輸血に代わるもの
親が反対しても医師の要請があれば,子供に輸血を施すべきですか。これはアメリカの裁判所がしばしば直面するむずかしい問題の一つです。そこでアメリカの判事評議会はこの問題を討議し,「子供の医療に関する法廷命令指導要綱」をまとめました。これは1968年4月号,「犯罪と非行」誌に発表されました。
この評議会は,「犯罪と非行に関する全国協議会」とともに働くアメリカのおよそ50人の判事で構成されており,この国の判事のために“指導要綱”の形で助言を提出しています。その構成員の中にはアメリカの指導的な判事も何人かいます。これまでのところ,前述の「指導要綱」はこのむずかしい問題に対するすぐれた助言となっています。
たとえば同評議会は,一部の判事が強制的な輸血処置を性急に許可したことを遺憾としています。ある事例では,事情を調べず,直ちに緊急事態を宣言し,輸血を施す法廷命令が出されました。担当の医師は,事情の審理が終わるまで待つのであれば,「問題の子供は冷たいむくろと化してしまうであろう」と主張しましたが,実際に輸血が行なわれたのは,まる1週間後のことでした。ですから同評議会が次のように述べたのは当然です。
「事情を調べず,ただ医師の診断だけで法廷命令を出すのは,オハイオ州の一法廷が解釈した宗教および医学上の理由で特定の医療を拒む権利を,法をたてに親からはく奪することであり,医師の独断的な行動を助長するものである。この事例も示すとおり,事情を十分に審理しても,子供を危険に陥れることにはならなかった。またその審理は当然行なわれねばならなかったのである」。
この問題の基本的な原則を明示して同評議会はこう述べました。「“先天的青白症児”や,事故に会った負傷者が輸血なしで直る場合がある一方,輸血を受けた患者の多くが死んだり,血清肝炎になったりしていることは明らかである。ある特定の医療を施さねばならないと医師が決定する場合……医師はその医療が現状で施し得る唯一の適正な処置であることを法廷で立証しなければならない。もし医療を選択できる場合,― たとえば医師の推薦する医療処置の成功率が80%でも,子供の親がこれを認めず,親が受け入れ得る別の方法の成功率がわずか40%である場合 ― 医学的には多少危険と思えても,医師は親の受け入れ得る医療処置を施さねばならない」。
輸血をそれに伴う危険性のゆえに退ける人々は,こうした見解の示されたことを特にうれしく思います。血漿増量剤は輸血に伴う危険がないので,多くの場合きわめて有効であることに疑問の余地はありません。それで,輸血の代わりに使えるこうした血漿増量剤がそれなりに有効であれば,子供の親が輸血に反対する場合,医師は血漿増量剤を利用すべきであると同評議会は勧告しています。
そのうえ同評議会は次のように勧めています。「法廷は医療に関する訴訟にたいてい関係のある宗教団体の土地の代表者の意見を聞くべきである。多くの場合そのような宗教団体は,緊急事態下でも親の宗教上の信念を尊重できる仕方で子供に治療を施す医師その他の診療者を知っているからである」。これはなんと合理的かつ公正な助言でしょう。それは異なった意見のあることや,医療の選択の余地を認め,“その他の診療者”にも適当な治療法を求め得ることを認めています。
輸血に代わる血漿増量剤
輸血の代わりに血漿増量剤を用いる動きがあることは医学界も認めないわけにはゆきません。外科の教授B・F・ラッシ博士はこう述べました。「生理食塩水を好んで使用する病院はかなりあるが,多くの病院は依然としてもっぱら輸血に頼っている」。―メディカル・サイエンス誌,1967年5月号,62ページ。
同教授の述べる「多くの病院」はかなり時代遅れと言わざるを得ません。このことは1969年2月16日付,ロサンゼェルス・ヘラルド・イグザミナー紙に「血の必要」と題する見出しで紹介された,「1969年サイエンス・サービス・ワールド・ブック」の次の報告からわかります。
「適合血液の不足に帰せられる死がいくらかある。しかしこのことでろうばいするには及ばない。……輸血に代わる他の方法がないわけではないからである。……そして後者は輸血より望ましい場合もある。異常な事態を別にすれば……たいていの患者は出血しても,三日以内に自分で赤血球を補充できる。……
