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  • 聖書の第52番めの本 ― テサロニケ人への第一の手紙

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  • 聖書の第52番めの本 ― テサロニケ人への第一の手紙
  • 目ざめよ! 1974
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  • テサロニケ人への第一の手紙の内容
  • なぜ有益か
目ざめよ! 1974
目74 12/22 29–31ページ

『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

聖書の第52番めの本 ― テサロニケ人への第一の手紙

筆者: パウロ

書かれた場所: コリント

書き終えられた時期: 西暦50年ごろ

含まれている時代: 確定できない

1 (イ)テサロニケ第一の書が書かれたいきさつを述べなさい。(ロ)それはいつでしたか。この手紙はどんな位置を占めていますか。

使徒パウロがマケドニアの都市テサロニケを訪ね,その地にテサロニケ人の会衆を確立したのは,50年ごろ(西暦),彼の二度めの伝道旅行の時でした。その後一年もたたないころ,シルワノ(「使徒たちの活動」の中ではシラス)やテモテと共にコリントにいたパウロは,その地でテサロニケの人々への最初の手紙を書きました。それは彼らを慰め,彼らの信仰を築き上げるためでした。それは西暦50年の終わり,もしくは51年の初めでした。この手紙は,パウロの書いた物のうち最初に聖書の正典になったものであると思われます。そして,恐らくマタイの福音書を別にすれば,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で最初に書かれたものであると考えられます。

2 この手紙の筆者と典拠性についてどんな証拠がありますか。

2 この手紙が典拠の正しいものであり,損われていないものであることは,圧倒的な証拠によって裏付けられています。パウロは自分がその筆者であることをはっきりと述べており,またこの書は,霊感によるみことばの他の部分と内面的な調和を保っています。(テサロニケ第一 1:1; 2:18)この書簡は,ムラトリアン断片をはじめ,霊感による聖書の最古の目録の多くの中に名を挙げられています。a また,初期教会著述家の多くもこの本から引用したり,この本に言及したりしています。その中にはイレナエウス(西暦170年ごろ)もおり,名を挙げてこの書について述べています。三世紀初めのチェスター・ビーティー・パピルス第二番写本はテサロニケ人への第一の書を含んでおり,また,現在フランスのガンにある,三世紀の別のパピルス写本(P30)は,テサロニケ第一,第二双方の断片を含んでいます。b

3,4 テサロニケにおけるパウロの宣教は早く成功を見ましたが,結果としてどのような事が起きましたか。

3 この手紙が書かれる以前の,テサロニケ会衆の短い歴史をひとわたり見ると,この都市の兄弟たちに対するパウロの深い配慮の理由をはっきり理解できます。その発足当初から,この地の会衆は激しい迫害と反対を経験しました。使徒 17章で,ルカは,パウロとシラスがテサロニケに着いた時の事を述べ,「そこにはユダヤ人の会堂があった」としています。三つの安息日にわたってパウロはユダヤ人に伝道し,聖書に基づいて彼らと論じました。パウロはそこにさらに長く滞在したものと思われます。そこで自分の職業を営むだけの時間があり,さらに,会衆を確立し,組織するだけの時間があったからです。―テサロニケ第一 2:9; 1:6,7。

4 使徒 17章4-7節の記録は,テサロニケにおける使徒パウロの伝道の影響を生き生きと伝えています。パウロのクリスチャン宣教の成功をねたんだユダヤ人たちは,暴徒を組織して市に騒動を起こしました。彼らはヤソンの家を襲撃し,ヤソンや他の兄弟たちを市の支配者たちのところに引き立てて行って,こう叫びました。「人の住む地を覆したこれらの者たちがここにまで来ていますが,ヤソンはそれを手厚く迎え入れました。しかもこれらの者たちはみんなカエサルの布令に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています」。ヤソンと他の人々は保証を払った後にようやく釈放されました。会衆内の兄弟たちのため,またパウロとシラスの身の安全のために,この二人は夜の間にベレアに送り出されました。しかし,テサロニケの会衆は今や確立されていたのです。

