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どちらを信じるべきですか目ざめよ! 2006 | 9月
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どちらを信じるべきですか
「言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です」。―ヘブライ 3:4。
このように推論している聖書の言葉に同意されるでしょうか。上の言葉が記されて以来およそ2,000年,人類は科学の面で大きな進歩を遂げてきました。自然界には,意図的に設計されたと感じさせる証拠がはっきり見られることから,設計者,創造者,つまり神が存在するはずだと考える人は,今でもいるのでしょうか。
産業技術の進んだ国においても,多くの人がこの点で肯定的な見方をしています。例えば,米国の場合,ニューズウィーク誌(英語)が2005年に行なった調査で,「神が宇宙を創造したと信じる」人は80%に上りました。このように考えるのは教育レベルの問題ですか。では,科学を専門とする人たちの中に神を信じる人がいるでしょうか。科学専門誌「ネイチャー」(英語)が1997年に伝えたところでは,調査の対象となった生物学者,物理学者,数学者のほぼ40%は神を信じており,しかもその存在だけでなく,祈りを聴いてそれにこたえる方として神を信じています。
しかし科学者の中には,このような見方に強く反発する人たちもいます。ノーベル賞を受けたハーバート・A・ハウプトマン博士は最近,ある科学者の会議で,超自然的なものに対する信仰,とりわけ神への信仰は,真の科学と相いれない,と述べました。「この種の考え方は人類の福祉のためにはむしろ有害である」とさえ言いました。また,神を信じているという科学者でも,動植物界にはっきり見られる設計やデザインには設計者がいるはずである,という点を教えようとはしていません。これはなぜでしょうか。スミソニアン協会の古生物学者ダグラス・H・アーウィンは,その理由の一つを挙げ,「科学の基本ルールの一つとして,奇跡はいっさい認められない」と述べました。
自分がどのように考え,何を信じるかを他の人に判断してもらうこともできるでしょう。しかし,実際の証拠を自分で調べ,自分自身の結論を得たいと思われるのではないでしょうか。以下に掲載する近年の科学上の発見について読み,『創造者の存在を信じるのは道理にかなったことだろうか』と,ぜひご自身でお考えになってみてください。
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ご自身で証拠を調べてください
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エホバの証人はいわゆる特殊創造論者ですか
エホバの証人は,聖書の創世記にある,創造に関する記述を信じて受け入れています。とはいえ,エホバの証人は一般に言われるような意味での特殊創造説の信奉者ではありません。どうしてでしょうか。第一に,特殊創造説論者の多くは,宇宙および地球と地上の生物すべてが1万年ほど前に文字どおり24時間を1日とする六日間で創造された,と信じているからです。しかしこれは,聖書が教えていることではありません。a 特殊創造説の信奉者はまた,聖書に裏づけのない他のいろいろな教理を奉じています。エホバの証人は,一貫して神の言葉に基づく教えに従っています。
別の点として,幾つかの国で,“特殊創造論者”という語は,活発に政治運動をする原理主義グループと関連のある語として用いられています。それらのグループは政治家,判事,教育関係者などに圧力をかけて,特殊創造論者の宗教信条にかなった法律や教育方針を採用させようとしています。
エホバの証人は政治的に中立です。法律を設け,またそれを施行する立場にある人々の権限を尊重します。(ローマ 13:1-7)また証人たちは,クリスチャンが「世のものではない」というイエスの言葉を真剣に受け止めています。(ヨハネ 17:14-16)証人たちは公の宣教奉仕を通して,神の物事の規準にそって生活することの益について学ぶ機会を人々に差し伸べます。それでもエホバの証人は,聖書の規準を強いる法律の制定を目指す原理主義グループの運動に加わってクリスチャンとしての中立を破るようなことはしません。―ヨハネ 18:36。
[脚注]
a 本誌の18ページにある「聖書の見方: 科学は創世記の記述を否定していますか」という記事をご覧ください。
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自然は何を教えていますか目ざめよ! 2006 | 9月
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自然は何を教えていますか
「どうか,家畜に尋ねてみよ。それはあなたを教え諭すであろう。また,天の翼のある生き物にも。そうすれば,それはあなたに告げるだろう。あるいは,地に関心を示してみよ。そうすれば,それはあなたを教え諭すだろう。海の魚もあなたに告げ知らせるだろう」。―ヨブ 12:7,8。
近年,科学者や技術者たちは,上の言葉のとおり,植物や動物に教えられてきました。いろいろな生き物の体の造りに見られる設計やデザインを研究して,それをまねているのです。それは,バイオミメティックスと呼ばれる学問で,新製品の開発や既存の機械類の性能アップを目指しています。以下に挙げる例について考えながら,『こうした見事な設計はいったいだれの功績だろうか』と考えてみてください。
クジラのひれから学ぶ
一例として,航空機を開発する人はザトウクジラからどんなことを学べるでしょうか。実に多くを学べるようです。おとなのザトウクジラの体重は30㌧を超え,荷物を満載した大型トラックほどもあり,体は比較的に硬く,大きな翼のようなひれがあります。体長12㍍もあるこの動物が,水の中では驚くほど敏しょうです。例えば食べ物を得ようとするとき,魚群や小さな甲殻類など,えさとなるもののすぐ下方から旋回しながら上昇し,その間ずっと気泡を吹き出してゆきます。筒状になったこの泡のネットは直径が1.5㍍ほどしかありませんが,生き物を海面近くに囲い込みます。こうしてクジラは,ひとまとまりになった食べ物を一気にのみ込みます。
研究者たちが特に注目したのは,この体の硬い大型の生き物が,およそ不可能に思える小さな円をどうして描けるのか,という点です。このクジラのひれの形状に秘密のあることが分かりました。ひれの前縁部は,飛行機の翼のように滑らかではなく,でこぼこになっています。結節とも呼ばれるこぶ状の突起が列をなしているのです。
クジラが水中を速く泳ぐとき,これらの突起によって浮揚力が増し,水の抵抗が少なくなります。どうしてでしょうか。ナチュラル・ヒストリー誌(英語)の説明によると,ひれの周りの水流はこれらの突起によって整然と回転する形で速くなり,クジラが急角度で上昇してもそれが保たれます。もしひれの前縁部がただ滑らかだったとすると,クジラはそれほどの急角度で旋回しながら上昇することはできないでしょう。水がかき回される際,ひれの後方に渦ができ,浮き上がる力を減少させてしまうからです。
この発見にはどんな実用化の道があるでしょうか。自然のこうした設計に基づく飛行機の翼があれば,下げ翼<フラップ>は少なくてすみ,気流の向きを変える他の種々の装置も減らすことができるでしょう。そのような翼は安全性が増し,点検整備も楽になるはずです。生物機械学専門のジョン・ロングは,「すべてのジェット機に,ザトウクジラのひれのようなこぶや膨らみが付いているのを見る」日も遠からず来るのではないかと考えています。
カモメの翼をまねる
飛行機の翼はもともと,鳥の翼をまねたものです。しかし技術者たちは最近,この模倣技術をさらに向上させました。ニュー・サイエンティスト誌(英語)はこう伝えています。「フロリダ大学の研究者たちは,カモメのように空中で静止し,また急降下も急上昇もできる,遠隔操作の無人機を試作した」。
カモメが目覚ましい曲芸飛行をやってのけるのは,ひじや肩に相当するつなぎの部分で翼を曲げることができるからです。この屈曲する翼のデザインを手本にした「24インチ[約60㌢]の無人試作機は,小型モーターで何本もの金属棒を操作して翼を動かしている」と同誌は述べています。大いに技巧をこらしたその翼を操れば,この小型機を空中で静止させたり,高層ビルの谷間に急降下させたりすることができます。米空軍はそのような機動性の高い航空機の開発に関心があり,大都市での化学兵器や生物兵器の探索への応用を考えています。
ヤモリの足をお手本に
陸上の動物からも学べる点がたくさんあります。例えばトカゲ類に属する小さなヤモリは壁をはい登る能力があり,逆さになって天井にぴったり付くこともできます。この生物は,聖書の中でもそのような特別の能力で知られていました。(箴言 30:28)ヤモリが重力に打ち勝てる秘けつはどこにあるのでしょうか。
ヤモリがガラスのようなつるつるした表面にもしっかり付くことができるのは,毛状突起と呼ばれるごく細い毛のようなものが足の裏側を覆っているからです。足に粘着剤が付いているのではありません。分子と分子の間で働く極めてわずかな力を利用するのです。相接する二つの表面にある分子は互いに,ファン・デル・ワールス力として知られるごく弱い引力によってくっつこうとします。普通は,重力のほうがそれよりずっと大きいため,わたしたち人間は手のひらをただ壁に当てただけではよじ登れません。ヤモリの場合,小さな毛状突起が無数にあって,壁に接する面積が大きくなります。足の裏いっぱいにある幾千もの毛状突起によってファン・デル・ワールス力が大きくなると,この小型トカゲの体重を支えるだけの吸着力になります。
この発見はどのように応用できるでしょうか。ヤモリの足を模倣した新しい合成素材は,自然界から借用した別のアイディアであるマジックテープaに代わるものとして用いられるようになるでしょう。エコノミスト誌(英語)は研究者の言葉を引用して,この“ヤモリテープ”でこしらえた素材は「化学的接着剤が使えない医療などの場面で」特に有用であろう,としています。
誉れと敬意を受けるべきなのはだれか
現在,米国の航空宇宙局はサソリをまねて多くの足で歩行するロボットを開発中です。フィンランドの技術者たちは巨大な昆虫のように6本足で障害物を乗り越えるトラクターをすでに開発しました。また,松かさを模倣して,織り目が小さな羽のように開いたり閉じたりする織物をこしらえた研究者がいます。ある自動車メーカーは,水の中で驚くほど抵抗の少ないハコフグの体を模倣した車体の開発に力を入れています。さらに,アワビの殻が持つ衝撃吸収の特性を調べて,軽くて丈夫な防護服を作ろうとしている人もいます。
自然界から非常に多くの良いアイディアが得られているために,研究者たちは数々の生物学的な仕組みやシステムをデータベース化し,すでに幾千件もの情報をそこに登録しています。科学者はこのデータベースを検索して,「物造りのデザインでぶつかる難問に対する自然からの解決策」を見つけることができる,とエコノミスト誌は述べています。このデータベースに収められた自然界の種々の仕組みやシステムは,“生物学的特許”として知られています。ふつう新しいアイディアや装置を正式に登録した個人や企業がその特許権の保有者となります。生物学的特許データベースについて論じたエコノミスト誌はこう述べています。「バイオミメティックスの各種の技巧を“生物学的特許”と呼ぶことにより,研究者たちは,実際には自然が特許権の保有者であるという事実を強調していることになる」。
自然はどのようにしてこれら見事なアイディアの数々を手に入れたのでしょうか。研究者の多くは,自然界の機知に富んだ設計と思えるものを,幾億年にもわたる進化的な試行錯誤(トライアル・アンド・エラー)の結果であるとするでしょう。しかし,それとは別の結論に至った研究者もいます。微生物学者のマイケル・ビヒーは2005年,ニューヨーク・タイムズ紙(英語)にこう書きました。「[自然界に]デザインの跡が極めて明確に見られることは,意外なほど単純な論法を可能にする。つまり,もし何かがアヒルの姿かたちをしていて,アヒルのように歩き,アヒルのようにガアガアと鳴くなら,それを覆すような説得力のある証拠が何もないかぎり,当然それはアヒルだと判断してよい」。そして,こう結論しています。「あまりに明白であるからといって,物事に設計やデザインが見られる事実を無視してしまってはならない」。
