「神の目的」地域大会
下の写真はどこの写真だと思われますか。これは東京府中競馬場です。しかしこのたびこの競馬場は,いつもと違う目的で使われていました。今年の7月25から28日にわたり,日本のエホバの証人の六つの「神の目的」地域大会の一つがここ東京都府中市で開かれました。屋根付きの正面観覧席の前に証人たちが建てた美しいステージは,来たるべき楽園の地を想像させる印象的なものでした。それは68枚のパネルで作られ左右には,子羊とライオンが仲良くいっしょにいる場面と自然の環境の中のロッキー羊が描かれていました。意欲的な自発奉仕者たちは,それらのパネルとそれらの間に入る年の聖句を書くために,何か月間も熱心に働きました。
この競馬場の音響システムの興味深い特色は,話が場内の拡声装置だけでなくFMラジオを通しても聞けた点です。ですからトランジスター・ラジオを持ってきた多くの出席者は,スタンドで,あるいは場内の他のどこでも,自分の隣りに講演者が立っているかのように話がよく聞こえました。座席と音響が非常に良かったので,東京で開かれた大会の中でも最も楽で気持ちの良い大会の一つでした。涼しい風,公園のような環境,たくさんの樹木や緑の芝生,そして参加者すべての愛と喜びは,本当に神の新秩序での生活を前もって味わわせるものとなりました。
国鉄東京駅のコントロール・ルームで働く一人の証人は,特急電車を競馬場の近くの駅に臨時停車させる取決めを作ることができました。毎日,集会が終わると,数多くの臨時電車が大会出席者を乗せて競馬場から,東京一にぎやかなターミナルへ直行しました。
ある証人は去年国際大会が開かれた大阪からいろいろな道具を東京に運ぶ時が来たとき,一週間ほど前から8トン積みのトラックがあいている日だけを利用して,そのトラックで二往復しました。その後,洪水があり幹線道路は浸水しましたが道具はすべて無事東京に到着していました。ですから,のべ10万9,000食の食事と弁当を,大会出席者たちのためにわずかな寄付で準備することができました。
大会の秩序正しさは,外部の人,特に競馬場の職員たちに深い感銘を与えました。彼らは,すべての人が物を清潔にしておくためとてもよく働くこと,自発奉仕者たちがゴミを扱うさい手を汚すのをいやがらないこと,彼らが場内を掃く時にはチリ取りにゴミがほとんど入らなかったことなどに驚いていました。小さな子どもたちが何時間もすわって,けんかをしたり騒いだりせずに話を聞いているのを見てそのことを話しました。初めて大会に出席した,聖書に関心を持つある婦人も同じ点について述べ,自分の子どもたちが他の子どもたちを見て自動的に同じことをするので喜びました。子どもたちは,休憩時間にはくつろいで少し遊びましたが,集会が再開されると静かに座って話に耳を傾けました。
聖書研究をわずか3か月しただけでこの大会に出席した一人の婦人はこう語りました。「『見よ! わたしはすべてのものを新しくする』の冊子に書かれている『この世のものではない』という表現が何を意味するか,やっとわかりました。本当にあなたがたは他の人々とは異なっています。日本では違う世代の人びとが集まっていっしょに勉強することなどまずありません。この家族的なふん囲気はすばらしいものだと思います。小さな子どもたちがこのようにおとなしく座っているのをわたしはまだ見たことがありません。わたしの前の席では十代になったばかりらしい三人の男の子が忙しそうに何か書いていました。最初は,遊んでいるのだろうと思ったのですが,よく見ると,彼らはていねいに話のノートを取り,自分たちの聖書を開いて聖句を読んでいたのです。しかも親に強制されないで。全世界の人々があなたがたのようになれば,確かに新秩序は可能だと思います」。
大会二日目には協会の取引銀行の支店長が大会を儀礼的に訪問しました。聖書劇を見るように勧められましたが,忙しいので数分しか見られないと言いました。しかし,いつしか熱心に見入り二時間たっぷり見て,深い感銘を受けたと語りました。
パウロの生涯を取り上げた劇では,ステージで特別な背景が使われました。それは中心を軸としてすぐに回せる5枚の大きなパネルで出来ていました。聴衆が5枚のパネルの表側になった背景を見ている間に,係りの兄弟たちはその裏側に次の背景を張り付けるので,場面が変わるとすぐに背景を変えることができました。この装置は,以前映画製作会社東映で舞台装置の責任者をしていた証人の指導のもとに作られました。
大会で使われた資材や道具は無料で寄付されたものもあれば,借用したものもありました。大きな建設会社は足場のパイプやコンクリートパネルなどを提供して好意を示してくれました。家の解体を職業にしているある兄弟は,古材520本を持ち込み,それでステージが作られました。
エホバの証人の大会ではいつものことですが,紛失物は落とし主に戻りました。埼玉県から来た一婦人は,大会三日目に,現金一万円と額面100万円の定期預金通帳の入ったハンドバックを落としました。その晩彼女は心配で眠れず,次の朝「落とし物」係へ行きましたが,そこにはありませんでした。後ほど彼女がもう一度「落とし物」係へ行くと,喜ばしいことに,こんどはそのハンドバックがありました。もちろん,中身は一点も紛失してはいませんでした。
ある会衆の監督は,ステージのサインを書くのに必要とされていましたが,王国学校に行ったためにすでに二週間仕事を休んでいました。しかし,彼は信仰を持って雇用者に,大会のサインを作るのでさらに三週間の休暇をもらうことはできないかと尋ねました。驚いたことに,雇用者は喜んでそれを許可してくれました。
エホバの証人であるひとりの母親は,4日つづけて朝早く,大会へ行くための切符を家族全部のために買いに行きました。駅員は木曜日の日におとなしそうな若い母親が競馬場行きの切符を自分と子どもたちのためにまで求めるので驚きましたが,金曜日も土曜日も日曜日もやって来たので,とうとう好奇心を抑え切れなくなり,「どんな競馬があるのですか」と尋ねました。そこで姉妹は説明し,その人に「神の目的」大会に出席するよう招待しました。
横浜に住んでいるある人は,定期的に競馬に通い,ギャンブルが好きでしたが,妻が聖書を研究し,王国の宣明者になり,ついに開拓奉仕に入ったのを見ました。いったい何事なのか好奇心をいだいたその人は自分も聖書を研究し始め,すぐに競馬とギャンブルを止めました。そして何か月間も行かなかった府中の競馬場に戻って来て,そこでバプテスマを受けました
盛岡大会
この大会は,人口21万,三つの川の合流点にあり,北日本の兄弟たちにとっては中心地点となる盛岡市で初めて開かれた地域大会で,東京大会の一週間後,8月1日から4日にかけて行なわれました。盛岡市立体育館は大会を開くのに好適の場所にあり,出席者は土曜日の午後に最高数の2,460名に達しました。日曜日の公開講演には2,456名が出席し156人がバプテスマを受けました。
この大会の数か月前,盛岡の一姉妹は市長と面会しました。市長は,エホバの証人の自発的な聖書の宣教について聞きとても感銘を受け両方の雑誌を予約しました。後程この姉妹が,もう一人の伝道者といっしょに,市長を自宅に訪問すると,多忙な人であるにもかかわらず喜んでふたりに会い,討論は二時間以上も続きました。大会の準備期間中,市長は体育館のトイレの修理や他の細かい面でも非常に協力的でした。さらに川の中の水がきれいでバプテスマにちょうどよい深さの所まで教えてくださいました。しかし,バプテスマのためにはすでに別の場所が決められていました。
盛岡大会は,夏の六つの地域大会の中で最も小規模なものでしたが,数で足りない分は素晴らしい家族的精神で補われました。確かに東北地方の多くの区域で人びとは,家族ぐるみでエホバの組織に入ってきています。夫婦が共に開拓奉仕に入り,学校へ通うその子どもたちが献身とバプテスマを目ざして努力し,神に対して忠実で清いしもべになろうと決意しているのは珍しくありません。それらの家族は,今の時代にあってなんとすばらしい真の幸福を味わい,神のことばの真理によってなんとすばらしい保護を受けているのでしょう!
