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  • 「真理はあなたがたを自由にするでしょう」
  • 目ざめよ! 1981
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目ざめよ! 1981
目81 4/22 26–28ページ

「真理はあなたがたを自由にするでしょう」

私は麻薬中毒患者でした。ですから私の生活は20年近く悪夢のような生活でした。たわいのないことから麻薬を用いるようになったのですが,最初のうちはそれが麻薬とはつゆ知らず,自分の身に実際何が起きているのかも分かりませんでした。

それは私が18歳の時のことでした。私はここアルゼンチンで教師の免状を取ったばかりでした。私の最善の幸福を願っていたに違いない母のたっての勧めで,私は生化学の勉強を始めました。

でも私としては母と一緒に家にいて,料理や裁縫や家の中を整えることを学ぶ方が好きでした。私は小心で引っ込み思案の,考え込んでばかりいるおとなしい,つまり内向的で家庭的な娘でした。この世の体制では是非とも必要と考えられている大胆さや押しの強さに欠けていました。

そのころ私は少しずつ太り始めました。身長は1.3㍍そこそこで,若い女の子の御多分にもれず体型を気にし,自分が少しでも太ったのを見るのは我慢できないことでした。

それでこのことを母と話し合い,医師に相談するのが良いだろうということになりました。私たちは新陳代謝と栄養の専門家である内分泌学者の所へ行きました。その医師は私の食事を規定し,甲状腺に作用する何かと,食欲抑制効果のある錠剤を幾らかくれました。私はすっかりいい気分になりました。それから間もなく,いやだと思っていた余分の肉がとれました。

麻薬中毒にかかる

ところがそれらの錠剤はアンフェタミンだったので,私は中毒にかかってしまいました。アンフェタミンおよびその成分は,肥満症を治療するための薬剤や,試験準備のために多くの勉強時間を必要とする学生たちが用いる覚せい剤の主成分です。それらの製剤は人に非常な才気を感じさせます。陶酔感や自信を作り出し,文字通りに人を駆り立てて動かし,行動させ,頭の回転を早くし,自分はだれよりも優れているという気持ちにさせます。それらはまた常用癖のつきやすい薬剤です。

次に私はアクテミンを用いるようになりました。これはもっと強い薬剤でやはりアンフェタミンが含まれています。試験勉強の後,私は身体的にも精神的にも疲労困ぱいしていました。私の体も脳も休息を切実に必要としていました。少なくとも10日間はよく休みよく眠って,元気を回復する必要がありましたが,手を休めることはできませんでした。他の科目,研究,教授の助手としての仕事 ― どれを取ってみても,試験があったからと言って休むわけにいかないものばかりです。そのために私は麻薬を次第に多く用いるようになりました。

私は身の破滅を招くうずに次第に巻き込まれていきました。やめたいと思ってもどうしてもやめることができませんでした。麻薬をやめるなら,職業を断念し,人生の絶頂期に退職して,残りの人生を寝て過ごすことになるかもしれません。私はそのように感じました。私に大きな希望をかけている母に対して,「お母さん,もうこれ以上勉強を続けることができません。いつまでかかるか分からないけれど休息が必要です」などと,どうして言うことができるでしょう。

家族の悲劇

私は結婚して二人の子供をもうけました。その間ずっと麻薬を使っていました。2番目の息子は病気にかかりました。それは妙な病気だったので,医師たちは首をかしげながら脳炎と診断しました。息子の知能は病気のために正常に発育しませんでした。私が麻薬を使っていたせいかどうかは分かりません。自分の息子は,現代の強くたくましい人々の社会の中に伍していくことはないだろうと思うと,絶望に似た気持ちになりました。

そのころにはもう,麻薬なしでは,朝起きて家庭のことや息子のこと,夫のことなど,生活の現実に立ち向かうことができなくなっていました。私の生活は完全に混乱していました。あるのは問題ばかりです。私はすっかり憂うつになり,特に息子の病気のことでは心配で胸がふさがる思いでした。夫とも決してうまくいってはいませんでした。私は2回も精神病の療養所に入りました。

私はその療養所で初めてバルビタールを与えられました。これは睡眠薬に含まれている物質です。ああ,ぐっすり眠って何もかも忘れてしまえたらどんなにいいでしょう。ところが私は,その療養所を出た時には,生活の厳しい現実に立ち向かうために,アンフェタミンとバルビタールを両方とも用いるようになっていました。私はついに息子を精神薄弱児の施設に入れなければならなくなりました。息子はそこで11歳の短い生涯を閉じました。あまりの苦痛に私の胸は張り裂けんばかりでした。

夫とはすでに別居し,家も売り払っていました。私は二人で分けたお金を麻薬につぎ込みました。働いていないし,夫から受け取るお金も,もう一人の息子と暮らすには不十分だったので,私はその息子を親せきに預けました。何年も息子と別れていると,苦悩はかえって大きくなりました。