飛行機の翼の安全性や効率性を高める設計をした技術者は,その設計に対して誉れと敬意を受けるに値します。用途の広い包帯を,またいっそう快適な衣服の素材や機能性の高い乗り物を発明した人も,その設計の功績を認められて敬意を受けるに値するでしょう。実際のところ,他人の設計やデザインをまねて物を製造しながら,元々の設計者の功績に敬意を示さない人は犯罪者ともみなされます。
では,高度の技術的訓練を受けた研究者が,自然界の仕組みやシステムを何とか模倣して工学上の難問を解決し,その一方では,元々のアイディアを生み出した才知を,理知によらない進化に帰するとすれば,それは筋の通ったことでしょうか。複製ですら知的な設計者が必要なら,元のものについてはどうでしょうか。名匠と,その技法を習得しようとする学び手とでは,どちらが一層の敬意と誉れに値するでしょうか。
論理的な結論
自然界に見られる設計の証拠について考察し,聖書の詩編作者が記した次の言葉に共感する人は多くいます。「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています」。(詩編 104:24)また,聖書を記したパウロも同じ結論に達して,こう書きました。「神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません」。―ローマ 1:19,20。
しかしながら,聖書に敬意を持ち,神を信じる誠実な人々の中にも,神は進化という手段で自然界の驚嘆すべき事物を創造されたのではないか,と考える人が多くいます。では,聖書はどんなことを教えているでしょうか。
[脚注]
a ゴボウ属植物の種子のデザインにヒントを得たフックとループ式のファスナー。
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自然はどのようにして多くの見事なアイディアを手に入れたのでしょうか
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自然界の特許権保有者はだれ?
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複製ですら知的な設計者が必要なら,元のものについてはどうでしょうか
この機動性の優れた飛行機はカモメの翼をまねたもの
ヤモリの足は汚れず,跡を残さず,テフロン以外のどんな表面にもへばりつき,付けるにも離すにも特に力は要らない。研究者たちはこれに似たものを造ろうとしている
ハコフグの体の設計は驚くほど抵抗が少なく,車体の開発に新たな発想を与えている
[クレジット]
Airplane: Kristen Bartlett/University of Florida; gecko foot: Breck P. Kent; box fish and car: Mercedes-Benz USA
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本能による優れたナビゲーション
地上を移動する生き物の中には,自分たちの行く方向を見定める点で「本能的に賢い」ものが多くいます。(箴言 30:24,25)二つの例を考えてください。
■ アリの交通コントロール 社会生活をするアリはどのようにして自分たちの巣に帰るのでしょうか。英国の研究者が発見したところによると,アリの中には,標識となるにおいを残すだけでなく,幾何学的な手法で自分の巣に帰る道筋を見つけやすくしているものがいます。一例としてイエヒメアリは,「巣からの道筋を放射状に枝分かれさせ,その分岐の角度を50度から60度にする」とニュー・サイエンティスト誌は述べています。この行動パターンで注目すべき点は何でしょうか。アリは巣に戻るさい,道筋の分岐点に来ると,自分の進む方向から大きくそれないルートを本能的に選び,それによっておのずと巣に向かうことになります。その記事はさらにこう述べています。「こうして自分たちの通る道を幾何学的に枝分かれさせることにより,網状の道筋を進むアリたちの流れを最も効率的にする。アリたちがこの網状の道筋を双方向に行き来する時には特に効果的であり,また方向を誤って無駄にするエネルギーを最小に抑えることができる」。
■ 鳥の方位コンパス どんな気象条件のもとでも,方位を定めて長大な距離を誤差なく正確に飛ぶことのできる鳥が多くいます。どのようにするのでしょうか。研究者の発見によると,鳥は地球の磁場を感知できます。しかし,地球の「磁力線の方向は場所によって一様でなく,いつでも真北を指しているわけではない」とサイエンス誌(英語)は述べています。渡りをする鳥が進路から外れないのはどんな仕組みによるのでしょうか。鳥は体内に持つ方位コンパスを毎晩,夕日に合わせて調整しているようです。夕日が沈む位置は緯度により,また季節によっても異なります。ですから,鳥たちは「1年のどの時期かを告げる体内時計」によって偏差を補正することができるようだ,と研究者は考えています。
幾何学的な能力をだれがアリに持たせたのでしょうか。だれが鳥に方位コンパスや体内時計を,またそこから得られる情報を読み取る頭脳を与えたのでしょうか。知性とは無関係な進化の過程でそうなったのですか。それとも,理知ある創造者の働きによるのでしょうか。
[クレジット]
© E.J.H. Robinson 2004
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神は生命を進化という手段で創造されたのですか目ざめよ! 2006 | 9月
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神は生命を進化という手段で創造されたのですか
「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」。―啓示 4:11。
チャールズ・ダーウィンが進化論を広めてまもなく,いわゆるキリスト教の多くの教派は,神に対する自分たちの信仰と進化論とを合体させる道を探るようになりました。
今日,“キリスト教”の主要グループのほとんどは,神は何らかの形で進化を用いて生物を創造した,という見方を受け入れているようです。中には,神は物事をあらかじめプログラムすることにより,宇宙が展開してゆく過程で必然的に無生の化学物質から生命体が進化し,やがては人類を生み出すようにしておられた,と説く人たちもいます。有神論的進化説として知られるこの見方に立つ人たちは,ひとたびその過程を開始されたのち神はそれにもはや関与されなかった,と考えています。また,神は動植物のほとんどの種類が進化によって形成されるようにしたが,ときおり介入してその過程を進行させた,と考える人たちもいます。
教義の合体 ― うまくゆくか
進化論を聖書の教えと本当に調和させることができるのでしょうか。もし進化が事実であるとすれば,最初の人間アダムの創造に関する聖書の記述は,せいぜい道徳訓話程度のもので,文字どおりに取るべきものではないことになります。(創世記 1:26,27; 2:18-24)イエスは聖書の記述をそのように見ていたでしょうか。こう言われました。「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。―マタイ 19:4-6。
イエスはここで,創世記 2章にある創造に関する記述を引用されました。最初の人間の結婚に関する話は架空のものであるとイエスが考えていたなら,結婚の神聖さについて教えるのに,その記述を根拠として引き合いに出したりされるでしょうか。いいえ。イエスが創世記の記述を指摘したのは,それが真実の歴史であることを知っておられたからです。―ヨハネ 17:17。
同じようにイエスの弟子たちも,創世記にある創造の記述を信じていました。例えばルカの福音書は,イエスの系図をアダムまでさかのぼっています。(ルカ 3:23-38)もしアダムが架空の人物であったなら,その系図の記録はどの部分で事実から神話に変わったのでしょうか。仮にこの家系図の始まりの部分が神話であったとしたら,イエスがダビデの系統に生まれたメシアであるという点はどれほど信頼できるでしょうか。(マタイ 1:1)福音書筆者であったルカは,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりました」と述べています。明らかにルカは,創世記にある創造の記述を真実のものとして受け入れていました。―ルカ 1:3。
イエスに対する使徒パウロの信仰も,創世記の記述を信じることと結びついていました。こう書いています。「死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです」。(コリント第一 15:21,22)もしアダムが実のところ全人類の父祖ではなく,『罪が世に入り,罪を通して死が入る』その原因となった人ではなかったとすれば,受け継いだ罪の影響を取り去るためにイエスの死ぬ必要がどこにあったでしょうか。―ローマ 5:12; 6:23。
創世記にある創造の記述に対する信仰を覆そうとすることは,キリスト教の土台そのものを覆そうとすることです。進化論とキリストの教えとは両立し得ません。これら二つのものを合体させようとする試みは,ただ軟弱な信仰を生むだけであり,それは「波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりする」にすぎません。―エフェソス 4:14。
堅固な土台に基づく信仰
聖書は幾世紀ものあいだ,批判と攻撃を受けてきました。そして,聖書の述べていることの真実さが繰り返し立証されてきました。聖書が歴史,保健衛生,科学などに言及する箇所では,その信頼性が幾度も実証されてきました。人間関係に関する聖書のアドバイスはどの時代にも当てはまり,信頼できます。人間の哲学や理論はただの青草のようで,生え出てはやがて枯れてゆきますが,神の言葉は「定めのない時に至るまで保つ」のです。―イザヤ 40:8。
進化の考えは,単なる科学上の理論以上のものとなっています。確かにこれは,咲き出て幾十年か栄えている人間の哲学の一つです。しかし,ダーウィンの唱えた一般的な進化の理論そのものが,近年,いわば進化してきました。いえ,自然界に歴然たる設計の証拠が増すにつれ,何とかつじつまを合わせようと,事実上,突然変異を余儀なくされてきたのです。その点をさらに考察されることをお勧めいたします。この号の他の記事をご覧になってください。そして,このページや32ページに載せられている出版物もお読みになりたいと思われることでしょう。
このテーマをお調べになれば,聖書が過去に関して述べる事柄に対するあなたの信頼は強まるでしょう。しかしさらに大切な点として,前途に関する聖書の約束に対する信仰も深まるでしょう。(ヘブライ 11:1)そして,エホバを,『天と地を造られた方』を賛美したい,という気持ちになられるに違いありません。―詩編 146:6。
さらにお読みください
「すべての人のための書物」 聖書の教えをめぐる論争点の例はこの冊子の中で取り上げられています
「あなたのことを気づかう創造者がおられますか」 科学的な証拠についてさらに調べ,人間のことを気づかう神が多くの苦しみを許しておられるのはなぜかについても知ることができます
「聖書は実際に何を教えていますか」 「神は地球についてどんな目的をお持ちですか」という問いの答えがこの本の第3章にあります
[10ページの拡大文]
イエスは創世記の創造の記述を信じていました。それは間違いでしたか
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進化とは?
