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  • 聖書の第51番めの本 ― コロサイ人への手紙
  • 目ざめよ! 1974
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  • コロサイ人への手紙の内容
  • なぜ有益か
目ざめよ! 1974
目74 12/8 29–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第51番めの本 ― コロサイ人への手紙

筆者: パウロ

書かれた場所: ローマ

書き終えられた時期: 西暦60-61年ごろ

含まれている時代: 確定できない

1 コロサイの町はどこにありましたか。

二人の人がエフェソスを離れ,メアンデル川(メンデレス川)沿いに小アジアを東に向かって旅行していました。フリギア地方で,支流のリュコス川が注ぐ所まで来ると,二人は南東に向きを変え,山あいの峡谷に沿ってさらに進みます。やがて眼前に美しい光景が開けます。肥沃な緑の牧草地が広がり,羊の大きな群れが点在しているのです。(羊毛製品はこの地方の主な収入源でした。a)さらに谷すじを上った二人は,右手にラオデキアを見てそれを通り越します。ラオデキアは富裕な都市であり,その地域におけるローマ行政府の所在地です。左手,川の向こうには,神殿と薬効温泉,はでな遊興などで知られるヒエラポリスが見えます。これら二つの都市にはそれぞれクリスチャン会衆があり,また,谷すじをさらに15㌔ほど上った所の小さな町コロサイにもクリスチャン会衆がありました。

2 (イ)パウロがコロサイに送った二人の使いはだれですか。(ロ)コロサイ会衆についてどんなことが知られていますか。

2 これら旅行者が行こうとしていたのはこのコロサイです。二人はともにクリスチャンでした。少なくともその一人はその地域の事情に通じていました。もともとコロサイの人であったからです。その名はオネシモです。彼は自分の主人のもとに戻ろうとしている奴隷であり,その主人はその地の会衆の成員でした。オネシモの同行者は自由人のテキコです。二人は使徒パウロからの使いであり,「コロサイにいる,キリストと結ばれた……忠実な兄弟たち」にあてたパウロの手紙を携えていました。わたしたちの知るかぎりでは,パウロはコロサイを訪ねたことがありません。主として非ユダヤ人から成るその地の会衆は,恐らくエパフラスによって設立されたものでしょう。エパフラスはその会衆で労した人であり,この時にはローマのパウロのもとに来ていました。―コロサイ 1:2,7; 4:12。

3 筆者,およびその書かれた時と場所について,手紙そのものは何を明らかにしていますか。

3 初めと結びのことばの中で述べられているとおり,この手紙の筆者は使徒パウロです。(コロサイ 1:1; 4:18)また,その結びのことばは,パウロがこれを獄の中で書いたことを示しています。これは,ローマにおけるパウロの最初の投獄,つまり西暦59-61年ごろであったと思われます。パウロはその時期に,励みに満ちる多くの手紙を書きました。コロサイ人への手紙はフィレモンへの手紙と一緒に発信されたのです。(コロサイ 4:7-9。フィレモン 10,23)また,この手紙はエフェソス人への手紙とほぼ同じ時に書かれたものと思われます。考えや言いまわしに共通するものが多いからです。

4 この手紙の真正さについて証言するものはなんですか。

4 コロサイ人への手紙の典拠性を疑う正当な根拠はありません。この書は,三世紀のものである,チェスター・ビーティー・パピルス第二番写本(当初は冊子状になっていた)の中にパウロの他の書簡と共に入れられており,このことは,この書がパウロの手紙の一つとして初期のクリスチャンたちに受け入れられていたことを示しています。この書の真正さは,パウロの他の手紙の典拠性について証言しているのと同じ初期の権威者たちによって証言されています。

5 (イ)パウロがコロサイの人々に手紙を送ったことにはどんな理由がありますか。(ロ)この手紙は何を強調していますか。

5 どんな理由でパウロはコロサイ人への手紙を書いたのでしょうか。一つには,オネシモがコロサイに戻ろうとしていたからです。また,しばらく前にパウロのもとに来たエパフラスからコロサイ会衆の状態について聞いたことも,彼がこの手紙を書く理由となったに違いありません。(コロサイ 1:7,8; 4:12)その地のクリスチャン会衆にはある種の危険が臨んでいました。当時のさまざまな宗教は崩壊の過程にあり,古いものをいろいろと融合しつつ絶えず新たな宗教が形成されていました。修道的な苦行や禁欲主義,心霊術などを伴うさまざまな異教哲学があり,それらが食物を断ったり特定の日を守ったりするユダヤ教の習慣と結び付いて,会衆内のある人々に影響を与えていたのかもしれません。どのような問題があったにせよ,エパフラスがパウロに会うためはるばるローマに旅するだけの理由があったものと思われます。しかし,会衆全体が危険に当面していたわけでないことは,会衆の人々の愛やゆるぎない態度に関する,エパフラスの励みに満ちる報告に示されています。そうした報告を聞いたパウロは,コロサイ会衆にこの手紙を書くことによって,正確な知識と清い崇拝を強力に擁護しました。この手紙は,異教哲学,み使いたちに対する崇拝,ユダヤ教的伝統などと対比させつつ,神に由来するキリストの優越性を強力に示しています。

コロサイ人への手紙の内容

6 (イ)パウロはコロサイの人々のためにどんな祈りをしていますか。(ロ)会衆に関連したイエスの地位と奉仕の務めについてパウロはどのように論じますか。

6 会衆の頭なるキリストに信仰を抱きなさい(1:1–2:7)テモテと自らの初めのあいさつの後,パウロは,キリストに対するコロサイの人々の信仰と,彼らの愛に対して感謝します。コロサイの人々は,エパフラスがその中で良いたよりを宣べ伝えた結果として神の過分のご親切について知りました。彼らに関する知らせを聞いてからというもの,パウロは,彼らが「あらゆる知恵と霊的な把握力とにより,み旨に関する正確な知識に満たされるように」と祈り求めてやめません。それは,彼らが「エホバにふさわしいしかたで歩むため」,そして,「十分に耐え忍ぶ者,また喜んで辛抱する者」となるためです。(1:9-11)父は彼らを「ご自分の愛するみ子の王国」へと移してくださいました。そのみ子は見えない神の像であり,すべての物は,このみ手を通し,またみ子のために創造されました。み子は会衆の頭であり,死人の中からの初子です。神はこのみ子の血を通して再びすべてのものをご自分と和解させることをよしとされました。そうです,その中には,かつては疎外されていたコロサイの人々も含まれているのです。『もとよりそれは,彼らが引き続き信仰にとどまっている』ことを前提としています。―1:13,23。

7 パウロは何を宣べ伝えていますか。どんな目的で?

7 パウロは,会衆のために自分がキリストの苦しみを補い満たすことを喜びとします。彼はそれら会衆の人々の奉仕者となったのです。それは,「神聖な奥義」に関する神のことばを彼らに十分宣べ伝えるためであり,神は今,『この神聖な奥義の栄光ある富をご自分の聖なる者たちに知らせることを喜びとされた』のです。『それはキリスト,わたしたちが言い広め,すべての人に諭し,知恵をつくしてすべての人に教えているかたであり』,こうして教えているのは,『すべての人をキリストと結ばれた全き者として差し出すため』です,とパウロは述べます。―1:27,28。

8 パウロが兄弟たちのために苦闘しているのはなんのためですか。

8 コロサイ,ラオデキヤ,その他の土地の人々のためのパウロの苦闘は,それらの人々が慰めを受け,愛のうちに調和よく組み合わされるためであり,それは,彼らが「神の神聖な奥義であるキリストに関する正確な知識」を得ることを目的としています。そのキリストのうちには,「知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」のです。パウロは,彼らがことば巧みな論議でもって惑わされることを望みません。むしろ,彼らはキリストと結ばれて歩みつづけ,「彼のうちに根ざしかつ築き上げられ,信仰において安定した者」となるべきです。―2:2,3,7。

9 パウロはどんな崇拝を戒めますか。コロサイの人々が律法に服すべきでないのはなぜですか。

9 肉の業に対して死んだ者となり,キリストに対して生きなさい(2:8–4:18)ついでパウロは警告のことばを述べます。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたが(う)……哲学やむなしい欺きにより,あなたがたをえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」。彼らはその罪過と無割礼とのゆえに死んでいましたが,神はその彼らをキリストと共に生かし,手書きの文書である律法を塗り消してくださいました。その律法はユダヤ人を責めるものでした。したがって,律法やその習わしに関しては「だれからも裁かれるべきではありません」。それは,実体であるキリストの影にすぎないのです。また,世の基礎的な事がらに対してキリストと共に死んだのであれば,人間の命令と教えにしたがって,「手にするな,味わうな,触れるな」といった定めになぜなおも服するのですか。自ら課した見せびらかしの崇拝方式,見せかけの謙遜,体を厳しく扱うことなどは,肉の欲と闘う点ではなんの価値もないのです。―2:8,16,21。

10 人はどのようにして上にある事がらを求めつづけ,「新しい人格」を身に着けることができますか。

10 パウロはむしろこう助言します。「上にあるものを求めてゆきなさい。そこにおいてキリストは,神の右に座しておられるのです。地上にある事がらではなく,上にある事がらに自分の思いを留めなさい」。これは,古い人格を脱ぎ捨て,新しい人格を身につけることによってなされます。それは,正確な知識を通してなされるものであり,ギリシャ人とユダヤ人との肉的な区別を設けないことを求めます。「キリストがすべてであり,またすべてのうちにおられる」のです。新しい人格を着けるとは,「神の選ばれた者」として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,辛抱強さなどを身に着けることです。使徒パウロはこう述べます。「エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。ことばにせよ業にせよ,いっさいの事を「主イエスの名によってなし,彼を通して父なる神に感謝しなさい」― 3:1,2,11-14,17。

