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  • 日本の「喜びに満ちた働き人」地域大会
  • 目ざめよ! 1977
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  • バプテスマに関して語られた経験
目ざめよ! 1977
目77 11/22 25–27ページ

日本の「喜びに満ちた働き人」地域大会

バプテスマに関して語られた経験

今日,エホバの証人は熱心に王国の良いたよりを宣べ伝えていますが,その結果として,大勢の人々が真理を学ぶ機会を得てきました。それらの人々は,聖書を学んで以前の自分の生き方を改め,真の神エホバに献身することを願うようになります。毎年夏に行なわれるエホバの証人の大規模な大会において,それら大勢の人々が自らの献身を水のバプテスマ(浸礼)によって表わす光景を目にすることができます。今年,日本支部の管轄下で行なわれた10の大会で,合計1,479名の人々がバプテスマを受けました。これらの人々の多くは種々の問題に直面し,それらを克服してきたのです。

富山市での大会である夫婦がバプテスマを受けましたが,夫婦そろってバプテスマを受けるまでにいろいろな問題を克服してきました。夫は新潟で経理関係の会社を経営しており,二人の子供がいます。1974年にエホバの証人の宣教者がこの家を訪問して妻が聖書を学び始めました。そのころ夫は物質主義的な生活をしていて妻が聖書を学ぶことに反対していました。1974年春にエホバの証人の大会が開かれましたが,それに妻が出席したことを理由に夫は別居するようになりました。夫は離婚を求め,子供の保護者を決めるために家庭裁判所に問題を提出しました。三度の調停が行なわれましたが,結局,調停委員は離婚する原因がなにもないとの結論に達しました。しかしその後,事態はどのように進展したでしょうか。その夫自身,次のように述べています。「その年の夏,私の出張中に妻は子供を連れて東京・府中で開かれた大会に出掛けてしまいました。帰って来た時に私は,『なぜ断わりなしに行ったのか』と言い,迫害を加えました。そして子供に,『聖書とお父さんとどちらが必要か』と尋ねたところ長男は,『お父さんも必要だけどお父さんが聖書を学ばないなら,ぼくたちは聖書を必要とします』と言われショックをうけました。それで私は家にある現金と預金すべてを持ち,取り上げた書籍や雑誌をビニール袋に詰めて家を出ました。夕方,山形県の蔵王の頂上付近まで来ましたが,そこで書籍と雑誌を焼いてしまおうと思い,手に取ったのが『とこしえの命に導く真理』の本でした。引き裂こうとした時に『幸福な家庭生活を築く』という章の中にある『妻は夫に従順に従わなければならない』という活字が目に入りました。こんな良い事が書いてあるのに『なぜ妻は私に従わないのだろうか』と疑問を抱き,ホテルに持っていってそれを読むことにしました。夕食の時にホテルの女中の一人が私に身の上話を話しました。その人は,私生児を生んだために女中という仕事をして苦労しているということでした。そのとき私は,もし離婚をしてしまえば子供も妻もこのようにみじめになるのではないかと思い,その晩,『真理』の本を読み明かし,翌朝すぐ家に帰りました。そして妻に,『よく読んでみたらおまえの気持ちがよく分かるような気持ちがした。学ぼうと思うので私と一緒に歩んでくれ』と頼みました。それで,9月からは妻や子供たちと共に日曜日の集会に定期的に参加するようになりました。そのころ,一日にたばこを50本ぐらい飲んでいましたが,それも1976年1月以降やめることができました。そして晩に行なわれていた集会すべてにも参加することにしました。私の職業は40件程の会社の経理を請け負っていましたので,業種によっては辞めなければならないお客もありました。社員の中にも非協力的な人もおり伝道奉仕をしたくても出られませんでした。しかし神に祈っていた時にその問題も解決し,現在では三人のエホバの証人と共に働いています」。この夫婦はこのように多くの問題に遭いながらもそれらを克服し,現在では夫婦そろって神の献身した奉仕者として生活できることを喜んでいます。

