ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目81 2/22 16–20ページ
  • “サタンの奴隷”が新しい主人を見つける

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • “サタンの奴隷”が新しい主人を見つける
  • 目ざめよ! 1981
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 古い歩みをやめる
  • サスキーの語る経験
  • クリスタルの経験
  • 変化したバーバラの生活
  • これらの人々はその後どうなったか
  • 過去と現在 ― 神の言葉の影響力
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2003
  • 暴力的な生活を捨て去るための私の苦闘
    目ざめよ! 1987
  • ギャングについて知っておくべきこと
    目ざめよ! 1998
  • 「このままいけば死ぬんだな」
    聖書は人の生き方を変える
もっと見る
目ざめよ! 1981
目81 2/22 16–20ページ

“サタンの奴隷”が新しい主人を見つける

穏やかな口調のトニー・バヌエットと話していると,この優しい笑みをたたえた人物がかつて暴走族のリーダーであったことなど想像もつきません。トニーはけんか,盗み,麻薬の密輸などの悪事を働きました。15年間警察の手を煩わせ,刑務所にも入れられました。現在でも1983年までは保護観察の身の上です。

もちろん,トニーの今の性格は何年か前とは異なっています。同じ暴走族グループにいた他の3人についても同様のことが言えます。これらの人々は世の中に対して激しい怒りを抱くあまり,自分の命のことなど気に掛けていませんでした。その時の生き方に自信はなく,将来には何の希望もありませんでした。このすべては変化しました。真の友と新たな人生を見いだしたのです。

そのいきさつをお話しするために,1950年代にさかのぼることにしましょう。トニー(仲間内では“ロコ”[“気違い”]と呼ばれていた)が15歳のころ,“パーチューコウ”と呼ばれる路上の無法者たちが,米国南西部を経て,カリフォルニア州との境界のすぐ南にあるメキシコの町ティフアナにも出没するようになりました。このティフアナにトニーと弟のルディーが住んでいました。

無法者たちは町々になわ張りを巡らし,守りを固めていました。バット,こん棒,チェーンを持ち出して乱闘が行なわれました。無法者たちは手の甲の親指のあたりに独特の入れ墨を彫って所属するグループを明示していました。傍らには,髪の毛の中にナイフやかみそりの刃を隠した女の子を従えていました。「十代のころはずっとパーチューコウでした。私たちのグループには25人ほどの仲間がいました」とトニーは語っています。

トニーは米国生まれです。陸軍に徴兵されることをきらって,海軍に入りましたが,トニーの語るように,そこで「麻薬に深く関係するようになりました」。トニーはこう話を続けます。「マリファナの密輸と密売に関係し,ハワイにある海軍の艦内営倉に1年間入れられました。そこを出た後,メキシコに戻り,暴走族グループに加わりました。サンディエゴのある事務所に押し入って小切手を盗み出し,偽の署名を書いてそれを現金化しました。そのため,何年か後に逮捕され,1年間投獄されました。保護観察に付されてからは,盗んだ金の一部を毎月支払うことが義務づけられました。まだ支払いが385㌦残っています。

「獄中で暴走族グループ地獄の天使<ヘルズ・エンジェルズ>のメンバーと友達になり,“サタンの奴隷”という名のグループを再組織することにしました。初めにラスベガスでグループを組織し,後にティフアナに支部を組織しました。私たちは『激しく乗り回して早く死ね』という合い言葉の下に,無法者の生活を送り,入獄と出獄を繰り返しました。私は,一度腕を刺され,右脚を銃で撃たれました。金てこで頭を割られたこともあります。いずれも麻薬にひどく酔っていたときのことですが,オートバイで大きな事故を3回起こしました。私たちは,ヘロインの密売から殺人未遂まであらゆる罪状で訴えられましたが,お金と弁護士の力で助けられたこともあります。ルディーや他の仲間は,ヘロインの密売で懲役刑に服しました。

「その間,私たちは多くの時間と資金を養兎場に費やしていました。それは,幹線道路からティフアナの南東にある山地に車で1時間ほど入った,警察の目も届かない所にありました。問題を起こした者たちがやって来ては二,三か月の間働き,再び去って行きました。その養兎場にやって来た人たちの中には,後に米国やメキシコで刑務所に入れられた者が少なくありません。

「私たちは革の服を着込み,ドイツ軍のヘルメットをかぶり,ナイフや銃を携行していました。チョッキの背にクラブの名を書き,手首には金属のびょうを打ち付けた革のリストバンドを着けました。これでナイフをかわすのです」。

