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  • 「オーイ,タクシー!」
  • 目ざめよ! 1972
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目ざめよ! 1972
目72 9/22 16–19ページ

「オーイ,タクシー!」

タクシーの運転手はだいたい愛想のいい人たちである。彼らは時に,興味深い,珍しい経験を持っている。それは彼らの役得の一つと言えるだろう。たとえば,タクシーの運転手は,多くのいわゆる名士,有名な音楽家や政府の高官,さまざまな職業の人や,いろいろな国から来たおもしろい人たちに会えるし,その人たちとことばを交わすことだってできる。ガソリンで走るタクシーがはじめて姿を見せた1907年このかたの,タクシー運転手のそのような経験を書きつづれば,何冊もの本ができるだろう。

タクシーが登場する以前は,東洋では長い間人力車が人気を占めていた。人力車というのは軽い二輪車の乗り物で,ひとりの車夫が,2本のかじ棒の間にはいって引くのであるが,それはちょうど馬が馬車を引くのに似ていた。たいていの人力車には,乗客を日光や雨から守るほろがついていた。かつては,たいへん人気があったのであるが,『人間の馬』とはみっともない,ということで,中国大陸の多くの都市ではこれがご法度になった。そのために三輪自転車の輪タクがこれに取って代わり,次いで,現在ではタクシーが輪タクに取って代わりつつある。

西洋の国々のタクシーは,1907年の初登場以来大いにふえて,今日ではアメリカだけでも約15万台のタクシーが営業している。そのうち7,000台の認可された黄色タクシーは,ニューヨーク市で営業している。

ある都市には地域的な取り決めがあって,タクシー運転手はそれに従って料金を徴収するが,ほとんど全部のタクシーが料金表示器を装備している。料金表示器というのは,時間と走行距離を記録して,乗っている間と待つ間の料金を計算する装置である。これはまた総収入を記録して,タクシー所有者に情報を与えるものでもある。

タクシー運転手の給料

アメリカで10年間タクシーを運転しているある家族持ちの男が,「なぜタクシー運転手を選んだのか」という質問を受けた。「これは私が知っているなかで,お金をもうける一番手っとり早い方法であり,もし人と話すのが好きなら,非常におもしろい仕事だからだ」と彼は答えた。タクシーは利益のある仕事にちがいない。というのは,ニューヨーク市では,タクシー1台の営業許可証が2万㌦(約600万円)以上するので,タクシーの数が厳しく制限されることになるからだ。料金は現在のところ,最初の5分の1マイル(約320㍍)は60㌣(約185円)で,そのあとは5分の1マイルごとに10㌣上がる。つまり最初の1マイルの料金は1㌦で,あとは1マイルごとに50㌣あがるということである。

ニューヨーク市では,収入1㌦につき,42.5㌣から50㌣がタクシー運転手自身のものになり,それにチップが加わる。このチップが収入の15%もある。週に5日,10時間から12時間働くと,1週間の収入は150㌦から225㌦ほどになる。ニューヨーク市のあるタクシー運転手の話によると,週末にタクシーを運転するのは収入の多い仕事になる。一晩に60㌦もの収入があるからだ。もちろん,多くのタクシー運転手は自分の車で営業しているから,税務所を別にすれば,だれとも収入を分け合う必要はない。しかし車を借りて営業する運転手もいる。プエルトリコのサンフアンに住むあるタクシー運転手などはそうだ。彼は認可を受けている車を一晩借りて9㌦使用料を払うが,妻子を養うに十分の収入を得る。多くの町ではタクシー運転手は組合を作っていて,組合費と交換に,賃金の引き上げをしてもらったり,特別給与を受けたりする。しかし,ニューヨーク市における最近の賃金引き上げは,タクシー料金の2倍に近い値上がりを招き,以前は二交替で1日に平均65回客を運んでいたのが,現在では平均わずか49回ほどに減ったので,大した成功とは言えない。

タクシーにかんする規定

タクシー運転手の認可にかんしては,各都市に独自の規定がある。ニューヨーク市でタクシー運転手になるには,自動車運転免許証を持っていなければならないうえに,前科者であってはならず,また就職するにはたいてい3通の推薦状を提出できなければならない。「タクシー運転手の手引き」にも精通し,試験も受けなければならない。大きな病院や空港のある場所も,タクシー運転手が知っていなければならないことの一つである。また無線の使用に関する規則や,何を乗せてよいか,また何を乗せるのを拒絶してはならないかを決めた規則もある。また,人が車内にはいらないうちに行き先を尋ねてはいけないことになっている。

タクシー会社は,運転手不足の場合が多いので,タクシー運転手希望者によく便宜をはかってくれると言われている。この不足を補う助けとなっているのは,女性がタクシー運転手になる傾向である。それにしても,給料もかなりよく,おもしろい仕事でもあるタクシー運転手が求人難とはどういうわけだろう。それはタクシーの運転には多くの挑戦があるからである。

事故という挑戦

営業中,タクシー運転手はよく注意していなければならない。とくに若者が運転する車には油断ができない。若者たちは,タクシー運転手よりも危険を冒しやすく,タクシーの運転手以上に多くの事故を起こしている。

また,交通規則を無視してふらふら街路を横断する人々がいる。タクシー運転手はすぐにそういう人を見つけて停車できるだろうか。ある雨の夜,交通の激しいマンハッタンの路上で,赤信号が出ているにもかかわらず,一人の女がタクシーのまん前に出てきた。運転手は急ブレーキをかけたが間に合わず,女をはねてしまった。警官はタクシー運転手の無罪を認めた。それでも彼は大きなショックを受け,タクシー運転手をやめてしまった。二度とそういう経験をしたくなかったのだ。

交通法規を犯すことへの誘惑

事故という挑戦と密接な関係のあるのが,交通法規を犯す誘惑である。お客を最少限の時間で目的地へ運ぶためには,交通信号を出しぬく,つまり信号が赤に変わるちょうどその時に交差点を渡ろうとする気持ちは強いものがある。また道路の反対側でタクシーを呼ぶ人がいれば,Uターン禁止区域でもUターンをしようかという誘惑にかられる。しかしタクシー運転手でも注意深く運転することができる。バージン諸島のセントトマス島に住むあるタクシー運転手の話によると,彼は10年ほどタクシーの運転手をしているが,まだ一度も交通違反のチケットを渡されたことがない。

もちろん,もし彼がニューヨークのような大都市に住んでいたなら,どんなに注意してもチケットの一枚くらいは渡されていたかもしれない。そういう大都市では,交通巡査が,チケットを渡す数の少ないことを急に意識して,さっそく自分の交通違反取り締まり記録の改善に乗り出すことがある。そうなると警察官は,境界線を越えることとか,その他違反と見なされるものをびしびし取り締まるので,タクシー運転手も,どんなに注意していても,チケットを渡されるはめになるかもしれない。

といっても,これは警察官とタクシー運転手とは,両立しないかたき同士であるという意味ではない。その正反対である。警察官の中には,パートタイムのタクシー運転手をして,余分の収入を得ている人が少なくない。両者の間の協力の典型的な例はタクシー運転手が2組の男女の客を拾い,その客が,タクシーはわざと回り道をしていると言い張り,口ぎたなくののしったある事件の場合である。そのタクシー運転手は最後に警察の車に近づいて警官に事情を説明した。すると警察官はその手におえない客に下車を命じた。

犯罪という挑戦

事故や交通違反に加えで,とくにニューヨーク市のような大都市では,犯罪者がタクシー運転手に挑戦を投げかける場合がある。1970年の最初の8か月間に同市では,毎週に7人の割りでタクシー運転手が,撃たれるか,刺されるか,殴打されるかして殺され,70人が売り上げ金を強奪された。

こうした危険と戦うために,警察官は勤務時間以外の時間にタクシーを運転する許可を与えられ,そして市当局は,タクシー運転手の座席と客席との間に安全な防弾ガラスを取りつけること,売り上げ金を入れる箱をかぎで床に固定させることを義務づけた。タクシー運転手はその箱のかぎを所持しない。こうした措置 ― 他の都市でもこのうちのいくつかを採用した ― が取られたために,タクシー運転手が直面する危険は大幅に減少し,1971年には,営業中に殺されたタクシー運転手はひとりもいなかった。

この危険について,あるタクシー運転手は,「目ざめよ!」誌の編集部員に次のように語った。

「それは大みそかのことだった。りっぱな服装をしたひとりの若者が乗り込んできて行き先を言った。目的地に着くと若者は車を降り,小銭を取り出そうとしたときに,そのいくらかを舗装道路の土に落とした。若者が探しにくそうにしていたので私は車を少し動かし,落とした場所にライトを照らしてやった。そして私もしゃがんで金を探すのを手伝ってやったが,顔を上げて見るとその若者は私の頭にピストルを突きつけていた。

「彼は私に,自分の家の玄関口まで登ることを命じた。階段を登り切ると,2人の男が上の方の階からかけ降りてきた。3人は私を一番上の階に連れて行き,両手を頭の上に差し上げさせて壁に向かわせ,財布と時計と指輪を奪った。タクシーの中にも金があるか,と彼らは尋ねた。実際に私はかなりの金を持っていたので,降りて行って探すといい,と言った。逃げられるかも知れないと思ったからだ。ところが彼らのひとりが,『やってしまおう』と言った。そこで私は,自分はクリスチャンの奉仕者で,自分の時間を使って多くの人を援助してきた,これからもそれを続けたいが,君たちが私を殺そうというのなら仕方がない,私には君たちをとめることはできない,と彼らに言った。すると彼らは,われわれの顔を見たか,と言った。その夜はかなり暗かったので,見なかった,と言うと,それを聞いて彼らは私を解放した。彼らは麻薬中毒者だったようだ。私はこの事件を警察にとどけたが,その後,このことについては何の音さたもなかった」。

