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  • 聖書の第44番めの本 ― 使徒たちの活動
  • 目ざめよ! 1974
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  • 「使徒たちの活動」の内容
目ざめよ! 1974
目74 7/8 28–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第44番めの本 ― 使徒たちの活動

筆者: ルカ

書かれた場所: ローマ

書き終えられた時期: 西暦61年ごろ

含まれている時代: 西暦33年から61年ごろまで

1,2 (イ)「使徒たちの活動」の中ではどんな歴史的できごとおよび活動が描写されていますか。(ロ)この本はどの時期の事を含んでいますか。

霊感を受けた聖書の第42番めの本の中で,ルカは,イエスとその追随者たちの生活,活動,また宣教に関する記述をまとめ,イエスの死の時にまで言及しました。歴史的な記録である,聖書の第44番めの本,「使徒たちの活動」は,初期キリスト教の歴史に関する記述を続け,聖霊の働きによる会衆の設立,および証しの業の拡大の模様を描写しています。その証しは初めはユダヤ人の間で,ついであらゆる国の善意の人々に対してなされるようになりました。初めの12章の内容の大半はペテロの活動に関するものであり,残りの16章はパウロの活動を扱っています。ルカはパウロの旅行の多くに同行し,パウロとの親密な交わりを持っていました。

2 この事はテオフィロにあてて記されています。その人物は「きわめてすぐれたテオフィロ」として言及されていますから,なんらかの公職に就いていたものと思われます。この記述は,クリスチャン会衆の確立およびその成長に関する正確な歴史の記録となっています。それは,イエスが復活後に弟子たちに現われたことから始め,その後,西暦33年から61年ごろまで,およそ28年間にわたる重要なできごとを記録しています。

3 「使徒たちの活動」を書いたのはだれですか。それはいつ書き上げられましたか。

3 昔から,「ルカ伝福音書」の筆者が「使徒たちの活動」をも記したものとみなされてきました。どちらの本もテオフィロに当てて書かれています。また,ルカは,自分の福音書の結びのできごとを「使徒たちの活動」の冒とうの部分で再度取り上げ,同一の著者の作として,それら二つの記述を結び合わせています。ルカは,西暦61年ごろ,使徒パウロとともにローマに滞在した二年間の終わり近くに,この書を書き上げたものと思われます。その年のできごとまでを記録していますから,それ以前に書き上げられたとは考えられません。そして,カエサルに対するパウロの上訴が未決のままで終わっていることは,その書がその年までに書き終えられたことを示しています。

4 この本が聖書の正典であり,典拠の正しいものであることを何が証明していますか。

4 ごく初期の時代から,「使徒たちの活動」は聖書の正典として学者たちに受け入れられてきました。この書の小部分は,現存する最古のギリシャ語聖書パピルス写本のあるものの中に見いだされます。中でも,ミシガン1571号写本,チェスター・ビーティー1番写本はその主なものです。これらはともに西暦三世紀のものであり,「使徒たちの活動」が霊感による聖書の他の本とともに流布していたこと,早い時代から聖書の目録の中に入れられていたことを示しています。「使徒たちの活動」に見られるルカの記述法には,彼の福音書についてすでに述べたと同じ驚くほどの正確さが反映されています。ウイリアム・M・ラムゼー卿は,「使徒たちの活動」の筆者を「第一級の歴史家」と評価し,その意味を次のように説明しています。「偉大な歴史家としての第一の,そして基本的な資格は,真実さである。その述べる事がらは信頼できるものでなければならない」。a

5 ルカの記述が正確なものであることを例を挙げて説明しなさい。

5 ルカの記述の大きな特色をなしている正確さを例示するものとして,第一次世界大戦当時地中海域の英国艦隊指令官であったエドウイン・スミスのことばをここに引用します。彼はザ・ラダー誌1947年3月号の中でこう書いています。「古代の船舶は,現代の船舶のように船尾の回転軸に取り付けられたただ一本のかじによって操縦されたのではなく,船尾の両側に一本ずつ取り付けられた二本の大きなろもしくはかいによって操縦された。聖ルカがそれを複数で言及しているのはそのためである。[使徒 27:40]……われわれの調査の結果として知った点であるが,“良い港”を出てからマルタの浜べに着くまでのこの船の動きに関するルカの陳述は,きわめて正確で納得のゆく独立した外面的証拠によってその真実さがことごとく確証された。船が海上にあった時間に関するルカの記述は進んだ距離と合致している。そして,到着した場所に関するルカの描写は実際の場所と一致している。このすべては,ルカがそこに描写される航海を実際に行なったこと,またそれだけでなく,ルカが,自分を,その観察や陳述の点で最高度の信頼に答えうる者として示していることを物語っている」。b

6 考古学上の発見物がこの記述の正確さを裏付けている例としてどんなものがありますか。

6 考古学上の発見物もルカの陳述の正確さを裏付けています。一例として,古代エフェソスの劇場の廃虚から一片の文書が発見されました。考古学者はそれを西暦160年ごろのものとしていますが,それには一部次のように記されています。「しかるに,この都市を統轄する女神アルテミス[ダイアナ]が無視されている。[アルテミス]自らが他のすべての都市にまさって最も栄光あるところとしたわれわれのこの町においてだけではない……そのため,多くの場所で,[アルテミス]への犠牲と敬意が廃れる結果となっている」。c 像を作る銀細工人デメテリオの大いに懸念した事がらが現実に起きたのであり,そのことを示す文書があるのです。―使徒 19:27。

7 記録されている数々の談話がこの記録の事実性を示していることを述べなさい。

7 さらに,ペテロ,ステファノ,コルネリオ,テルトロ,パウロ,その他の人々のさまざまな談話がルカによって記録されており,そのすべては話のスタイルや構成においてそれぞれに異なっています。同じパウロの談話でさえそれぞれに異なった聴き手を対象としたものであり,その場に応じて話のスタイルも変わっています。このことは,ルカが,自分の耳で聞いた事がら,あるいは他の目撃証人の報告した事がらにのみ基づいてその記録を進めたことを示しています。ルカは想像によって書いたのではありません。

8 聖書はルカ,およびそのマルコやパウロとの交際について何を示していますか。

8 ルカ自身の生涯についてはごくわずかのことしか知られていません。ルカ自身は使徒ではありませんでしたが,使徒であった人々との交際がありました。(ルカ 1:1-4)ルカの名が挙げられている三つの場所では,マルコがともにいたことが示されています。(コロサイ 4:10,14。テモテ第二 4:11。フィレモン 24)幾年かの間,ルカはパウロと終始行動を共にするようになり,パウロは彼のことを「愛する医者」と呼んでいます。記述中には,『彼ら』から『わたしたち』,またその逆の推移が幾度かあり,ルカがパウロの二回めの宣教旅行のさいにトロアスでパウロといっしょになり,フィリピにとどまって何年かパウロから離れ,その後再びパウロとともになって終わりまで彼に堅く従ったことを示しています。―使徒 16:8,10; 17:1; 20:4-6; 28:16。

「使徒たちの活動」の内容

9 イエスの昇天のさい弟子たちはどんなことを告げられますか。

9 ペンテコステまでのできごと(1:1-26)ルカがこの二番めの記述を始めるのは,復活したイエスが,熱心な弟子たちに対し,その弟子たちが聖霊でもってバプテスマを受けることについて述べるところからです。王国はこの時に再興されるのですか。いいえ,そうではありません。むしろ,弟子たちは,力を受け,「地の最も遠い所にまで」証人となるのです。イエスが挙げられて彼らの目から見えなくなった時,白い衣を着た二人の人が彼らに語ります,「あなたがたのもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして……同じ様で来られるでしょう」― 1:8,11。

10 (イ)ペンテコステの日にどんな異常な事が起きますか。(ロ)ペテロはどのように説明しますか。どのような結果になりますか。

10 記憶すべきペンテコステの日(2:1-42)弟子たちはみなエルサレムに集まっています。突然に,突き進むような風がその家を満たします。火でできたような舌がそこにいた者たちの上にとどまります。彼らは聖霊に満たされ,「神の壮大な事がら」についてさまざまな言語で話しはじめます。(2:11)それを見守る人々はとまどいます。その時ペテロが立ち上がって話します。そして,こうして霊が注ぎ出されたのはヨエルの預言(2:28-32)の成就であり,今や復活して神の右に高められたイエス・キリストが『彼らの見聞きするものを注ぎ出された』のであると説明します。心を刺された約三千人の人々がみことばを受け入れてバプテスマを受けます。―2:33。

11 エホバは伝道の業をどのように栄えさせますか。

11 証しの業の拡大(2:43–5:42)エホバは救われてゆく者たちを日ごとに彼らに加えてゆかれます。神殿の外でペテロとヨハネは,生まれてこのかた一度も自分の足で歩いたことのないひとりの不具者に会います。「ナザレ人イエス・キリストの名において,歩きなさい!」とペテロは命じます。たちどころにその男は『歩き』はじめ,「躍ったり,神を賛美したり」しはじめます。その後ペテロは,驚きに打たれている人々に,悔い改めて身を転じることを説き勧めます。それは,「さわやかにする時期がエホバのみもとから到来」するようにするためです。ペテロとヨハネがイエスの復活について教えていることにいらだった宗教指導者たちは二人を捕縛しますが,信じる人々の隊伍はふくれ,男の数が五千人にも達します。―3:6,8,19。

12 (イ)伝道をやめるように命令された時,弟子たちはどう答えますか。(ロ)どんなことのためにアナニアとサッピラは処罰されますか。

12 あくる日,自分たちの裁判のさい,ペテロとヨハネは,救いがただイエス・キリストを通してのみ得られることをおくすることなく証言します。そして,伝道の業をやめるようにと命令された時にこう答えます。「神よりもあなたがたに聴き従うほうか,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」。(4:19,20)彼らは釈放され,弟子たちはみな神のことばを大担に語りつづけます。当時の事情のために,彼らは自分たちの物質上の所有物を一か所に集め,必要に応じてそれを分配します。しかしながら,アナニアという人とその妻サッピラは多少の資産を売り,その代価の一部をそっと隠しておきます。ペテロはこれをあばき,ふたりはその場で倒れて死にます。神と聖霊に対して不実なふるまいをしたためです。

13 使徒たちはどんなことをとがめられますか。それに対して彼らはどのように答えますか。彼らは何を行ないつづけますか。

13 いきり立った宗教指導者たちは使徒たちを再びろう獄に入れますが,今度はエホバのみ使いが彼らを解き放します。次の日,彼らは再度サンヘドリンの前に引き出され,『エルサレムを彼らの教えで満たした』としてとがめられます。これに対して彼らは答えます,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。むち打たれ,脅しを受けても,彼らはやめません。そして,「毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけ」ます。―5:28,29,42。

14 ステファノの殉教のしだいを述べなさい。

14 ステファノの殉教(6:1–8:1イ)ステファノは,聖霊によって食卓への食物分配の仕事を任ぜられた七人のうちのひとりです。彼はまた真理について強力な証しをし,その熱心な信仰弁護の結果,怒りたった反対者たちは冒とくのかどで彼をサンヘドリンに引き出させます。自分の弁明をしたステファノは,イスラエルに対するエホバの辛抱強さについてまず述べます。ついで,恐れを知らない雄弁なことばで要点を突きます,『かたくなな人たち,あなたがたはいつも聖霊に逆らっています。み使いたちによって伝えられたものである律法を受けながら,それを守らなかったあなたがた』。(7:51-53)これは彼らにとってもはや耐え難いことでした。彼らはステファノに襲いかかって市の外に追い出し,石打ちにして殺します。サウロはこれをよしとします。

15 迫害の結果はどのようになりますか。フィリポはどんな伝道の経験をしますか。

15 迫害とサウロの転向(8:1ロ–9:30)エルサレムにあった会衆に対してその日に始まった迫害は,使徒以外のすべての者を国じゅうに散らします。フィリポはサマリアに行き,そこで大ぜいの者が神のことばを受け入れます。ペテロとヨハネがエルサレムからそこに遣わされます。「使徒たちが手を置くことによって」,それら新しい信者が聖霊を受けるためです。(8:18)その後,み使いはフィリポを南の方に導いて,エルサレムからガザに通ずる道に行かせます。そこで彼は,エチオピアの王宮に仕えるひとりの宦官が自分の兵車に乗り,イザヤの書を読んでいるのを見ます。フィリポは預言の意味について彼に啓発を与え,バプテスマを施します。

16 サウロの転向はどのようにして起きますか。

16 一方,サウロは「主の弟子たちに対する脅しと殺害の息をなおもはずませながら」,ダマスカスにおいて「この道に属する」たちを捕縛するために出かけます。突然に天からの光が彼のまわりにぱっと光り,彼は盲目となって地に倒れます。天からの声が彼に語ります,「わたしはイエス,あなたが迫害している者です」。ダマスカスで三日過ごしたのち,アナニアという弟子が彼に奉仕します。サウロは視力を取り戻し,バプテスマを受けて聖霊に満たされ,こうして良いたよりの熱心で有能な伝道者となります。(9:1,2,5)この驚くべき事態の転換によって,かつての迫害者は,自ら迫害を受ける者となり,初めにダマスカスから,ついでエルサレムからさえ身の安全のために逃げなければなりません。

17 良いたよりが初めて無割礼のユダヤ人に伝わった様子を述べなさい。

17 良いたよりは非ユダヤ人に伝えられる(9:31–12:25)会衆は今や『平和な時期に入り,しだいに築き上げられ,エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増して』ゆきます。(9:31)ヨッパでペテロは多くの人から愛されるタビタ(ドルカス)を死からよみがえらせますが,そこにいる時に,カエサレアへ行くようにとの召しを受けます。そこでは,コルネリオという士官が彼を待っています。ペテロはコルネリオとその家の者たちに伝道し,彼らはそれを信じます。すると,聖霊が彼らの上に注ぎ出されます。「神が不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ことを悟ったペテロは彼らにバプテスマを施し,彼らは無割礼の異邦人からの最初の転向者となります。後にペテロはこの新しい事態についてエルサレムの兄弟たちに説明し,兄弟たちはそれを聞いて神に栄光を帰します。―10:34,35。

18 (イ)アンティオキアで次に何が起きますか。(ロ)どんな迫害が巻き起こりますか。それは目的を遂げますか。

18 良いたよりが急速に広まったことに伴い,バルナバとサウロはアンティオキアでかなりの群衆に教えるようになります。そして,「弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは,アンティオキアが最初」です。(11:26)再び迫害が巻き起こります。ヘロデ・アグリッパ一世はヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺させました。そして,ペテロをも獄に入れます。しかし,再びエホバの使いが彼を解放します。邪悪なヘロデにとってはくやしいことでしょう。神に栄光をささげないために,彼は虫に食われて死にます。一方,「エホバのことばは盛んになり,広まって」ゆきます。―12:24。