私は生活の問題の解決策を求めてマル・デル・プラタに行き,そこの水産加工場に勤めることにしました。そこで得た給料は,他の女子従業員と同居していた部屋の部屋代を払うのがやっとで,生活は惨めなものでした。実験室での勉強もしました。その間もずっと,時々息子に会いたいという気持ちでいっぱいでした。私の生活は本当に空虚で,悲しみに満ちたものでした。私は実験学科を終え,卒業証書があるのでもっと給料の良い職業に就いて息子ともまた一緒に暮らせるようになると考えていました。しかし期待は見事にはずれました。専門職の分野における競争はさらに激しく,就職口を見付けることはさらに困難でした。何事にも有力者の推薦状が必要です。私はそのような人はだれも知りませんでした。

そのころ私はある遺産からお金が少し入るようになっていたので,わずかの土地を購入し,そのお金を支払いに充てていました。私は矢も楯もたまらず息子に会いに行き,お母さんが買っている土地にテントを張って,少しの間でも一緒に住む気持ちはないかと尋ねてみました。離れ離れになっていたので両方ともつらい思いをしていました。息子は承知してくれました。その時息子はわずか15歳でした。こうしてテントに一緒に住むようになったのは1975年の終わりごろでした。

助けを祈り求める

忘れもしません。それは12月31日の夜のことでした。私は大みそかのざわめきの中で祈りました。もうどんなことがあってもどうぞ私と息子を離さないでくださいと,まだ知らない神に心から請い求めました。

もちろん私は麻薬を用いることを続けていました。そうしなければ私の頭は働かなかったのです。こうなったら息子のために生き続けなければならないばかりか,将来のことも計画しなければなりません。お金はどんどんなくなっていきます。正しく管理すれば二人の生活に十分だったでしょう。しかし私には麻薬の習慣がありました。

それから間もなく,親子心中をしようかという考えが私の頭をよぎるようになりました。

何日かたって一人のエホバの証人が私たちのテントを訪れ,「ものみの塔」誌を数冊置いていきました。二,三の記事を読んでから私は息子に言いました。「これこそお母さんが今までずっと探し求めていたものよ!」 それから幾日かしてその証人はまたやって来て,昼食に招待してくれました。王国について彼女が話してくれたのはその時でした。私は,嵐にもまれる海を航海してついに暖かい,静かな浜に上陸した人のように感じました。死んだ息子に再び会えるとは! それはあまりにも大きな望みではないでしょうか。―ヨハネ 5:28,29。

私はそのすばらしい音信を聞くとすぐに,麻薬を使うのはそのような愛情深い神を喜ばせることではないかもしれない,と心の中で感じました。それに今は自分の心の中に別の力,つまり希望という強力な原動力を持っているのですから,麻薬を用い続ける理由はありません。その希望は,生き続け,また生活を変える励みになりました。

麻薬に対する勝利

私の体は20年近く麻薬に浸され,麻薬の助けによってのみ機能してきたのですから,麻薬をやめることがたやすくなかったことは言うまでもありません。命を与えるその音信を聞いた時に私はすぐ,二日位で麻薬をやめました。しかし私の体は麻薬を要求しました。それでも私は息子とともに人生に立ち向かい,めちゃめちゃになった生活を建て直す決意をしていました。エホバはそれを行なう力を私に与えてくださいました。エホバの真理が私を自由にしたのです。―ヨハネ 8:32。

一緒に聖書研究をした証人は,私の家に来て一緒に住んではどうですかと言ってくれました。その証人の家に行けばもっと気持ちよく暮らせます。それで私たちはついにその申し出を受けることにしました。その人にも子供がいたので,私は彼女のそばにいて,日々行なう家事や家族の世話についての基本的な原則を学びました。

息子も私も辛抱強く努力し,骨折って働きました。正しい管理と助けとエホバの祝福とによって,私たちはささやかながらマイホームを建てることに成功しました。それは私たちが夢見たものよりも立派なものでした。

ところが別の難しい問題が持ち上がりました。麻薬をやめた時に48㌔だった体重が,1年たたないうちに75㌔に増えたのです。私にとってはこれも難しい試みでした。そんな状態の自分を見るのは耐えられないことでした。

体重のことはどうすれば良いでしょうか。私はこの問題を心配しました。アスピリンでさえ飲みたくなかったのですから,まして昔使っていた他の薬物は一切使う気持ちはありませんでした。それで私は,この問題を扱った資料はないか,エホバの証人のすべての出版物を丹念に調べました。そして,簡単ですが非常に効果的な方法を見付けだし,すばらしい結果を見ました。2年に近い苦しい闘いと自制とによって,私はついに元の体重を取り戻しました。それも容易なことではありませんでした。しかし私は身体的にも,精神的にも,霊的にも,さわやかさを感じました。

力が弱くなっていくのを感じる時には神に助けを祈り求め,それを得ました。ヨハネ第一 3章22節の次の言葉は私にとって真実となりました。「わたしたちが何を求めようと,神からいただくことができます。それは,わたしたちがそのおきてを守り,神の目に喜ばれることを行ないってるからです」。

息子も私も今では献身しバプテスマを受けたクリスチャンで,私は神の王国を全時間宣べ伝える者として奉仕しています。この奉仕は,神が示してくださった過分のご親切すべてに対する私の感謝の表明なのです。―寄稿。

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