『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
ヤコブの手紙の内容(つづき)
8 しんぼう強い忍耐は何をもたらしますか。しかし誤った欲望は何を生み出しますか。
8 「みことばを行なう者」としてしんぼう強く忍耐する(1:1-27)ヤコブは次の励ましのことばで手紙を始めます。「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい」。しんぼう強い忍耐によって人は完全な者となるのです。知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に知恵を求めるべきです。しかし,風に吹かれて揺れ動く海の波のような疑う者とならず,信仰のうちに求めるべきです。低い境遇にある人は高くされますが,富んだ人々は滅び去る草花のようにうせ果てます。試練に耐える人は幸いです。その人は「エホバがご自分を愛しつづける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受ける」からです。悪い事柄でもって神が人を誘惑して人に没落を被らせることはありません。その人自身の誤った欲望がはらんで罪を産み,その罪が死を生み出すのです。―1:2,12。
9 「みことばを行なう者」となることには何が含まれていますか。どんな崇拝の方式は神の是認を受けますか。
9 すべての良い賜物はどこから来るのでしょうか。常に変わることのない「天の光の父」からです。「父は自らそう意図されたので,わたしたちを真理のことばによって生み出し,わたしたちがある意味で被造物の初穂となるようにされました」とヤコブは語ります。それゆえ,クリスチャンは,聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くあり,あらゆる汚れと道徳上の悪とを捨て去り,救いのことばが植え込まれるのを受け入れるべきです。『みことばを行なう者となり,ただ聞くだけの者となってはなりません』。鏡のような自由の律法をじっと見つめてそれを守り通す人は,『それを行なうことによって幸福になる』のです。自分の舌にくつわをかけない人の形式的な崇拝は無益です。しかし,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― 1:17,18,22,25,27。
10 (イ)どんな区別は退けるべきですか。(ロ)業と信仰にはどんな関係がありますか。
10 信仰は正しい業によって全うされる(2:1-26)兄弟たちは区別を設け,富んだ人々に対して貧しい人々に対する以上の好意を示しています。しかし,「神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ」,「王国の相続者」とされたのではありませんか。富んだ者たちは圧迫者となっているのではありませんか。「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」という王たる律法を実践し,偏り見るような態度を退けるべきです。また,あわれみをも実践すべきです。律法に関して言えば,その一点を犯すなら全体を犯すことになるからです。業の伴わない信仰は無意味です。困っている兄弟や姉妹に,「暖かくして,じゅうぶんに食べなさい」と言いながら実際の援助を与えないなどはそれです。業を別にした信仰を示せるでしょうか。アブラハムの信仰は,イサクを祭壇上にささげたその業によって全うされたのではありませんか。同様に,娼婦ラハブも「業によって義と宣せられた」のです。このように,業の伴わない信仰は死んだものです。―2:5,8,16,19,25。
11 (イ)ヤコブはどんな例えで舌の使い方について戒めを述べますか。(ロ)知恵と理解力とはどのように示されますか。
11 舌を制御して知恵を教える(3:1-18)兄弟たちは,教える者となる点で注意深くあるべきです。より重い裁きを受けないようにするためです。だれでも幾度もつまずきます。くつわが馬の体を御し,小さなかじが大きな船を操るように,小さな肢体である舌も大きな力を有しています。それは大きな森林をも燃やすことのできる火のようです。舌よりは,野性の動物のほうがならして従わせやすいほどです。それでもって人はエホバをたたえ,同時に仲間の人間をのろいます。これは正しくありません。泉が甘い水と苦い水を共にわき出させるでしょうか。いちじくの木がオリーブの実を成らせるでしょうか。ぶどうがいちじくを,塩水が甘い水を生じさせるでしょうか。「あなたがたの中で知恵と理解力のある人はだれですか」とヤコブは問いかけます。その人は自分の業を柔和さのうちに示し,闘争的な態度や,真理に逆らって動物的に自慢したりすることを避けるべきです。「上からの知恵はまず第一に貞潔であり,ついで,平和を求め,道理にかない,すすんで従い,あわれみと良い実とに満ち,不公平な差別をせず,偽善的で(はない)」からです。―3:13,17。
12 (イ)会衆内にどんなよくない状態が存在していますか。それはどこから来ていますか。(ロ)エホバの是認を受けるためにどんな態度を避け,どんな資質を培うべきですか。
12 肉欲の快楽や世との交友を避ける(4:1-17)『あなたがたの間の争いはどこから起こるのですか』。ヤコブはこの問いに,「肉欲の快楽に対するあなたがたの渇望からです」と自ら答えます。そうした人々は動機が誤っているのです。世の友になろうとする人は「姦婦」であり,神の敵になります。むしろ,「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば,神はあなたがたに近づいてくださいます」。エホバは謙遜な人々を高めてくださいます。それゆえ,互いを裁くのをやめなさい。そして,だれもある日から次の日への命について確かには知らないのですから,「もしエホバのご意志であれば,わたしたちは生きていて,これを,あるいは,あれをする」と言うべきです。誇ることは悪であり,何が正しいかを知りながらそれを行なわないのは罪です。―4:1,4,7,8,15。
