未知のものを探し求める長い旅
自分は何者なのだろう。人間が存在しているのはなぜか。人間はこれからどうなるのか。6歳の時からまじめに通っていた,カナダのカトリック教会での最後の日,ひざまずいている私の頭の中を人生に関する様々な疑問がめまぐるしく去来していました。
二度と再び戻るまいという強い決意で教会を去った時から,未知のものを探し求める長い旅が始まりました。だれかが,あるいは何かが,自分の空虚な気持ちをきっと満たしてくれるに違いない,私はそう思ったのです。
当時16歳だった私は,どこを調べればよいか分かりませんでした。歳月がだらだらと過ぎ,それは何世紀もたったように思われました。人生が私を招いていましたが,それはどんな人生でしょうか。アルコールを飲んで大騒ぎをする無気力なグループに加わる生き方がその一つでした。その仲間と付き合えば,私のような年齢の少女でも,望まぬ妊娠をすることは目に見えています。また,幻覚作用のあるといわれる薬を使う,新しく現われたグループに入る道もありました。私は,“体制”に幻滅を感じていたその人たちに引かれるものを感じました。
私は,母の強い勧めで大学に進学しました。大学生活は,最初は楽しいものでした。教授も学生も体制を倒そうとやっきになっていました。しかし,彼らはそれに代わるもっと良いどんな体制を約束していたでしょうか。何も約束していませんでした。事実,私には,“ヒッピー”族は自らが軽べつしている体制よりも悪い体制へと堕落して行っているのではないかと思えてきました。
むなしさに絶えず襲われました。飽くまでも答えを探したいという強い欲求がなければ,それを紛らすことはできませんでした。私がそのように悩んでいることに気づいた一人の教授は,海外へ行って外国語を勉強すれば空虚感を満たせるのではないかと言ってくれました。
ほかの宗教を調べる
ヨーロッパには,何かを信じるという点において,私たちと大同小異の若者たちがあふれていました。それで当時,東洋の宗教を探ることが流行していました。私は,期待を持って,ヒンズー教と仏教を調べはじめました。
様々な国を訪れ,そのたびにその国の美しさに驚嘆させられました。そしてこう思いました。神が存在するとすれば,地球を楽園に変えるのにあまり手を加える必要はないだろう。特に変える必要があるのは,我々,人間に外ならない。
その考えは,次のような,悲しい事柄を考えることによって一層強まりました。命は何と短く,見たり学んだり楽しんだりすることは何と多いのだろう。人生はなぜこれほどはかなくむなしいものでなければならないのか。
モロッコ行きの巡航船でジブラルタル海峡を通ったとき,青緑色の地中海は,陽光に輝いていました。間もなく私たちは,ベールをかぶった女の人やターバンを巻いた男の人たちがせわしげに行き交うタンジールに来ていました。私はここで,もう一つの宗教つまりイスラム教とじかに接するつもりでした。パリの若い画家から勧められ,ここで答えが見いだせると思っていたのです。
イスラム教徒は日に5回地にひれふしてアラーに祈りをささげており,確かに誠実そうに見えました。私は,イスラム教の聖典であるコーランの手ほどきを受けました。しかし,イスラム教が一夫多妻を認めていることを知りました。また,イスラム世界では,暴力,流血行為,戦争が普通のことになっています。これでは,キリスト教世界の記録と何ら変わるところがありません。私の探求がここで終わりそうにないことは明らかでした。
私はつくづくいやになり,カナダへ戻るしかないと思いました。落胆して帰国しましたが,何も会得してはいませんでした。探し求めていたものは依然として遠い存在でした。
思いがけない助け
ざ折した私は,身を落ち着けて就職し,環境になじむよう努力することにしました。旅行中フランス語を学んだので,国家公務員として,二か国語を使う受付係になりました。周りの人々の関心事や問題に調子を合わせようと努めましたが,休憩時間中うわさ話を聞かされることが,どういうわけか苦痛でなりませんでした。
ところが,事務所のロレーヌという女の人は外の人たちと非常に異なっているように見えました。ロレーヌはもの静かで控え目でした。ロレーヌは私の話し相手になれる人かどうかは疑問でしたが,私は彼女が他の人から孤立している様子に魅力を感じました。ですから,ロレーヌが非常に聡明な人であることを知ったときには,驚きを隠すことができませんでした。
ロレーヌはどんな質問にも論理的で納得のいくように答えることができました。私は,人類,宗教,習慣,進化などの問題を慎重に一つずつ持ち出しました。そして,これが最後の質問になるだろうと思いながら深く息をついて,「あなたは魔術を信じますか」と尋ねました。
それまで私はカナダ人でこの質問に肯定の答えをした人を知りませんでした。ところがロレーヌは,「魔術というものは確かに存在します。聖書は,魔術に実際の力があることを説明しています」と答えました。
魔術を認めたばかりか,その根拠に聖書を持ち出したのは二重のショックでした。耳を疑いながら,「聖書ですって。あなたのような聡明な方が聖書を信じられるのですか」と言いました。
私は,司祭や牧師たちでさえ,聖書の大半は神話や伝説だと言っている点を指摘しました。しかし,ロレーヌは巧みに,そして親切に私の疑問を取り除いてくれました。「私が聖書に信頼を置く理由を知っていただくためにこれを差し上げましょう」と言って,バッグから,「聖書はほんとうに神のことばですか」という黄緑色の小さな本を取り出しました。
「あなたの宗教は何ですか」と不思議そうに尋ねると,ロレーヌは「エホバの証人です」とにこやかに答えました。
エホバの証人ですって,私は文字通り大声を上げました。するとロレーヌは穏やかに,「エホバの証人のことをご存じですか」と言いました。
全く知らないと答えると,「ではどうして叫んだりなさったのですか」と言われました。
私はあぜんとして返す言葉もありませんでした。しかし,その晩,ロレーヌからもらった本に目を通しました。そこには,大洪水が実際にあったことの考古学的な証拠が載っていました。また人類が一組の夫婦を先祖として突然地上に出現したこと,その体の造りは今の人間と変わらないことを示す証拠も集められていました。懐疑的な気持ちが和らいでいき,聖書が今日まで正確に伝えられてきたことを示す証拠を調べるのが楽しみになりました。その本には,聖書の預言が現在成就しつつあることが明らかにされており,私はそのことに驚きを覚えました。
生涯探し求めていたものは,信じられないような仕方で見付かるものです。私は一つ一つの言葉に根拠を求めました。ロレーヌは図書館で長い時間辛抱強く私に付き合い,疑問や問題を調べてくれました。私は毎日新たな疑問を持ち出しました。「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」という別の手引き書は,人間の起源や将来を説明していました。さらに,「とこしえの命に導く真理」という本からは,「神とはだれか」,「人間と地球に関する神の目的は何か」,「死んだ人はどこにいるか」,「真の宗教をどのように見分けるか」,その他の疑問に対する答えが得られました。
身辺が変化する
ところが,自分が学んでいる事柄に付き従おうと決心した矢先,私の身辺に大きな変化が生じはじめました。父は亡くなったばかりでした。私は自動車に乗っていたとき,女の人が運転する自動車にぶつけられて,数週間松葉づえをついて歩かねばなりませんでした。祖母が亡くなり,我が家の主な設備の大半が故障し,母が病気になりました。
しかし,私は聖書の研究をやめませんでした。ロレーヌは,「エホバについて学びはじめると,エホバの敵である悪魔サタンの攻撃の的となるのです」と言って気持ちを落ち着かせてくれました。私はキリストの追随者が経験する苦しみについて述べているペテロ第一 4章12節の次の言葉に励まされました。「愛する者たちよ,あなたがたの間の燃えさかる火は,試練としてあなたがたに起きているのであり,何か異常なことが身に降りかかっているかのように当惑してはなりません」。
ロレーヌはエホバの証人の王国会館に来るよう私を誘ってくれました。エホバの証人は,生き方の異なる見ず知らずの私を温かい愛で包み,心から歓待してくれました。
この宗教を調べるのは確かに必要なことに思えました。これは,本当に,神の宇宙内の他のものと人類を再び調和させる真理の道だろうか,と考えました。
そしてロレーヌに,「研究の時間をもっと取れるパートタイムの仕事がしたい」と言いました。
もう一度旅に出る
八方手を尽くしましたが,近くにパートタイムの仕事を見付けることはできませんでした。それでついに私はロレーヌにこう打ち明けました。「どこかほかの国へ行けば,パートタイムの仕事を見付けて研究する時間を持てるかもしれないわ」。
「どこへ行きたいの」。
「中国」。
私が何を言っても動じなくなっていたロレーヌは,「中米ではいけない?」と言いました。
