは都からあまり遠くない所にある処刑場所へ連れていかれます。他の2人の強盗もそこで処刑されることになっています。そこはゴルゴタ,つまりどくろの場所とも呼ばれており,「離れた所」からもよく見えます。(マルコ 15:40)
有罪とされた3人は服を脱がされます。それから,鎮痛剤として没薬と胆汁を混ぜたぶどう酒が与えられます。エルサレムの女性たちが準備したようで,ローマ人の兵士もそれが与えられるのを止めません。でもイエスは少し味見した後,それ以上飲もうとしません。なぜでしょうか。重要な試練の間,感覚を鈍らせることなく,死ぬまで意識をはっきりと保って忠実でありたいと思っているのです。
イエスは杭の上に寝かされます。(マルコ 15:25)兵士たちがイエスの手と足にくぎを打ち込みます。くぎは肉と靱帯を貫通し,イエスの体に激痛が走ります。杭が垂直に起こされると,傷口が体の重みで裂けるため,痛みはもっと耐え難いものになります。しかし,イエスは兵士たちを大声でののしることなく,こう祈ります。「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」。(ルカ 23:34)
ローマ人には犯罪者の罪状を掲げる習慣があります。それでピラトは,「ナザレ人イエス,ユダヤ人の王」と書いたものを掲げます。大勢の人が読めるよう,ヘブライ語,ラテン語,ギリシャ語で書かれています。イエスを殺すよう強く求めたユダヤ人をピラトがいかに軽蔑していたかが分かります。罪状を見て動揺した祭司長たちは,「『ユダヤ人の王』とではなく,『自称ユダヤ人の王』と書いてください」と抗議します。ところが今回,ピラトは言いなりにならず,「私が書いたことだ」と答えます。(ヨハネ 19:19-22)
怒った祭司長たちはサンヘドリンでの裁判でしたのと同じ,うその証言を繰り返します。それで通行人たちも頭を振ってあざけり,次のような暴言を吐きます。「おやおや,神殿を壊して3日で建てる者よ,苦しみの杭から下りてきて自分を救ってみろ」。祭司長たちや律法学者たちも,「イスラエルの王キリストに,いま苦しみの杭から下りてきてもらおうではないか。そうしたら信じよう」と言います。(マルコ 15:29-32)イエスの両脇で杭に付けられている犯罪者たちまでが,ただ1人無実であるイエスのことを非難し始めます。
ローマの4人の兵士たちもイエスをからかいます。彼らは恐らくぶどう酒を飲んでいたのでしょう。それでイエスにも飲ませるまねをします。さらに,イエスの頭上にある罪状を見てばかにし,「ユダヤ人の王なら,自分を救ってみろ」と言います。(ルカ 23:36,37)考えてもみてください。道,真理,命である方が,不当な虐待と侮辱全てにじっと耐えているのです。自分を見ているユダヤ人たち,ばかにしてくるローマの兵士たち,両脇にいる犯罪者たちを非難することは決してありません。
4人の兵士はイエスの外衣を取り,4つに分けます。そして,くじを引いて分配します。しかし内衣は「縫い目がなく,上から下まで織った」上等のものでした。それで彼らは,「これは裂かないで,誰のものにするかをくじで決めよう」と言います。そのようにして,次の預言が実現します。「彼らは私の外衣を自分たちの間で分け,私の衣服のためにくじを引いた」。(ヨハネ 19:23,24。詩編 22:18)
しばらくすると,犯罪者の1人がイエスは本当に王であると認めるようになります。その人はもう1人の犯罪者を叱ってこう言います。「神を少しも畏れないのか。同じ処罰を受けているのに。われわれの場合は当然だ。自分がした事の報いを受けているのだから。しかしこの人は何も悪い事はしていない」。それから,「イエスよ,王国に入る時に私を思い出してください」と言います。(ルカ 23:40-42)
するとイエスは,「今日あなたに言います。あなたは私と共にパラダイスにいることになります」と言います。王国ではなくパラダイスです。(ルカ 23:43)これは,王国でイエスと一緒に王座に座るという使徒たちに対する約束とは違います。(マタイ 19:28。ルカ 22:29,30)とはいえこのユダヤ人の犯罪者は,エホバがアダムとエバに与えた地上のパラダイスについては聞いたことがあったでしょう。それで,この男性は死ぬ前に,地上のパラダイスで生きるという希望を抱くことができました。
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「確かにこの人は神の子だった」イエス 道,真理,命
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132章