バプテスマを受けた人々の中には,かなり高齢の人々も含まれていました。大阪での大会でバプテスマを受けたある夫婦は自分たちの経験を次のように述べています。「私は今年77歳,妻は68歳です。私たちが真理に接したのは1970年ごろからです。そのころ孫は学内紛争の中で過激な行動をとっていた一大学生でしたが,エホバの証人と聖書を学び始め,それまでの行ないを悔い改め人格を変化させるよう努力しているようでした。そして機会があるごとに神の存在や『終わりの日』について話すのを聞きました。そのうちに私たちの家から短大に通っていたその孫の妹も兄の証言を受けて真理を学び始め,当初は反対していた孫たちの母親である私の娘夫婦も自分の子供たちの変化を見て動かされ,1970年8月ごろから真理を学び始めました。1970年夏の地域大会では私の孫が,1971年夏の大会ではその母である私の娘が,そして1972年夏の地域大会では孫の妹が,さらに1973年春の大会では私の娘の夫もバプテスマを受けて家族全員がエホバの証人となりました。1972年7月ごろに一つの出来事がありましたが,そのとき受けた印象は私の心に今も深く残っています。そのころ私の母は96歳の高齢でもう体も弱っていましたが,その母に私の娘は真の神がエホバであることや復活の希望について,もう耳も目もうとくなっているので紙に大きな字を書いて証言しているのを見ました。母はその二つの事は確信したようでしたが,そのすぐ後に死にました。葬儀の日,私の娘夫婦と孫たちは参列はしましたが,焼香も頭を下げることもしませんでした。式が済んで会食の時には,私の娘は勇敢にも葬儀をとりおこなった僧侶に証言をしているのを聞きました。これらの出来事から受けた印象は,私が聖書を学び始めた後に母の3回忌の時に,集まった親戚一同と僧侶の前で“改宗宣言”を行なう勇気を得る上で本当に役立ったと思います。そして1973年の夏に初めてエホバの証人の大会に出席する機会をもち,その後9月から近くの会衆からエホバの証人の一人の長老が来てくださり妻と共に聖書の研究を始めました。聖書を学び始めて特に印象に残ったのは,創世記 1章1節の『はじめに神天地を創造たまえり』という簡明で壮大な言葉です。というのは,思えば私がちょうど20歳のころ夜の星をながめ,その運行の正確さや人間の体のつくりのすばらしさを思いめぐらして,これらの背後にはきっと何か偉大な意志のある存在があるに違いないと考えていたからです。真理に接してから7年間そして学び始めて4年の間,私の親族や会衆の皆さんが励まし助けてくださったこと,そしてひとえに私たちの三代にわたる親族をこのようにあわれみ深く,また辛抱強く導いてくださったエホバ神への感謝の念にたえません」。確かに家族そろって神に仕えられるのは,その家族にとって大きな祝福です。

北海道小樽の地域大会でバプテスマを受けた一人の男の人の経験も興味深いものです。「私は両親が仏教を信仰している家庭に生まれ育ちましたが,仏教に対する信仰心は全くありませんでしたし,それどころか寺院のあり方に疑問を持っていました。このような状態で中学時代からスポーツに大いに興味を持ち始め,特に格闘技を好んで行なっていました。中学時代には相撲,高校からはレスリングに励み,常に勝利を追い求めていました。ですから,自分自身とレスリングが自分の崇拝の対象になっていました。1966年にはレスリングの世界選手権大会の日本代表として出場することになり渡米しました。その時オハイオ州トレド市のあるアメリカ人の家庭に招待され,その人々の生活態度に接して,人間の生活には宗教は大切なものだと痛感しました。しかし自分にとっては,どの宗教が本当のものか分かりませんでしたし,依然として宗教界に疑問を持ち,矛盾を感じていました。寺院における改築や増築に伴う金銭の徴収の割当て制度などがその理由でした。その後,妻がエホバの証人と真理を学び始め1970年にバプテスマを受けました。私は特に関心は示しませんでしたが反対はしませんでした。後に毎週火曜日の晩に私の家で書籍を用いる研究集会が行なわれるようになりました。そして,そこに出席する大勢の人たちのりっぱな行状と愛を見て感銘をうけ,従来から持っていた宗教に対する不信感が解消しました。それで私も,1975年の冬から真理を研究し始めることになり,しだいにこれが真理であることを確信するようになりました。1976年4月に美唄から函館に転勤になり,その時から問題も生じてきました。私の勤め先の高等学校では,すべての保健体育科教諭が剣道を指導しなければならないシステムでした。それで,聖書のイザヤ書 2章4節の原則に従う時,どうしても剣道だけは良心上指導できませんでした。学校当局に申し入れましたが受け入れられず,非常に厳しい局面を迎えました。一時は仕事をやめようと思いましたが,神に祈り,忍耐できるところまで忍耐しようと考え現在に至っています。現在,授業では剣道の代わりに別の種目を指導しています。今回の大会で献身をバプテスマによって表わすことができ非常に感謝しています」。このようにしてこの男の人は,自分自身やレスリングを崇拝の対象とする生き方を改め,エホバを自分の神とする決意を表わしました。