大阪吹田大会
日本における一連の「神の目的」大会の最後の大会は,8月8日から11日まで,昨年国際大会が開かれた万博会場の別の場所 ― 万博記念陸上競技場 ― で開催されました。競技場の正面入口は逃れの町の入口に似せて作られていました。グラウンド内三つのセクションに張られたオレンジ色のビニール・テントの下に一万人分の座席が設けられました。れんが色のゴムを張ったトラックも会場に色どりを添えました。ものみの塔を背景にした広々としたステージはどの席からも見え,音響はほとんど完全といえました。土曜日の朝には出席者は1万64名に達し,日曜日の午後の公開講演には1万90名が出席しました。競技場の小さな正面観覧席の後ろに置かれた二つの大きな仮設プールで617人の新しい証人たちがバプテスマを受けましたが,その光景はほんとうに心を躍らせるものでした。
大阪大会でも多くのすぐれた経験が語られましたが,土曜日の「『その日と時刻』がわたしたちに告げられていないのはなぜですか」というプログラムの中で語られたのもそのような経験でした。それらの経験は,十の家庭聖書研究を司会し,この大会でバプテスマを受けた,激しい迫害のもとにある主婦,大学でオペラを教えていましたがキリスト教の宣教にすべてを献げるため舞台を捨てた教師,乗客に毎月70冊から100冊の雑誌を配布している個人タクシーの運転手,ニューヨークで5年間赴任していた間に真理を学んだサラリーマン,ピストルを携行することに関して良心的な立場を取った元警察署長,そして血の問題に関して同じほど堅く立って血を使わずに多くの霊的兄弟姉妹の手術をした医師によって語られました。これらの熱心な宣明者たちはみな,ある日付ではなく,永遠の命を目標として神のご意志を十分成し遂げるべく自分の命をエホバに献げたことを明らかにしました。
大阪特有の夏の暑さでしたが,時々涼しい風がテントの中を吹き抜けました。食事の時にも出席者たちは炎天下で長時間並んでいる必要はありませんでした。大会の三日目に食堂部門は17分30秒フラットでなんと6,400食を盛りつけるという記録を作りました。食堂へ行かなかった人たちは,喫茶のスタンドで天プラそばやたれ付きの冷そうめんなど,おいしい軽食を取ることができました。特にそうめんは好評で,ある人は二度三度とおかわりをしました。
大勢の自発奉仕者たちは長時間よく働きました。たとえばある兄弟たちは北九州からトラック11台分,東京・府中から大型トラック3台分の道具を大阪大会のために運搬しました。別の兄弟たちは,大会の主要部門を設置するため,競技場の裏の丘をブルドーザーでならしました。会場の管理者たちはとても協力的で,トイレの不足に対処するため,四台の大きな移動便所を無料で貸してくれたほどでした。がらんとした競技場とその周囲の丘にすべてのものを設置しなければならなかったにもかかわらず,大会は全体としてとてもよく準備され組織されていました。他の大会と同様,建設会社やその他の企業は,親切にもテント,足場,綱具類,座席を作るための資材などを無料で貸してくれました。
大会のプログラムの最初の23時間,つまり公開講演が終わるまでは,すばらしい大会日和に恵まれました。しかし,出席者は一人として閉会のことばの最後の一時間を忘れることはないでしょう。そうです,大会のプログラムを良く想い起こさせる復習や,野外奉仕およびブルックリン本部の拡大についての報告をすべての人は覚えていることでしょう。また出席者はみな,協会の会長ノア兄弟が最近訪問したこと,沼津の新しい地所にもう一つ四階建てのベテルを建てる計画,沼津工場における仕事の膨大な増加をさばくため二台目の高速輪転機が購入されること,それに「エホバの証人の1975年の年鑑」が日本語で出版されるという良いニュースなどを聞いて喜びました。
しかしその時刻には,霊的な祝福だけでなくほかのものも大会の上に降り注ぎました。空が暗くなると,会場の上空で稲妻が走り雷がとどろき渡り,やがて雨が降り始めました! しかもただの雨ではありません。どしゃ降りです。テントはたるみ,そのふちから雨水が滝のように流れ落ちました。テントだけでは雨がよけられないので人びとはさらにかさをさしました。競技場は隅から隅まで水びたしになりましたが,大会出席者たち自身はなんとすばらしい光景を描き出したのでしょう! その1万の魂全部が,自分のいた所から一歩も動かずに,一語一語熱心に聞き入ったのです。この大会においても信仰について多くの事がらが話されましたが,その時聴衆はほんとうに『信仰の試された質』を示しました。最後に85番の歌を声を合わせて歌った時あらしは弱まり,「神の目的」地域大会の期間中降り注いだすべての祝福に感謝する閉会の感謝の祈りがエホバに捧げられるころには,再び比較的に穏やかになりました。
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日本の「神の目的」地域大会 ― 概要
日付 都市 最高出席者数 バプテスマを受けた人
7/24-27 北九州戸畑 7,768人 440人
7/25-28 岩見沢 2,781人 185人
7/25-28 東京府中 17,524人 1,090人
7/25-28 豊橋 5,447人 308人
8/1-4 盛岡 2,460人 156人
8/8-11 大阪吹田 10,090人 617人
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今年の合計 46,070人 2,796人
昨年の合計 31,263人 1,566人