正直という挑戦

タクシー運転手にはもう一つの挑戦がある。それは,雇い主またはお客をごまかすかどうか,ということである。たとえば,タクシー運転手は,土地に不案内な人を乗せる場合,その人には違いがわからないので,料金が高くなるように,回り道をするかもしれない。また,自分の車で営業している運転手は,料金表示器を立てずに行くよりも均一料金の方が高いことを知っている場合に,表示器を立てたまま均一料金で行くことを客にすすめるかもしれない。あるいは,もしある会社から仕事に出て行っているならば,目的地まで表示器を倒して行くよりも安い均一料金で行くことを客に申し出るかもしれない。表示器を使わなければ,自分の分け前だけでなく,料金を全額自分のポケットに入れることができるからだ。

この誘惑に負ける運転手がいることは,1971年12月15-30日号の「タクシー・ニュース」に掲載されたある記事を見れば明らかである。その記事は「エントツに警察の手入れ」という見出しをかかげ,次のように述べている。「新しい指示のもとに,10月15日以降,表示器を立たまま客を乗せて走るタクシー運転手 ― このようにして雇用者をごまかす ― は,初犯で25㌦,再犯で50㌦の,罰金を科せられ,3犯では許可証を取り消されている。

「委員会の報告によると,11月中,23人のタクシー運転手がつかまり,25㌦の罰金を科された。12月にはいってからは,今までにさらに13人が初犯でつかまり,25㌦罰金を取られた。再犯の者は4人で,50㌦の罰金を取られた」。

このごまかしに対抗するため,乗客が腰をおろすと自動的にメーターが動き出す「ホット・シート」を装備したタクシーもある。

しかしこの問題にかんしては,一般大衆にも責めがある。乗客も安くタクシーに乗るために,メーターを立てたまま走るよう頼む場合が多いのである。その場合,運転手は料金の何割というのではなく,全額をポケットマネーにできるからだ。また,なかにはこれを脅迫的な態度で要求する客もいる。ある運転手はそうされたときにこう答えた。「すみません,お客さん。今晩は取り締まりがかなりきびしいもんで,つかまるといけませんから,かんべんしてください」。乗客は納得した。

このタクシー運転手は次のような経験も話してくれた。「婦人の乗客が,『ブロンクスまで行ってちょうだい。はい,5㌦。メーターを倒さないで』と言った。それで私は,『すみません,奥さん。私はいつもメーターを倒して走るんです』と答えた。その女はブロンクスの目的地に着くまでずっと文句を言っていた。料金は3㌦50㌣だった。彼女は料金を払うことは払ったが,私がメーターを倒したために,つまり私が正直であったために,その人は1㌦50㌣節約できたのだが,チップもくれなかった」。あるタクシー運転手は不正直だという非難に対しては,大衆も責めを負わねばならない。

クリスチャンのタクシー運転手

タクシー運転手の中にはエホバのクリスチャン証人たちも混じっている。まともな仕事なら,ほとんどすべての職場に彼らはいる。前述の経験も,ほとんどが,そういうタクシー運転手たちの味わった経験である。クリスチャン奉仕者にとって,タクシー運転手は都合のいい職業だ,と彼らは言う。以前,事務関係の責任の重い仕事をしていたあるタクシー運転手に言わせると,タクシーの運転手という職業は,争いを好む仲間やみだらな仕事仲間にわずらわされないという利点がある。もし自分がそうしたければ,乗客との間に距離を保つことも容易である。

そして何よりもいいことに,かなり自由がある。聖書の集会に出席する時間も取れるし,余分のお金が欲しければ,働く時間を延ばすこともできる,着実に働けば,ボーナスだってもらえる。ニューヨーク市のタクシー運転手には,総収入の特定の歩合に基づく休暇や他の恩典がいろいろとある。そしてクリスチャンのタクシー運転手は,いわゆる名士をも含めて多くの人々に,黙示録 21章4節に述べられている地上の楽園という,聖書に基づく希望を伝える多くの機会に恵まれる。

この次にタクシーを呼びとめるとき,あなたはひょっとしたら,あなたと楽しく会話を交わそうとする,そして正直に働いて生計を立てることに努める,世帯持ちの,愛そうのいい運転手にめぐり会えるかもしれない。

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