エホバの証人の「王国の一致」地域大会
サタンの体制の滅びを生き残り,神の約束による義の新秩序で永遠に生きる者となるためには,エホバ神とイエス・キリストについて学び,献身したクリスチャンとしてエホバのご意志を行なうことが必要です。(ヨハネ第一 2:17。ヨハネ 17:3)そのためには自分の生き方を聖書の教える道徳規準と調和させ,王国を生活の中の主要な関心事としなければなりません。さらに,そうした生き方の変化に伴う様々な障害をも克服してゆかなければなりません。
今年の夏,日本全国の18か所で開かれたエホバの証人の「王国の一致」地域大会で,水のバプテスマによって神への献身を表明した合計3,190名の人たちも,様々な問題を克服し,生き方において大きな変化を経験して来られたことでしょう。以下はそのうちの幾つかの例です。
数年前にエホバの証人になった札幌市に住む一人のバンドマンは,仲間のバンドマンに積極的に聖書の真理を伝え,その結果,真理を受け入れた5人の人たちと一緒にこの夏の札幌地域大会に出席することができました。その5人のうち,一組のご夫婦と一人の若い男の人がこの大会で水のバプテスマを受けました。
札幌市に住むその若い男の人は,経験した生活上の大きな変化についてこう語っています。「以前,私はプロのバンドマンでした。酒,たばこ,マリファナ,同棲などの関係した,闇にとざされたような生活をしていました。しかし,聖書の真理を知り,その教えに従って生活することによりそれらの問題は解消しました。1979年,バンド仲間だった私の幼なじみがエホバの証人から聖書の話を聞き,研究を始めました。当時,私も少し話を聴き,関心を持ちましたが,定期的に聖書研究をするには至りませんでした。それから数年たち,その幼なじみはバプテスマを受けたエホバの証人になりましたが,私は多額の借金を背負い,毎日,酒,たばこ,マリファナ,だらしのない女性関係におぼれた非常に堕落した生活をしていました。
「そうしているうちに私と同棲していた女性が妊娠しました。私はその女性と結婚しようと思いましたが,多額の借金と,女性の健康上の理由で堕胎することにしました。そのとき胎児は6か月目に入るところでした。私が,堕胎した彼女のところへ見舞いに行ったところ,医者に『6か月というと人間の形をしている。五体満足な女の子だった』と告げられ,私は言い知れない悲しみと自己嫌悪に陥り,自分の生活の改善を真剣に考えました。しかし,自分ではどこから手をつけていいのか分からない状態でした。その時,かつてのバンド仲間だった幼なじみのことを思い出し,彼に連絡をとって聖書研究の司会をお願いしました。
「聖書を学び始めてすぐ,同棲は良くないことが分かり,その女性と話し合いました。しかし,彼女は,結婚する意志がなく,真理に反対し始めました。彼女は聖書や出版物を破ることさえしました。結局,彼女とは別れることになり,私は反対から解放されました。
「そのころ,私は1982年夏のエホバの証人の地域大会に出席し,『人を堕落させる音楽に用心しなさい』というプログラムを聴き,自分の仕事は,サタンが人を堕落させるために用いている手段だということが分かり,その日のうちに,仕事を辞めることを責任者に話し,1か月後に辞めることができました。私の仕事はナイト・クラブでのディスコ音楽が主でしたので聖書的でないことを悟ったからです。それまで使用していた楽器(百万円しました)も売りましたが,売り値は二束三文でした。そして同じ会衆内の仲間のクリスチャンの紹介で新聞配達の仕事を始めました。収入は以前の3分の1程度になりましたが食べてゆくには十分です。以前の仕事を辞めることによって不道徳への誘いもなくなり,徐々に思い煩いもなくなりました。また,夜の時間もとれるようになったので集会も全部支持できるようになり,古い人格も脱ぎ捨てることができるようになりました。学んで1年2か月でバプテスマを受けることができましたが,エホバがこれまで示してくださった愛に深く感謝しています」。
遠く南の沖縄では75歳になる老婦人が水のバプテスマを受けました。この方を援助したクリスチャン婦人はそれまでのいきさつを次のように語りました。
「私はみ霊教会の近くの区域で,これまで23年間も教会に通っているという熱心な親子に会いました。み霊教会の信者は普通,聖書を開くのをとてもいやがりますが,その親子は喜んで聖書の話に応じました。丁度その時,その親子は『いつもエホバの証人を追い払っているが,今度来る時はみ霊教会に導くため家の中に入れてみよう』と考えていたとのことです。何とタイミングよく導かれたことでしょう。ところが4回目の訪問の時,いきなり『もう来ないでくれ』と断わられました。私は『あなた方が聖書をお持ちですのでまた来ます』と答えて,すぐその翌日も訪問しました。その親子が私を断わったのは,私をみ霊教会に導くのは難しいと思ったからだったそうです。聖書だけを用いて,イエスは神か,それとも神の子か,という点について話し合いました。その親子は聖書を見ますが,こちらが説明しても『あなたにはみ霊が降らないので理解の仕方が違う』としきりに語りました。私は娘さんのほうに近づき,冷静になって次の幾つかの聖句を読むようにメモにして渡しました。それはヨハネ 3章16,36節,17章3節,コリント第一 11章3節,コロサイ 1章14節から17節,ヨハネ第一 4章8節から10節などの聖句でした。
「するとその晩おそく(12時前)に電話があり,『「子」という文字が見えた。すぐ来てくれ』とのことでした。話していることがよく分かりませんでしたが,とにかく翌朝早目に訪問しました。親子は明るい表情で『聖書には本当に「神の子」とあるんですね。今まで見たことがなかったんです』と興奮して語りました。それから3回目ぐらいの訪問で本格的な聖書研究が始まり,その週から娘さんの4人の男の子と一緒に6人ですべての集会に定期的に出席するようになりました」。
今回バプテスマを受けたその老齢の婦人は次のように感想を述べました。「エホバの証人の熱心な訪問のお陰で,23年間捕らわれていた大いなるバビロンから出ることができました。聖書を持っていましたが,神がエホバという名を持たれることも知らず,また『もう救われたのだから聖書を知る必要はない』と思っていました。聖書研究が取り決められ,エホバ神のことや,イエス・キリストのことを学び,将来に対する素晴しい希望について知り,本当に感謝しています。
「最初集会に行った時は余りにもこれまでの教会と異なるのでびっくりしました。ちょうど暗やみから光のうちに急に出て来たようなまばゆさを感じました。年も取っているし,文字も余り読めないので,自分にはできないものと思っていましたが,振り仮名をつけてもらい,1回の研究に二,三時間もかけて,ゆっくり,ていねいに教えてくださったお陰でこうして献身し,バプテスマを受けるまでに進歩できました」。
娘さんのほうは既にバプテスマを受けたエホバの証人になっておられ,上の娘さんも今,嫁ぎ先の別の会衆で聖書研究を始めておられます。
夫婦の一方が聖書の真理を受け入れる時に,未信者の配偶者から反対されることがあるかもしれません。しかし,信者が忍耐して堅く信仰のうちにとどまることによって,反対している人が真理に目覚めるといった例も少なくありません。
この4月に,8年間勤めた教職を後にし,夏の大会でエホバへの献身を表わした,横浜に住む一人の主婦のクリスチャンは,かつては反対する側にいたことを次のように語りました。
「1981年の12月,突然主人が,エホバの証人と交わり始め,聖書を学び,集会に参加するようになりました。主人は以前から聖書に興味を持ち,時々読んでいましたが,エホバの証人の訪問がきっかけとなり,学び始めたわけです。私にとって,エホバの証人という名は初めてのものではありませんでした。大学時代,同じアパートの向かいの部屋に,二人の婦人のクリスチャンが住んでおられ,『ものみの塔』や『目ざめよ!』誌を見せていただいたことがありました。しかし,全くこの世的な生活をしていた私は興味が湧くどころか,時々耳にする『兄弟! 姉妹!』という呼び方に気味わるさを感じていたくらいでした。主人がそういったエホバの証人と親しくしているのは,私にとって決して愉快なものではありませんでした。それどころか,夜の家族団らんの一時,あるいは,日曜日の朝,『じゃ,ちょっと行ってくるからね』という言葉を残して出かけて行く主人に憤りさえ感じていました。それまでは,休みごとに遊びに出かけるという生活でしたし,主人は夜勤のある仕事でしたので,夜集会に出て行かれると本当に寂しい思いがしました。エホバに夫を取られたと嘆き悲しむ日が続くようになりました。ベランダから,バイクに乗った夫の後ろ姿を見ては,『なぜ,行かねばならないの。家で勉強することだってできるでしょう』と,涙を流したものです。
「私の実家は寺ですし,主人がキリスト教をするのは困ると思いました。また集会や研究のために度々家をあけられる寂しさから,なんとか主人に思いとどまってもらおうと,泣きおとしに訴えたり,離婚という言葉まで出したりしました。しかし,全く応じてくれぬ夫に,それまで感じたことのない不安を覚えました。直接攻撃はだめだったので,次に,聖書の問題点を探し,論破しようと考えるようになりました。本屋でキリスト教に関する本を何冊か求め,読みました。しかし,主人が学んでいるものとは違うことが分かると,困ってしまいました。何とかして,主人の学んでいる内容を知りたいと思いましたが,自分から言うことはできませんでした。そこへ,主人の聖書研究の司会者が『あなたの家族生活を幸福なものにする』という題の本をお読みになってはいかがですか,と渡してくださったので飛び付くように読みました。それまで,私が取り立てて考えたことがないようで,でも,心の中にもやもやしていたことが,はっきりと字で書いてあり,大いに驚きました。それまで読んだどんな本よりもすばらしい内容でした。次いで,『あなたを幸福にする良いたより』の本から永遠の命の見込みを知ったことは大きな喜びでした。私は子供のころから,『死にたくない。永遠の命がほしい』と,いつも思い,死を恐れていましたので,神の目的を知り,本当にうれしく思いました。次々にものみの塔協会発行の本や雑誌を読むうちに,主人に反対する必要はないどころか,自分ももっと深く学ぶ必要があると感じ始めました。そして,昨年4月より家庭聖書研究が始まりました。学んでいくうちに,学校という職場では,たくさんの宗教的行事とかかわること,また,子供は母親が家にいて育てた方が良いことを知り,仕事を辞める決心をしました。実家の父母に話すと,猛烈な反対に遭い,兄や姉からも手紙,電話で責められる日が続き,精神的にまいった時もありましたが,エホバに依り頼むことにより,じきにそうした問題から逃れることができました。5月から王国宣明の業にあずかることができるようになり,今では家族が一致して,エホバに仕えるという大きな喜びを感じています」。
イエスは「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」と言われました。(マタイ 7:7)調布Aの大会でバプテスマを受けた一人の男の人は,真理の道を見つけるまでの経験をこう語っています。
「私の父が3年前,83歳で亡くなった時,骨を納める墓のないことに気づき,親族の中で,墓を持っている人にお願いして,当分そこへ“間借り”することにしました。それで,納骨の後,夜,その家へお礼を述べに行った時,その生活の貧しさに私は息をのみました。その親族はやもめで,二人の子を育てており,しかも,そういう生活の中から,高価な墓を,今は亡き夫のために建てていたのです。私もかなり貧しい生活を経験したほうですが,その私が息をのむほどだったのです。それで,『このままではだめだ。お互い,助け合わねば』と感じ,考えついたのが,共済基金の積立てでした。私たちの貧しさを,子孫に残さないよう,親族一同でお金を積立てるのです。50年後には約3,000万円,100年後には18億円(物価上昇を考慮した実際の値打ちは約2億円)が積立てられるはずでした。月々わずか100円です。
「ところが,気になることを耳にしました。それは,ノストラダムスの予言の本に,『世の終わりが来る』と書かれているというのです。100年後を目ざして積立てていても,世の終わりが来たのでは無意味です。それで調べてみることにしました。調べていくうちに,聖書にもそのことが書かれていることを知り,聖書を買って読みました。最初に黙示録を読んだのですが,滅びのすさまじさに圧倒されてしまいました。『これは大変なことが起きる』と感じ,まわりの人々にそのことを話しました。また家の中には,マタイ 24章21節や啓示の聖句を書いて貼り,来訪者に説明しました。しかし,来訪者や,私の勤め先の会社の人々,また兄,姉は全く反応がないのです。これは,とても不思議でした。しかし,私は世の終わりを信じ,聖書を通読しました。まさに古い人格を脱ぎすて,裸になり,シャワーを浴びるように,神の言葉を全身に浴びたのです。
「たまたま,勤め先に,エホバの証人がいて,聖書のことを,時々話すようになりました。私はまだ良いたよりについて理解できていなかったのです。それで,近くの王国会館を教えてもらい,集会に行くようになりました。集会に集まっているエホバの証人たちは,まさに,私が探し求めていた人々でした。私は若いころ,財を成して,楽園をつくり,そこに良い人々を住まわせたいと考えていたからです。ある日,寝る前に思い切ってエホバに祈りました。『私のまわりにいる人々に,「良いたより」を宣べ伝えさせてください』と。そして,私は,自分の残りの人生を,聖書に従って生活することを決意しました。
「私の家族は,妻,高校3年の娘,中学3年の息子の4人家族ですが,猛烈に反対し始めたのは妻でした。というのは,家を買って間もないため,ローンの返済が毎月12万円もあり,聖書のことなどに熱中していたのでは破産するというわけです。息子を大学に行かせるのが母親としての希望であり,それが,かなえられないのなら,家を出てゆく,と妻は言い出しました。娘も,貧しい生活では好きな服や,おいしい食べ物が手に入らなくなるので不機嫌でした。しかし,息子は私といつも一緒でした。妻の反対には私もうんざりし,別居か離婚を検討しましたが,聖書には,『家,兄弟,姉妹,母,父,子供あるいは,畑を後にして……』の中に,妻という字が含まれていないのです。これには私も判断がつきかねました。それで,エホバ神に尋ねてみることにしました。『私の神,エホバ,あなたが離婚を許されないのなら,一体,どうすればよいのですか』と。数日,心の中で問い続けていましたが,ある時,ふと,次の考えが浮かびました。『妻が私に従わないことをエホバ神が許されているとしたら……。もしそうであるなら仕方がありません。私は,あなたのご意志に従います』と。それで妻の反対やののしりの言葉には,聖書にある通り愛をもって答えることにしました。例えば,『口から出る言葉は,相手を築き上げるものにすべきだよ』とか,『王国を第一にするなら,すべては備えられるから,安心しなさい』というようにです。確かに,エホバ神は備えてくださいました。残業していた時間を減らしたため以前より収入は減りましたが,ローン返済は,以前より楽になったのです。なぜなら,お金をためる必要を感じなくなり,むだな出費もしなくなったからです。なんとなく,すべてが順調にいってしまうのです。
「また,私と息子が定期的に集会へ行き,奉仕にも参加するようになってくると,確かに,家の中に笑い声が響き,妻も,なんとなく楽しい雰囲気に引き込まれ,家庭が良い方向に向かっていくのを感じとれました。やがて,妻も少し興味を示し,娘も考え方が徐々に変化し始めたのです。こうして,平和な日々が過ぎ去っていますが,それはまた,『エホバの日』へと,一日一日近づいていることにもなります。夏の『王国の一致』大会で,父と子が共にバプテスマを受けられるのは大きな喜びです」。
聖書の音信に対して最初は懐疑的な態度を取る人であっても,伝道者の誠実な態度や,エホバの証人の集会に出席することによって,心が和らぐ場合も少なくありません。兵庫県のある町に住む66歳になる一人の男の人は次のように語っています。
「私は三菱関係の下受け工場を経営しており,比較的恵まれた立場にいました。そんな時,一人の若い女性が訪問してくださり,聖書の内容を再々話して聞かせてくれました。しかし,私はどこかのお嬢さんが暇つぶしに遊びがてら年寄りの家に来ているぐらいにしか思っていませんでした。そして,きっと寄付目当ての既成の宗教となんら変わらないものと思っていました。『何のために繰り返し来るのか,その魂たんを先に言ったらどうか』と何度も言ったものです。『足を運んでもむだだ。わしはあんたのようなクリスチャンには絶対ならんから,そのつもりでいてくれ』とも言いました。ところが既成の宗教の訪問者とは異なって語ることが真剣そのもので,表情が遊び半分でないことが分かってきました。
「いろいろな質問があったので,それを箇条書きしておいて,来られると矢継ぎ早に攻撃しました。しかし,その方はすべて聖書から答え,私が間違っていればそれをはっきり言われました。私は今まで人から違うなどと言われたことがないので驚きでもあり,うれしかったです。他の人は私が間違っていても,その通りですと合わせてばかりいました。それで,その方に対する親しみを感じるようになり,質問攻めにして,5時半ごろから夜の10時ごろまで引きとめたことが再々ありました。しかし,世の中には偽善的な人が多いために,この女性が本物かどうか,化けの皮をはがし正体を知りたく思いました。それで勧められるままに集会に出席しました。私はそこで話される事柄に感心し,そのような正しい事を習っているので正しい事を信じ,正しい事を述べる人なのだと思うようになりました。集会場の雰囲気も私の心を和らげるものでした。やがて集会を通してエホバの存在を確信するようになりました。
「私は1日に60本もたばこを吸っていましたので,部屋中はもうもうとしており,歯にも手にも服にもにおいがしみこんでいました。ある時,その研究司会者は,『のどが痛くてたまりませんので1時間だけでも協力していただけませんか』と言われ,そんな事を言われたことのない自分としてはしぶしぶでしたが,了解せざるを得ませんでした。それからはその司会者に迷惑をかけないようにし,隠れて吸うようになりました。やめようと思っていましたが動機が悪くてやめられませんでした。しかし,エホバからいただいた体を正しく用いることを認識できた時に,一切やめることができました。思えば,集会の1時間が終わるとすぐに外でたばこを吸っており,集会に来る途中,車を止めて吸うほどでしたが今では清くなることができました。
「また,私は行政相談役員とお寺の総代を務めていましたので,伝道に出るために,政治と偽りの宗教からきっぱり離れるということが私にとって,さらに挑戦となりました。祈りに祈って話を準備し,町議会のメンバーの前で証言しましたが,無責任だと言って皆から非難されました。私の態度が変わらないために,『一つのことに信念をもってそこまでやれるのなら仕方がないです。どうせやるならどうかがん張ってしっかり励んでください』と言ってもらい,エホバの助けを感じました。
「思えば,『絶対にクリスチャンにならん』と言っていた私ですが,エホバに用いていただけるなら精一杯がん張りたいと思っています」。
この方は神戸市の地域大会でバプテスマを受け,これからは仕事を息子さんに徐々に引き渡し,司会者のように,「全時間奉仕者」になることを願っておられます。
使徒パウロが述べているように,「神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ること」です。(テモテ第一 2:4)真理を愛する,様々な背景を持つ人々がエホバの清い崇拝に集められ,王国の一致した臣民の一人となっていることは,こうした幾つかの経験からも明らかです。エホバが時を許される限り,さらに多くの羊のような人々が「大群衆」の一員となってエホバを永遠にわたって賛美することでしょう。―啓示 7:9-15。
[26ページの図版]
エホバへの献身を水のバプテスマによって表わす