「確かにこの人は神の子だった」
マタイ 27:45-56 マルコ 15:33-41 ルカ 23:44-49 ヨハネ 19:25-30
イエスは杭の上で亡くなる
イエスの死に伴って生じた不思議な出来事
「昼の12時」になりました。不気味な闇が「全土に垂れ込めて,午後3時にまで及」びます。(マルコ 15:33)これは日食によるものではありません。日食は新月の時しか生じません。しかし,今は過ぎ越しの時期で満月です。また日食の際の闇は数分しか続きませんが,今回はもっと長く続きます。ですからこの闇は神が生じさせたものです。
イエスをばかにしていた人たちはこの闇を見てどう思ったでしょうか。この時,4人の女性が苦しみの杭のそばに来ます。イエスの母親とサロメ,マリア・マグダレネと使徒の小ヤコブの母親マリアです。
使徒ヨハネは,「苦しみの杭のそば」でイエスの母親マリアと一緒にいます。マリアは自分が生んで育てた息子が杭に掛けられ,もだえ苦しんでいる姿を見つめています。「長い剣」で貫かれているような気持ちだったでしょう。(ヨハネ 19:25。ルカ 2:35)イエスは鋭い痛みがあるにもかかわらず,母親の今後のことを考えています。そして,ヨハネの方を顎で示し,母親に,「見なさい,あなたの子です!」と言います。次に母親の方を顎で示し,ヨハネに,「見なさい,あなたの母親です!」と言います。(ヨハネ 19:26,27)
イエスは,今ではやもめになっている母親の世話を,特別に愛していた使徒に託します。イエスがそうしたのは,自分の異父兄弟たちがまだイエスに信仰を抱いていなかったからです。それで,マリアを身体面で世話し,神への崇拝の面で支えるよう頼んだのです。これは立派な模範です。
午後3時ごろ,イエスは「喉が渇いた」と言います。こうしてイエスは聖書の預言を実現させます。(ヨハネ 19:28。詩編 22:15)イエスは,自分の忠誠を極限まで試すために父が保護を取り去ったと感じます。イエスはアラム語のガリラヤ方言と思われる言葉で,「エリ,エリ,ラマ サバクタニ」と大声で叫びます。これは,「私の神,私の神,なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味です。近くに立っていた人たちは勘違いし,「ほら,エリヤを呼んでいる」と言いだします。そのうちの1人が走っていき,酸味の強いぶどう酒を含ませた海綿をアシの先に付けて,イエスに飲ませようとします。他の人たちは,「このまま,エリヤが下ろしに来るかどうかを見よう」と言います。(マルコ 15:34-36)
その後イエスは,「成し遂げられた!」と叫びます。(ヨハネ 19:30)イエスは地上で行うよう父から命じられたこと全てを成し遂げたのです。最後にイエスは,「父よ,私の命をあなたの手に託します」と大きな声で言います。(ルカ 23:46)そして,エホバが自分を復活させてくださるという確信を抱きながら,頭を垂れて息を引き取ります。
その瞬間,強い地震が起き,岩が割れます。揺れが大きかったのでエルサレムの外にある墓が壊れ,死体が投げ出されます。人々はその死体を見て「聖都」つまりエルサレムに入り,起きた事を他の人たちに話します。(マタイ 27:51-53)
イエスが亡くなると,神殿の聖所と至聖所とを仕切っていた長くて重い幕が上から下まで2つに裂けます。この驚くべき出来事は,神の子を殺害した人たちに対する神の大きな怒りを表すものでした。それだけでなく,その時以降,人間が至聖所つまり天に行けるようになったことを示すものでした。(ヘブライ 9:2,3; 10:19,20)
当然ながら,人々はとてもおびえます。処刑に当たった士官は,「確かにこの人は神の子だった」と言います。(マルコ 15:39)士官は,ピラトの前で行われた裁判でイエスが神の子かどうかが話し合われた時,そこにいたのかもしれません。そして今,イエスが正しい人であり,まさに神の子であると確信したのです。
他の人たちも,起きた不思議な出来事に圧倒されて,深い悲しみや恥ずかしさのため「胸をたたきながら」家に帰ります。(ルカ 23:48)離れた所に立って見ていた人々の中には,イエスと一緒に時々旅をしていた大勢の女性の弟子たちもいます。その人たちも,これらの重大な出来事を見て心を大きく動かされます。
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イエスは葬られるイエス 道,真理,命
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133章