古い歩みをやめる

「米国の市民権を持つティフアナのある若者がクラブに入りたがっていました。ある時,米国の業者からお金を取り立てる手助けをさせようと思い,その若者の家に行きました。若者とは会えずじまいでしたが,若者の帰りを待っている間エホバの証人である父親のフランシスコ・ドゥラゾがエホバについて話をしてくれました。(詩 83:18)神のみ名を耳にし,新しい体制に関する神の約束について学んだのはこれが初めてでした。その家を出た後,私は二人の友人に会い,問題の決着をつけるため国境を越えました。警察沙汰になってしまい,私たちは凶器を用いて脅迫したかどで拘置されました。告訴は取り下げられたものの,私はこう考えるようになりました。『こう投獄されてはたまったものではない。フランシスコが言ったことには一理あるのかもしれない』。

「メキシコに戻るとすぐに,フランシスコに会いに行きました。フランシスコは,聖書が書かれたいきさつ,この事物の体制の終わりを間近に迎えようとしていることが聖書に示されている点,地上から苦しみを取り除くために神が間もなく行動を起こされることなど,数多くの事柄を話してくれました。納得のいく話だったので,聖書を研究してみるよう勧められた時,それに同意しました。『とこしえの命に導く真理』の本を用いてその日から早速研究が始まりました。

「やがて私は,自分の学んだ事柄を友人たちに話すようになりました。それを受け入れる者もいれば,受け入れない者もいました。弟のサスキーがカリフォルニア州のエンシニタスに住んでいたので,弟の所に行って,エホバが神であり,間もなく大きな事が起きることを話しました。

「二人でティフアナに戻ると,エホバの証人から,古い人格を捨て去る必要のあることを告げられました。何か月か研究した後,ルディーはそれまでの古い歩みを捨てる決意を固め,エンシニタスに戻り,職を見つけてバプテスマを受ける計画を立てました。私のほうはもうしばらく時間がかかりましたが,ある日のこと,いつまでも神に仕えるのを遅らせているわけにはいかないことに気づきました。悪い交わりを断ち,エンシニタスに行き,そこでさらに2か月研究した後,トラック運転手の職を見つけました。生まれてこのかた,10か月以上働いたことはなかったのです」。

トニーは,1978年のロサンゼルスでの地域大会でバプテスマを受け,こう語りました。「今,私は本当に幸福です。何の心配もありません。政府に見張られることもなければ,毎日ナイフを持ち歩く必要もありません。今は銃も必要ではありません。誠実でうそをつくことのない,交わる仲間としてずっと優れた人々がいます。今の私の決意はエホバに仕え,他の人々を教えることです」。

サスキーの語る経験

トニーの弟ルディー(“サスキー”とも呼ばれている)はそうした変化が自分にとって何を意味したかについてこう語っています。

「約11年間,私はトニーや無法者の暴走族と一緒にオートバイを乗り回していました。ヘロインを密売して捕まり,カリフォルニア州テハチャピの州刑務所で4年間服役しました。

「1960年代にヒッピー族の活動が盛んになって以来,私は聖書に関心を持つようになりました。四六時中聖書を離さず,何年もの間聖書と一緒にオートバイに乗っていました。大声で聖書を読んだものです。何かがあることは分かっていましたが,聖書を理解することはできませんでした。

「トニーから,神のお名前や,ティフアナでフランシスコと最初に勉強した時にトニーが学んだ事柄について聞かされた私は,その日一日,夜昼徹してトニーと話し合いました。その週に,私は研究を始めました。何か月かすると,悪い交わりが問題となってきました。日曜日に集会に行っていながら,週中には依然『酔っ払って』いたり,学んでいる事柄と調和しないことを行なっていたりすることに悩まされるようになりました。

「そんな時に,息子のアラミスを連れてエンシニタスに戻り,溶接工の仕事に就きました。私はあらゆる面でだめな人間でしたが,証人たちが助けてくれました。服装を変え,エホバの証人と交わり,エホバの証人と食事をするようになりました。それは,以前とは全く異なった生活でした。火曜日,木曜日,日曜日には集会に行き,神の王国の希望や人々の生活に聖書が及ぼす良い事柄について戸口で人々と語ることもしました。

「トニーは真理を愛していましたが,古い物事から離れられないでいました。私たち二人は養兎場の仕事に多くの資金と労力をつぎ込んでいましたが,私はトニーにこう言いました。『この仕事はやめよう。エホバが望んでおられるのは日曜日に集会に行くだけのことではなく,兄弟たちと交わること……兄弟たちと毎日話をすることだ』。ある日,肺炎で寝ていたトニーは,『実は,良くなりしだい養兎場から手を引いて,そのことは忘れるつもりでいるんだ』と言いました。そこを去るのはトニーにとって良いことに思えました。悪い交わりがあまりにも多過ぎたからです。

「聖書を知ることによって私たちは多くのものを得ました。私も息子も周囲の人々も助けを得ました。私の態度は変化し,私自身,変化したのです。すべてのものが変わりました。エホバがみ言葉を聞けるようにしてくださったことに,私たちは感謝しています。み言葉に則した生活をいつまでも続けること,それが私たちの祈りです」。

クリスタルの経験

これらの暴走族の運転するオートバイの後部座席に乗っていた女の子たちはどうなったでしょうか。そのうちの二人が神の王国の良いたよりを受け入れ,生活を大きく変化させました。

キャスリン・ゲイレン(“クリスタル”とも呼ばれている)は,自分がどうしてこうした事態に巻き込まれたのかをこう説明しています。

「私はニューヨークで生まれましたが,父は私が7歳の時に家を出て行き,私は非常に反抗的になりました。母と一緒に住んだのですが,お互いに意思を通わせることができず,二人の間には意思の交流が全くありませんでした。学校がきらいで,13歳の時に家出をし,2年ほどニューヨークで時々浮浪者をしては,友だちを探したり物をあさったりしていました。階段で眠り,おなかをすかせ,しばしば打ちたたかれました。とてもつらくて,とうとう2年後に,家に戻って母と何とかやってゆくことにしました。母は,警察,学校,私の起こす問題などを持て余し,私は15歳になる直前にラスベガスの父のもとに送られました。

「今度は,義母や新しい妹たちとうまくゆきませんでした。どこにいても皆とうまく折り合うことができず,こうした生活から逃れる最も安易な道として自殺を図ることにしました。入念に計画を練りました。父が食事をしている間に,床に入ると言い残し,寝室に行って手元にあった薬を55錠飲みました。少し前に鎖骨を折り,その時手にした薬があったのです。5歳になる義理の妹が,床に横たわっている私を見つけました。その時にはそこに倒れて何時間もたっていました。

「病院で意識不明の状態が三日半続きました。私はかねがね,死者はどこかに行くものと考えていましたから,目を開けた時そこにいるものと思いました。父,義母,兄,ニューヨークから駆け付けたおばの姿が見えました。『ああ,何ということなの。逃げ出すために自殺をしたのに,みんなここにまでいるわ』と思わず考えました。

「しかし次に,機械類や鼻に差し込まれた管,病室にある他のすべてのものが目に入り,自殺に失敗したことが分かりました。とたんに私は激しく暴れ,看護婦に殴り掛かりました。そのため,精神病棟に数週間収容されました。初めのうち,私が激しく暴れたので,足とおなかと腕をベッドに縛り付けられました。1週間すると,落ち着いたので,ベッドから解かれました。精神科のお医者さんは,自殺をしようなどと考えるのは正常ではないと言いました。それに対して私は,愛が全く感じられないだけであったこと,また今の人生はむなしく何の希望もないことを話しました。

「私は父に,病室の窓には格子がないのだから,ここから出してくれなければ逃げ出すと言いました。父は私を退院させ,何をしたいのか,と尋ねました。私は,自分でも分からず,ただどこに行ってもみんなとうまく折り合えないだけであると答えました。家にいたくなければ,いつでも好きな所へ行ってよい,と父は言いました。その時,自分には行く場所がなく,頼れる人が一人もいないことを思い知らされました。

「友達の兄弟が,『この連中はオートバイでティフアナに行くんだ。多分君を乗せて行ってくれるよ』と言いました。私は彼らのところに行って,カリフォルニアまで乗せてもらえるかどうか尋ねました。トニーは,ティフアナで一緒に辺りをうろつきたいならそうしても良いと言いました。

「私は7年間トニーやルディーと一緒に放浪の生活を送りました。私はいつもトニーの『後ろの守り』を固めました。オートバイに乗っている時でも,どこかに入って行く時でも,座っている時でも,トニーのすぐ後ろにいて,だれも背後から襲ってこられないようにしていました。

「トニーがやって来て,『聖書の神はエホバだということを知っているかい』と言った日には,自分の生活がどれほど大きな変化を遂げようとしているかなど想像もできませんでした。私は,『知らないわ』と答えました。トニーは自分の学んでいることを話しだしました。それまで私は真の友を探し求めていましたが,エホバこそそうした友であることに気づきました。マリファナをやめ,性的に乱れた生活を改めました。しかし,一番長い間闘わなければならなかったのは,あらゆるものに対する激しい憎悪感でした。ある程度時間がかかりましたが,エホバの助けを得て,考えを変え,憎しみを捨て去ることができました。

