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  • 鑑14 154–160ページ
  • 2002-2013年 近年の進展(第1部)

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  • 2002-2013年 近年の進展(第1部)
  • 2014 エホバの証人の年鑑
  • 副見出し
  • 「エホバ,ありがとう!」
  • 失われていたエホバの羊を探す
  • 誠実なイスラム教徒が真理を受け入れる
  • 血の神聖さを擁護する
2014 エホバの証人の年鑑
鑑14 154–160ページ
154ページの図版

シエラレオネとギニア

2002-2013年 近年の進展(第1部)

「エホバ,ありがとう!」

情勢が安定するにつれ,兄弟姉妹は被害を受けた自宅に戻りました。特に,戦闘で荒廃したシエラレオネ東部では,戦争中になくなっていた幾つかの会衆が活動を再開します。ある地域の特別開拓者はこう報告しています。「最初の集会に16人,次の集会には36人,その次には56人が集まりました。記念式には77人が出席しました。感激でした」。新しい会衆が9つ設立され,会衆の数は全部で24になりました。ギレアデの宣教者が新たに10人到着し,伝道活動にさらに弾みが付きます。2004年の記念式出席者は7,594人でした。全伝道者数の5倍以上の数です。ギニアでも同じような増加が見られました。

154ページのグラフ

帰還した避難者たちが元の生活に戻れるよう,統治体は速やかに基金を提供します。(ヤコ 2:15,16)救援奉仕者のチームが移動しながら,12棟の王国会館とコインドゥの大会ホールを建設または修繕しました。家を破壊された家族のために,泥れんが造りの簡素な家を42軒造ることもしました。70代のやもめの姉妹はトタン屋根の新しい家のそばに立ち,涙を流してこう言いました。「エホバ,ありがとう! エホバ,ありがとう! 兄弟たち,ありがとう!」

支部は,資金や人材の限られた国々のためのプログラムによる基金を用いた王国会館建設も始めます。ボー西会衆の長老で開拓者のサイドゥ・ジュアナはこう話します。「ある姉妹は,『新しい王国会館を持てるとしたら,わたしは手と足で拍手します!』と言っていました。新しい会館を建てるという発表をすると,その姉妹は席から立ち上がり,手をたたいて踊り出しました。手と足で“拍手”したのです!」

2010年には,ウォータールー会衆が新しい王国会館を献堂します。800人収容の大会ホールに拡張できる会館です。会衆が土地を購入した日,地主の女性に,別の人からより高い値で買いたいという申し出がありました。しかし女性はこう言いました。「この土地には,商売に使う建物より宗教の集会場が建ってほしいと思います」。

資金や人材の限られた国々のためのプログラムにより,シエラレオネに17棟,ギニアに6棟の王国会館が建ちました。簡素ながらも品位のある崇拝の場所に,ますます多くの人が引き寄せられ,集会に出席しています。

失われていたエホバの羊を探す

伝道活動に勢いが出ると,支部は,あまり行っていない区域を伝道する2か月間のキャンペーンを取り決めます。奉仕者たちは1万5,000冊近くの書籍を配布し,たくさんの良い経験をしました。町の人から,ここにエホバの証人の会衆を作ってはどうかと言われた奉仕者もいました。やがて実際に2つの会衆が新たに設立されました。ある辺ぴな村では,戦争中に家を離れ,エホバの組織と連絡が取れなくなっていた二人の姉妹が見つかりました。兄弟たちは村ですぐに定期的な集会を開くようにし,聖書研究を幾つか始めました。

2009年,支部は,ギニアの山奥の村にエホバの証人だと言っている人たちがいることを聞きました。調査のために兄弟たちを遣わすと,かつて,退職後に故郷のその村に帰った年配の兄弟がいたことが分かります。その兄弟は亡くなる前に村人数人と研究をしたようでした。研究生のうちの一人がエホバに信仰を持ち,聖書の知識を他の人に伝えるようになりました。亡くなった兄弟の出版物を使って集会も開きました。その後人々は,一人の奉仕者に偶然見つけられるまで,20年にわたり自分たちだけでエホバを崇拝していたのです。支部は直ちに兄弟たちを送り,霊的な援助を差し伸べました。2012年には,キリストの死の記念式に村の172人が出席しました。

ここ数年,多くの「失われていた」羊が見つかっています。離れた人たちや会衆から除かれた人たちです。そうした放とう息子のような人たちが変化し,真理のもとに戻って来ました。そして兄弟姉妹に温かく迎え入れられています。―ルカ 15:11-24。