イエスは葬られる
マタイ 27:57–28:2 マルコ 15:42–16:4 ルカ 23:50–24:3 ヨハネ 19:31–20:1
イエスの体が杭から下ろされる
遺体を葬るための準備をする
女性たちは墓が空になっていることに気付く
ニサン14日金曜日の夕方になりました。日が沈めばニサン15日の安息日が始まります。イエスはすでに亡くなっています。でも,イエスの両脇で杭に掛けられている2人の犯罪者はまだ生きています。律法によれば,死体を「夜通し杭に掛けたままにすべきでは」なく,「その日のうちに」葬らなければなりません。(申命記 21:22,23)
また,金曜日は準備の日と呼ばれています。人々は食事の準備をし,安息日の後では間に合わない用事を済ませました。日が沈むと,「大安息日」が始まります。(ヨハネ 19:31)ニサン15日は7日間の無酵母パンの祭りの初日です。祭りの初日は何曜日であっても安息日になります。(レビ記 23:5,6)今年のニサン15日は,週ごとの通常の安息日とも重なっています。それで,このように2つの安息日が重なると,「大安息日」となるのです。
こうした事情で,ユダヤ人たちはピラトにイエスと2人の強盗の死を早めるよう頼みます。どのようにしてでしょうか。両脚を折ることによってです。そうすると,息をしようとしても体を持ち上げられず,窒息してしまいます。兵士たちはやって来て2人の強盗の脚を折りますが,イエスはすでに死んでいるようなので,脚を折りません。こうして詩編 34編20節の,「神はその人の骨を全て守る。1本も折られることはなかった」という預言が実現します。
しかし1人の兵士が,イエスが本当に死んでいるのか確かめるためにイエスの脇腹をやりで突き刺します。やりは心臓の辺りにまで達します。「すると,すぐに血と水が出」ます。(ヨハネ 19:34)これは,「彼らは自分たちが刺し通した人を見つめ」る,という預言の実現です。(ゼカリヤ 12:10)
処刑場所には,サンヘドリンの評判の良い一員で,アリマタヤの町から来たヨセフという「裕福な男性」もいます。(マタイ 27:57)聖書はヨセフについて,「正しくて善い人」また「神の王国を待つ人」で,「ユダヤ人たちを恐れてひそかにイエスの弟子となっていた」と述べています。ヨセフはイエスに関する判決を支持しませんでした。(ルカ 23:50。マルコ 15:43。ヨハネ 19:38)ヨセフは勇気を出してピラトの元に行き,イエスの体を頂きたいと願い出ます。それでピラトは,イエスの死を確認した士官を呼び寄せて確かめた後,ヨセフに遺体を引き取る許可を与えます。
ヨセフはきれいな上等の亜麻布を買います。そして,イエスの体を杭から下ろし,遺体をその亜麻布で包みます。「以前,夜にイエスの所に来た」ニコデモも,葬る準備を手伝います。(ヨハネ 19:39)ニコデモは没薬と沈香を混ぜ合わせた高価なものを30㌔ほど持ってきます。イエスの遺体はユダヤ人の習慣に沿って,これらの香料を含ませた布で包まれます。
ヨセフはそこから近い場所に,岩をくりぬいた新しい墓を所有していました。それで,イエスの遺体をその墓に横たえ,墓の入り口に大きな石を転がします。安息日が始まるので,これらは急いで行われます。マリア・マグダレネと小ヤコブの母親マリアはイエスの遺体を葬る準備を手伝ったでしょう。そして,安息日が終わった後にも遺体の処理に必要な「香料と香油を準備しに」急いで家に戻ります。(ルカ 23:56)
安息日である翌日,祭司長たちとパリサイ派の人たちはピラトの所に行き,こう言います。「あの詐欺師がまだ生きていた時に『3日後に私は生き返る』と言ったのを思い出しました。それで,3日目まで墓を警備するように命令してください。弟子たちがやって来て彼を盗み出し,『彼は生き返った!』などと民に言いふらす恐れがあります。この最後の欺きは,最初のものより悪い結果を生じさせてしまいます」。ピラトはこう答えます。「警備隊を使ってよい。行って,知る限りの方法で警備しなさい」。(マタイ 27:63-65)
日曜日の朝とても早くに,マリア・マグダレネとヤコブの母親マリア,ほかの何人かの女性たちは,イエスの体に付けるための香料を持って墓に向かいます。行く途中,「墓の入り口から誰が石を転がしてどけてくれるでしょうか」と話し合います。(マルコ 16:3)ところが到着してみると,地震が起きた後でした。そして,石は神の天使によって転がしてどけられており,警備隊はいなくなっています。しかも,墓は空っぽです。
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