5 パウロはテサロニケ会衆に対する気づかいと愛の関心をどのように示しましたか。

5 ユダヤ人たちの火のような反対はパウロのあとをベレアまでも追い,彼を脅かしてそこでの伝道をやめさせようとしました。そこで彼はギリシャのアテネに移りました。それでも彼は,テサロニケの兄弟たちが患難のもとでどのように過ごしているかを知りたいとせつに思いました。彼らのもとに帰ろうと二度試みましたが,二度とも『サタンがその進路をさえぎり』ました。(テサロニケ第一 2:17,18)幼い会衆のことを深く気づかい,彼らの経験している患難について痛切に知っていたパウロは,兄弟たちを慰め,彼らの信仰をいっそう強固なものとするために,テモテをテサロニケに遣わしました。テモテが心暖まる報告を携えて戻って来た時,パウロは,激しい迫害の中での彼らの不動の忠誠について知って大いに喜びました。彼らの記録は,マケドニアとアカイア全土の信者たちの手本とさえなっていました。(テサロニケ第一 1:6-8; 3:1-7)パウロは,彼らの忠実な忍耐についてエホバ神に感謝しましたが,彼らが円熟に向かって成長を続けてゆくために,いっそうの助言と導きの必要なことも悟っていました。こうしてパウロは,テモテやシルワノと共にいた間に,テサロニケ人への最初の手紙を,コリントで書きました。

テサロニケ人への第一の手紙の内容

6 パウロはどんなことについてテサロニケの人たちをほめていますか。

6 テサロニケの人たちは他の信者の手本となっている(1:1-10)パウロは,テサロニケの人たちへの手紙の中で,彼らの忠実な働き,愛の労苦,希望のゆえの忍耐をまずほめます。彼らの間で良いたよりが宣べ伝えられましたが,それはただことばだけによったのではなく,『力と強い確信をも』伴っていました。示された手本に倣った彼らは,「聖霊の喜びをいだ」いてみことばを受け入れ,マケドニアとアカイア,いえ,それを越えた地域にいたるまで,すべての信者の手本となっていました。彼らは自分たちの偶像から全く離れて神に転じ,「生けるまことの神に奴隷として仕え,またそのみ子の天からの現われを待つ」ようになっていました。―1:5,6,9,10。

7 テサロニケの人々と共にいた時,パウロとその仲間はどんな態度を示しましたか。彼らに何を諭しましたか。

7 テサロニケの人々に対するパウロの愛の気づかい(2:1–3:13)フィリピで不遜なあしらいを受けた後,パウロとその一行は大胆さを奮い起こしてテサロニケの人々に伝道しました。彼らはこれを,人を喜ばせる者,人にへつらう者,また,人からの栄光を求める者として行なったのではありません。むしろパウロはこう語ります。「乳をふくませる母親が自分の子どもを慈しむときのように,あなたがたの中にあって物柔らかな者となりました。こうして,あなたがたに優しい愛情をいだいたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなたがたが,わたしたちの愛する者となったからです」。(2:7,8)ちょうど父親が自分の子どもに対してするように,パウロとその仲間は,ご自分の王国と栄光とに召してくださった神にふさわしく歩んでゆくようにと彼らに諭し続けました。