「進化」という語には,「一定の方向への変化発展の過程」という意味があります。この語には幾つかの異なった用法があります。例えば,物質宇宙の展開など,無生の事物における大規模な変化を指して用いられます。また,生物界におけるごく小さな変化,つまり動植物が周囲の環境に適応してゆくことに関しても用いられます。しかし,この語の最も一般的な用い方は次の理論,つまり生命が無生の化学物質から生じて自己複製する細胞を形成し,徐々に発達して複雑な生物となってゆき,その中で最も知能を発達させたのが人間である,という理論に関してです。この3番目の意味合いで,この記事は「進化」という語を使っています。
[10ページの図版のクレジット]
Space photo: J. Hester and P. Scowen (AZ State Univ.), NASA
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生化学者とのインタビュー目ざめよ! 2006 | 9月
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生化学者とのインタビュー
米国ペンシルバニア州のリハイ大学で現在は生化学教授であるマイケル・J・ビヒーは,1996年に「ダーウィンのブラックボックス ― 進化論に対する生化学の挑戦」(英語)という本を著わしました。この本は,「目ざめよ!」誌,1997年5月8日号,「人はどのように存在するようになったか ― 偶然か,何かの意図によるのか」という特集記事で取り上げられています。「ダーウィンのブラックボックス」が出版されて10年になりますが,その間,進化論を支持する科学者たちは,ビヒー教授の主張に反論を浴びせてきました。その宗教的信念が科学上の判断を曇らせていると言う人(同教授はローマ・カトリック教徒),また論法が科学的でないと主張する人もいます。「目ざめよ!」誌は,なぜこうした議論が生じているのかを知るため,ビヒー教授にインタビューしました。
「目ざめよ!」: 生物にはインテリジェント・デザイン(知的設計)の証拠が見られる,と考えておられるのはなぜでしょうか。
ビヒー教授: わたしたちは緻密で機能的な造りになっている物を見ると,それはだれかがデザインして設計したのだろうと思います。例えば,日常的に使う機械について考えてみましょう。芝刈り機,自動車,あるいはもっと簡単なものでも構いません。わたしが好んで使う例は,ネズミ捕りです。ネズミが捕まるように幾つかの部品がうまく組み合わされているので,これはだれかがデザインしたに違いないと結論するわけです。
科学の進歩によって,今や生物のごく基本的な部分が明らかになっています。そして科学者たちにとっても驚きでしたが,生物は分子のレベルにおいても機械のように緻密で機能的な構造になっていることが分かりました。例えば,生物の細胞の中には,分子でできた小さな“トラック”があって,物資を細胞の端から端まで運びます。分子の“道路標識”もあり,“トラック”が右折すべきか左折すべきかを知らせます。また細胞によっては“船外モーター”が備わっていて,液体の中を進むことができます。このような緻密で機能的な構造が見られると,生物以外の場面では,それはデザインされたものに違いないと結論するはずです。生物の緻密さの場合も,それ以外に説明のしようがありません。ダーウィンの生物進化論でもやはり無理です。わたしたちは日常の経験から,この種の仕組みはデザインされたことの証拠だと知っているので,分子によるこうした造りも知的な設計によるものだと考えるほうが理にかなっているのです。
「目ざめよ!」: 大多数の科学者が,インテリジェント・デザイン理論に異議を唱えているのはなぜだと思われますか。
ビヒー教授: 多くの科学者がこの理論に異議を唱えるのは,インテリジェント・デザインには科学の領域を超えた意味合いがある,つまり自然を超越した何かを示唆していると考えるからです。この点に関して神経質になっている人は少なくありません。しかし,わたしがこれまで教えられてきたのは,科学はどの方向であれ証拠の導くところに向かうべきだということです。わたしとしては,証拠がこれほどそろっているのに,哲学的に好まれないという理由で,ある理論を退けるのは,あまり潔くないように思えます。
「目ざめよ!」: インテリジェント・デザインを受け入れるのは無知を助長することにつながる,と批判する人たちに対してどのように答えられますか。
ビヒー教授: インテリジェント・デザイン理論は無知の産物ではありません。知らないことに基づいているのではなく,知っていることに基づいているのです。150年前にダーウィンが「種の起原」を書いた当時,生物は単純なものと思われていました。細胞は極めて単純な構造をしていて,海の泥から自然にわき出てくるかもしれないと科学者たちは考えていたのです。しかしそれ以来,科学上の発見によって,細胞は信じられないほど緻密であることが分かりました。この21世紀に見られる様々な機械よりもはるかに複雑なのです。機能的かつ緻密であることは意図的な設計の証拠です。
「目ざめよ!」: 教授の言われる緻密な分子機械が,進化の自然選択によって生み出されたことを証明する証拠を科学は提出しているでしょうか。
ビヒー教授: 学術文献を調べてみると分かるのですが,そのような分子機械がどのようにダーウィンの言う進化の過程で生じたのかを本格的に説明しようとした人はだれもいません。実験的な試みも,詳細な科学上の理論モデルもないのです。わたしの本は10年前に出版されましたが,それ以来,全米科学アカデミーやアメリカ科学振興協会など,様々な科学団体は,生物がインテリジェント・デザインの証拠を示しているとする概念を何としてでも論駁するようにと,会員たちに緊急の呼びかけをしてきました。それでも本格的な説明がないのです。
「目ざめよ!」: 動植物には,あまり上手に設計されていない部分もあると指摘する人がいます。この点に関してはいかがでしょうか。
ビヒー教授: 生物体にある特定の部分がなぜ存在するのか分からないからと言って,それに重要な役割がないというわけではありません。例えばかつて,人間や他の生物があまり上手に設計されていない証拠として,いわゆる痕跡器官が挙げられていました。虫垂や扁桃などはそのような痕跡器官と考えられ,以前はよく切除されていました。しかしその後,それらの器官は免疫系の役割を担っていることが分かり,今では痕跡器官とはみなされなくなっています。
覚えておくべき点がもう一つあります。それは,生物学的には偶然に起こり得る事柄もあるということです。しかし,わたしの車にへこみがあったり,タイヤがパンクしたりしたからといって,その車やタイヤがデザインされたものではないとは言えません。同じように生物学でも,偶然に起きる事柄があるからといって,生物の緻密で精巧な分子機械が偶然に生み出されたことにはなりません。そのような主張は筋が通っていません。
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「わたしとしては,証拠がこれほどそろっているのに,哲学的に好まれないという理由で,ある理論を退けるのは,あまり潔くないように思えます」
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進化は事実ですか目ざめよ! 2006 | 9月
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進化は事実ですか
「進化は,太陽が熱いのと同じほど確かな事実である」。進化論支持の著名な科学者リチャード・ドーキンズ教授はそう断言しています。なるほど,太陽が熱いことは実験と直接観察によって証明されています。では,進化という教えも実験と直接観察によって異論の余地なく証明されているのでしょうか。
答えを述べる前に,はっきりさせておくべき点があります。多くの科学者が述べるとおり,生物は世代を重ねてゆくとともにわずかに変化することがあります。チャールズ・ダーウィンはその過程を,「変化を伴う由来」と呼びました。そのような変化は直接的に観察され,実験結果として記録され,植物や動物の育種家によって活用されてきました。a そうした変化は事実とみなせます。とはいえ科学者は,そのようなわずかな変化に「小進化」という呼び名を付けました。この呼び名そのものに,多くの科学者の唱える次のような主張が暗示されています。こうしたごく小さな変化は,全く違う種類の現象,つまり科学者たちが大進化と呼ぶ,だれも観察したことのない現象の証拠になる,という主張です。
ご存じのとおり,ダーウィンは,そうした観察可能な変化をはるかに超えた事柄を考えました。有名な「種の起原」という自著にこう書いています。「どの生物も独特な創造物ではなく,少数の生物の直系の子孫であると,私は考えている」。ダーウィンによれば,それら原始の「少数の生物」,つまりいわゆる単純な生命体は,非常に長い時間をかけて「極めてわずかな変化」を繰り返すことにより,地上の多種多様な生命体へと徐々に進化してきました。こうした小さな変化が積み重なって大きな変化を生み,魚類が両生類に,サルが人間になった,と進化論者は教えています。こうした仮説としての大きな変化は,大進化と呼ばれています。多くの人は,この二番目の主張も筋が通っていると考えます。種の中で小さな変化が生じるのであれば,長い時間のうちには進化によって大きな変化が生じると考えてよいではないか,というわけです。b
大進化の教えは,以下の三つの主要な仮定に基づいています。
1. 突然変異は新たな種cを作り出すのに必要な素材を供給する。
2. 自然選択は新たな種の誕生を導く。
3. 化石記録は植物と動物の大進化を裏づけている。
では,大進化を事実とみなしてよいほどの確かな証拠があるのでしょうか。
突然変異によって新たな種が生まれることがあるか
動植物の様々な特徴は,設計図とも言うべき遺伝情報によって決まり,その情報は一つ一つの細胞の核に収められています。d 研究者の発見によると,遺伝情報の突然変異(偶然による変化)が,親とは異なった特徴を持つ動植物を生み出すことがあります。ノーベル賞受賞者で突然変異遺伝研究の創始者でもあるハーマン・J・マラーは,1946年にこう述べました。「めったになく大抵はごく小さな変化の大量の蓄積こそが,動植物の人為的改良の主要な手段であるだけでなく,いやそれ以上に,自然選択によって導かれる自然界の進化を生じさせてきたものなのである」。
このように大進化の理論は,突然変異が,動植物の新たな種だけでなく,全く新たな科も生み出せる,という説の上に成り立っています。その大胆な説は何らかの方法で実証できるのでしょうか。では,過去100年ほどの間の遺伝子研究によって明らかになった点を考えてみましょう。
1930年代後半に科学者たちは,自然選択が偶然の変異によって新種の植物を生み出せるのであれば,突然変異体を人為的に選択すればもっと効果的に新種を生み出せるはずである,という期待を抱きました。「ほとんどの生物学者の間に,とりわけ遺伝学者や育種家たちの間に高揚感が広がった」と,ドイツのマックス・プランク植物育種研究所の科学者ウォルフ-エッケハルト・レーニヒは「目ざめよ!」誌のインタビューに答えて述べています。なぜ高揚感が広がったのでしょうか。植物の突然変異遺伝研究に28年の経験を持つレーニヒは,こう言います。「それら研究者たちは,動植物の伝統的な育種法に革命をもたらす時が来たと考えた。望ましい突然変異を誘発して選択することによって,より良い新たな動植物を生み出せる,と考えたのである」。e
米国,アジア,ヨーロッパの科学者たちは,豊富な資金に支えられた研究プログラムを開始し,進化を促進すると見込まれる様々な手法を用いました。そして,40年以上にわたって徹底的な研究が行なわれました。結果はどうだったでしょうか。研究者のペーター・フォン・ゼングブッシュは,「莫大な資金がつぎ込まれたが,放射線照射によって生産性の高い品種を育てる試みは全くの失敗に終わった」と述べています。レーニヒもこう語っています。「1980年代には,世界中の科学者の間の希望や高揚感はしぼんでいた。西洋諸国において,独立した研究分野としての突然変異育種は放棄された。ほとんどすべての突然変異体が『負の選択価値』を示した。つまり,死んでしまったり,野生種より弱かったりしたのである」。f
とはいえ,約100年間の突然変異研究全般,とりわけ70年間の突然変異育種から得られたデータにより,科学者は,突然変異によって新種が生まれるかどうかに関して結論を出すことができます。レーニヒは証拠を検討し,こう結論づけています。「突然変異によって,[植物あるいは動物の]原種が全く新たな種に変わることはあり得ない。この結論は,20世紀に行なわれた突然変異研究の実績および結果の総体,および確率の法則と合致している。再起変異の法則は,遺伝学的に適切に規定された種には確かに境界があり,偶発的な変異がその境界を取り除くことも乗り越えることもあり得ない,ということを示しているのである」。
このような事実の意味するところを考えてみてください。高度な訓練を受けた科学者たちが望ましい変異を人為的に誘発して選択しても新種を生み出せないのであれば,知性の伴わない過程によって新種が生み出されるなどということが本当にあるでしょうか。突然変異によって原種が全く新たな種に変わることはないということが研究結果から明らかであるなら,実のところ,大進化はどのように生じたと言えるのでしょうか。
自然選択は新たな種を生み出すか
「自然選択」という表現を用いたダーウィンは,その自然選択によって,環境に最もよく適応した生物は栄え,そうでない生物はやがて死に絶える,と考えていました。現代の進化論者の教えによれば,種が拡散して隔絶された状況に置かれると,遺伝子突然変異によって新たな環境に最も適合するようになったものが自然選択によって選ばれます。そして,それら隔絶されたグループがやがて全く新たな種になる,とされています。
すでに述べたとおり,研究から得られた証拠は,全く新たな種類の植物や動物が突然変異によって生まれたりはしないことをはっきりと示しています。では,自然選択が有利な突然変異を選び,新種を生み出す,という進化論者の主張にはどんな証拠があるのでしょうか。全米科学アカデミー(NAS)が1999年に発行したパンフレットにはこうあります。「種分化[新種への進化]の特に有力な実例は,ガラパゴス諸島でダーウィンが研究した13種のフィンチ(ダーウィンフィンチ)に関するものである」。
1970年代に,ピーター・グラントとローズマリー・グラントの率いる研究グループがこれらのフィンチの研究を始め,1年間の干ばつの後に,大きめのくちばしを持つフィンチのほうが,そうでないフィンチより生存率が高い,ということを発見しました。くちばしの大きさと形はそれら13種のフィンチを見分ける主要な特徴なので,これは大発見であるとみなされました。NASのパンフレットの続きにはこうあります。「グラント夫妻は,ガラパゴスで干ばつが10年に一度起きるとすれば,わずか200年ほどで新種のフィンチが生まれるだろう,と推測した」。
とはいえNASのパンフレットは,幾つかの重要な,しかし都合の悪い事実を省いています。干ばつの後,幾年かたつと,くちばしの小さいフィンチのほうが以前のように多くなったのです。そのため1987年に,ピーター・グラントと大学院生ライル・ギブズは科学雑誌「ネイチャー」に,自分たちは「選択の流れにおける逆転」を見たと書きました。1991年に,グラントはこうも書いています。「自然選択に左右される個体数は[気候が変化するたびに]増減を繰り返している」。この研究者たちは,別の点にも気づきました。“種”の違うフィンチが交配して子を生み,子は親より生存率が高かったのです。グラント夫妻は,交配が続くなら,200年以内に二つの“種”が一つに融合するかもしれない,と結論しました。
それより前の1966年に,進化生物学者のジョージ・クリストファー・ウィリアムズはこう書いていました。「自然選択の理論がまず進化の説明として構築されたことを,私は残念に思う。その理論は,適応の維持を説明するうえで,はるかに重要なのである」。1999年に進化論者のジェフリー・シュワルツは,ウィリアムズの結論が正しいとすれば,自然選択は,生存条件の変化に種が適応するのに役立つとしても,「新しいものを作り出しているわけではない」と書きました。
実際,ダーウィンフィンチは「新しいもの」になっているわけではありません。フィンチのままです。そして,フィンチが交配しているという事実は,一部の進化論者による種の定義方法に疑問を投げかけます。さらに,一流の科学アカデミーも偏った仕方で証拠を取り上げることがある,という事実も浮き彫りになっています。
化石記録は大進化を裏づけているか
前述のNASのパンフレットを読むと,科学者の発見した数々の化石は大進化を十二分に裏づけている,という印象を受けます。こう書かれているからです。「魚類と両生類の間,両生類と爬虫類の間,そして爬虫類と哺乳類の間に,さらに霊長類の系統に沿って,中間的な形態のものがあまりにも数多く発見されているので,種から種への移行の時期を明確に見定めることがしばしば困難なほどである」。
この確信に満ちた説明には驚きを禁じ得ません。なぜでしょうか。2004年のナショナル・ジオグラフィック誌(英語)によれば,化石記録は「編集室で1,000コマにつき999コマが失われてしまった進化の映画フィルム」のようなものです。では,1,000コマにつきただ一つ残った“コマ”は,本当に大進化の過程を裏づけているでしょうか。化石記録は実際には何を示していますか。長い期間にわたって「大半の種で進化的変化の蓄積がほとんどない」ことを化石の記録は示していると,筋金入りの進化論者ナイルズ・エルドリッジも認めています。
世界各地の科学者はこれまでに,約2億個の大型化石と,それをはるかに超える数の微化石を発掘し,目録を作ってきました。多くの研究者が意見の一致を見ている点ですが,この膨大かつ詳細な記録から分かるのは,動物の主要グループすべてが突然に出現して,その後は実質的に変化せず,多くの種は出現した時と同じほど突然に消滅している,ということです。生物学者ジョナサン・ウェルズは,化石記録の証拠を再検討した後,こう書いています。「界,門,綱のレベルにおいて,共通の先祖からの変化を伴う由来は,観察された事実ではない。化石および分子の証拠から見る限り,それは十分な根拠のある理論でさえない」。
進化 ― 事実か架空の話か
多くの著名な進化論者たちが,大進化は事実であるという主張を曲げないのはなぜでしょうか。影響力のある進化論者リチャード・レウォンティンは,リチャード・ドーキンズの幾つかの論法を批判した後,多くの科学者が常識に反する科学的主張を進んで受け入れる理由として,「我々には優先すべき責務,唯物論を支持する責務があるからである」と書いています。g 多くの科学者は,高い知性を持つ設計者の存在する可能性を考えることさえ嫌がります。レウォンティンの言葉を借りれば,「神の侵入は一歩たりとも許せない」からです。
サイエンティフィック・アメリカン誌(英語)によると,この点に関して,社会学者のロドニー・スタークはこう述べています。「科学的な人になりたいなら宗教の足かせから精神的に解き放たれていなければならない,というマーケティングが200年にわたって行なわれてきた」。そしてスタークは,研究大学では「宗教心のある人たちは口を閉ざしており」,「非宗教的な人たちから差別を受けている」,科学界の「上層部には,非宗教的であれば得をするシステムがある」ともコメントしています。
大進化の教えを真実として受け入れる人は,不可知論あるいは無神論の科学者たちが科学的発見の解釈に個人的な信条を持ち込むことはない,と信じなければなりません。さらに,正しく定義された種が突然変異によって全く新たな種に変わったことは一度もないということが1世紀にわたる膨大な数の突然変異の研究結果から明らかであるにもかかわらず,すべての複雑な生命形態は突然変異と自然選択によって生み出されたのであると信じなければなりません。また,主要な種類の植物や動物が突如として出現し,非常に長い時間を経ても他の種類に進化していないということが化石記録から明白であるにもかかわらず,すべての生物は共通の先祖から徐々に進化したのであると信じなければならないのです。それは,事実に基づいた事柄を信じていることになるでしょうか。それとも,架空の話を信じていることになりますか。
[脚注]
a 犬の品種改良では,選択的な交配を繰り返して,脚の短い犬や毛の長い犬を生み出すことがあります。とはいえ,こうした品種改良による変化は遺伝子の機能不良の結果である場合が少なくありません。例えば,ダックスフントの体が小さいのは,軟骨組織が正常に発育しないためであり,一種の矮小発育です。
b この記事では「種」という語が頻繁に用いられています。注目すべき点として,聖書の創世記が用いているのは,この語ではなく,もっと包括的な「種類」という語です。多くの場合,科学者が新たな種の進化と呼ぶものは,創世記に出てくる「種類」の範囲内での変異にすぎません。
c 「生物の分類」という囲みをご覧ください。
d 有機体の形成に,細胞質,細胞膜,その他の細胞の構造物も関与していることが,研究によって明らかになっています。
e この記事に引用したレーニヒのコメントは,レーニヒ個人のものであり,マックス・プランク植物育種研究所の意見を代表するものではありません。
f 突然変異に関する実験で繰り返し明らかになった点として,新たな突然変異体の数が次第に減少する一方で,同じタイプの突然変異体が頻繁に出現しました。この現象からレーニヒは「再起変異の法則」を導き出しました。さらに,植物の突然変異体のうち一層の研究のために選ばれたものは1%未満であり,商業価値があるとみなされたものはその選ばれたもののうちの1%未満でした。動物の突然変異育種の結果は,植物の場合よりさらに悪く,この方法は完全に放棄されました。
g 唯物論とは,唯一のあるいは根本的な現実は物質であり,生物を含む宇宙のすべてのものが存在するようになった過程に超自然的な介入は全くなかった,とする考え方です。
[15ページの拡大文]
「突然変異によって,[植物あるいは動物の]原種が全く新たな種に変わることはあり得ない」
[16ページの拡大文]
ダーウィンフィンチから分かるのは,気候の変化に適応できる種があるという程度のことにすぎない
[17ページの拡大文]
化石記録によると,動物の主要グループすべてが突然に出現して,その後は実質的に変化していない
[14ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
生物の分類
生物の分類区分には幾つかの階層があり,種から界へと順次包括的になってゆきます。h 例としてヒトとショウジョウバエの分類を挙げますので,比較してみてください。
ヒト ショウジョウバエ
種 ヒト(サピエンス) キイロショウジョウバエ
属 ヒト(ホモ) ショウジョウバエ
科 ヒト ショウジョウバエ
目 霊長 双翅
綱 哺乳 昆虫
門 脊索動物 節足動物
界 動物 動物
[脚注]
h 注記: 創世記 1章は,植物と動物が「その種類にしたがって」子孫を生み出す,と述べています。(創世記 1:12,21,24,25)聖書で用いられているこの「種類」という語は科学用語ではありません。「種」という学術用語と混同してはなりません。
[クレジット]
Chart based on the book Icons of Evolution—Science or Myth? Why Much of What We Teach About Evolution Is Wrong, by Jonathan Wells
[15ページの図版]
ショウジョウバエの突然変異体(上)。奇形ではあるが,ショウジョウバエであることに変わりはない
[クレジット]
© Dr. Jeremy Burgess/Photo Researchers, Inc.
[15ページの図版]
植物の突然変異に関する実験で繰り返し明らかになった点として,新たな突然変異体の数が次第に減少する一方で,同じタイプの突然変異体が頻繁に出現した(大きな花をつけているほうが突然変異体)
[13ページの図版のクレジット]
From a Photograph by Mrs. J. M. Cameron/U.S. National Archives photo
[16ページの図版のクレジット]
Finch heads: © Dr. Jeremy Burgess/Photo Researchers, Inc.
[17ページの図版のクレジット]
Dinosaur: © Pat Canova/Index Stock Imagery; fossils: GOH CHAI HIN/AFP/Getty Images
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創造者の存在を信じている理由目ざめよ! 2006 | 9月
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創造者の存在を信じている理由
科学の様々な分野で専門的な研究を行なう人々の中には,インテリジェント・デザインつまり知的設計の証拠が自然界に見られると考える人たちがいます。それらの人は,地球上の生物の緻密で精巧な造りが偶然に生じたと考えるのは筋が通っていないとの見方をしています。そのようなわけで,自然科学の研究者でも創造者の存在を信じている人は少なくありません。
その中には,エホバの証人になった人もいます。それらの人は,聖書が述べている神が物質宇宙の設計者また構築者であると確信しています。どうしてそのような結論に至ったのでしょうか。「目ざめよ!」誌は幾人かに理由を尋ねました。それらの人のコメントを興味深く感じられることでしょう。a
『生物の深遠な緻密さ』
■ ウォルフ-エッケハルト・レーニヒ
プロフィール: これまで28年間,私は植物の遺伝子突然変異に関する科学的研究を行なってきました。そのうちの21年間は,ドイツのケルンにあるマックス・プランク植物育種研究所で勤務しています。また30年近く,エホバの証人のクリスチャン会衆の長老としても奉仕してきました。
私は,遺伝学における実証的研究を通して,また生理学や形態学といった生物学の諸分野の研究を通して,生物の計り知れない深遠な緻密さを目の当たりにしてきました。それらの分野の研究により,最も基本的な形態の生物でさえ,それを生じさせた理知ある源が存在するはずだとの確信が強まりました。
科学界は,生物が非常に緻密な造りになっていることに気づいています。ところが,そうした驚くべき事実は一般に,進化論に極めて肯定的な場面で取り上げられています。しかし,聖書の創造の記述に対する反論も,科学的に十分に精査するなら,あえなく崩れ去ってしまう,と私は見ています。私はそのような反論について長年考察してきました。生物について多くのことを注意深く研究してきて,また地球で生物が存在できるように宇宙の諸法則が完璧と思えるまでに調整されていることを考えると,創造者の存在を信じないわけにはいきません。
「観察するすべてのものには原因がある」
■ バイロン・リオン・メドウス
プロフィール: 私は米国の航空宇宙局でレーザー物理学を研究しています。現在は,地球規模の気象や天候といった諸現象をよりよく観察するための技術開発にかかわっています。私はバージニア州キルマーノックにあるエホバの証人の会衆の長老として奉仕しています。
私は研究に当たって物理学の諸原則を適用し,ある事柄がどのように,またなぜ生じるのかを解明しようとしています。私の研究分野でも,観察するすべてのものには原因があるということの明白な証拠を見ることができます。自然界のあらゆるものの本源的な原因は神であると認めることは,科学的に見ても理にかなっていると考えています。自然界の様々な法則は極めて安定しているので,組織者つまり創造者がそれを定めたことを否定する理由は何もないと思います。
これが当然の帰結であるなら,進化論を信じている科学者が多いのはなぜでしょうか。先に結論を出してから証拠を見ている,ということはないでしょうか。それは科学者の間でもありがちなことです。しかし,観察結果にたとえ説得力があっても,先に結論を出すべきではありません。例えば,レーザー物理学を研究する人は,光は波動であると主張することができます。光はよく音波のように波として振る舞うからです。しかしこの結論は完全なものではありません。なぜなら,光は光子という粒子の集まりとして振る舞うという証拠もあるからです。同様に,進化が事実であるとする人たちの結論は,証拠の一部にしか基づいていません。しかも先に結論を出していて,それに影響された形で証拠を見ています。