19 パウロの第一回めの宣教旅行はどれほどの範囲に及びますか。それによって何か成し遂げられますか。

19 バルナバを伴ったパウロの最初の福音宣明旅行(13:1–14:28)バルナバと,「サウロ,つまりパウロ」は,取り分けられ,聖霊によってアンティオキアから遣わされます。(13:9)キプロス島で大ぜいの人が信者となり,その中には執政官代理セルギオ・パウロもいます。小アジア本土では六つないしそれ以上の都市を回りますが,どこにおいても同様のことか起こります。すなわち,良いたよりを喜んで受け入れる人々と,群衆をあおってエホバの使者に石を投げつけさせるかたくなな敵対者たちとの間の明確な相違が生じます。新たに形成された会衆内に任命を行なったのち,パウロとバルナバはシリアのアンティオキアに帰ります。

20 割礼の問題はどのような決定によって解決されますか。

20 割礼の問題を解決する(15:1-35)非ユダヤ人か非常に多く入って来るに及んで,それらの人々が割礼を受けるべきかどうかという疑問が起こります。パウロとバルナバはこの問題を携えてエルサレムにいる使徒や年長の兄弟たちのところに行き,そこでヤコブは会合を主宰し,全会一致の決定を公式の手紙で伝えることに取り決めます。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事がらのほかは,あなたがたにそのうえなんの重荷も加えないことかよいと認めたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行から身を避けていることです」。(15:28,29)この手紙による励ましは,アンティオキアの兄弟たちを喜ばせます。

21 (イ)二回めの宣教旅行のさいにはだれがパウロに同行しますか。(ロ)マケドニアでは特にどのようなできごとがありますか。

21 パウロの二回めの旅行による宣教の拡大(15:36–18:22)「何日かののち」バルナバとマルコは船でキプロスに向かい,一方パウロとシラスはシリアと小アジアを通って行きます。若者テモテがルステラでパウロに加わり,一行はエーゲ海沿いトロアスまで旅行します。ここでパウロは幻を見,ひとりの人が「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願しているのを見ます。(16:9)ルカがさらにパウロに加わり,一行は船で,マケドニアの主要都市フィリピに渡ります。そこでパウロとシラスは獄に入れられます。しかしこれは,牢番が信者となってバプテスマを受けるという結果になります。釈放されるとすぐ,彼らはテサロニケに進みますが,ねたみをいだいたユダヤ人たちが彼らに敵して暴徒をあおります。それで,兄弟たちは夜の間にパウロとシラスをベレアに送り出します。ここのユダヤ人たちはおうようであり,「きわめて意欲的な態度で」みことばを受け入れます。(17:11)ルカをフィリピに残したパウロは,ここの新しい会衆にもシラスとテモテを残し,自分はさらに南,アテネへと進みます。

22 マルスの丘でのパウロの巧みな談話の結果どのようなことが起きますか。

22 偶像に満ちたこの都市で高慢なエピクロス派やストア派の哲学者たちは,パウロを,「おしゃべり」とか「異国の神々を広める者」と呼んであざけり,アレオパゴスつまりマルスの丘に連れて行きます。巧みな弁論によってパウロは,真の神なる「天地の主」を尋ね求めることを勧めます。それは,死人の中から復活させたひとりの者による義の裁きを保証しておられる神です。復活のことを聞いて聴衆は分裂しますが,ある人々は信者となります。―17:18,24。

23 コリントではどんなことが成し遂げられますか。

23 ついでコリントに行き,パウロはアクラとプリスキラのもとにとどまって,ともに天幕作りの職に携わります。伝道の業に対する反対のためパウロはやむなく会堂を出,その隣にあったテテオ・ユストの家で集会を開きます。会堂の主宰役員クリスポが信者となります。コリントに18か月滞在したのち,パウロはアクラおよびプリスキラとともにエフェソスに旅だち,エフェソスに二人を残してから,パウロ自身はシリアのアンティオキアまで旅を続け,こうして二度めの福音宣明旅行を終えます。

(この続きは次号に載せられます。)

[脚注]

a W・M・ラムゼー著「旅行者としての聖パウロ」,1895年,4ページ。

b 「目ざめよ!」1947年7月22日号(英文)22,23ページに引用されたもの。

c A・レンドル・ショート著「現代の発見と聖書」,1949年,213ページ。

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