「聖書が私の生活にどれほど大きな変化をもたらしたかはお分かりいただけないでしょう。聖書には,神の霊の実は『愛,喜び,平和……柔和,自制』ですと述べられています。私はエホバがその霊を用いて私にしてくださったことに深く感謝しています」。―ガラテア 5:22,23。

変化したバーバラの生活

このグループの4番目の人物,バーバラ・バヌエットは,エホバの証人の集会がどのようなものかを見るため他の仲間が集会に初めて行った際,一緒に出掛けて行きました。バーバラはこう語っています。「私たちはオートバイに乗る時の革の服を着ていましたが,集会後みんなが笑顔でやって来て,『こんにちは』と声をかけてくれました。まるで一つの大きな家族のようで,とても心温まるものを感じました。そこでは愛が感じ取れました。私がこれまでに行ったことのある教会には,このような雰囲気はありませんでした」。

バーバラは,人々が争い合っていることばかりを耳にしてきました。子供のころ,世界のどこかに,「だれも争うことなく,すべての人が兄弟姉妹のように仲良く生活する」場所がないものだろうかと考えていたそうです。「エホバの証人から,正にそうした事柄が生じようとしていることを聖書が述べていると聞かされ,さらに学んでみたいと思いました」とバーバラは語っています。

バーバラの家庭環境を幾らかでも知っていれば,これが彼女に大きな意味を持つ理由が分かるでしょう。バーバラはこう語っています。「父と母は私が5歳の時に離婚しました。母は4人の子供を養うために毎日16時間働かなければなりませんでした。私たちは4年間,厳格なセブンスデー・アドベンティスト派の婦人の家に預けられました。その婦人は誠実な気持ちから,私たちは罪人であり,罪人は地獄で焼かれることになると語りました。こうした考えは,大人の話の意図をくみ取れない幼い子供の脳裏に強烈な印象を残します。

「神が人々を愛しているのなら,どうして地獄で人を燃やそうとされるのだろうか,といつも考えていました。自分が罪人であるなら,もうどうしようもなく,決して救われることはない,と考えていたのを思い出します。そのため,いつかはまともな生活になるという希望もなく,みんなと同じ生活をしていました。私の望んでいるような生活を送っている人は周囲にだれもいませんでした。子供たちに金切り声を上げる主婦になった自分の姿など想像もできませんでしたが,私は二度結婚しました。二度目の夫は投獄されてしまいました。面会の日には,刑務所の中でさえ,人が見ていないと私に殴りかかるしまつでした。こうしたことにうんざりしていた時,長年の知り合いであるルディーが,自分のところにやって来て一緒に生活するように言いました。こうして,不良のグループに仲間入りすることになったのです。

「オートバイでティフアナの町中を走り回り,ありとあらゆる問題を引き起こし,できるだけ多くの人をおびえさせてやろうと考えていました。自分の命など本当にどうでもよかったのです。私はいつも麻薬でいい気分になっていました。

「聖書は私の人生に何と大きな変化をもたらしたのでしょう。聖書には人の人格を変える力が備わっています。聖書は,『以前の生き方にかな(った)古い人格を捨て去(り)』,『神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける』ように勧めています。(エフェソス 4:22-24)聖書は,生活全般,子供の育て方,夫婦の間の接し方などについて教えてくれます。私は娘を育てる方法,また娘に辛抱強く接する方法を学びました。良い子になるのは私のためではなく,エホバ神のためだということを娘に理解させるよう心掛けています。娘は,私が言うからでなく,聖書が告げているので物事を行ないます。

「真理を学べたこと,また娘をこのように育てることができるのは本当に祝福です」。

これらの人々はその後どうなったか

今では“サタンの奴隷”であることを誇るのではなく,神の僕であることを喜んでいるこれらかつての不良仲間はその後どうなったでしょうか。

トニーとバーバラは結婚して一緒になりました。ルディーとクリスタルはエホバの証人と結婚しました。4人とも,自分たちが大きな益を得,新たな生き方から子供たちも益を得てきた,と語っています。ルディーはネバダ州ジーンの刑務所にいる何人かの囚人および一人のハイウェイ・パトロール隊員と聖書研究をしてきました。「エホバが近づいてくださらなかったら,私は今ごろどこにいるか分かりません」とクリスタルは語っています。ルディーの次の言葉はみんなの気持ちを表わすものです。「私たちは世の中を見てきました。二度とそこに戻るつもりはありません」。

これら4人の人々,また敬虔な生活を送ろうと努めている他のすべての人々がその道を歩み続けるよう祈ります。

[16ページの図版]

トニー

ルディー

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする