ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目76 9/22 3ページ
  • 独立200年

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 独立200年
  • 目ざめよ! 1976
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 革命が始まる
  • 望まれた自由
  • 過去に存在した痛ましい問題
    目ざめよ! 1976
  • 自由は長続きしたか
    目ざめよ! 1976
  • 不平等による今日の苦しみ
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
  • 権利章典 ― なぜ必要だったか
    目ざめよ! 1991
もっと見る
目ざめよ! 1976
目76 9/22 3ページ

独立200年

アメリカ合衆国は,北アメリカの13の植民地が,大英帝国からの独立を宣言した1776年7月4日に“誕生”しました。

1976年の7月4日は,その200周年記念日に当たります。この行事は,英語で“Bicentennial(200年祭)”と呼ばれてきました。それは“2”を意味するbiと,“100年祭”を意味するcentennialから成る語です。

この200年間に,米国は人口および面積の点で,世界第四位の大国にのし上がりました。同国の人口は,現在約2億1,500万人を数えます。

しかし,他の国々と比べると,この国にはまだ若さが感じられます。ヨーロッパ人の最初の植民地は,1607年,英国人によって,バージニアのジェームズタウンに設立されました。それら初期の入植者の大半は,宗教や政治上の自由を求めて,あるいは経済状態を改善しようとしてやって来た人々でした。

革命が始まる

1776年までには,260万の人口を擁する,13の植民地が存在するようになりました。しかし,その年よりもずっと前から,ジョージ3世の英国政府と植民地人の間には敵対関係が生まれていました。植民地人の大半は,より大きな政治および経済上の自由を求めました。それが与えられないと見ると,彼らは反逆し,自分たちで大陸会議を設置しました。

アメリカの革命分子が軍事面で初めて成功を収めたのは,1775年5月のことでした。バーモントのエサン・アレンの率いる“グリーン山脈義勇軍”が,ニューヨークのタイコンデローガにある英軍のとりでを攻撃したのです。アレンは,「偉大なるエホバおよび大陸会議の名において」英軍に降伏するよう求め,遂に降伏させました。

翌年,大陸会議がフィラデルフィアのインディペンデンス・ホールで開かれ,1776年7月4日,その場所で独立宣言が採択されました。

望まれた自由

独立宣言には,望まれていた自由がはっきりと説明されていました。それは気高く,崇高な理想を具体的に言い表わしたもので,一部次のように述べられています。「我々は以下のことを自明の真理なりと信ずるものである。すなわち,すべての人は生まれながらにして平等であり,譲ることのできない一定の権利を創造者から与えられており,その中には生命,自由,および幸福の追求が含まれている。人類はこれらの権利を確保するために政府を組織する。その政府の正当な権力の根源は被治者の同意にある。したがって,いかなる形態の政府といえども,もし以上の目的を阻害するに至った場合,これを改廃し,新たな政府を組織することは人民の権利とされる」。

独立宣言にはまた,英国が『人民の権利を尊重する法案を通過させず,公正の執行を妨害し,多くの場合に陪審員による裁判の恩恵を与えず,我々の領海で略奪を行ない,我々の沿岸を荒らし,町々を焼き,人民の命を奪い,王のための強制徴用と称して市民を捕らえた』ことに対する抗議が含まれていました。

八年に及ぶ激しい戦闘の末,1783年にようやく平和条約が締結されました。英国軍は完全に撤退し,米国は今や自由になったのです。

それ以来,どんなことが起きてきましたか。宣言された自由に基づく200年間は,同国に何をもたらしましたか。その将来は明るいものですか。“300年祭”に対する見込みはどんなものですか。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする