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目ざめよ! 1975
目75 4/8 25ページ

血の神聖さを尊重して

「わたしは,1970年1月25日のこと,オートバイで一時開拓奉仕を楽しんでいました。ちょうど最後の日の日曜日でしたが,集会出席のため王国会館へ行く途中,双方の不注意でタクシーと正面衝突という事故を起こしてしまいました。本来ならば死亡しているところでしたが,全く奇跡的に左膝関接骨折と腰部強打で済み,手術することもなく3か月間入院しました。

「その後会衆内においていろいろな特権を果たしながら奉仕を続けていましたが,足の状態はさらに悪化していきました。1972年の春に大学を卒業して高岡市のエホバの証人の会衆と交わるようになりましたが,その頃には5分歩くともう激しく痛み,足が曲らなくなるほど悪化していました。4月に入って病院で診察してもらったところ,足の症状と原因が明らかになり,交通事故の際に股関接部を強打し,異常があった事を発見されないまま放置しておいたために骨頭が相当に破損し,一部が軟弱になってくずれていたもので,そこへ持病の関接炎が重なって激しい痛みとなっていたのです。医師は変形性股関節症として診断するとともに,手術しないで放置するなら歩けなくなってしまうと宣言しました。エホバに仕えてもっと多く奉仕したい,と考えていたわたしにとってむろんその診断は大きなショックでした。でも手術によってまた奉仕ができるのであれば受けようと決意して,1972年5月12日,手術を受けるために地元の病院に入院しました。わたしはその時,内臓の手術を行なうわけではないから別に命に関係するような事態も起きないだろうし,従って輸血ということもあり得ない,とのん気に考えていました。しかし念のために『血,医学および神の律法』の小冊子,その他輸血に関して述べている雑誌のすべてを病院に持って行きました。ところが入院して7日目くらいに問題は突然起きました。何気なくどのようにして手術が行なわれるのか医師に尋ねたところ,輸血をしながら行なう,とはっきり言われたのです。もうびっくりして,早速自分の立場を説明して絶対に輸血はできないと主張しました。その時回診に同行していた看護婦さんや同室の患者さんたちは嘲笑の目でわたしを見ておられましたが,憶せず,たとえ死ぬことがあっても自分の良心を捨てることはできない旨説明し,代用血液を用いて手術してもらうよう頼みました。そして『血,医学および神の律法』の小冊子を医師に渡して,多くの輸血なしで行なった臨床例があるのでぜひ読んで考慮してほしいと言ったところ,黙って小冊子を持って出て行かれましたが,その時手術拒否を覚悟しなければならないと思いました。それからは,輸血なしで手術が受けられるように,またたとえ命が失われるようになっても忠実を保ち続けることができるように何度も祈り,すべてをエホバに委ねていました。その後何日かは手術の事には一切触れないで無言のままで回診されました。わたしはたまらなくなり,思い切って尋ねました。その時言われた返事は輸血なしでやろうということでした。わたしはもううれしくて,エホバに心から感謝しました。もうわたしには何の恐れもなく,死ぬことに対しても全然不安は感じませんでした。ただ両親だけはクリスチャンではありませんでしたからとても心配した様子でしたが,最後にはわたしの意志を尊重してくれました。こうして,5月25日,2通の誓約書を提出して,その病院始まって以来の8人もの医師が担当するという異例の手術が午後一時に始まりました。会衆の2人の兄弟は万一両親が冷静さを欠いてはと付添ってくださいました。多量のデキストラン投与で手術は2時間半にわたって行なわれ,手術は成功しました。後で麻酔の医師から聞いたところによれば,わたしは手術の直後まだ麻酔からさめないうちに,うわごとで輸血のことばかり言っていたそうです。

「輸血をしないで行なった手術の結果はすぐに現われました。数日後に全く同じ部分を手術した方がおられましたが,その方は1,200CCの輸血をされました。わたしは手術後7日目にはもう松葉杖で病院内を歩けるくらいまでに体力は回復していましたが,その方は若いにもかかわらず1か月以上も動けず,快復は遅く,わたしが退院した後も相当入院しておられました。わたしは本当に神の律法に従って治療を受けて良かったと思いました。この出来事以来,わたしは一層エホバにすべてを委ねるようになりました。そして今では,他の人と同じように野外で奉仕を始めるようになりました。さらに喜ばしいことがそのことによって生じました。それまでに聖書を学びながら真の関心を示さず,2回も研究を中止していた母親が,自分から聖書を真剣に学びたいと申し出て進歩し,1974年の東京地域大会でバプテスマを受けたことです。エホバはわたしのような者にも豊かに祝福を与えてくださり,家族4人のうち3人までも献身した民の中に加えてくださいました。今から考えてもまるで夢のようです。エホバ神の過分のご親切に心から感謝しないではいられません」。―寄稿

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