「地に平和」東京大会に出席した人々
エホバの証人の全時間開拓奉仕者として働く65歳の一未亡人は収入が少なかったため,この大会の出席を危ぶんでいました。ところが忠実に奉仕を続けるにつれ,問題は順調に解決しはじめたのです。仲間の数人の奉仕者からは直接おかねを寄付され,また,ものみの塔協会から送られた開拓者用の食券で大会の6日間の食費の問題を解決しました。彼女の交わっている会衆の奉仕者たち25人余が一緒に東海道新幹線の乗車券を申し込んだところ,団体割引きで一人分の切符が無料になり,それをこの開拓者に振り向けました。この忠実な開拓者はそうした助けを受けて物質面の必要を満たされ,無事大会に出席し霊的に多くのものを得ることができました。彼女は他の若い人々にとって大きな励みとなっています。
12歳をかしらに10歳,6歳,3歳そして1歳の5人の子供を持つ広島のひとりの姉妹は,それら5人の子供を伴い,東京までの長途の旅行をして大会の初日から最終日まで出席しました。岐阜の7歳になる一少女は毎日20円のこづかいを貯金し,またバスにあまり乗らないようにして4,000円以上のおかねをたくわえ,大会の費用にあてました。
またこの大会に出席するため,多くの児童は学校を休む特別の許可を得なければなりませんでした。しかしたいていはあらかじめ担任の先生に大会のことをはっきり話し,先生の了解を得ることができました。この点では昨年の7月22日および9月22日号の「目ざめよ!」誌の特別な記事が父兄や児童にとって大きな助けとなりました。子供たちのこうした問題に関し,それらの「目ざめよ!」誌を用いてふたりの先生と話し合ったある母親は,先生から「そのような大会で受ける教育は学校教育以上の益があるかもしれません。どうぞお子さんを連れて大会に出席してください」と言われました。
ふたりの子供をもつ沖縄のある特別開拓者は,これまで10年間,必要なものをいつも備えられながら忠実に奉仕を行なってきました。しかしふたりの子供と一緒に東京への旅行をするのはかなりの問題でした。ところが,日本に行く船の切符を申し込まねばならなくなった時,それまで彼女の援助を受けて聖書の真理を学んできた近くの奉仕者のひとりが,この家族の旅費を全額負担したいと申し出たのです。彼女はここでもまたエホバの恵みを深く味わいました。
ある若い奉仕者は大会の前日まで学校の試験を受けねばなりませんでしたが,何か月も前から貯金をしていたので,飛行機の切符を買い,大会当日上京し,初日から大会に出席できました。15歳の別の証人は親から金銭面の援助を受けられませんでしたが,昨年の夏休み中,休暇開拓奉仕とパートタイムの仕事をして貯金し,この大会のための費用をまかないました。
甲府の一証人は牛乳配達の仕事をしていましたが,代わりの人を見つけることができなかったので,大会中毎朝いつもよりずっと早く起きて配達をすませ,3時間汽車に乗って大会に毎日出席しました。なかには2年も前から少しずつ貯金をして,この大会に出席できた姉妹もいます。
ひとりの特別開拓者は,集会に出席するほどの進歩を示さなかったある婦人との聖書研究をやめました。ところが,その区域で次に戸別訪問をしてその婦人に会ったところ,彼女は昨年の9月22日号「目ざめよ!」誌の大会に関する記事を全部読んで,(彼女は「目ざめよ!」を予約していた)自分も出席したいと述べました。こうして彼女はふたりの幼い子供とともにかなりの長い旅行をして東京大会に出席し,心ゆくまで楽しみました。彼女は今,自分の土地で行なわれている集会に出席する計画をたてています。
なかにはこの大会に出席するため1万1,000キロ余の旅行をした人もいます。彼は観光旅行団に加わってオーストラリアに滞在していたとき,そこで日本人の熱心な一証人に会い,聖書研究をすることになりました。それからわずか3か月後,それが真理であることを認めた彼は,観光旅行を中止して帰国し,東京大会に出席することにしたのです。そして大会に出席し,大きな喜びを得ました。
