日本の“神聖な奉仕”地域大会
福山市
日本の七つの都市で開かれたエホバの証人の地域大会の最初のものは7月20日,火曜日から7月23日,金曜日まで広島県福山市において行なわれました。昨年と同じ福山市体育館に中国,四国地方の人々が参集しました。
台風が日本の西方から近づいており大会の初日にかなりの風雨が予想されました。大会会場の周辺の敷地には炊事や食堂のためのテントが設置されていましたが,風が強まり始めたので,兄弟たちはせっかく張ったテントのひもを切りはずして施設が吹き飛ばされないようにしました。また四国の徳島県鳴門市からの出席者たちは,豪雨のために町が床下浸水の状態の中を出発してきました。高松から出るフェリーが運航中止にならないかという心配もありましたが,無事に会場に到着しました。しかし,幸いにも台風はその影響を弱め,はじめの予想とは全く異なり,大会の行なわれた四日間は連日,良い天気でした。体育館の館長はエホバの証人が今年もこの会場を使用することに喜んで承諾を与え,次のように述べました。「皆さんは約束を必ず守ってくれます。ある団体など最初は非政治集会として届けを出しておきながら,途中で政治集会に変更するなど困る場合がありましたが,皆さんは決められたことしか行ないません。何か私たちにできることがあれば御協力いたしましょう」。大会の音響装置は良いもので,すべてのプログラムをはっきりと聞き取ることができました。またステージ右手には岩間を流れ落ちる小さな滝が見え,涼味をそえます。地元の証人たちはプラスチックの水受けや水中ポンプなどを用いてそれを作りました。
プログラムは,神に対して行なう神聖な奉仕のさまざまな面,すなわち家庭において,会衆において,また一般の人々すべてに対してどのようにそれを成し遂げるべきかを教えていました。それはエホバの準備されたまさに喜びと励ましを与える霊的な祭りでした。ある81歳のエホバの証人は四国の松山市からやって来ました。1961年にバプテスマをうけたこの証人は大会の喜びをかみしめながらこう述べています。「体と記憶力は衰えていますが,大会に出るたびに新しい事を学びます。以前はそれほど明りょうでなかった真理がはっきりさせられていることをうれしく思い身がひきしまる思いです。これからも神の組織と共に進みたいと思います」。大会二日目,神聖な奉仕への扉をくぐる119人の男女のバプテスマは出席者全員の大きな喜びとなりました。大会の期日が週中であり,学校の夏休みに入る前であったにもかかわらず,大会に出席するための良い努力が払われました。高知県南国会衆のある母親は小学校1年になる自分の子供の教師に次のように証言できました。「私は聖書を研究しています。それで7月20日からの大会に是非とも,子供を連れて参加したいと思います。創造者であるエホバという神について学ぶためのこの大会は私たちの大きな喜びですので学校を二日早く休ませていただきたいのです」。教師は「今までにないことだが通信簿を渡しましょう」と言って五日早くそれを与え,おかけで大会最初からこの親子は出席できました。
この大会に協力した外部の人々も,聖書の清い原則を守ろうとしている出席者たちから良い益を得ました。毎日福山市までご飯を運んでいた「広島米飯センター」の一運転者は,出席しているエホバの証人たちを観察して次のように尋ねました。「なぜだれもたばこをすわないのですか」。そこで大会の炊飯部門の管理者のひとりとの間に次のような会話がかわされました。
「ではわたしにひとつ質問させてください。……かりに,あなたに小さな子供さんがいるなら,あなたは子供にたばこの煙をふきかけたりしますか」。
「そんなことはしませんよ」
「そうでしょうね。たばこが体のために良くないもの,他の人にも迷惑をもたらすものであることを知っているからです。まあ,それに加え聖書はそれ以上の理由も示しているのですよ」。
彼は,たばこが良くないものであることに同意し,最後に「ここにいる人々だけならば,世のあかはありませんね」と語りました。
この地での大会に113以上の市町村からの代表者たちが出席し最高出席者数が4,615人であったこの大会はまさに神の民が神聖な奉仕に魂を込めるよう励ますものでした。
北九州市