話によると,私も会ったことのあるダイアンとシャーリーというエホバの証人がグアテマラに旅行する計画をしているというのです。ロレーヌは私を二人に会わせてくれました。二人は私の頼みを非常識だとは考えませんでした。間もなく私たちは自動車でグアテマラへ向かっていました。
先へ進むにつれて,私の外見は変化しました。アカプルコでシャーリーは私に服地を見せて,「ジョイ,これすてきな生地だと思わない。これでドレスを作ったらどうかしら」と言いました。つまり,丈がひざまである慎みのあるドレスを作るというのです。
プロの美容師であるダイアンは色々なヘアスタイルの写真を見せてくれたものです。私の髪は顔にかぶさり,腰まで届く長いものでした。とうとう私はダイアンに髪を切ることを許しました。信じられないことでしたが,鏡に映った,髪の毛が肩までの長さで,顔を全部出した姿を見たとき,私は別人のようなその姿が気に入りました。
グアテマラの家
グアテマラでは,ダイアンと1968年以来の知り合いであるジーンに会いました。ジーンはニューヨークのブルックリンにある,ものみの塔の宣教者学校を卒業し,1966年にグアテマラに来ました。その後病気になりましたが,そこにとどまり,私が会った時には小さな家を持っていました。
愛するジーンは,その家で暮らしてはどうかと言ってくれた上,私が探していた未知のものを見いだすのを助けてくれました。私はジーンと一緒に聖書の研究を続けました。ジーンは多くの経験を語って私を強めてくれたものです。
確かに私は未知のもの,つまり私にとって未知だった方をはっきり理解しつつありました。それは,私の人生に意義と目的を与えてくださった方,あらゆる良い完全な贈り物を寛大に与えてくださる方,私の創造者であり命の授与者であられる方,唯一まことの神エホバでした。あれだけ求め,模索したのに,「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけでは(ない)」ことを知り,深い畏敬の念を覚えました。―使徒 17:27。
私は,スペイン語がほとんど分かりませんでしたが,既に4人と聖書研究をしていました。ジーンと私は事前にその準備をしました。ジーンが聖書に関する質問を英語で行ない,うまく説明できるかどうかを確かめるために,私がスペイン語で答えるよう努力しました。私たちは私の聖書研究生より少なくとも一つ先の課を準備するように心掛けました。
そうした中で,ジーンは私のためにパートタイムで英語を教える仕事を見付けてくれました。非常に多くの責任があったので,私は即刻,エホバに頼って力を得ることを学び,新しい言語を学ぶ上で,真理を学ぶ上で,聖書を教えることを学ぶ上で,英語を教えることを学ぶ上で,外国で生活することを学ぶ上で,新しい生活を学ぶ上で,そして新しい人格をどのように着けたらよいかを学ぶ上で,エホバに頼りました。―フィリピ 4:13。
5か月して,私は神のご意志を行なうべく献身し,その象徴としてバプテスマを受けました。以前に抱いていた数々の疑問は解けました。私にとって未知だった方,すなわち神を探し求める長い旅は終わりました。私には今や人生の新しい目標がありました。―イザヤ 2:3。
尽きることのない報い
すばらしい6年があっという間に過ぎました。生活のテンポは以前と変わりません。私は今もジーンの小さな家で彼女と一緒に住んでいます。私たちは二人とも全時間,聖書を教えています。
私たちは,神の来たるべき新秩序に関する良いたよりを多くの家族と分かち合い,それらの人たちが神に献身するのを見るという祝福を経験してきました。新しい方々がエホバを見いだし,神の新秩序におけるとこしえの命に至る道を歩み始めるのを援助することは,言葉で言い表わせないほどのすばらしい報いです。例えば,私たちが援助した,14人から成るある家族は,現在59件の聖書研究を司会しており,14人のうちの二人は他の人々に聖書を教える業に全時間携わっています。
私たちは,アメリカの会社に勤めるグアテマラ人の管理職員に英語を教える仕事をしていますが,そのお陰で,それまで一度も証言を受けたことのない人たちに証言する機会を度々得ています。聖書を説明した,ものみの塔協会の出版物の一部を英語のクラスで読んでもらいたいと頼まれたことさえあります。―マタイ 28:19,20。
私は生まれたとき,ジョイ(喜び)と名付けられました。献身して以来,私の生活は喜びそのものです。それはひとえに,エホバが私の友であり,私にとってもはや未知の方ではないからです。エホバは,確かに,『ご自分をせつに求める者に報いてくださる方』です。(ヘブライ 11:6)― 寄稿。