「柔道の授業受けられません」
1974年1月19日付読売新聞夕刊より
「西宮の3中学生」
「宗教上で相手倒せぬ」
「[西宮]『クリスチャンとして,相手を倒す柔道の授業は受けられません』と西宮市内の中学校で,三人の生徒が宗教上の理由から必修科目の格技を拒否している。学校側は“授業見学”の形で措置しているが,初めてのことであり,市教委もどう取り扱ったらよいのか頭を痛めている」。
「柔道の授業を拒否しているのは一年生の男子で,三人とも『ものみの塔聖書冊子協会』の教徒。三学期から始まった柔道の授業のさい『聖書には“剣をスキに,ヤリをカマに持ちかえ,二度と戦うことをしない”という意味のことが書かれており,エホバの証人である私は自ら戦うということをしたくない。柔道は日本古来の神道からきており,相手を倒すものなので,良心が許しません』と申し出た。
「学校側では『柔道も他のスポーツと同じで,健康上,参加できない場合を除いて,授業は受けるべきだ』と説得したが,三人の意思は固く,信教の自由を保障した憲法や,個人の尊厳を重んじた教育基本法の精神をくみ取って,無理じいは避け,見学することで,授業を受けているとみなすことにした。
「格技は四十七年四月に改正された文部省の中学校指導要領によって年間百二十五時間の体育実技のうちに組み入れられ,10-20%を柔道,剣道,相撲のうち,どれかを採用するよう義務づけられて,昨年四月から全国の中学校で実施されている。同中学では柔道を採用し,三学期中に約十二時間を消化する予定にしている。
「拒否問題について家族は『他のスポーツでも勝つために争うべきではない,と子供に教えています。とくに柔道や剣道は戦前,戦時中の暗いイメージにつながります。授業を受けないのは親の押しつけではなく,子供の自主的な考え方です』といっている。
「この問題について教育界の考え方はさまざま。竹村賢造西宮市教育長は『初めての経験で,むずかしい問題が含まれ,これからの教育を考える上でも重要』といい,行田良雄神戸大教授(教育学)は『義務教育に剣道や柔道を持ち込む必要性はなく,むしろ教育に,相手を倒すことを前提とした武道を取り入れたのが問題だ。中学生であっても,教育を受ける権利があると同時に,場合によっては拒否する権利もあるといえ,こうした問題が提案された以上,内容を検討するのが教育ではないか』と,格技採用そのものに疑問を投げかけている。
「これに対し,神戸大学高橋省己教授(教育心理学)は,『昔の軍国主義時代と違い,日本の伝統的スポーツとして教育に取り入れたものだと思う。あらゆるスポーツは勝ち負けを前提としており,それを通じて相手を尊重する精神が養われていくものだ。格技もスポーツであり,これだけを拒否するのは,生徒の考えすぎではないだろうか。生徒の気持ちが熟するのを待って,話し合うのが最善と思う』といっている。
「文部省体育局・山川岩之助教科調査官の話
『かつて高校で問題になったことがあるが,宗教上の問題なので,強制できず,時間をかけて解決するしか方法がない。個人を尊重しながらスポーツとして理解を求めるようにしてほしい』」。