誠実なイスラム教徒が真理を受け入れる

使徒パウロは良いたよりを伝える際,「あらゆる人に対してあらゆるもの」となりました。(コリ一 9:22,23)シエラレオネとギニアのエホバの証人も,人々に合わせた伝道をしています。例えば,どちらの国にもイスラム教徒が多くいます。イスラム教徒で,寛容な見方をする人にどのように証言しているでしょうか。

かつてイスラム教徒だったサイドゥ・ジュアナはこう言います。「イスラム教の人は,アダムが塵から造られたと信じていますが,まず天のパラダイスで生活したと考えています。正しい理解を得てもらうため,わたしはこう尋ねます。『塵はどこにあるものでしょうか』。

「『地面です』という答えが返ってきます。

「そこで,『では,アダムはどこで造られたのでしょうか』と聞くと,

「『地上です』と答えてきます。

「要点を理解してもらうため,創世記 1章27,28節を読んでから,尋ねます。『天にいる者たちには子どもがいますか』。

「『いいえ。天使には男性も女性もありません』。

「『神がアダムとエバに子どもをもうけるようにと告げた時,二人はどこにいたのでしょうか』。

「『地上です』。

「『では,神がパラダイスを回復なさる時,どこに回復なさるでしょうか』。

「『この地上です』」。

サイドゥはこう述べています。「このように聖句から筋道立てて論じると,多くの誠実なイスラム教徒はさらに耳を傾け,聖書文書を受け取ります」。

モモという男性の例もあります。店を営むイスラム教徒で,いつかイマーム(指導者)になりたいと思っていました。しかしエホバの証人の宣教者から聖書の筋道立った説明を聞いて,興味を引かれました。巡回大会の一部に出席し,その内容を気に入ります。4日後には,妻のラマツと5人の子どもと一緒にイエスの死の記念式に行きます。次いで真剣に聖書を研究し始め,数回の研究の後,たばこを売るのをやめます。客には,たばこは体によくないし,神も嫌っておられると言いました。そして店で妻や子どもたちと研究を始めます。研究中に客が来ると,研究は家族にとってとても大事なことなので座って待ってほしいと言いました。ラマツとの結婚を正式に届け出ると,親族から猛反対を受けますが,二人はひるまず大胆に証言し,やがて立派な行状により敬意を得るようになります。モモは2008年に,ラマツは2011年にバプテスマを受けました。

血の神聖さを擁護する

エホバの証人は神の道徳規準を勇敢に擁護します。血に対する神の見方もその一つです。(使徒 15:29)シエラレオネとギニアの医療関係者は,この立場を尊重するようになっています。

159ページの図版

病院で兄弟たちが姉妹に慰めの言葉をかける

1978年,兄弟たちは「エホバの証人と血の問題」という小冊子をシエラレオネ中の医師,看護師,病院管理者,弁護士,裁判官に配りました。その後まもなく,一人の姉妹が分娩中に内出血を起こしますが,医師たちは無輸血での治療を拒みます。しかし,「血」の小冊子を読んでいたある医師が治療に同意します。小冊子の情報豊かで納得のゆく説明に感銘を受けていたのです。姉妹は元気な男の子を出産し,すっかり回復しました。

1991年ごろ,ケネマ病院の外科医バシル・クルマが「血はあなたの命をどのように救うことができますか」のブロシュアーを読みました。クルマ医師はその内容に感心し,聖書研究を始め,クリスチャンの集会に出席するようになります。そのころ,エホバの証人の9歳の男の子が事故で脾臓破裂を起こします。両親は担当した医師に無輸血の手術を頼みますが,断わられ,「死ぬしかないですね,家に連れて帰ってください」と言われました。しかしクルマ医師に頼んだところ,見事手術を成功させてくれました。

クルマ医師はやがてクルマ兄弟になり,無輸血医療を堅く擁護するようになります。その立場ゆえ,他の医師たちから敬遠されましたが,手がけた患者はいつも順調に回復しました。そのうち,同僚たちから,難しい手術の際に援助を求められるようになりました。

1994年以来,フリータウンにある支部の医療機関情報デスクは,シエラレオネとギニアに医療機関連絡委員会を設けています。この委員会により,大勢の病気の兄弟姉妹が親切なサポートを受け,多くの医療関係者がエホバの証人の立場に理解を示すようになっています。

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