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聖書に対する洞察,第1巻
洞-1 「アラド」 1項 1節–2項 3節

アラド

(Arad)

1. ある時期にエルサレムに住んだ,ベニヤミン族の頭たる者の一人。―代一 8:15,28。

2. カナンの南の境にあった都市。イスラエルがカナンに向かって進んだとき,そこの王はイスラエルを攻撃しました。イスラエル人はその地域を滅びのためにささげ,そこを「ホルマ」と呼びましたが,それは「滅びのためにささげること」という意味です。(民 21:1-3; 33:40)しかし,イスラエル人は当時そこに住み着くことをせず,住民の一部は明らかに滅びを逃れました。このため,後にヨシュアの旋風のような軍事行動で征服された31人の王たちの一覧表にアラドの王が含まれています。(ヨシュ 12:14)後にケニ人はアラドの南の荒野の地域に住み着きました。―裁 1:16。

[137ページの図版]

テル・アラドのとりでの遺跡。この付近で発見された,ヘブライ語を記したオストラカ(陶片)の一つは「エホバの家」について述べています

イスラエル人のアラドは,ネゲブの地域で最も人目を引く小丘の一つ,テル・アラドであると一般に同定されています。それはベエル・シェバの東約28㌔の緩やかに起伏する平原にあります。テル・アラドの発掘によって,200個ほどのオストラカ(陶片)が見つかりましたが,その約半数はヘブライ語,残りはアラム語のものでした。そのようなヘブライ語を記した陶器片の一つで,西暦前7世紀後半のものとされているオストラカは,次のように述べています。「我が主エルヤシブへ。エホバがあなたの平安を求められますように。……その方はエホバの家に住んでおられます」。―第1巻,325ページの写真。

テル・アラドには後代のカナン人の遺物がないため,Y・アハロニは,テル・アラドから12㌔南西に位置しているテル・エル・ミルフ(テル・マルハタ)をカナン人のアラドとする見方を提唱しています。

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