ある若い人は自分の兄が求めたものみの塔協会の出版物を読んで,聖書に深い関心を持ちました。それから自分でエホバの証人をさがし,その集会場を見つけ,直ちに集会に出席しはじめました。それは「地に平和」大会の前の週のことでした。彼は初めて集会に出席したのち,2時間聖書研究を行ない,その場で,自分はエホバの証人になりたいこと,また大学をやめたいと考えているということを打ちあけたのです。そして東京大会に全日出席し,エホバの証人になりたいとの決意をいよいよ固めました。
旭川のある食堂で働いているひとりの若い調理士が昨年の9月,聖書研究をはじめました。そして10月に開かれる東京大会に出席するようにとの勧めに応じて,大会に全日出席し,職業がら,炊事部門で働くことを申し出,その部門の責任を持つ兄弟を大いに助けました。彼は実に仕事の早い人で,一度に4本の包丁を使って野菜を切ることができます。大会の終わりに感想を求められた彼は,「ほんとうにすばらしい大会です。信じられないほどです。みなさんはほんとうに兄弟姉妹ですね。ここでの仕事は仕事とは感じません。すべての人がほんとうに優しくて親切です」と述べました。彼は今何を計画していますか。春までには今の仕事をやめてパートタイムの仕事につき,多くの時間を奉仕にささげ,ゆくゆくは開拓奉仕をすることです。彼は今,仕事の都合上,週3回午後10時半から聖書研究を行なっています。
親の反対に会って家を去り,別の町に行って働いているひとりの若い女性の奉仕者がいます。その親族が彼女の行くえについて証人たちに尋ねましたが,答えてもらえず,ひどく怒った母親は,エホバの証人は若者を誤導する,ひどい人間だとして,たいへん非難しました。そして東京大会のことを聞いたその母親は,明らかに娘をさがし出す目的で大会にやって来ました。その結果,大会のプログラムの話や聖書劇を見聞きすることになりました。ところが,若い人々に対しすぐれた助言が与えられるのを聞いてすっかり感激し,今度は夫を伴って出席しました。ふたりはその娘の交わっている組織がどんなにすぐれたものであるかを知らなかったのです。そして大会では娘に会いましたが,そのふた親も今では聖書研究をしたいと考えています。
米子市で奉仕するひとりの特別開拓者の姉妹は大会のバッジを胸につけて東京に向かいました。その車中でのこと,大会のバッジに興味をもった仏教の一僧侶からいろいろ尋ねられました。彼女は大会について説明したのち,この大会に関する事柄をあらかじめ取り上げ,最後のページに大会のプログラムを載せた昨年の9月22日号の「目ざめよ!」誌を渡したところ,僧侶はその雑誌を全部読み,さらに,他の雑誌も求めて読みました。そして喜んで「目ざめよ!」誌を予約しました。
東京大会でバプテスマを受けた798人の中には母親から聖書を学んだ9歳の少女がいます。父親からの激しい反対を受けましたが,その少女と母親は忠誠を守りました。父親は仏壇に供えたおいしい菓子を少女に食べるようすすめたこともありますが,少女は勇敢にもそのすすめを退け,それを食べずにがまんしました。また父親はその少女と母親の首をひもでしめ,殺してやるといっておどし,「わたしに従うか,キリストに従うか,どちらかを選べ」と迫ったこともありました。2年にわたるひどい仕打ちののち,彼は妻を離婚しました。今やこの母親と9歳の少女は献身してバプテスマを受けた証人として,なんの妨げもなくエホバに仕えています。
東京大会を成功させる点で日本のエホバの証人はすばらしい貢献をしました。幾つかの会衆からは菊の鉢植えが500個寄贈されました。造花2,000本を用意した会衆もありました。そのほか大ぜいの伝道者から多数の花が贈られました。この「目ざめよ!」と姉妹誌「ものみの塔」を印刷している印刷会社の好意で数多くの造花を借りることもできました。簡易食堂のテーブル100個分の板材を寄付した証人もいます。ある婦人の証人はこの大会で使ってもらうために,ねぎを作って運んできました。そしてそのねぎが大会の最初の夕食に用いられたことを知って喜びました。彼女は半トン余のねぎを寄付したのです。大会の開かれた後楽園競輪場内でそばを売っている売店の主人は大会の炊事部門に深い関心を持ち,その炊事場を見学しました。そして兄弟たちの整然とした働きぶりや炊事場の清潔さを見て驚嘆しました。また,大会には大ぜいの子供たちが来ているにもかかわらず,少しも取り散らされていないのを見て,「これは競輪場開設以来,最も清潔な集まりです」と語りました。
東京大会については各新聞社にもかなり伝えましたが,多くの新聞社はこの大会が後半を迎えるまで関心を示しませんでした。そのうち毎日新聞がダビデとサウルに関する聖書劇の写真と大会に関するすぐれた記事を載せましたが,日本語の発音を取り違えたらしく,「エホバの証人」の代わりに「エホバの商人」としるされていたのは残念でした。大会後,読売新聞の記者が当協会の事務所を訪れ,大会の日曜日の集まりを半ページのカラー写真で報道するため資料を求めました。11月9日の同紙日曜版はバプテスマの写真を掲載しました。
羽田空港でのこと,パン・アメリカン航空の一スチュワーデスは,外国からの大会出席者の歓迎陣が掲げた,「ものみの塔旅行団歓迎」としるした幕を見て,「一団のすばらしい人々と空の旅を楽しめましたよ」と告げてゆきました。
カナダからの一出席者は,「日本語はわかりませんが,私たちはみな親しい友だちであることをしみじみと味わいました。ひとりとして見知らぬ他人とは思えませんでした。このような大会は世界中のわたしたちの兄弟姉妹をよく知るのに大きな助けとなります」。
外国からのこれら大会出席者が観光旅行をかねて一泊した箱根の別荘の管理人は聖書に少し関心をもっていましたが,いわゆるキリスト教国に見られる人種差別やベトナム戦争などのため,キリスト教に対して疑問をもっていました。それで,黒人や白人など外人が別荘に宿泊すると聞いたその管理人は人種差別の有無を尋ねました。もちろんそのようなことはありません。そして,それら外国からの出席者が黒人,白人の別なく寝食をともにし,また一緒に温泉にはいるのを見た管理人はこう言いました。「みなさんのキリスト教は教会のそれとはまったく違いますね」。
前記10月15日付毎日新聞は,その記事の中で,大会の初日午前のプログラムが終わった時,会場には紙くず一つなく,なんの混乱も見られなかったと述べ,「ゴミと雑踏の競輪場も“主”が変われば変わるもの」と報じました。
ある建設会社の経営者はまだ家庭聖書研究を始めていないにもかかわらず,その妻が献身した証人なので,エホバの民と接して聖書の真理をかなり知り,深い認識を持っていました。そして建築工事用の木製のわく100個を大会の演壇を作る材料として提供しました。そのため,ものみの塔協会は3万円節約できました。そのうえ,彼はこの大会の大切さを知り,従業員にも出席させたいと考え,大会の週中,会社を休みにして特別手当まで出し,大会に出席するよう従業員に勧めました。また当の責任者も大会に出席して喜びました。
東京大会のおり,外国からの出席者で富士 ― 箱根の観光旅行に加わった人の中に,英国ロンドンのプライス・ヒューズと,カナダ,トロントのジャック・ネイサンがいました。このふたりの携わってきた長年にわたる全時間の宣教奉仕の歳月は合計93年になります。ふたりともこの観光旅行をたいへん楽しみ,初めてたたみの上にふとんを敷いて休みましたが,「こうして床の上で休むのは初めてです。しかし喜んでそうしましょう」と言って快く応じました。
インド,カルカッタからのひとりの姉妹は,自分の会衆と家族の者10人を代表し東京大会に出席しました。そして,「この大会に出席できたことは,ことばではとても言い表わし得ないすばらしい経験になりました。日本人の兄弟姉妹はみなたいへん明るくて喜びにあふれており,みなさんからとても親切にしていただきました」と述べました。この姉妹は特に若い証人たちの熱心さに深い感銘を受け,わたしの会った若い証人たちはほとんどが開拓者でしたと語りました。この姉妹が東京大会に出席するには,家族はもとより,友人たちがかなりの犠牲を払いました。しかし,「わたしたちの払った犠牲はすでに豊かに報われました」と彼女は述べ,帰国を延ばして東京大会に終わりまで出席しました。
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数人の姉妹が御国の歌を琴で演奏し,出席者を喜ばせた
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浸礼を施すのに用いられた手製のプールで合計798人の新しい証人がバプテスマを受けた