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目ざめよ! 1972
目72 6/8 20–23ページ

ペルーの型破りの音楽

ペルーの「目ざめよ!」通信員

ラファエルは玄関をはいると深々といすに腰をおろして言った。「わたしたちはこれまでにも長時間,録音をしてきたけれども,今度のような演奏は経験したことがないね。ただ腰かけて,いつものように伴奏をするかわりに,オーケストラの団員に山岳音楽の演奏の方法をなんとか教えようと思って午後の時間を全部費やしたよ」。

「そんなに骨の折れる仕事ではないはずです。みなさんはすべてギターの専門家だし,それに民俗音楽はとても簡単ですからね」とわたしは答えた。

「簡単と言えば簡単ですが,その拍子に気づいたことがありますか。ペルーの山岳で育った人でもなければ,あの拍子にはだれだって参ってしまいますよ」。

「そうですね,わたしもペルーの民俗音楽がいささか風変りなことは知っていますが,それにしても拍子のことで何かあるんですか」。

「数小節ごとに,普通の拍子のほんの一部分しかない一節がはいっているのですが,こういうことは音楽の世界では全く行なわれていません。一つの曲には幾つかの小節があり,それぞれの小節には,それが二拍子,三拍子,四拍子あるいはそれ以上であっても,一定の拍子があることは,音楽家だったらだれでも知っています。ところが,ペルー山岳の民俗音楽はそうではないのです」。

「ちょっと待ってください」とわたしは言った。「わたしは音楽のことなら少しは知っていますが,リズムを持つためには各小節がタイミングに合っていなければならないことも知っていますよ。各小節に十分の長さが与えられていないときほど,それを演奏したり歌ったりしてがっかりさせられることはありませんね。あなたが言おうとしておられるのは…」。

「つまり,ペルーの民俗音楽では全部の小節の拍子の長さが同じでないということですよ。じゃあ,わたしが実際にやってお見せしましょう」。そう言うと,彼は,わたしが奥地で教えていた4年間に何回も聞いたことのある,なじみの深いあるメロディーをハミングしてくれた。彼がハミングしているとき,5小節ごとに,拍子数のちょうど半分のところで短く休止するのにわたしは気がついた。それはペルーの音楽としては普通の楽しいものであった。

「この音楽に合わせて踊るダンスをおぼえていませんか」と彼は尋ねた。「じゃあ,あなたの記憶をよみがえらせてあげましょう」。そういってラファエルは立ちあがり,同じメロディーをハミングしながら前後にステップを踏み,それから5小節目ですばやく両足をちょっと止め,ついですぐ次の4小節のためのステップを再び始め,また5小節目でちょっと止まるのである。わたしは,インディオたちがこのようにして歌ったり踊ったりしているのを何度見たことだろう。それは実に魅惑的で,たいへん独特のものである。この音楽とこの型の踊りは完全に調和するのだ。

わたしはプナ(寒い乾燥した高原)に点在する,あるいはアンデス山中の段々になった谷間にいだかれている古風な小さな町々に思いを馳せた。また,小さな楽団が手製のハープやフルートを用いて広場で演奏している場面を思い出した。くるくると回る色あざやかな,波打つような動きを見せるスカートに包まれて,手編みの帽子をかぶった相手の反対側で輪を描いて回る踊り子たちの頑丈な足が目に映る。くるくる回って足を踏み鳴らしては止まり,またくるくる回って足を踏み鳴らしては止まるのである。

ラファエルは再び話しだした。この型破りの音楽を楽譜に書くのはむづかしいが,それでもこれは複雑なものではないし,演奏するのは簡単だと彼は説明していた。それも変則的な小節を除けばの話である。というのは,それは従来の音楽家にとっては信じがたいほどの問題を引き起こすからである。彼らのいわゆる知的メトロノームは,欠けている拍子を補ない,リズムを均等にしようと努める結果,この民俗音楽独得の型破りのおもしろみが失われてしまうのである。

今日の古代インカ音楽

ペルーは,その細長い中央部に沿って高いアンデス山脈によって二分されており,現代の交通機関ができる以前の幾世紀もの間,山岳部の住民と,細長い地形の海岸地方の住民との間の連絡はごく限られていた。したがって,インカ人が作り出した山岳音楽は,ほとんど元のままの形で保存されてきた。やや奇妙に思えるのは,この民俗音楽が比較的近くの海岸地方にはほとんど浸透していないにもかかわらず,全長およそ3,200㌔に及ぶ山岳地方には,地方ごとにほんのわずかの変化をみただけで浸透していったことである。

こうした変化は三つの地方的「音階法」へと発展してゆき,それが今日,ペルーのアンデス山地の北部,中部,南部のそれぞれの特色をもつ音楽として認められるようになったのである。

たとえば,もし北部山岳地方出身の人なら,陽気で活気のある音楽を好み,それに合わせてテンポの早い,飛び上がるステップや行進曲で踊ることに馴れているだろう。そしてバイオリンや土地で作られたハープ,クエナ(植物の茎でできている笛のような楽器)を用いたり,それにギターの調べを加えることをこよなく愛するだろう。

ところが,それとは対照的に,南部出身の人なら,チャランゴのぶんと鳴る音や大きな“ギタロン”の特に重々しい調子がかもし出すもの悲しいメロディーを加えた,マンドリンとアコーディオンのかなでるさびしい調べを好むことだろう。そのようなものさびしい民謡に合わせて踊っていると,感情に動かされて,あれたほほに涙が流れるだろう。

