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目ざめよ! 1970
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「ピジン」と呼ばれる言語

ニューギニアの「目ざめよ!」通信員

グリーンランドに次ぐ世界第二の大きな島であるニューギニアは,オーストラリアの少し北にあります。この島の共通の話しことばは,「ピジン」と呼ばれる言語で,もっと正確には,「メラネシア・ピジン」と言われています。

この言語は生まれて100年ばかりの比較的新しい言語で,その語いは2,000に満ちません。ですから,表現したいことがあっても,適当な単語がないのではないか,と考えるかたもいらっしゃるでしょう。しかし,限られた数の単語を巧みに用いるなら,メラネシア・ピジンといえども非常に適確で,表現に富む言語であることがわかります。

この言語はどのように発達しましたか。どのように役だっていますか。話されている事柄に関係する単語がない場合,どのように考えを表現しますか。メラネシア・ピジンに対して人々はどんな態度を取っていますか。

起源

ピジンは,おもに交易の必要から発達した言語です。「ピジン」という語は,英語の「ビジネス」(仕事の意)のなまったものと考えられています。もともと,「ピジン」と呼ばれる言語は,17世紀ごろ,中国大陸沿岸で商取り引きをした英国の商人と現地住民との間に発達しました。時たつうちに,だいたい同様な目的で,ピジンにも地域によって多くの方言が生まれるようになりました。

1788年,英国の移住者がオーストラリアに到着してまもなく,現地住民との意志の疎通を図る手段としてオーストラリア・ピジンが発達しました。ピジンはそこから各地に広がりましたが,そのいきさつについて,大英百科事典は次のように述べています。

「ピジンは,18世紀の末,つまり,太平洋諸島が貿易を開始するかなり前にオーストラリアの東海岸で発達したものであるから,オーストラリアが,太平洋地域のピジンの発祥地とみなされてしかるべきであろう。……当然のことながら,オーストラリアとニューギニアのピジンはそれぞれ近密な関係を持っている。ニューギニア現地住民の語いの中には,最初にオーストラリアで用いられた単語がたくさんある」。

ニューギニアは,つい100年ぐらい前まで,ほとんど知られざる島でした。しかしその後,この島には商人,宣教者,植民者などが絶えまなくはいってきました。メラネシア・ピジンが生まれたのはそのころのことです。今日この言語には,英語からの派生語やドイツ語・メラネシア語・ポリネシア語・マライ語からの借用語が含まれています。

その実際的な価値

ピジンはあたかも雑草のはえかたにも似た規則のあてはめがたい性質を持っているため,長い間その使用を廃止する努力が払われてきました。しかし1875年ごろまでに,ピジンはすでにニューギニア原住民の間に深く根を降ろしていたため,原住民はドイツからきた商人にドイツ語では話をしないほどでした。この事態にうんざりしたフォン・ヘッセーバルテック男爵は,この「ばかげたピジン」の代わりに,「まともなドイツ語」を使うように促しました。しかし,そうした努力の結果,かえって多くのドイツ語がピジンに取り入れられるようになりました。

今日でさえ,ニューギニアの学校ではピジンを話すことは禁じられています。この言語の使用を廃止するために,種々の強力な手段が取られています。しかし,そうした反対があるにもかかわらず,メラネシア・ピジンが実用にかなうものであることは否定できません。どうしてそう言えますか。まず,この辺ぴな場所の地理的な条件を考えてみてください。

ニューギニアは,高い山脈の連なる島で,高原が広がり,人目につかないような所に多くのけい谷があります。白人が一度も踏み込んだことのない場所もまだあります。数多くの部族が住んでおり,500以上の異なった言語が話されます。ひとつの言語群に属する住民の数が,5,000人未満というような場合すらあります。

昔,部族間で商取り引きが行なわれたことはほとんどありませんでした。部族の間でひんぱんに戦いが行なわれたことは確かですが,文化的な意味での接触はほとんどありませんでした。しかし今日,事態は変わってきています。早く,しかも容易に学べる,伝達の手段が必要です。メラネシア・ピジンはその必要を満たしているのです。そして,この言語がニューギニアの近づきがたい遠隔の地に広まるにつれて,さらに多くの部族が互いに連絡できるようになります。この言語は短期間に修得できますが,これがもっと複雑な言語であれば,そう簡単には学ぶことができません。

限られた数の単語を巧みに使う

メラネシア・ピジンの単語数はふえていますが,それでもまだ2,000語以下です。古い言語には通常この何倍もの語数があります。しかし,たとえ語数が少なくても,物事を正確に言い表わしたり,また表現を豊かにすることはできます。限られた語いの正しい配列の仕方を学びさえすれば良いのです。

パンを例にとってみましょう。メラネシア・ピジンではパンのことをブレットと言いますが,パン屋に相当する語がありません。それでパン屋のことを「ハウス・ブレット」と言います。それは字義どおりに訳すと,「パンの家」という意味です。パン屋さんのことを,「ア・マン・ビロング・ウォーキム・ブレット」,つまり「パンを作る人」と言います。パン1個のことを,簡単に「ハップ・ブレットと言います。これはパン半分ではなく,パン「一切れ」を意味します。薄く切ったパンのことは,「ブレット・オル・イーカッチム・パスタイム」となります。それは「前もって薄く切ったパン」という意味です。

このように,メラネシア・ピジンに適当な単語がない場合でも,たいてい自分の考えを適切に表現できます。ですから,「創造者」に該当する単語がなくても,途方にくれる必要はありません。この称号は「マン・ビロング・ウォーキム・オルゲタ・サムチング」と表現され,字義どおりには「万物を作るかた」という意味になります。

ピジンを書き表わす

文学作品をメラネシア・ピジンに翻訳するには,さまざまな困難が生じます。しかし,最高の文学作品である聖書のある部分はすでに翻訳されており,その中には四つの福音書,使徒行伝,パウロの手紙数通が含まれています。そして,ニューギニアの人々がそれらの書物を熱心に求めて,研究していますが,これはほめるべき事柄です。

さらに多くの読み物がメラネシア・ピジンで出版されています。今では公衆のための通知や小冊子,それに新聞や,かなりの数の書物がメラネシア・ピジンで出版されるようになりました。さらに,全世界で配布されている「ものみの塔」誌も,メラネシア・ピジンで各号約3,800部,出版されています。

あらゆる民族や国民が誤解の心配なく意志を通わせるようになることは,今日の人類が必要としている最も重要な事柄の一つですが,「ピジン」と呼ばれる言語はその目的を果たす手段となっているのです。

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