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「自分を神の愛のうちに保ちなさい」
愛 209ページ–211ページ 2節

付録

頭の覆い ― いつ,またなぜ

クリスチャン女性は崇拝に関連して,いつ,またなぜ,頭の覆いを着けるべきですか。霊感による使徒パウロの論議を考えましょう。パウロは,神の誉れとなる正しい決定をするのに必要な導きを与えています。(コリント第一 11:3-16)考慮すべき三つの要素が明らかにされています。(1)女性が頭の覆いを着けることが必要になる活動,(2)そうすべき状況,(3)この規準を当てはめる動機です。

夫がいるところで頭の覆いを着けながら聖書研究を司会しているクリスチャンの女性

活動。パウロは二つ挙げています。祈りと預言です。(4,5節)祈りは,崇敬の念をこめてエホバに語りかけることです。今日では預言は,クリスチャンの奉仕者が聖書に基づいて教えることに相当するでしょう。ではパウロは,女性が祈ったり聖書の真理を教えたりする時にはいつでも頭を覆うべきである,と言っていたのでしょうか。そうではありません。女性が祈ったり教えたりする時の状況によって,大きな違いがあるのです。

状況。パウロの言葉から,二つの状況つまり活動の場が読み取れます。家庭と会衆です。パウロはこう述べています。「女の頭は男であり,……だれでも,自分の頭を覆わないで祈ったり預言したりする女は,自分の頭を辱めることになります」。(3,5節)家庭においては,エホバによって夫が妻の頭として立てられています。エホバから夫に割り当てられた務めを妻が行なう時,夫の権威にしかるべき認識を示さないなら,妻は夫を辱めることになります。それで,例えば,夫のいるところで聖書研究を司会する必要がある場合,頭の覆いを着けて,夫の権威を認めていることを示します。夫がバプテスマを受けていてもいなくても,そうします。夫は家族の頭だからです。a バプテスマを受けた未成年の息子がいるところで祈ったり教えたりする場合にも,頭の覆いを着けます。その子が家族の頭だからではなく,クリスチャン会衆のバプテスマを受けた男子に与えられている権威のゆえです。

パウロは,会衆という状況についてこう述べています。「何かほかの習慣を支持する人がいるようであっても,わたしたちにはこれ以外の習慣はありませんし,神の諸会衆にもありません」。(16節)クリスチャン会衆においては,バプテスマを受けた男子に頭の権が与えられています。(テモテ第一 2:11-14。ヘブライ 13:17)男子だけが長老や奉仕の僕として任命され,神の羊の群れを世話する責任を神から与えられます。(使徒 20:28)とはいえ時おり,資格のあるバプテスマを受けた男子が通常果たす務めをクリスチャンの女性が扱わざるを得ない場面があるでしょう。例えば,資格のあるバプテスマを受けた男子がいなかったり,務めを果たせなかったりして,野外奉仕のための集まりを司会する必要があるかもしれません。あるいは,バプテスマを受けた男子のいるところで,前もって取り決められた家庭聖書研究を司会することがあるかもしれません。そうした活動は実のところクリスチャン会衆内の教える業の延長なので,通常は男子に割り当てられる務めを扱っているということを認め,頭の覆いを着けます。

しかし,崇拝において姉妹が頭の覆いを着けなくてよい場面はたくさんあります。例えば,クリスチャンの集会で注解したり,夫やバプテスマを受けた他の男子と戸別伝道を行なったり,バプテスマを受けていない子どもと研究や祈りをしたりする場合,着ける必要はありません。こうした点に関して確信が持てないなら,さらに調査できます。b それでも確信が持てず,良心に促されるなら,写真に示されているように,頭の覆いを着けることは間違いではないでしょう。

動機。10節には,クリスチャンの女性がこの要求に応じたいと思う理由となる二つの点が挙げられています。「女はみ使いたちのために自分の頭に権威のしるしを着けるべきです」。まず,「権威のしるし」という表現に注目してください。女性は,頭の覆いを着けることによって,会衆内でバプテスマを受けた男子にエホバが授けておられる権威を認めていることを示せます。エホバ神への愛と忠節を表わすことになるのです。第二の理由は,「み使いたちのために」という言葉に示されています。女性が頭の覆いを着けることは,それら強力な霊者たちにどんな影響を及ぼすのでしょうか。

み使いたちは,天地にまたがるエホバの組織のどこにおいても神の権威が認められているのを見たいと思っています。そしてこの点で,不完全な人間の手本から益も受けます。エホバの取り決めに柔順でなければならないのは,み使いたちも同じです。過去においてかなりの数のみ使いたちがそうすることに失敗しました。(ユダ 6)現在,あるクリスチャン女性は,会衆内のバプテスマを受けたある男子よりも経験があり,知識が深く,聡明かもしれません。それでも,その男子の権威への柔順を快く示しており,み使いたちはそれを見ています。その女性は,やがてキリストと共同の相続人となる油そそがれたクリスチャンであるかもしれません。いずれはみ使いよりも高い立場で仕え,キリストと共に天で支配するのです。み使いたちにとって何と優れた手本なのでしょう。そして,すべての姉妹に大きな特権があります。無数の忠実なみ使いたちの前で,忠節かつ柔順な振る舞いによって,謙遜な従順を実証できるのです。

a クリスチャンの妻は,夫が病気で言葉を出せないなどの例外的な場合を除き,信者である夫のいるところでは声を出して祈らないでしょう。

b さらに詳しくは,「ものみの塔」誌,2002年7月15日号,26-27ページ,および1977年6月1日号,344-347ページをご覧ください。

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