進化論の“専門家”を自任する人たちが進化はどのように生じたかをいろいろ論じ合っているのに,進化を事実として簡単に受け入れている人がいるのは,意外に思えます。例えば,仮に数学で,一部の専門家が2足す2は4であるとし,別の専門家たちは3ないし6であるとする場合,この数学を証明された事実として受け入れるべきでしょうか。もし科学の役割が,証明でき,検証でき,再現できるもののみを認めるというものであれば,すべての生物が共通の祖先から進化したというのは科学的な事実ではありません。
「何もないところから何かが生じることはあり得ません」
■ ケネス・ロイド・タナカ
プロフィール: 私は地質学者で,現在,アリゾナ州のフラッグスタッフにある米国地質調査所で働いています。30年近くの間,惑星地質学など,地質学の様々な分野における学術調査に参加してきました。私の論文や火星の地質図は,広く認められた学術誌に掲載されています。またエホバの証人として毎月70時間を費やして,聖書を読むことを人々に勧めています。
私は進化論を信じるように教育されましたが,宇宙の形成に必要な莫大なエネルギーが,強力な創造者なしにひとりでに生じたという考えを受け入れることができませんでした。何もないところから何かが生じることはあり得ません。また,創造者が存在することを示す強力な論拠は,聖書にあるとも考えています。この書物には,私の専門分野に関連する様々な科学的事実が挙げられています。例えば,地球が球状であることや,地球が「無の上に」掛けられていることなどです。(ヨブ 26:7。イザヤ 40:22)こうした事実は,人間の調査によって証明されるはるか前に聖書に書き記されたものです。
人の造りについても考えてみてください。人には,知覚,自己認識,思考力,心を通わせる能力,感情などが備わっています。とりわけ,愛を感じ取り,認識し,表現することができます。人間のこうしたすばらしい特質がどのように生じたのか,進化論で説明することはできません。
こう自問してみるのはいかがでしょうか。『進化論を擁護するために使われている情報の源はどれほど信ぴょう性があるだろうか』と。地質学上の記録は不完全で,複雑で,非常に分かりにくくなっています。進化論を信じる科学者たちは,提唱されている進化の過程を科学的な手法を使って実験室で示すことができていません。また一般に,科学者は優れた手法を用いてデータを収集しますが,得られた情報を解釈する際に自己本位になることが少なくありません。科学者でも,データが決定的でなかったり矛盾していたりするとき,自分の考えを押し通そうとする場合があります。自分のキャリアや自負心も大きな要素となります。
私は科学者として,また聖書を研究する者として,包括的な真理,つまり知り得るすべての事実と観察結果を調和させて,最も正確な理解に至る真理を探してきました。私にとって,創造者の存在を信じることは,最も理にかなっています。
『細胞に見られる設計の明白な証拠』
■ ポーラ・キンチェロ
プロフィール: 私は細胞生物学,分子生物学,そして微生物学の分野で数年間にわたる研究の実績を持っています。現在は米国ジョージア州アトランタにあるエモリー大学で働いています。また,ロシア語を話す人々に聖書について教える自発奉仕も行なっています。
生物学の教育課程の一環として,4年間,細胞とその構成部分を集中的に研究しました。DNA,RNA,タンパク質,また代謝経路などについて学べば学ぶほど,そのよく組織された緻密で精巧な造りに驚嘆の念を覚えました。また,細胞についてすでに知られていることにも感銘を受けましたが,まだ学ぶべきことがいかに多いかという点にも驚かされました。神の存在を信じる一つの理由は,設計の明白な証拠が細胞に見られるからです。
私は聖書の研究を通して,創造者がだれであるか,つまりエホバ神であるということを知るようになりました。神は理知ある設計者ですが,それ以上に,私たちのことを気遣ってくれる親切で愛ある父親のような存在であることを確信しています。聖書は人生の目的について説明していて,明るい将来の希望を与えています。
学校で進化論を教えられる若い人たちは,それを信じることに,戸惑いを感じるかもしれません。神を信じる若い人であれば,信仰の試みとなるかもしれません。そのような試みを克服するには,私たちの周りに見られる自然界の驚嘆すべき事柄に目を留め,創造者とその特質に関する知識を引き続き取り入れる必要があります。私も個人的にそれを行なった結果,創造に関する聖書の記述は正確で,真の科学と矛盾するものではないとの結論に至りました。
「簡明で優美な法則」
■ エンリケ・エルナンデス-レムス
プロフィール: 私はエホバの証人の全時間奉仕者で,メキシコ国立大学の理論物理学者です。現在,恒星の成長メカニズムである重力熱的破局という現象を熱力学的に説明する研究に携わっています。また過去には,DNA配列の複雑性についても研究しました。
生物は,偶然に生じたとするには,あまりにも緻密で複雑です。一例として,DNA分子に含まれる膨大な情報量について考えてみましょう。一つの染色体が無作為に生じる数学的な確率は9兆分の1以下で,あまりにも可能性が低いため,不可能と言えるでしょう。たった一つの染色体だけでなく,生命体に見られる驚くべき緻密な構造すべてが,理知的作用のない力によってできあがったと考えるのは全く筋が通っていません。
また,顕微鏡レベルから宇宙空間の巨大な星雲に至るまで,物質の極めて複雑な振る舞いについて考察するとき,それらの運動を支配する簡明で優美な法則には驚嘆を覚えます。これらの法則は卓越した数学者の働きを示すというよりも,卓越した芸術家の歴然たる印を明示していると言わざるを得ません。
私がエホバの証人だということを話すと,驚く人は少なくありません。神の存在をどうして信じることができるのかと尋ねる人もいます。このような反応は理解できます。ほとんどの宗教は,信者が自分の教えられている事柄の証拠を求めたり,自分の信条について調べたりするのを奨励していないからです。しかし聖書は,「思考力」を用いるようにと勧めています。(箴言 3:21)自然界に見られる知的設計の様々な証拠に加えて,聖書に見られる証拠について考えると,神の存在だけでなく,神が人々の祈りにも関心を払っていることを確信できます。
[脚注]
a この記事の中で専門家が述べる見解は,必ずしもその人の所属する機関の見方を反映するものではありません。
[22ページの図版のクレジット]
Mars in background: Courtesy USGS Astrogeology Research Program, http://astrogeology.usgs.gov
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植物に見られる興味深いパターン目ざめよ! 2006 | 9月
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植物に見られる興味深いパターン
多くの植物には,らせん状の模様が見られることにお気づきになったことがありますか。例えばパイナップルの場合,硬いうろこのような形をしたものがらせん状に並んでいて,一つの方向に8本,また逆の方向に5本ないし13本あるかもしれません。(図1をご覧ください。)ヒマワリの種が密集している部分をよく観察すると,らせん状の列が互いに交差していて,55本と89本,ないしはそれ以上あるのが分かるでしょう。カリフラワーにも,らせん模様を見つけられるかもしれません。らせんに注意を払うようになると,果物や野菜のお店に行くのがいっそう楽しくなるかもしれません。どうして植物はこのような仕方で成長するのでしょうか。らせんの数には何か意味があるのでしょうか。
植物はどのように成長するか
たいていの場合,植物の茎や葉や花などの新しい器官は,中央に位置する小さな成長点つまり分裂組織から派生します。それぞれの新しい組織は原基と呼ばれ,中心から外側に向かって成長しますが,直前に出てきた部分と一定の角度を保っています。a (図2をご覧ください。)多くの植物はこの特定の角度で新たな部分を成長させるので,らせん模様ができます。それはどのような角度ですか。
仮に,次のような課題が与えられたとしましょう。成長点の周りに無駄なスペースが生じないように,新しい部分が効率よく成長してゆく植物をデザインするというものです。例えば,新たな原基が成長する場所を,直前に成長したものから5分の2回転した所とします。このようにすると,原基は五つ目ごとにどれも同じ場所から,同じ方向に成長するという問題を抱えることになります。そうすると複数のまっすぐな列ができてしまい,列と列の間に無駄なスペースが存在するようになります。(図3をご覧ください。)実のところ,単純な分数で表わされる角度であれば,どのような割合のものでも何本かの列が生じてしまい,スペースをうまく埋めることはできません。唯一,“黄金角”と呼ばれる角度,つまり約137.5度であれば,成長部分が理想的な仕方で無駄なく配列されます。(図5をご覧ください。)この角度が特別なのはなぜでしょうか。
黄金角は,単純な分数では表わせない理想的な角度と言えます。その割合はだいたい8分の5で,13分の8であればもっと近く,21分の13であればさらに近づきます。しかしどの分数も,黄金比の割合を正確に表わすことはできません。そのようなわけで,成長点で形成される新たな部分と直前の部分とがこの一定の角度を保っているかぎり,どの二つの部分も決して同じ方向に成長することはありません。(図4をご覧ください。)その結果,放射状の列ではなく,らせん状の筋が成長点から伸びてゆきます。
面白いことに,成長点から原基が成長してゆく様子をコンピューターでシミュレーションする場合,新たに成長する部分の角度を黄金角にかなりの精度で近くしなければ,きれいならせん模様が表われません。0.1度でもずれると,その模様はなくなってしまいます。―図5をご覧ください。
花びらは何枚?
興味深いことに,黄金角に基づいて形成されるらせんの数は通常,フィボナッチ数という数列のいずれかの数字に該当します。この数列は,13世紀のイタリアの数学者レオナルド・フィボナッチによって初めて紹介されたもので,数列の1より後の数字は,その前の二つの数字を足したものとなり,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55などと続きます。
らせん状の成長パターンを持つ植物の花は普通,フィボナッチ数に表われる数の花びらを持っています。例えば,キンポウゲは5枚の花びら,アカネグサは8枚,ナルトサワギクは13枚,ホウキギクは21枚,デージーの一種は34枚,そしてネバリノギクは55ないし89枚の花びらを持っていることが観察されています。(図6をご覧ください。)果物や野菜にも,フィボナッチ数に関連した特徴が見られることが少なくありません。例えば,バナナの断面は5角形になっています。
『神はすべてのものを美しく造られた』
芸術家たちは,目に最も麗しく映るのは黄金比に配置されているものであることを昔から知っていました。植物がちょうどこの興味深い角度で新たな部分を成長させるのはなぜでしょうか。これも生物界に見られる知的設計の一例である,と結論する人は少なくありません。
生き物のデザインや設計について思い巡らし,人間がそこから喜びを得られるということを考えるとき,多くの人は,生きることを楽しむようにと願っておられる創造者のみ手の働きを認めざるを得ません。聖書はその創造者について,「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた」と述べています。―伝道の書 3:11。
[脚注]
a 興味深いことに,ヒマワリは他の植物とは異なり,種になる小さな花々が中央からではなく縁の方から形成され,らせん模様が生じます。
[24,25ページの図]
図1
(出版物を参照)
図2
(出版物を参照)
図3
(出版物を参照)
図4
(出版物を参照)
図5
(出版物を参照)
図6
(出版物を参照)
[24ページの図版]
分裂組織のクローズアップ写真
[クレジット]
R. Rutishauser, University of Zurich, Switzerland
[25ページの図版のクレジット]
White flower: Thomas G. Barnes @ USDA-NRCS PLANTS Database
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何を信じるかは重要なことではありませんか目ざめよ! 2006 | 9月
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何を信じるかは重要なことではありませんか
人生には目的がある,と思われますか。もし進化論が真実だとすれば,サイエンティフィック・アメリカン誌の中で引用された,「進化に関する最新の理解からすると……生きることに根本的な意義など存在しない」との陳述は妥当である,ということになります。
その言葉が何を意味しているかについて考えてみてください。もし生きることに根本的な意義がないのであれば,あなたの人生も,多少の良いことをするよう努力して,おそらくは自分の遺伝形質を次の世代に伝えるだけのものになります。死ねば,もはや存在しないのです。人生の意義について考えたり,推論したり,黙想したりすることのできる脳も,偶然の所産にすぎないことになります。
それだけではありません。進化論を信じている多くの人は,神など存在しないとか,存在しても人間の事柄には介入しない,と主張します。どちらにしても,人類の将来は,政治,科学,宗教の指導者たちの手にゆだねられることになります。それらの人々がこれまでに行なってきたことからすれば,人間社会を損なう混乱,紛争,堕落が今後も続くことでしょう。もし本当に進化が事実だとしたら,人々が「ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから」という宿命論的な生き方をするのも,当然のことのように思えます。―コリント第一 15:32。
しかし,次のことは確かです。エホバの証人は,上に述べた事柄を受け入れていません。また,そうした陳述の基になっている前提,つまり進化論も受け入れていません。聖書の教えこそ真実である,と信じているのです。(ヨハネ 17:17)それゆえ,人間がどのように存在するようになったかについて聖書が述べている事柄,つまり『命の源は神のもとにある』ということを信じています。(詩編 36:9)その言葉からは,とても大切なことが読み取れます。
生きることには確かに意義がある,ということです。創造者は,ご自分の意志に沿って生きる人すべてのために愛のある目的を持っておられます。(伝道の書 12:13)その目的には,混乱や紛争や堕落そして死さえもない世界で生活できるようになる,ということも含まれます。(イザヤ 2:4; 25:6-8)世界じゅうの何百万人ものエホバの証人は,神について学んでそのご意志を行なうことこそ,他の何にも勝って人生を意義あるものにする,ということを証言できます。―ヨハネ 17:3。
何を信じるかは確かに重要なことです。それは,あなたの今の幸福だけでなく,将来の生活にも影響を及ぼすからです。選択するのはあなたです。自然界には設計されたことを示す証拠が数多く見られるのに,それについて納得のいく説明のできない理論をあなたは信じますか。それとも,聖書が述べている事柄,すなわち,地球も地上の生命も,偉大な設計者 ―『すべてのものを創造した』神エホバ ― の業である,ということを受け入れますか。―啓示 4:11。
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科学は創世記の記述を否定していますか目ざめよ! 2006 | 9月
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聖書の見方
科学は創世記の記述を否定していますか
創造に関する聖書の記述が誤りであることを科学は証明している,と言う人は少なくありません。しかし,科学が実際に否定しているのは,聖書ではなく,キリスト教の原理主義者(ファンダメンタリスト)の見解です。一部の原理主義者は,聖書によれば物質界の創造物すべては約1万年前に24時間を1日とする6日間で生み出された,という誤った説を唱えています。
しかし聖書には,そのような説の裏づけとなる記述はありません。もしあったなら,過去100年間の多くの科学的発見によって聖書の信頼性は大いに失われてしまいます。聖書を注意深く調べれば,実証された科学的事実に反する記述などないことは明らかです。そのようなわけで,エホバの証人は,“キリスト教”原理主義者や多くの特殊創造説支持者には同調しません。では,聖書が実際に何を教えているかを見てゆきましょう。
「初め」とはいつのことか
創世記は,「初めに神は天と地を創造された」という簡潔かつ力強い言葉で始まっています。(創世記 1:1)聖書学者も認めるとおり,この節は,3節以降で詳述されている創造の日の出来事とは別の事柄を述べたものです。これは大きな意味を持ちます。聖書巻頭のこの言葉によれば,地球を含む宇宙は,どれほどの期間かは定かではありませんが,創造の日が始まる前から存在していたのです。
地質学者は地球の年齢を大体40億年と推定しており,天文学者は宇宙の年齢が150億年にもなると算定しています。こうした研究結果によって,もしくは今後のいっそう正確な推定によって,創世記 1章1節は否定されるでしょうか。そのようなことはありません。聖書は「天と地」の年齢を明示してはいないからです。科学は聖書の誤りを証明しているわけではないのです。
創造の日の長さはどれほどか
創造の日の長さについてはどうですか。それぞれの日は24時間だったのでしょうか。創世記の筆者モーセは後に,創造の6日に続く日を,週ごとの安息日の原型としています。これを根拠として,創造の日のそれぞれは24時間に違いない,と主張する人がいます。(出エジプト記 20:11)創世記の記述はその主張の裏づけとなるでしょうか。
裏づけとはなりません。実のところ,「日」と訳されているヘブライ語は,24時間だけでなく,様々な長さの時間を指します。例えば,モーセは神による創造の業のまとめのところで,創造の6日間全体のことを1日として述べています。(創世記 2:4)ですから,創造の日のそれぞれが24時間であるというのは,聖書的な根拠のない勝手な意見です。
では,創造の日はどれほどの長さでしたか。創世記 1章と2章の言い回しからすると,かなり長い期間だったと思われます。
創造は徐々に行なわれた
モーセは,ヘブライ語で,また地表に立つ人の観点で書きました。この二つの事実,そして“日”と呼ばれる創造の各期間の始まる前から宇宙が存在していたという点を考え合わせると,創造の記述をめぐる論争の多くが解決されます。なぜそう言えますか。
創世記を注意深く調べると,ある「日」に始まった事柄が後の日にも続いているということが分かります。例えば,創造の第1「日」が始まる前,すでに存在していた太陽からの光は地表に届いていませんでした。濃い雲に遮られていたのでしょう。(ヨブ 38:9)第1「日」の間に,この遮蔽物が薄くなり始め,光が散乱しつつ大気を通り抜けるようになります。a
第2「日」には,大気が引き続き澄んでゆき,上方の濃い雲と下方の海との間に空間が出来たようです。第4「日」には,大気が徐々に澄んで,「天の大空に」太陽と月が見えるまでになりました。(創世記 1:14-16)つまり,地上にいる人の観点で,太陽および月を識別できるようになったのです。こうした事柄は徐々に生じました。
さらに創世記によると,大気が澄んでゆくにつれ,飛ぶ生き物(昆虫および薄膜の翼を持つ生き物を含む)が第5「日」に現われ始めました。とはいえ聖書は,神が第6「日」にも「野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられた」ことを示唆しています。―創世記 2:19。
このように,聖書の表現には,各「日」すなわち創造の各期間に主要な出来事が即座にではなく徐々に起きた,と考える余地があります。後の“日”まで続いたものもあったでしょう。
種類にしたがって
このように動植物が段階的に出現したことは,神が進化を用いて多種多様な生物を生み出されたということを示唆しているのでしょうか。そうではありません。神が基本的な「種類」の動植物すべてを創造されたということが,はっきり述べられています。(創世記 1:11,12,20-25)では,それらの最初の「種類」の動植物には環境の変化に適応する能力が組み込まれていたのでしょうか。「種類」の境界の定義は何ですか。これらの点について,聖書は明言していません。とはいえ,生き物が『その種類にしたがって群がり出た』ことは述べています。(創世記 1:21)この記述からすると,「種類」の内で生じ得る変種には限界があると思われます。化石の記録も最新の研究も,動植物の基礎的な分類区分が非常に長い期間を経てもほとんど変化していないことを裏づけています。
一部の原理主義者の主張とは異なり,創世記は,地球と地上の生物すべてを含む宇宙が比較的最近に短期間で創造されたとは教えていません。むしろ,宇宙の創造および地上の生物の出現に関する創世記の記述は,最近の多くの科学的発見と一致しています。