「最も広く採用されているのは,静脈注射によるぶどう糖液の投与である。わが国の陸軍の医療研究に従事している幾人かの外科医も,心臓の切開手術を含め幾百の手術に普通の生理食塩水を用いて成功を収めてきた。そしてこれら無菌溶液を用いれば,輸血に伴う拒絶反応,アレルギー反応,病原菌の感染,血清肝炎などの危険性をいっさい回避できることを知った。
「ペンシルバニア大学のスタンレー・デュドリック博士は患者の体力回復を促進させるため,普通のぶどう糖液に他の栄養分を添加し,カテーテル[導管]で頸静脈から投与している。またハーバード大学のロバート・ゲイヤーはまもなく最善の方法を開発するかもしれない。彼はテフロンの材料である炭化弗素を乳状にした本格的な血漿増量剤をまもなく完成しようとしている」。
前述のラッシ博士は,「出血および出血によるショックに対して,緩衝剤を添加した生理食塩水を用いるべきか」と題する寄稿の中で同様の見解を述べました。そしてその種の溶液を好んで用いる医師のなかには,それを“白い血液”と呼ぶ人さえおり,また,ベトナムの野戦病院の中には生理食塩水を常用するところがあると指摘しています。さらに同博士は,胃の一部または全部を切除した手術100例中,手術の最中に輸血を施したのはわずか2例にすぎず,出血多量の34例では生理食塩水だけが使用されたことを述べています。
そして同博士によれば,肝心なことの一つは,失われた血液の3ないし4倍の生理食塩水を投与することです。というのは,出血によるショックに対処するには,血管だけでなく,“血管外の空所”の液体分をも補充する必要があると考えられているからです。この点ではこのような溶液が特に有効です。
やけどによる「ショック」に対処する際,血漿増量剤が輸血よりはるかにすぐれていることを報告した他の医師はこう述べました。「やけどによるショックの対症療法として,患者の年齢また症状の度合いにかかわりなく,単独で利用でき,かつ最も有効なものはリンゲル液であろう」。その一つの理由は,そのような溶液によって血液が薄められ,毛細血管内の血液の循環が促進されるためであると考えられます。―「外科年譜」,1966年10月号,(英文)。
輸血にはさまざまの危険が伴うため,アメリカの当局者は,一単位の輸血を施した件数を調査するよう病院側に勧告しました。一単位程度の輸血はほとんど役にたたないばかりか,かなりの害を,時には死をさえ招くからです。また大量の輸血を施す場合には,必然的に危険が増大するので,そうした輸血についても同様に調査すべきではないかと尋ねた医師もいました。そしてその医師は,そうした危険性を指摘したのち,「他の療法でまに合う場合,輸血をすべきではない」と述べました。―ニューヨーク州医学ジャーナル誌,1965年1月15日号。
輸血に代わる血漿増量剤がいかに有効かは,次にあげるさまざまな症例からも明らかでしょう。
貧血症
貧血症の患者に対して,きまって輸血を勧める医師がいます。アメリカ,バージニア大学医学部の血液学教授B・S・リーベル博士は,そのような治療法がいかに無分別なものかを示してこう述べました。「赤血球を作り出す骨髄の機能障害による貧血症について言えば……幾つかの症例では患者は軽い家事をしながら,ヘモグロビンの量が2.5グラムに低下するまで元気に過ごせた。……この数値は患者によって異なっている。……このことは,体質的欠陥を持つ患者の場合,もし当人がどうにかやってゆけるのであれば,輸血はあまり用がないことを物語っている。そしてそれらの患者は安定したかなり良い状態を迎えた。そしてこの鎌状赤血球症の患者は……ヘモグロビンの量が正常値になるまで輸血を行なった結果,二,三か月後に退院した」。
また同博士は,インフルエンザにかかって病院に行ったひとりの若い元気な実業家についてこう述べました。「彼は軽い貧血症にかかっていた。医師の診察でこのことはわからなかったが,当人が早く元気になりたいとせくので,医師は回復を早めるため輸血を施した。患者はその輸血の最中に悪寒と背中の痛みを感じたが,1パイント(470cc)の輸血を全部受けた。……患者はついに死亡した」―「輸血の使用と誤用」(英文)。
こうしたことを裏づける次のような経験があります。「1964年,私は貧血症のため重態に陥り入院しました。医師は輸血以外に助かる道はないと言いました。……私はその勧めを断わりました。……医師は他の治療処置を施しはじめましたが,カルテには,『本人は輸血を拒んだ』としるしました。さて私が入院した当日,1か月前に輸血を受けた同室のひとりの患者が死亡しました。1週間後,私と同じ病気を持つ同室の別の患者が輸血を受けました。……ところがその後まもなく彼は……突然なくなりました。しかし私は直りました」― エホバの証人の1969年度年鑑。