今年も北九州市立体育館がエホバの証人の「神聖な奉仕」地域大会のために用いられました。このりっぱな設備を持つ体育館は喜びあふれる九州や山口県方面の証人たち7,108人により埋め尽されました。大会は7月22日,木曜日から25日,日曜日まで4日間行なわれました。
大会の始まる直前,そして大会の三日目と四日目に三つの台風が九州方面にやってきました。ラジオやテレビの天気予報は北九州が台風の進路にあることを報じ,兄弟たちは最悪の事態を予期していました。最初の台風が接近した時,炊事,食堂,喫茶などのためのテントを張ることはできず,準備に支障がありました。二番目の台風は大雨を伴うものであり二日目の夜半から三日目の早朝にかけ豪雨を降らせました。三番目の台風は強風を伴うものであり三日目の夜半から四日目の朝にかけ強風が吹き荒れました。大会監督はこう話していました。「もう打つ手はありません。明日は食事を準備することができないと思います。しかし,大会の際に三つも台風が来るとは,エホバがわたしたちに何かを学ばせようとしておられる以外のことは考えられません」。しかしどうしたことでしょう。どの台風も天気予報に反して北九州の手前で弱らめれ,熱帯性低気圧に変えられたため,実質的には大会の運営にも出席にも何の支障もありませんでした。悲観的な天気予報とは反対にかえって日を追って大会出席者数は増え,自発奉仕者数も増加していったのです。風雨が強くなった夜中など大会の責任者の兄弟たちばかりでなく何十人もの兄弟たちが大会場にかけつけ設置されている大会の施設を保護したり補強したりして一致して働き,エホバの組織や兄弟たちに対する愛を表わしました。そうです,確かにエホバはわたしたちに大切なことを学ばせてくださいました。それはエホバの保護と導きがエホバに依り頼む者にあるということと,苦難の際に兄弟たちは無私の愛と献身のうちに一致して働くということです。これは本当に貴重な経験となりました。
過去二年の経験を生かして音響部門はりっぱな大型のスピーカーを作成し,それを会場に設置し優れた音響でプログラムが聴けるようにし,出席者のみなから感謝されました。その上,提供されたおいしい食事にみなは満足しました。北九州市内のりっぱなフランス料理店の経営者と料理長とは共に証人たちに大変好意的であったので兄弟たちはおいしい料理を上手に作ることに関しいろいろと教訓を受け,そして大会の食事を作ったのです。
会場内には車いすにのってプログラムを楽しむ方々のための場所が設けられていてそこにはいつも十数台の車いすにのった兄弟姉妹たちが楽しくプログラムを聴いていました。その中には福岡県大野城市から出席した進行性筋委縮症(ジストロフィー)に苦しむ2人も含まれていました。身体的な苦しみはあっても彼らの精神は喜びのあるものです。最初に兄夫婦が聖書の真理を認めそれを弟たちに伝道するようになりました。弟のひとりは一緒に生活していますが何年もの間,聖書を学ぼうとはしませんでした。しかしながら忍耐づよい周囲の人々の努力により少しずつなじむようになりました。しかし,彼を大きく変化させたのは,義姉(兄の妻)が急病になった時のことでした。兄も弟も同じ不自由な体であるために身の回りのことを世話することが困難でした。ところがクリスチャン会衆の人々がすぐにかわるがわる訪問し食事や清掃等をしたのです。「2,3日しか続かないだろう」と考えていた弟にとり,おしつけがましくない証人たちの連日の援助は,彼の心を大きく開くものとなりました。彼自身は1975年の同じ会場での大会でバプテスマを受けました。彼らの喜びは,同じ苦しみを持つ熊本市の肉身の兄弟が,今年の大会でバプテスマを受けたことでした。
それにろうあ者たちのための席もステージの近くに設けられ約25,6人の方々が指話法によりプログラムを楽しんでいました。ろうあ者の一姉妹は証言カードを用いて毎月何十時間も野外で奉仕して60冊もの雑誌を配布する月も少なくないようです。
確かに大会はすばらしい祝福であり,出席者一人一人は心に喜びを抱いて家路につきました。出席者の決意は愛ある天の父エホバに対して,『昼も夜も神聖な奉仕をささげ』る大群衆の一人として留まり続けようというものです。―啓示 7:15。
岩見沢市
これら二つの大会と同じ週には,北海道岩見沢市においても「神聖な奉仕」地域大会が行なわれました。二年前の夏にも使用された岩見沢スポーツセンターが会場として用いられました。これは市のはずれにあり,その二方を市の大きな公園に囲まれた環境の良さが出席者を楽しませました。「涼しい」北海道の夏を期待していた人々は,50年ぶりと言われた連日30℃を越す猛暑にびっくりさせられました。それで家族連れで大会に来た多くの人は周りの林や公園内の木の下でFMラジオを使って話に耳を傾けました。また休けい時間に大勢はそこでの語らいを楽しみました。
出席者の必要をまかなうための簡易食堂のため長さ70㍍,幅15㍍の屋根つきの仮設の大食堂が出来ました。そこで毎回3,000食以上が準備されました。地元の証人たちは熱心に働いて全道からの出席者たちをもてなしたのです。この大会の主題が「神聖な奉仕」であり,奉仕することが,クリスチャンの生活の中心であることが強調されたことはふさわしいことでした。
会場で行なわれた毎日のプログラムには各日の主題があったので,要点を理解し,記憶することに大変助けになりました。初日の午後には青少年に対して特別のプログラムがありました。「若い人は人生から何を得たいと考えていますか」の話は特に13歳から19歳までの男女に向けられていたものでした。それは若い人々や親たちにすばらしい励みを与えるものでした。室蘭市に住む一主婦は次のような感謝を書いて来ました。「22日木曜日のあのお話のすべてに感動いたしました。17歳,16歳そして13歳の子供を持つ親として旱天の慈雨とでも表現したいものでした」。第二日目「あなたが会衆で行なう神聖な奉仕」の主題のもとに,会衆の中で,互いに敬意を表わすことや,監督たちの奉仕に助けとなる教訓が与えられました。その率直で具体的な話や,劇を見聞きしたその日の終わりに,ひとりの長老は次の様に話していました。「本当に,わたしの心にささる話ばかりでした。自分が会衆で長老という立場で働いていても,つい大切なことを忘れて,自分の持つ権威の方にのみ重きを置いてしまいがちです。……しかし,そうすることばかりなら,本当は長老ではなくなってしまうのですね。もっと自分の語ることや行動に注意して,皆さんにしもべとして奉仕してゆかねばと思います」。彼は「長老たち,神の同労者として協力しなさい」という話や,「互いを敬う点で率先しなさい」という古代と現代の劇からの感銘を語っていたのです。
イエス・キリストはかつて「わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知り,彼らはわたしに従います」と言われました。(ヨハネ 10:3,27)ですから,エホバの証人たちは,自分たちが人々に良いたよりを知らせる時,人々に聖書から読んで聞かせたいと望んでいます。この大会の第三日目のプログラムはそのことを特に強調しました。現代のような時に人々は神の言葉である聖書に耳を貸すでしょうか。確かにそうであることが教えられました。この日の最後に行なわれた,現代劇「あなたは群れの模範ですか」の中で札幌市の開拓者で長老でもあるひとりの兄弟は,旅行する監督の役を行ないました。その中で彼は伝道するとき,聖書をどのように人々に読んで聞かせるかを他の人々に教える役をはたしましたが,本当にその様にして成功するかどうか,自分の伝道の区域でそれを実際に使ってみました。約3週間に一度人々は証人たちの訪問を受けている彼の区域での結果は実にすばらしいものでした。人々は興味を示し,楽しい話し合いがいくつも出来ました。彼は「人々は以前よりよく応答しましたし,聖書の文書もずっと多く配布できました」と言いました。今彼は他の長老たちと協力して,会衆のすべての人々が伝道のとき聖書の言葉を読んで聞かせるよう援助することを決意しています。大会の最終日に全道から4,659人が出席したことが発表され,祝福のうちに幕を閉じました。
これら3か所での大会に合計1万6,382名が出席し,433名が献身を表わすバプテスマを受けました。次号において他の4か所で開かれた大会の報告を掲載する予定です。
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今年の地域大会では,四つの聖書劇が演じられ,多くの教訓が与えられた
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北九州の大会で,出席者たちに食事を供給するために働く自発的な奉仕者たち