今回の大会でバプテスマを受けた人々の中には,聖書を学ぶ以前いろいろな考えや人生の目標を持っていた人々がいます。新潟市に住むある男の人は電気店を経営していましたが,単調な仕事に飽き足らず,いろいろな仕事を手掛けるようになりました。いつも新鮮さと人生の目標を持ちたいと願い,一つの計画が達成されるとすぐ生きがいを求めて別の目標を計画し実行に移していました。しかし,熟考しないで行動することが多かったために商取引きでは何度となく詐欺にあい,世の人々の不正を見て自分の熱心な努力が報われないと感じていました。それでこの人は,『自分の努力が真の喜びに変わる土地』を求め,心の純粋な人々の住む所がこの地球上のどこかに残っていることを期待して妻と共に海外に移住することを計画しました。それで,海外移住局に申込みも済ませ,語学も勉強し始めました。ちょうどそのころ,一人のエホバの証人の伝道者がこの人の家を訪れ,妻が聖書の研究を始めるようになりました。この人も妻の研究に時々参加するようになり,神の存在やその目的などについて少しずつ知るようになりました。そして遂に,研究の司会をしに来る証人たちの熱心さや誠実さ,謙遜さに打たれ,自分の目的を達成するために家族に対する思いやりに欠けている自分の姿に気付くようになりました。同時に,「神の目的」こそ,自分が今まで願い求めていた事と一致することを理解するようになりました。このようにして,この人は,神の約束しておられる将来の新秩序こそ真に『自分の努力が真の喜びに変わる土地』となることを確信し,富山での地域大会で妻と共にバプテスマを受けました。

吹田市に住む一人の婦人も真理を学ぶ以前,世の中の矛盾や不公平を憂慮していました。そのため結婚して半年目に,世の中の矛盾や不公平をなくし平和をもたらすために政治活動をしたいと思い毛思想学園に入学し,一年間毛沢東思想を学びました。この婦人は最も過激な左派に属し70年安保闘争にも携わりました。夜中に火炎びんの投げ方を教わり,毎日あちこちのデモに命をかけて火炎びんを用いて参加していました。家庭生活はほとんど顧みずに政治活動に携わっていたため絶えず私服の警察官にマークされ,尾行されていました。このようにして5年間人類の平和を求める努力をしたものの,いつも虚無感を感じ,組織内の矛盾やそこにいる人々の利己主義に気付くようになりました。やがてこの婦人は出産し家にいる時が多くなりましたが,そのような時にエホバの証人がその家を訪れました。彼女がその人に,「キリスト教の人々が人種差別や戦争を平気で行なっているのはなぜか」と尋ねたところ,その奉仕者は,共産主義にもいろいろあるように,クリスチャンととなえる人々にもいろいろあり真のキリスト教は一つしかないことを説明しました。その話し合いの後,この婦人は「ものみの塔」誌を予約し,聖書研究を始めるようになりました。やがて彼女は,自分の求めていた真の平和が神の手によってのみもたらされることを知るようになり,その神に仕えるべく今回の大会でバプテスマを受けました。この婦人は,自分と同じように純粋な動機から政治運動に携わっている人々にもエホバ神の目的を知らせることを願っています。

横浜市に住む一人の婦人にとって,横浜市の花月園競輪場で開かれた地域大会は印象的なものとなりました。彼女は日本の多くの家族と同じく自分の家を持つために,子供を保育園に預けて夫と共に一生懸命に働いていました。そして念願の住居を持つことができましたが,借入金の返済のため引き続き共働きが必要でした。そうしたある日エホバの証人の訪問をうけ,まず子供と主人が聖書研究を始めました。この婦人も後に子供たちの励ましにより聖書研究を始め,徐々にエホバ神の特質やその目的を知るようになりました。同時に清い良心を保つ必要性も理解し,ついに13年間勤めていた仕事をやめることにしました。やがて彼女は真の神エホバに献身することを願うようになり,次の大会の場所を聞いたとき驚きました。なんと自分がそれまで働いていた場所であったのです。大会でバプテスマを受けた後,彼女は感想をこう述べています。「以前自分が働いていた場所でバプテスマを受けようとは思ってもいませんでした。永年勤めた場所とは思えない程にエホバ神の聖霊がそそがれ澄みきった大空のもとで1万3,000人の証人たちの見守る中で夫と共に水のバプテスマを受け献身を公に表明できましたことを神に感謝しています」。確かに神の神権的な家族の一員となることは人に大きな喜びを与えます。

ここに掲げた経験はほんの幾つかの例にすぎません。今回の大会でバプテスマを受けた人々の中には,真理を知る以前,子供のころから空飛ぶ円盤にたいへん興味を持ち悪霊の影響を強く受けていた人や,生後すぐに脳性小児マヒにかかりそれを克服してきた人なども含まれていました。このように,さまざまな背景を持つ人々の中から「あらゆる国民の望ましいもの」が集められ,神の組織に導き入れられているのを見る時,「喜びに満ちた働き人」の喜びはいっそう増し加えられるのです。―ハガイ 2:7,新。

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