輸血なしで行なわれた脳の手術
脳の手術は至難な手術の一つとされていますが,親の宗教上の良心を尊重して,輸血せずに子供の脳の手術を行なう神経外科医がいます。そのひとりJ・ポスニコッフ博士は1967年2月号,カリフォルニア・メディスン誌に,「輸血なしで行なう脳の動脈瘤の治療」と題する論文を載せ,病状を説明し(それはかなり大きな動脈瘤であった),二段階から成る手術方法を用いた手術経過を詳述したのち,次のようにしるしました。
「今日の神経外科医の大多数は,脳の動脈瘤を除去する手術には輸血が不可欠と考えている。しかし今回の手術例から明らかなとおり,脳の動脈瘤は個々の症例に基づき個別に扱うべきである。したがって,道義上輸血には応じられないが,どうしても大手術の必要な患者に対して,そのような手術をただ機械的に断わるのは,医師のなすべきことではない」。(傍線は本誌編者)
カリフォルニア州の別の神経外科医は輸血なしで9歳の子供に頭蓋切開手術を行ない,その結果を報告しています。またフィラデルフィア州の一神経外科医は,輸血なしで脳腫瘍を切除する手術を引き受けました。しかもそれまで同様の手術には5ないし6パイントの輸血を行なっており,輸血なしで手術をした経験はありませんでした。しかしこの手術は完全に成功しただけでなく,回復のあまりの速さに医師団は驚嘆したほどでした。同様の手術をもう一度求められたなら,応じられるかと問われた同神経外科医は,「喜んで行ないましょう」と答え,またその後,同様の手術を行ないました。
昨年2月,ニューヨーク市ブルックリンでのこと,2歳の男の子の頭におもちゃの金属部が2センチ半ほど突き刺さってしまいました。親はそれを抜き取ることができなかったので,子供をすぐ病院に運びましたが,輸血なしでは切開できないと断わられ,他の幾つかの病院でも同様に断わられ,最後に同市の有名な神経外科医マシューズ博士を訪れて,ようやく取り扱ってもらいました。同博士は切開手術もしないで数分後に,突き刺さった異物を抜き取ってしまいました。
心臓の手術
現代の外科技術が長足の進歩を遂げた分野の一つは心臓の切開手術です。しかしここでもまた,多くの医師が依然として輸血にたよっているなかで,輸血なしで手術を行なう医師がいます。アメリカのデントン・A・クーレイ博士の勤める病院では,1962年以来,5%のぶどう糖液を常用しているとのことです。それにもかかわらず,1967年,ジョージア州アトランタのある患者は良心上輸血に反対したため,必臓切開手術を断わられ,やむなくテキサス州ヒューストンに飛んで,その地の心臓外科医により輸血なしで手術を施してもらいました。
別の例はバハマのギノという名の少年です。少年の心臓は雑音を伴っており,手術が必要でした。外科医は,『少年がいつ死ぬかもしれない』状態にあるとして,緊急時には輸血が必要だと主張しましたが,母親がきっぱりと医師の主張を退けたので,手術は輸血なしで行なわれました。母親はこう報告しています。「その日行なわれた心臓病の患者3人の手術中,最もむずかしかったのはギノの手術でしたが,最初に退院したのはギノでした。時には一度に7人の医師がギノの病床を訪れ,その回復の速さに驚いていました」。
またワシントン州のグレグという名の3歳の幼児は心臓の重大な欠陥のために苦しんでいました。その両親が輸血に反対したため,医師団は輸血なしで手術をすることに同意しました。ただし失敗する危険もあることをふた親に警告しました。手術を行なったところ,欠陥のある部分は当初の診断より危険な状態に陥っていましたが,手術は成功しました。
エホバの証人と聖書研究を行なっていたジブラルタルの一婦人は,心臓の一つの弁の障害のため手術が必要であると診断されました。しかしその病院の外科医はこの婦人が良心上輸血に反対であることを知って憤り,彼女を家に帰らせてしまいました。ところが翌日,ロンドンの心臓病の一専門医がたまたまこの病院を訪れ,その事件を耳にしたので,再び入院することを彼女に勧めて診断したところ,輸血なしで手術することを快く引き受けたのです。手術を断わったこの病院の外科医は大いにろうばいし,無念に思ったのはいうまでもありません。そして手術はすべて順調に行なわれました。
