エホバの証人の「神の愛」地域大会
バプテスマに関して語られた経験
今年の「神の愛」地域大会でバプテスマ(浸礼)を受けた,1,860人の方々すべての経験をご紹介することはできませんが,そのうちの幾人かの方からお寄せいただいた経験をお伝えすることに致しましょう。聖書を学んでどのように神の愛に引き寄せられるようになったか,また,どのような問題を克服しなければならなかったかを聞き,その喜びの言葉から励ましを受けることにしましょう。最初に,調布市に住む一婦人の語った経験です。しばらく彼女の話に耳を傾けてください。
「私が初めて真理に接したのは,ヒッピーの仲間たちと雑居生活をしていたころのことでした。私のアパートには,家出をしてきた15,16歳の少年がいつも五,六人は居候していました。私の留守中に一人の姉妹(献身した女性のクリスチャン)が訪問され,その男の子たちと話し合い,翌日,その方のご主人が訪ねてこられました。その時応対に出た私は,聖書を無料で勉強できると聞き,喜んでその申し出を受けました。文学が好きで,その中には聖書の影響を受けているものが多いとされていましたから,1度読んでみたいと思っていたのです。その方はクリスチャンの婦人を紹介してくださり,研究が始まりましたが,私はその約束をよく忘れてしまいました。そのころ私たちは,お酒やたばこはもちろん,マリファナを吸い,マリファナパーティーのためにアパートのベランダで麻薬を栽培していました。また美術大学に籍を置いていましたが,昼はマリファナでめい想にふけり,夜は銀座でホステスをし,ロック音楽を1日中聴いて過ごしていました。今の政治その他には絶望していましたが,世界の平和を望んでいましたから,この世の中で平和に暮らし,だれをも傷付けることなく争いのない毎日を送るには,めい想にふけるのが一番いい方法だと思っていたのです。そのような状態だったので半年の間に,数えるほどしか聖書の研究をすることができませんでした。そして私は吉祥寺から調布へ,今の主人やその両親と住むために引っ起すことになりました。研究は3章ほどで中断されました。でも1度だけ招かれていった司会者の家族の人々 ― ことに子供たちの礼儀正しく愛らしい振舞いは非常に印象的で,いつかあんな子供を持ちたいものだと思いました。また,聖書をもっと知るようになりたいという気持ちを絶えず持っていました」。
この婦人は調布へ移転して後2年間ほどは真理を聞く機会がありませんでした。その間に,彼女は完全に自己主義に陥ってしまい,時間や人にしばられるのを嫌い,家事などの責任をいいかげんに行なっていました。世界の平和を望みながらも,“自分のしたいこと”をはばむものは何でも許すことができないという状況にありました。そんなある日,一人の婦人のエホバの証人に会う機会がありました。その後のいきさつをつづいて話してもらいましょう。
「その婦人は,神の愛と義が宿る新しい地が到来するという王国についての音信を力強く語られました。愛と義の宿る世界? それは私が長い間切望し,そして得ることができなかった希望でした。信じられません。どんな方法で? いつ? どのように? たくさんの質問について話し合うため再び研究を開始していただきましたが,青年期に非常に気ままな生活を送ってきた私には全く分からない概念や言葉が多く,2か月ほどは反発や疑いのためなかなか穏やかに話し合うことができませんでした。楽園に関する音信は私の心にしっかり入り込んでいましたが,それを説明してくださる姉妹の話も出版物もよく理解できなかったのでいらいらしました。そんなころ,集会に来るようにという姉妹の積極的な招待に動かされて,1回行ってみることにしました。初めて王国会館にやって来た私を見て,会衆の人々は驚かれたと思います。長いカーリーヘアーに足にぴったりついたスラックスをはき,真っ黒なマントをはおっていたのですから。でも私も驚いていました。温かく迎えられて席に案内されました。子供たちはあの吉祥寺の子供たちと同じようにきちんと座り,おとなしく聞いていました。そこは優しい和やかな雰囲気で,気持ちのよいところのようでした。
「集会に出席してからの最初の研究のときに話されたことは,エホバの民となり楽園の希望を自分のものとするには生活を調整しなければならない,ということでした。でも,それはとてもできそうにありませんでした。私はそれまで,空腹を感じると食事をし,気が向かなければ二日や三日食べませんでした。また,部屋も広い庭も,足のふみ場のないほどいろいろなものが山積みになっていました。身に着けるものと言えば,ロックスターたちをできるだけまねたものとか,ぼろぼろになったものでした。いつでもお酒を飲み,不規則な生活をしていたのです。そしてそれが当り前だと思っていました。それらを一から変えなければなりません。そして,なぜそうしなければならないのかがよく分かりませんでした。時々私は落胆し,司会者の姉妹に向かって,『できません,私にできるはずがないでしょう!』と叫んだものです。姉妹はそのたびに,『私ではなくエホバがそのように命じておられるのですから』と,必ず聖句からその必要を示し,忍耐強く教えてくださいました。また,祈りを通して共にエホバの霊の援助を求めました。そして姉妹自ら多くの時間とエネルギーを割いて実際的に援助してくださいました。そのような援助を受けるうちに,だいたい時間通りに食事を作り,家を整とんし,清潔な身なりをするといった,生活の基本的な事柄を少しずつ行なえるようになりました。また,正式に結婚し,たばこは初めての赤ちゃんが宿ったときやめることができました。主人のため朝7時に起きて食事を作ることもできるようになりました。
「私はエホバ神に仕えたいと思っていましたが,生活を調整し始めてもいくらかの不安を持っていました。エホバの民になれるでしょうかと,自信がありませんでした。でも,子供ができたとき私は,エホバ神がご自分で造ってくださった私たち人間を ― どんなにそれが小さい存在でも ― 深く愛してくださるということがよく分かりました。エホバの愛を確信できた喜びを,バプテスマを受けて表わすことができたことを本当に感謝しています」。この婦人は真理に初めて接してからの7年ほどの間にエホバが忍耐強く示してくださった愛に少しでもこたえ応じたいとの気持ちを抱きつつ,さらに改善と進歩をつづけながら,全時間奉仕を目標に励んでいます。
今年の大会でも,大勢の年若い人々がバプテスマを受けました。そのうちの何人かは,実のきょうだい同士で,この大会でそろってバプテスマを受けました。例えば松山大会では,10歳の女の子が12歳と14歳になる兄たちと共にバプテスマによって神への献身を表わし,霊的にも兄弟姉妹のきずなを強めることができました。また,横浜大会に出席した,やはり10歳になる女の子は,二つ年上の兄と一緒にバプテスマを受けた喜びと,これまでいろいろな物事を祈りによってどのように克服してきたかを次のように話してくれました。
「私の家族は全部で5人です。初めにお母さんが姉妹となったとき,私とお兄さんは,『お父さんが勉強するよう』に,食事のときに交替で祈っていました。お父さんが勉強したとき,次は,『お父さんが伝道者になりますように』と祈りました。伝道者になったとき,『お父さんがバプテスマを受けますように』と,祈りました。そしてお父さんがバプテスマを受けたとき,今度は私たちが伝道者になれるよう,お兄さんと祈りました。私は小学校2年生のときに伝道者になれました。次はバプテスマです。バプテスマを受けたいと思っていましたが,お母さんからまだ早いと2度も止められていましたので,『バプテスマを受けられるように私を訓練してください』と,2年間祈りつづけました。ところが昨年,ねこの皮膚病がうつって私の頭の髪の毛がバサバサ抜け始めました。学校では皆から,『気持ち悪い』とか『そばに寄るな』と言われ,とても悲しく毎日一人で泣いていました。そのときに,『エホバ,この病気に耐える力を与えてください』と祈りました。王国会館では兄弟姉妹がやさしく力付け励ましてくださったので,エホバは愛がある神だと感じることができました。ある姉妹が,『何もできないけど,アイスクリームを食べてね』と気遣ってくださったときは,きっとエホバが姉妹を通して私を強めてくださったのだと思い,そのアイスクリームを感謝の祈りをして食べました。そして,『もう泣かない。エホバが強めてくれたので……エホバは本当に助けてくださるのね』とお母さんに言うことができました。3か月後に病気はすっかり治りました。お兄さんも2年間,バプテスマを受けられるよう祈りつづけてきました。そしてお兄さんも,お母さんに『2年間も待っていたのだからもう後ろにさがらないよ。前進あるのみ』と言って喜びを表わしています。お兄さんと一緒にバプテスマを受けられることは大きな喜びです」。この少女は祈りを聞かれるエホバ神に対する感謝を表わしたいと願い,この夏に家族4人そろって補助開拓をする目標を立てました。
若いうちに創造者を覚えることには大きな益がありますが,年を取りいろいろなハンディがあっても愛のある神について学ぶのにさまたげとなることはありません。土浦に住む,現在66歳になる一婦人は若いときに主人を亡くし,その時から家族を養うために工場で働きつづけてきました。1972年に娘がエホバの証人となり,聖書について娘から証言を聞くようになりました。しかし,夜の集会に独りで行って遅く帰ってくる娘の行動を見て,反対していました。そのうちに娘は全時間の奉仕者として函館へ行き,手紙を通して「ものみの塔」誌のすぐれた記事を送ってくれるようになりましたが,字がほとんど読めなかったため雑誌を読むのは無理だと考えてそのまま年月がたちました。やがて再び娘と一緒に暮らすようになりましたが,「お母さん,とても良いところに連れて行ってあげる」との娘の言葉にさそわれて,エホバの証人の王国会館へ連れて行かれました。そこでの温かい交わりに大変心ひかれるものを感じた彼女はしだいに集会を楽しむようになりました。その後どのような努力を払うようになったか,彼女の話に耳を傾けましょう。
「集会で注解をするよう会衆の皆様に励まされるようになってはじめて,ひらがなもやっとしか読めない私は辞書を引いて字を学ぶことをはじめました。仕事の休み時間中にも字をおぼえ,『ものみの塔』の研究をするようになりました。娘はいつも,『お母さん,字が読めないことは問題ではなく,エホバを愛することの方が大切なのよ』と言って励ましてくれました。私は,エホバが独り子を犠牲にするほど私たちを愛してくださったその愛にこたえたいと思うようになり伝道を始めましたが,自転車に乗れたらもっと効果的に奉仕できると考え,子供用の自転車に乗ることをおぼえました。今では30~40分自転車に乗って奉仕しています。あまり字が読めない私は『聖書物語』の本をつかってよく奉仕をします。字をおぼえることは66歳の私にとってまだまだ大きな障害ですが,エホバを愛することを知ってそれにこたえ応じることができたことを深く感謝しております」。
今年の大会は「神の愛」を強調するものでしたが,エホバの証人たちの間に見られる一致や温かな関係に動かされて,心を開いて聖書を受け入れるようになった人々もいます。札幌に住むある男の人は自分が聖書を学ぶようになったきっかけを尋ねられたとき,このように答えました。「私が真理を学ぼうと思ったのは,会衆の王国会館が建設されたとき自発奉仕をして,そこで交わったエホバの証人たちの良い振舞いに動かされたことによります」。妻がすでに献身したクリスチャンであったこの人は,当時,家具の塗装業を営んでいました。家庭が貧しかったために,父親からいつも,困った人がいたら助けてあげるようにと言われていました。それで,王国会館建設の話を聞いて何のこだわりもなく,援助を申し出たわけです。エホバの証人たちと共に奉仕に参加した経験とその後のいきさつを彼は次のように話してくれました。
「一緒に働いている兄弟たちが無償で,献身的に働くのは一体なぜなのか,不思議に思いました。姉妹たちの愛ある振舞いにも感動しました。献堂式に出席してそこで聞いた話の中に,建設が始まって終わるまでに示された兄弟姉妹たちの忍耐強い経験を聞いてさらに心を動かされました。
「その後,会衆の兄弟から食事の招待を受け,その際,『この聖書をお読みになってみませんか』と言われて一冊の聖書をプレゼントされました。しばらくたってからその兄弟の訪問を受け,気分をくつろがせるような興味深い経験を聞くことができました。堅苦しい研究というよりも,楽しい歓談のうちに自然と出版物の研究へ入って行きました」。
この人の仕事は時間のきまりが明確なものではなかったため,仕事と集会との調整や研究の予習は難しいものでしたが,2年後に伝道に参加することができました。たばこをやめるときにも努力がいりましたが,「私は大会のたびに変化することができました」と述べ,エホバ神の援助や導きに対する感謝を言い表わしています。
所沢大会に出席した一人の婦人は,これまでの人生を,差別や貧困そして権力に屈服させられている人々を“解放”する目的のために費やしてきました。6年間ほど“過激派”といわれるセクトに属して学生運動に没頭していました。安保・沖繩・成田・部落問題などに関係し,夜も眠らないような生活を送っていました。しかしそのような経験の中で見たものは,内部分裂,内ゲバ,指導的な立場にある人々の官僚的な態度など,偽善があるということでした。自分の無力感や挫折感を味わい,学生運動から離れてからは,人間の能力の限界をしみじみと感じるようになっていました。そのような状況のときに,一人のエホバの証人が訪問しました。その続きを話してもらうことにしましょう。「『初めてお目にかかります。私は……』という,ドアの向こうのとてもさわやかではずむような,本当にその人の生き方を感じさせるような声に思わず,『エホバの証人の方ですか』と言ったのをよく覚えています。それまで無神論者で何事においても闘争的であった私が,『聖書を勉強したい』,『するならエホバの証人と』と思っていた矢先のことでした。エホバの証人がとても誠実で良心的であることを知っていたからです。
「聖書を学ぶにつれて,そこに書かれている正義,平等が本当に自分の求めていたものと一致することを知り,救われたような気持ちでした。無神論者であった私がエホバの存在を本当に認めるには時間が必要でしたが,論理的な説明と被造物を通してその存在を知らせてくださいました。また,“組織”に対して嫌悪感すら持つようになっていた私を,エホバがご自分の組織を用いて,そこにいる人々の愛と一致を見させることにより引き寄せてくださったことに大変感謝しています」。
ここにご紹介したいくつかの経験が示すとおり,様々な背景の人々が,動機やきっかけは異なっていても神の言葉を学ぶことにより,唯一の愛に満ちる神,エホバに引き寄せられ,大きなクリスチャンの家族として一致と平和を享受できることは本当に大きな特権です。