13 (イ)富んだ人々にとってはなぜ災いがありますか。(ロ)ヤコブは,しんぼうと忍耐の必要をどんな例えで示しますか。そうした資質を発揮することはどんな結果になりますか。
13 義のうちに忍耐する人は幸いです(5:1-20)ヤコブは言明します,『富んだ者たちよ,泣きなさい。泣きわめきなさい。あなたがたの富のさびはあなたがたに不利な証人となります。万軍のエホバは,あなたがたが奪い取った刈り入れ人たちの助けを求める声を聞きました。あなたがたはぜいたくと肉欲の快楽にふけってきました。それでいて義人を罪に定め,また殺害してきました』。しかし,主の臨在が近いのを見て,兄弟たちは収穫を待つ農夫のようにしんぼうを働かせ,「エホバの名によって語った」預言者たちの模範を思い見るべきです。忍耐した人は幸いです。その人は,ヨブの忍耐とエホバが与えた結末を,『エホバが優しい愛情に富まれ,あわれみ深いかた』であることを思い出すべきです。―5:1-6,10,11。
14 罪を告白することまた祈りに関して結びにどんな助言が与えられていますか。
14 誓うことをやめなさい。むしろ,はい,は,はいを,いいえ,は,いいえを意味するようにしなさい。互いに自分の罪をはっきり告白し,互いのために祈り合いなさい。エリヤの祈りに示されるとおり,「義にかなった人の祈願は……大きな力があります」。惑わされて真理から出る人がいる場合,その人を立ち返らせる人は,「その人の魂を死から救い,多くの罪を覆う」ことになります。―5:16,20。
なぜ有益か
15 ヤコブはヘブライ語聖書のことばをどのように当てはめていますか。その例を挙げなさい。
15 ヤコブはイエスの名を二度しか挙げていませんが(1:1; 2:1),師の教えを多くの点で実際に当てはめています。そのことは,ヤコブの手紙と山上の垂訓とを注意深く比べてみればわかります。それと共に,エホバの名は13回現われており(新世界訳),信仰を守るクリスチャンに対する報いとしてエホバの約束が強調されています。(ヤコブ 4:10; 5:11)ヤコブは例証のために繰り返しヘブライ語聖書を引き合いに出し,自分の実際的な助言を発展させるために適切な引用をしています。ヤコブは,「という聖句による」,「と述べる聖句が成就され」,「と聖句が述べている」などの言い回しによって,自分がそれをどこから得たかを示し,そうした聖句をクリスチャンの生活に当てはめています。(2:8,23; 4:5)助言点を明瞭にし,調和のある神のことば全体に対する信仰を築き上げるために,ヤコブは,アブラハムの信仰の業,ラハブが業によって信仰を実証したこと,ヨブの忠実な忍耐,エリヤが厚く祈りに頼ったことなどを手ぎわよく取り上げます。―ヤコブ 2:21-25; 5:11,17,18。創世 22:9-12。ヨシュア 2:1-21。ヨブ 1:20-22; 42:10。列王上 17:1; 18:41-45。
16 ヤコブはどんな助言と警告を与えていますか。そうした実際的な知恵はどこから来ていますか。
16 みことばをただ聞く者ではなく行なう者となり,義の業によって信仰を実証しつづけ,試練を耐え忍ぶことに喜びを見いだし,神に知恵を求めつづけ,祈りによって常に神に近づき,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」という王たる律法を実践しなさい,というヤコブの助言は極めて価値のあるものです。(ヤコブ 1:22; 2:24; 1:2,5; 4:8; 5:13-18; 2:8)誤りを教え,舌を有害な方法で用い,会衆内に階級差別を設け,肉欲の快楽を渇望し,朽ち果てる富により頼むことを非とするヤコブの警告のことばは強力です。(ヤコブ 3:1,8; 2:4; 4:3; 5:1,5)ヤコブは,世との交友が霊的な姦淫となり,神との敵対になることをはっきり示し,また,神の目から見て清い崇拝の実践がどういうものであるかを定義します。すなわち,「孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つこと」です。(ヤコブ 4:4; 1:27)極めて実際的で理解しやすいこうしたすべての助言こそ,初期クリスチャン会衆の「柱」とされたこの人に当然期待されるものです。そこに含まれる思慮ある音信は,動乱のこの20世紀に生きるクリスチャンたちにとっても依然として確かな指標です。それは,「義の実」を生み出す「上からの知恵」であるからです。―ヤコブ 3:17,18。
17 信仰の業を忍耐して続けるためのどんな強力な理由が示されていますか。
17 ヤコブは,自分の兄弟たちが神の王国における命という目標に到達するのを助けようと熱心な気持ちを抱いていました。そのため彼らにこう促しました。「あなたがたもしんぼう強くあり,心を強固にしなさい。主の臨在が近づいたからです」。試練を忍耐しつづけるなら幸いです。神の是認を受けるなら,「エホバがご自分を愛しつづける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受ける」ことになるからです。(ヤコブ 5:8; 1:12)明らかにルカ 22章29節にあるイエスのことばに言及して,ヤコブはまたこう語ります。「わたしの愛する兄弟たち,よく聴きなさい。神は,世に関して貧しい者を選んで信仰に富ませ,ご自分を愛する者たちに約束された王国の相続者としてくださったので(す)」。こうして,天の王国における命の冠に対する神の約束が,信仰の業を忍耐づよく続けるための強力な理由として強調されています。確かにこのすばらしい手紙は,約束された王国の胤であるわたしたちの主イエス・キリストの治める,エホバの新秩序での永遠の命という目標をとらえるよう,すべての人に励みを与えるはずです。―ヤコブ 2:5。
「神に服しなさい。しかし,悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば,神はあなたがたに近づいてくださいます」― ヤコブ 4:7,8。