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  • 目ざめよ! 1973
目ざめよ! 1973
目73 1/8 28–29ページ

妻のうるわしい行ないは夫を真理に導く

それはとても魅力のある仕事でしたから一心不乱に励みました。私は記録映画のカメラマンとして約18年間,全国をかけ巡りました。皆さんの記憶にあるたいていの大事件やさまざまのドキュメンタリーを描きましたが,当時得意になって胸を張った映画,「東京オリンピック」の製作にも参加しました。おもしろくて家庭を忘れてしまい,子どもたちのことは妻にまかせっきりでした。職務に忠実だったため,よりよい地位が与えられました。大阪へ,札幌へと転任が続き,ますます忙しくなり,わが家をかえりみる余裕を失ってしまいました。その間,妻は伝道で訪れたエホバの証人の奉仕者と聖書研究を続け,おりにふれては学んだことを私に聞かせてくれていたようです。「…ようです」というのは,右の耳で聞いたことが左の耳へ通り抜けていたからです。さて私が忙しくなるにつれて,妻はますます私を大切にしてくれました。時には好物の箱詰をつくりその中に手紙を忍ばせてありました。その心づかいに旅先で,ほろりとしたことがよくありました。それもその時だけで自分の職務に無我無中でしたから,疲労が重なって暴言を吐くようになりました。「別れたっていいじゃないか」。でも妻はいつも冷静で穏やかでユーモアさえ見せるゆとりがありました。妻は「じゃあ別れる前にもう一回集会につき合ってちょうだい」と言い,私は巡回監督の公開講演に誘われました。その講演の中で,テモテ前書 5章8節が引用されました。『人もしその親族,ことにおのが家族を顧りみずば,信仰を棄てたる者にて不信者よりもさらに悪しきなり』。そのことばが私の心を打ち,あとは聞こえなくなりました。いつも変わらず務めを果たす妻,何日も家をあけても私が帰宅した時には子どもとともに5人全員が玄関に並んで迎えてくれました。あるときは,早く帰ってきてね,と泣きながら抱きついてさえきた娘たちでした。旅先にも必ず手紙を書いて送ってくる妻と子どもたちでした。大切にしなくてはならないのは仕事ばかりではなく,こうした家族のほうなのである。私は聖書研究に身を入れ始めました。大好きだった職業をやめ,全部の集会に出席できるような仕事に変えたのです。そして妻に内緒で準備を始めました。宣べ伝える奉仕に参加する心がまえを固めたのです。

1971年8月6日,東京後楽園競輪場における「神のお名前」地域大会で,私はバプテスマを受け,兄弟となることができました。ふりかえって見ると,妻は聖書の真理を学んで以来,妻として,また母親としての役目をいっそう忠実に果たしてくれました。私が新しい人格を着ることができたのもエホバの導きはもちろんのこと,妻の「うるわしい行状」がその一助となったことを心から喜んでおり,感謝しています。

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