事故の場合
事故による重傷者は出血多量で重態に陥っている場合が多いため,外科医はきびしい挑戦に直面します。しかしこのような場合にも血漿増量剤の有効であることが再三実証されています。カリフォルニア州でのこと,ある父親が屋根の穴から6メートル下のセメントの床に転落しました。直ちに病院に運ばれ,診断を受けたところ,何本かの肋骨と,左腕と左手首の骨が折れ,骨盤をいため,そのうえ脳震とうを起こしていました。こん睡状態にあった彼は,スペイン語で,「ぶどう糖,ぶどう糖!」と口ばしっていました。五日後,こん睡状態を脱した時,それまで続いた出血のため脾臓の破裂する恐れが生じたため,医師は脾臓をてき出したいと考えましたが輸血なしでは手術は行なえません。しかも輸血には当人もその妻も同意しませんでした。
その後のことを彼女はこう述べています。「夫の命を救うために,輸血以外の処置をできるかぎり施してくださらないなら,医師は殺人の罪を負うことになると話したところ,医師たちは逆に,その罪は私にあると答えるのでした。では輸血以外に何を行なえますか。私はとっさにこう答えました。『先生,どうしてビタミンB複合剤や鉄を与えたり,肝臓のために注射を打ったりしてくださらないのですか。止血を助けるためビタミンKをやってください。栄養を与えなくては,出血に応じて,あるいはそれ以上にどうして血を作り出せるでしょうか』。すると医師は,夫は出血性の患者ではないから,ビタミンKはかえって危険だと答えました。それで私は,それはわかっていますが,夫は明らかに今もって出血を止める力がないのですから,少しでも助けになるかもしれませんと話しました。医師は私がどうしてこのような事柄を知っているのかを尋ねたので,何年か前,私が出血のため病院に運び込まれた時,そのような処置を施されたいきさつを述べました」。その1週間後,この父親は再び危地に陥りましたが,やがて輸血を受けずに全快しました。
次はニューヨーク州の6歳の少年の例です。少年は自転車に乗っていて自動車にひかれ,頭蓋骨の一部を砕かれ,左腕と左足を折り,腸および脾臓の破裂を含め,内臓にひどい傷害を受けました。しかし輸血なしで手術は成功しました。ところが翌日,余病を併発し,少年の心臓の鼓動は1分間216回に達したため,医師は輸血を主張し,法廷命令を取りつけると言って親に迫りました。しかし話し合いの末,デキストランが投与されました。それから2時間もたたないうちに,少年の心臓の鼓動はゆるやかになり,五日目には正常に復したのです。その後の回復はきわめて速く,まもなく退院して普通に通学できるようになりました。
1968年の暮れ,アメリカの一婦人が事故に会って重態に陥り,医師側は回復の見込みをほとんど捨てましたが,その婦人は輸血をせずに全治しました。快方に向かう彼女の枕辺で,ある時,付き添いの看護婦は,もし自分が同じような事故に会って輸血を受けていたなら,輸血の悪影響から決して立ち直れなかっただろうと語りました。
出産の場合
出産時でさえ血漿増量剤が有効な働きをすることは再三実証されています。1967年8月6日付,オクラホマ州タルサのデーリー・ワールド紙は「輸血無用の生きた証人となったタルサの婦人」という見出しでその一例を報じました。それによると,その婦人は7人目の子供を普通に出産しましたが,8番目の体重2キロの女児を出産するに際して問題が生じました。ひどい出血が始まったのです。医師や看護婦は出血を止めようと全力を上げましたが無駄でした。同紙はこう報じています。
「担当医師は出血を止める唯一の方法は手術以外にないとの結論に達したものの,出血多量のため手術は不可能であった。患者には輸血を施さねばならなかったが,[彼女は],エホバの証人としての信仰に反するとの理由で輸血を拒否した」。彼女が断固として輸血を拒否したため,医師はこう告げました。「回復の見込みはありません。今夜一晩もつかどうかさえわかりません」。しかし婦人とその夫は決意を変えませんでした。「やがて夜がふけるにつれて,出血は減少し,医師はぶどう糖その他の血漿増量剤を投与して,静脈が閉鎖状態に陥らないようにしました」。
そして彼女は,「その夜を生き伸びることができた。しかしヘモグロビンの量は……100ミリリットルにつき2.4グラムであった。正常値は16グラムである。また彼女の血球容積値(血液の血球と血漿の比率)は7であった。正常であればこの数値は40である。医師は彼女がその夜を切り抜けたので,たいへん驚いたが,相当量の出血から考えてなおも輸血を勧めた。しかし彼女は確固とした態度でその勧めを退けて二日目を過ごした。……三日目になってヘモグロビンの数値は徐々に上昇しはじめた。入院後,4週間を経て退院した時,その数値は10.2で,少しずつ上昇していた」。そして2週間後には,「家で普通の家事に携わり,家庭の世話をして」いました。
またケンタッキー州のひとりの母親は初産で同様の経験をして次のように述べました。「私は1968年4月,出産のため入院しましたが,ある伝染病にかかり,出産後八日間に3回出血し,子宮をてき出しなければならなくなりました。手術が行なわれた時,ヘモグロビンの量はわずか3でした。翌朝,目をさますと,ヘモグロビンの量が2.3なので輸血をしなければ助からないと,見知らぬ医師から言われました。しかし担当の医師たちは私を救おうと全力をつくしてくださり,七日後にはヘモグロビンの量は7に上昇し,次の1週間で9.8に戻り,退院しました。そして手術後,5週間で11になり,今では11.5ですから,これは何年来続いてきたいつもの状態を少し上回る数値です」。
交換輸血に代わるもの
黄疸にかかっている新生児を直すには血液交換以外に道はないと考えている医師がかなりいます。しかしここでも少なくとも多くの場合,血漿増量剤で直せると考える医師がいます。そのひとりP・M・デュン博士は「不必要な交換輸血」という論文を「小児科ジャーナル」誌に載せ,ある研究によれば,Rh因子の問題をもつ新生児の「少なくとも半数」の場合は交換輸血を必要としていなかったとし,交換輸血は一般に考えられている以上に大きな危険を伴うと述べました。
1967年2月17日付,メディカル・ワールド・ニューズ紙は「木炭を毎日投与して黄疸を直す」という見出しの報告を載せました。またニュージャージー州の一小児科医は「木炭を投与して……黄疸を直し,交換輸血を不用に」しています。その小児科医はこの方法で交換輸血の必要を90%余り削減できました。そしてこう語っています。「患者に木炭を投与して毒性その他の問題を起こしたことは一度もない」。アメリカの多くの病院では,交換輸血による死亡率は5%の高率ですが,この小児科医の病院ではわずか1%です。
17年前のこと,ペンシルベニア州リーディングで同じ週にふたりの男児とひとりの女児のRh因子の問題をもつ新生児が生まれました。そしてふたりの男児は交換輸血を受けて数日後に死亡しました。もうひとりの女児は親が輸血に反対したので交換輸血を受けませんでした。医師はその親に対して,その女児は死ぬか,さもなければ成長しても知能の遅れをきたすだろうと警告しました。ところが一昨年,成長したその少女は学校ですぐれた成績を収めたため,明らかに医師は幾つかのまちがいを犯したことがわかります。
血漿増量剤が確かに有効であることを示す実例はほかにもいろいろありますが,それらはみなこのような問題を扱う判事にとって注目に値する実例です。前述のアメリカの判事評議会の勧告がいかに賢明なものかは次の経験からもわかるでしょう。
1968年1月のこと,アメリカの3歳の一少女が高熱を出して帰宅し,発作を起こしました。直ちに病院に運んで診察を受けたところ,外科医は,悪性の腫瘍らしいので手術をしなければならないが,手術中,万一の場合には輸血が必要であり,問題を裁判所に提出したいと述べました。やがて事情の説明を受け,輸血なしで手術を行なう医師のいることを聞いた判事は,そうした可能性を確かめるよう時間の猶予を与えました。そしてそのような医師がみつかりました。ところが麻酔医からの横やりのため,別の病院をさがさねばならなくなりました。しかし3番目の病院の主任医師は,「承知しました。輸血なしで手術をしましょう」と言って快く引き受けたのです。手術は2時間を要しましたが,輸血なしで完全に成功しました。実際のところ数滴の血を失ったにすぎませんでした。
昔の賢人はかつて,「知恵ある者はすすめを容る」と述べましたが,確かにこのことばは,輸血に代わる血漿増量剤の使用に関する問題で前述の判事評議会の勧告に従う判事にあてはまります。―箴言 12:15。