多くの科学者は哲学的信条を持つゆえに,神がすべてのものを創造されたという聖書の明快な記述を退けます。とはいえ興味深いことに,古代のモーセが記した創世記には,宇宙に始まりがあることや生物が時間をかけて段階的に出現したことが書かれています。3,500年ほど昔のモーセは,そのような科学的に正確な情報をどのようにして得ることができたのでしょうか。筋の通る説明があります。天と地を創造する力と知恵をお持ちの方が,そのような進んだ知識をモーセにお与えになったのです。これにより,聖書が「神の霊感を受けたもの」であるという言葉はいっそう重みを増します。―テモテ第二 3:16。
[脚注]
a 第1「日」の出来事に関する記述の中で光を指して用いられているヘブライ語はオールで,これは一般的な意味での光です。一方,第4「日」に関してはマーオールという語が用いられており,この語は光の源を指します。
考えたことがありますか
■ 神はどれほど昔に宇宙を創造されましたか。―創世記 1:1。
■ 地球は,1日が24時間の6日間で創造されましたか。―創世記 2:4。
■ モーセが地球の始まりに関して科学的に正確な記述をすることができたのはなぜですか。―テモテ第二 3:16。
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創世記は,宇宙が比較的最近に短期間で創造されたとは教えていない
[20ページの拡大文]
「初めに神は天と地を創造された」。―創世記 1:1
[18ページの図版のクレジット]
Universe: IAC/RGO/David Malin Images
[20ページの図版のクレジット]
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創造を信じている理由をどのように説明できるだろうか目ざめよ! 2006 | 9月
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若い人は尋ねる…
創造を信じている理由をどのように説明できるだろうか
「授業で進化論が取り上げられたのですが,僕の教えられてきた事柄とは何もかも違いました。進化が事実として扱われ,反論できない感じでした」。―リャン,18歳。
「僕が12歳だったころ,先生は進化論を固く信じていて,自分の車にダーウィンのステッカーまで張っていました。ですから僕は,創造を信じていることをなかなか言い出せませんでした」。―タイラー,19歳。
「社会の先生が,次の授業で進化論を取り上げる,と言ったとき,うわーどうしようと思いました。みんなの意見がぶつかり合うこの問題に関して,わたしの立場を授業中に説明しなければならないからです」。―ラクエル,14歳。
授業で進化論が取り上げられると,恐らくあなたも,リャンやタイラーやラクエルのように,不安に思うことでしょう。あなたは,神が「すべてのものを創造」されたと信じています。(啓示 4:11)優れた知恵をもって設計されたことの証拠は,至るところに見られます。ところが教科書では,人間は進化の所産だと教えられていて,先生もそのように言います。そうした“専門家たち”に反論することなどできるでしょうか。それに,クラスの仲間はどんなふうに反応するでしょう,神を持ち出したりしたら……
そのようなことが気になるとしても,心配しないでください。創造を信じているのはあなただけではありません。実のところ,科学者の中にも進化論を受け入れていない人がかなりいるのです。学校の先生の中にも信じていない人は少なくありません。米国では,教科書でどう教えられているかに関係なく,創造者の存在を信じている生徒が5人中4人もいます。
しかし,『創造を信じている理由を説明するのに,何と言えばよいのだろう』と思うかもしれません。でも安心してください,気後れしていても,はっきり説明することはできるのです。とはいえ,幾らかの準備が必要です。
信じている理由を確かめてください
あなたがクリスチャンの家庭に育ったのであれば,創造を信じているのは,単にそう教えられてきたからかもしれません。しかし,かなり成長した今は,信じている事柄の確かな根拠を理解し,「理性」によって神を崇拝したいと思うでしょう。(ローマ 12:1)パウロは1世紀のクリスチャンに,「すべてのことを確かめなさい」と勧めました。(テサロニケ第一 5:21)では,創造に関してどのように確かめることができるでしょうか。
まず,パウロが神に関して書いた事柄について考えてみてください。「神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える」と書いています。(ローマ 1:20)その言葉を念頭に置いて,人体,地球,広大な宇宙,海洋などを詳しく調べてみましょう。昆虫であれ植物であれ動物であれ,あなたの興味を引く,その魅力的な世界をよく観察してみましょう。それから,「理性」を働かせて,『わたしは何に基づいて創造者の存在を確信しているのだろう』と自問してみてください。
この問いに答えて,サムという14歳の少年は人体の造りに注目し,こう言います。「とても精密で複雑です。各部すべてがうまく連携して働きます。人間のこの体が進化によるものとは考えられません」。ホーリーという16歳の少女も,こう述べています。「糖尿病と診断されたので,体の機能についていろいろと勉強しましたが,驚くことばかりでした。例えば膵臓は,胃の後ろに隠れた小さな臓器ですが,血液やほかの臓器がうまく機能するのに本当に役立っているんです」。
別の角度から見ている若者もいます。19歳のジャレドはこう述べています。「人間には美を感じ取る能力や学習意欲だけでなく霊性というものもあることが,僕は最も強力な証拠だと思います。それらの特性は,進化論で言う適者生存に不可欠なものではありません。唯一納得がゆくのは,生きる喜びを味わわせようとしてだれかが人間を地上に存在させた,という説明です」。冒頭の言葉を述べたタイラーも,同じ結論に達しました。こう述べています。「地上の生物が命を維持するうえで植物の果たしている役割や,植物の構造に見られる信じられないような複雑さからしても,確かに創造者は存在します」。
あなたも深く考えて心から確信すれば,創造について堂々と話すことができるでしょう。ですから,サムやホーリー,ジャレドやタイラーのように,時間を取って神のみ手の業の驚異について考えてみてください。そして,それらがあなたに“語りかける”言葉に“耳を傾けて”ください。あなたもきっと使徒パウロと同じ結論に達するでしょう。神の存在だけでなく神の特質も「造られた物を通して認められる」という結論です。a
聖書が実際に教えている事柄をはっきり理解しましょう
創造を信じている理由を説明するには,神のお造りになったものを詳しく調べることに加えて,創造について聖書が実際に教えている事柄をはっきり理解する必要もあります。聖書が直接には述べていない事柄を問題にする必要はありません。幾つかの例について考えましょう。
■ 理科の教科書には,地球と太陽系は何十億年も前から存在している,と書かれています。聖書は,地球や太陽系の年齢について特に述べていません。聖書が述べている事柄と,この宇宙は創造の最初の「日」が始まる何十億年も前から存在しているという考えとは,矛盾していません。―創世記 1:1,2。
■ 学校の先生は,地球がわずか6日間で創造されたとは考えられない,と言います。聖書は,創造の6日間の各々の「日」が文字どおりの24時間だったとは述べていません。詳しくは,本誌の18-20ページをご覧ください。
■ 授業の中で,動物や人間が長い間に変化してきたという例が取り上げられました。聖書は,神が生き物を「その種類にしたがって」創造した,と述べています。(創世記 1:20,21)そのことは,生命が無生のものから発生したとか,神が一つの細胞から進化の過程を開始させた,といった考えを支持するものではありません。とはいえ,それぞれの「種類」には数多くの変種が現われる可能性があります。ですから,それぞれの「種類」内で変化が生じることを聖書は否定していません。
信じている事柄に確信を持ってください
創造を信じているからといって,何もきまり悪く思ったり恥ずかしがったりすることはありません。証拠からして,わたしたち人間が優れた知恵をもって設計され造られた,と考えるのは全く理にかなったことであり,まさに科学的であると言えます。結局のところ,論理を無視した信仰と,理由もなく偶然に生じる数々の奇跡とを必要とするのは,創造ではなく進化のほうです。実際あなたも,「目ざめよ!」誌のこの号に載せられている他の記事を読めば,創造は証拠によって裏づけられているという確信が得られるでしょう。そして,ひとたび理性を働かせてじっくり考えたなら,自分がなぜ信じているのかをクラスで説明する自信もわいてくるでしょう。
前述のラクエルは,まさにそのようなことを実感しました。こう述べています。「自分の信じていることについて黙っていてはいけない,と思うまでに二,三日かかりました。わたしは先生に,『生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か』の本を,特に読んでいただきたいと思う部分にしるしを付けて渡しました。後に先生は,その本を読んで進化論に対する見方が大きく変わったことや,進化論を教える次の機会には本の内容を考慮に入れるつもりだということを話してくださいました」。
「若い人は尋ねる…」のシリーズの記事をウェブサイトでも見ることができます。www.watchtower.org/ypj
[脚注]
a 多くの若者が,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本や,「あなたのことを気づかう創造者がおられますか」という本に収められている情報から益を受けています。どちらもエホバの証人の発行です。
考えてみてください
■ 自分が創造を信じている理由を学校で話すとき,話しやすいのはどんな事柄についてですか。
■ すべてのものを創造した方に対する感謝をどのように表わすことができますか。―使徒 17:26,27。
[27ページの囲み記事]
「証拠はたくさんあります」
「創造者を信じるよう育てられ,学校で進化論を教えられている若者に,どんなアドバイスをしたいと思いますか」。そう尋ねられたエホバの証人の微生物学者は,こう答えました。「その状況を,神の存在を自分自身に対して証明する絶好の機会とみなすことです。単に親からそう教えられたから信じているというのではなく,自分で証拠を調べてそういう結論に達したゆえに確信していると言えるようにするのです。時々,先生方の中には,進化を“証明”するよう求められると,それができないことに気づき,進化論を受け入れているのは単にそう教えられてきたからにすぎないということを認めるようになる人がいます。創造者を信じている若者も,同じようなわなに陥る可能性があります。ですから,神が確かに実在することを自分自身に対して証明するのは大切なことなのです。証拠はたくさんあります。それを見つけることは難しくありません」。
[28ページの囲み記事/図版]
なぜ確信しているのですか
創造者の存在をあなたが確信している理由を以下に三つ書いてください。
1. __________
2. __________
3. __________
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