11 (イ)家族および他の人間関係についてどんな助言が与えられていますか。(ロ)結びにどんなあいさつが伝えられていますか。

11 家族内の関係について言えば,妻は夫に服し,夫は妻を愛すべきです。また,子どもは親に従い,父親は子どもをいらいらさせないようにすべきです。奴隷である人はエホバを恐れつつ自分の主人に従い,主人である人は自分の奴隷を義に即して扱うべきです。すべての人はたゆまず祈り,外部の人びとに対してつねに知恵をもって歩むべきです。パウロ,および神の王国のためのその同労者たちの事については,テキコとオネシモがじかに話すでしょう。それら同労者たちはコロサイの人々にあいさつを送っています。パウロはラオデキヤの兄弟たちにもあいさつを送り,自分が送る手紙を相互に交換することを求めます。そしてパウロは,結びのあいさつを自らの手で記します。「わたしが獄につながれていることを引き続き覚えていてください」― 4:18。

なぜ有益か

12 パウロのこの手紙は心をさわやかにするどんな真理を含んでいますか。それは会衆にどんな益を与えましたか。

12 ローマから二人の兄弟が到着したというニュースがコロサイの兄弟たちの間にまたたくまに伝わる様子を,わたしたちは想像することができます。パウロの手紙の内容を聞くために,彼らは強い期待を抱いて集まって来ます。それは恐らくフィレモンの家でしょう。(フィレモン 2)その手紙は,キリストの厳密な立場,また正確な知識の必要性について,人をさわやかにする真理を含んでいるではありませんか。人間の哲学やユダヤ教の伝統は全く明瞭にそのあるべき位置に置かれ,キリストのことばとキリストによる平和がくっきりと高められているではありませんか。監督,夫,妻,父親,子ども,主人,奴隷など,会衆内のすべての人の心と思いを養うものがここにあります。再び奴隷と主人の関係に戻ったオネシモとフィレモンに対する良い忠告の含まれていることも確かです。また,羊を立ち直らせて正しい教理を悟らせ,エホバに対するように魂をこめて働く特権をはっきり認識させる点で,監督たちに対する優れた手本が示されているではありませんか。そして,人をとりこにするこの世の考えや習慣から自由になることに関してコロサイの人々に与えられた建設的な助言は,今日の会衆に対しても依然生きた音信となっています。―コロサイ 1:9-11,17,18; 2:8; 3:15,16,18-25; 4:1。

13 慈しみのあることば,祈り,クリスチャンの交わりに関してパウロはどんな訓戒を述べますか。

13 コロサイ 4章6節には,クリスチャン奉仕者に対する優れた忠告が述べられています。「あなたがたの発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけられたものとし,ひとりひとりにどのように答えるべきかがわかるようにしなさい」。慈しみのある真理のことばは善意の人々の食欲をそそり,その人々の永続的な益に資するものとなります。また,十分に目ざめたクリスチャンの,感謝にあふれた心から出る祈りは,エホバからの豊かな祝福をもたらします。「たゆまず祈り,感謝をささげつつ祈りのうちに目ざめていなさい」。そして,クリスチャンの交わりには,深い喜びと,人の心を築き上げ,さわやかにするものが見いだされるではありませんか。「互いに教えまた訓戒し,心のうちでエホバに向かって歌いなさい」とパウロは諭します。(コロサイ 4:2; 3:16)コロサイの人々にあてられた手紙を読むにつれ,あなたは,健全で実際的な,珠玉のような教えのことばを,ほかにも多く見いだすでしょう。

14 (イ)コロサイ人への手紙の中では実体として何が強調されていますか。(ロ)また,王国の希望がどのように強調されていますか。

14 律法の習わしに関してこの手紙は述べます,「そうした事はきたるべきものの影であり,その実体はキリストに属しているのです」。(コロサイ 2:17)コロサイ人への手紙の中で強調されているのはこの実体としてのキリストです。この手紙は,キリストと結ばれた人々のため天に定め置かれている栄光ある希望について繰り返し述べています。(コロサイ 1:5,27; 3:4)そうした人々は,父が彼らをすでにやみの権威から救い出し,「ご自分の愛するみ子の王国へと」移してくださったことに対してこの上ない感謝を抱きます。こうして彼らは,「見えない神の像」であるかたに服する者となりました。そのかたは,「全創造物の初子です。なぜなら,他のすべてのものは,天においても地においても,見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ権威であれ,彼によって創造されたからです」。このかたこそ,神の王国にあって義のうちに支配する傑出した資格を備えています。それゆえにこそ,パウロが油そそがれたクリスチャンたちに諭すのは次のことです。「あなたがたは,キリストとともによみがえらされたのであれば,上にあるものを求めてゆきなさい。そこにおいてキリストは,神の右に座しておられるのです」― コロサイ 1:12-16; 3:1。

[脚注]

a J.D.デイビス編「ウエストミンスター聖書辞典」,1944年版,114ページ。

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