8 どのようにして彼らはパウロの歓喜となりましたか。パウロは彼らのために何を祈りますか。

8 パウロは,テサロニケの人々が良いたよりを事実どおり「神のことば」としてすすんで受け入れたことをほめます。同国人から迫害を受けているのは彼らだけではありません。ユダヤ地方の最初の信者たちもユダヤ人の手で同様の迫害を受けたのです。彼らの福祉を気づかったパウロは,彼らを親しく訪ねようと二度も試みましたが,サタンに道を阻まれました。パウロとその同労者たちにとって,テサロニケの兄弟たちは歓喜の冠,彼らの「栄光また喜び」でした。(2:13,20)テサロニケの人々に関するたよりのないことにもはや耐えられなくなった時,パウロは,彼らを慰め,またその信仰を強めるために,テモテをテサロニケに遣わしました。しかし今,テモテは,彼らの霊的な繁栄と愛に関する良い知らせを携えて戻って来たのです。これは使徒パウロにとって慰めと喜びでした。パウロは神に感謝をささげ,主が彼らを成長させてくださるようにと祈ります。彼らが互いに対する愛において満ちあふれ,主イエスの臨在のさい,彼らの心が神また父のみまえで「神聖さにおいて責められるところのないもの」となるためです。―3:13。

9 聖化,また互いへの愛という面でパウロは何を諭しますか。

9 聖化と誉れのうちに奉仕する(4:1-12)パウロは,テサロニケの人々が神を喜ばすような仕方で歩んでいることをほめ,そのことをなおいっそう続けてゆくようにと諭します。各人は「自分の器をいかに聖化と誉れのうちに所有すべきかを知り……貪欲な性欲のままに歩」むべきではありません。この点でだれも自分の兄弟の権利を害してはなりません。「神はわたしたちを,汚れを容認してではなく,聖化に関連して召してくださったのです。それゆえ,無視する者は,人間ではなく……神を無視している」のです。(4:4,5,7,8)パウロは互いに愛を示すという面で彼らをほめ,そのことをなおいっそう行ない,静かに生活して自分の務めに専心し,自分の手で働くことを目標にするようにと勧めます。「外部の人びととの関係」で適正に歩まねばならないからです。―4:12。

10 死んで眠りについている人々について兄弟たちはどんな態度を持つべきですか。

10 復活の希望(4:13-18)死んで眠りについている人たちについて,兄弟たちは,希望を持たない他の人たちと同じように悲しむべきではありません。イエスがよみがえったという信仰をいだいているなら,神は,死んで眠りについている人々をも,イエスを通して同じようによみがえらせてくださるのです。その臨在の時,主は号令の声とともに天から下り,「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえ」ります。その後,生き残っている人々が「雲のうちに取り去られて空中で主に会い」,こうして常に主とともにいることになります。―4:16,17。

11 テサロニケの人々はなぜ目ざめているべきですか。彼らは何を行ない続けるべきですか。

11 エホバの日が近づくのを見て目ざめていなさい(5:1-28)『エホバの日はまさに夜の盗人のように』来ます。人々が,「平和だ,安全だ」と言っているその時に,突然の滅びが彼らににわかに臨みます。それゆえ,テサロニケの人々も目ざめた者となり,『光の子,また昼の子』として冷静さを保ち,「信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けて」いなさい。(5:2,3,5,8)今は互いを慰め,互いを築き上げることを続けるべき時です。ほねおって働き,主宰の任に当たっている人々に対して,すべての人は,「その働きのゆえに,ひときわ深い考慮を愛のうちに払」うべきです。一方,無秩序な者には訓戒し,弱い者は築き上げ,すべての人に対して辛抱強さを示さなければなりません。そうです,「互いに対し,また他のすべての人に対して,常に善を追い求めなさい」とパウロは書きます。―5:13,15。

12 結びに,パウロはどんな重要な事がらについて助言しますか。どのようなことばでその手紙を結んでいますか。

12 結びに,パウロは多くの大切な事がらについて助言します。『常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。霊の火を消してはなりません。預言を軽く扱ってはなりません。すべてのことを確かめなさい。りっぱな事がらをしっかり守りなさい。あらゆる形の悪を避けなさい』。(5:16-22)ついでパウロは,平和の神ご自身が彼らを全く神聖な者としてくださるように,また,彼らが主イエス・キリストの臨在の時まで霊と魂と体の面で責められるところのないものであるようにと祈ります。そして,暖かい励ましのことばと,この手紙をすべての兄弟たちに対して読むようにという厳粛な指示のことばとをもって手紙を結びます。