あるいは,サクソホーンやクラリネットそしてハープとバイオリンの愛用される土地,つまりアンデス山地の中央部で育った人ならば,庶民的な情緒のある軽快な調べを喜ぶだろう。遠くで聞こえるカジョン(手製のドラム)を打つ音を耳にすると,つい広場へ行って,輪になっておどる踊り子に加わって手をつないで踊ったり,調子の良い伴奏に合わせて手拍子を打つだろう。

型破りの拍子

山岳地方のインディオたちは,海岸地方から伝わってきたワルツに合わせた踊りを学んだが,この民俗音楽にはワルツのリズムは事実上知られていない。人気のある二ないしは四拍子の小節は,たいてい相次ぐ数小節から成る楽節に分けられ,そのあとに型破りの小節が続くのである。

そのような変則的な小節がどこに挿入されているかは曲によって違うし,また時には1曲の中でさえ違う場合がある。たとえば,最初の2小節は四拍子で,そのあと一拍子だけしかない1小節が続き,そのすぐあとに四拍子から成る2小節,それから一拍子の小節が続くというような曲があるかもしれない。そしてこれは旋律がわずかに変化するだけで,曲全体を通してくり返されるのである。それでは旋律の色合いや独創性に欠けると思われるかもしれないが,何時間も同じ調子で,足を踏みならし,手拍子を打ち,叫び声をあげて踊る彼らの限りない熱意によって補われるのである。

感情的なはけ口

これらインディオたちは,表面的には感情をあまり表わさないが,その音楽は深い表現力に富みに感情を表わすことができる。社交的な集まりで,エル・トリステ(悲しむ者)と呼ばれる曲に合わせて歌われるテンポの遅い,もの悲しい民謡は,その一つの例である。それは悲しみを表現した,感傷的なセレナードであり,また歌手が歌う唯一の曲である。独唱者は,旋律だけをかなでるただ一つのギターの伴奏とともに,スペイン語かケチュア語で歌う。歌手は悲しさを誇張して,歌い,聴衆すべての感涙をさそう。そこここに入場客が小さな群れとなって,ためらうことも恥ずかしがることもなく泣いているのを見るのは珍しくない。みんなは楽しんでいるのだ。

確かに原始的な音楽はその音楽を生み出した地方の土着の人々にいちばんよく理解されている。ところが近年になって,インカ人の作り出したこの音楽が交響曲用にいくらか編曲されてきた。変則的な小節は犠牲にされてはいるが,管弦楽として演奏されると,管弦楽の豊かなハーモニーが加わるので,曲全体に流れる短調は驚くほど美しい。

山岳地方の民俗音楽に対応する海岸地方の音楽

しかしもしこの民俗音楽の地方的な特色を把握するのが外部の人にとって困難であるとすれば,海岸地方のクリオロ音楽は,だれにでも容易に演奏できるごく普通のものと考えるべきだろうか。事実はそんなに都合の良いものではない。海岸地方のクリオロ音楽にも,それなりに意外な事柄がいくつかある。

四分の三拍子(通常ワルツの拍子)を用いない山岳地方の民俗音楽とは対照的に,クリオロ音楽には,ポルカやフォックストロットに加えて,軽快なワルツ曲がいっぱいある。その多くは非常に楽しいごく普通の音楽だが,それらクリオロ音楽の曲の中には,独特の切分音(通常の弱拍音が強拍音になる)をもって演奏され,歌われる。

それぞれの“演奏者あるいは歌い手”は,切分音を独自の様式で,しかしいつもペルー独特の趣を加えて解釈する。それはここで育った人でなければ,それと同じことはめったにできるものではないとされている。たいへん興味深いことに,二重奏(唱)・三重奏・四重奏でも,長時間の練習を積めば,この特異なリズムを完ぺきな和音をもって『切分』できるのだ。歌詞の非常に多い曲を歌うさい,これはいっそう驚くべきものとなる。それらの曲には,始めから終わりまで,それはたくさんのことばが歌われ,切合されたリズムに合わせてたくさんのことばが矢つぎ早やに歌われ,よどみのない音楽のマラソンでもあるかのように巧みに織り込まれており,聞き手はかたずをのんで聞きいるのだ。

地理的変化に伴うムードの変化

海岸地方にある首都リマのワルツ曲は陽気で,ギターの巧みな演奏や近代的な管弦楽団の演奏によって浮き浮きしたムードが生み出される。リマの街路を歩くと,日中のいつか,たいていどこかの中庭で行なわれている祝いの集まりのそばを通ることになるだろう。そしておそらくトランペットが覚えやすいフォックストロットの曲を鳴らしていることだろう。あるいは,サクソホーンの伴奏でポルカや軽快なワルツが演奏されているかもしれない。しかしペルーのそれら通俗音楽は彼ら独特の切分音をもって演奏されているであろう。

北部海岸に向かって旅行するにつれ,音楽がひときわ感傷的なものになることに気づく。そうしたムードを強調するかのように,歌い手は魅惑的な声で歌えるよう滑唱法を身につけており,哀調を加味して歌うのである。

時の経過とともに,このクリオロ音楽はすべて,近代的奏法に順応しつつあるが,山岳地方の民謡音楽にかんしては,連山の奥深くにラジオが数十年もの間,普及しているにもかかわらず,変化する気配さえない。

インディオの小さなオーケストラがフルートやハープで型破りの音楽を演奏し,色とりどりの服装をした何組かの男女が踊っている光景は,ペルーでよく見られる典型的なものである。風にあれた,からかね色の頬のセニョリータ(娘たち)の幾重にも重なった波うつスカートは,彼女たちがぐるぐると回っては足を踏み鳴らして止まり,ぐるぐると回っては足を踏み鳴らして止まるさいに,すっかり上がって大きな円を描くのである。

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