なぜ有益か

13 パウロとその仲間はどのような面で優れた手本ですか。すすんで愛を表現することは会衆内にどんな影響を与えますか。

13 この手紙の中で,パウロは,兄弟たちに愛のこもった配慮を示すという精神をよく表わしています。パウロとその仲間の奉仕者たちは,優しい愛情という面で本当に優れた手本を示しました。彼らは,愛するテサロニケの兄弟たちのために,神の良いたよりばかりか,自らの魂までも分け与えようとしたのです。監督たちは皆,自分の会衆とのそのような愛のきずなを作り上げることに努めるべきです。そうした愛の表現はすべての人を鼓舞して互いに対する愛に富ませます。パウロはこう述べました。「さらに,主があなたがたを,互いへの,そしてすべての人への愛において成長させ,そうです,満ちあふれさせてくださいますように。ちょうどわたしたちがあなたがたを愛しているのと同じように」。神の民すべての中ですすんで表わされるこの愛こそ,人を大いに築き上げます。それは,『その聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主イエスの臨在のさいに,わたしたちの神また父のみまえにあって,わたしたちの心を確固たるもの,神聖さにおいて責められるところのないもの』とします。それによってクリスチャンは不道徳で腐敗したこの世から離れた者となり,神聖さまた聖化のうちに歩んで神を喜ばせる者となります。―テサロニケ第一 3:12,13; 2:8; 4:1-8。

14 どのような点で,この手紙は巧みで愛のある助言の優れた手本となっていますか。

14 この手紙は,クリスチャン会衆内で愛のある巧みな助言をするための優れた模範を示しています。テサロニケの兄弟たちは熱心で忠実でしたが,正すべき点も幾つかありました。しかし,どの場合にも,パウロは兄弟たちの良い資質をほめています。例えば,道徳上の汚れについて警告するにあたり,彼はまず,兄弟たちが神を喜ばせるような仕方で歩んできたことをほめ,その後,そのことを「なおいっそう」行なって,おのおの自分の器を聖化と誉れのうちに保つようにと述べています。また,彼らの間の兄弟愛についてほめた後,そのことを「なおいっそう」行ないつつ,自分の務めに専心し,外部の人びとの前で適正な生活をするようにと説き勧めています。そしてパウロは,「互いに対し,また他のすべての人に対して,常に善を追い求め」るべきことを,兄弟たちに巧みに諭しています。―テサロニケ第一 4:1-7,9-12; 5:15。

15 パウロがテサロニケで王国の希望を熱心に宣べ伝えたことはどんな証拠に示されていますか。この点でパウロはどんな優れた助言を与えていますか。

15 パウロは,四回にわたってイエス・キリストの「臨在」について述べています。転向してまもないテサロニケのクリスチャンたちがこの教えに非常な興味を抱いていたことは明らかです。彼らの都市にいた間,パウロはイエスの王国について大胆に伝道したに違いありません。そのことは,彼とその仲間に向けられた次の告発のことばにも示されています。「これらの者たちはみんなカエサルの布令に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています」。(使徒 17:7。テサロニケ第一 2:19; 3:13; 4:15; 5:23)テサロニケの兄弟たちは王国に希望を置き,神に信仰を持ち,「神が死人の中からよみがえらせたかた,すなわちイエス」が天から現われて,きたらんとする憤りから自分たちを救い出してくださるのを待ちました。同様に,今日神の王国に希望を置くすべての人も,テサロニケ第一の書の優れた助言に従って愛に満ち,責められるところのない確固とした心を持ち,こうして,「ご自分の王国と栄光とに召しておられる神にふさわしく歩んでゆく」ことが必要です。―テサロニケ第一 1:8,10; 3:12,13; 2:12。

[脚注]

a 「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です」(英文)の302ページ,「クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期目録」参照。

b J・フィネガン著「遠い過去からの光」,1946年,339ページ。

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