推薦の手紙を持つ宣教者たち
「とても不可能な仕事だ」。日本へ派遣されたバプテスト教会の宣教師は,日本人に宇宙的な神というキリスト教の概念を納得させる努力をこう評しました。キリスト教世界の宣教師たちは,日本で弟子を作る望みをとっくの昔に捨ててしまいました。日本では,クリスチャンと称する人は人口の1%そこそこです。しかし,エホバの証人の宣教者たちは1949年以来,弟子を生み出してきました。始まりはささやかでしたが,今では,その業が実を結び,日本人の宣教者17人を海外へ送り出すまでになりました。それら日本人の宣教者たちは,昨年の夏,「神の公正」地域大会に出席するために帰国し,それぞれの経験を語りました。
新しい言語に悪戦苦闘
宣教者は新しい言語を学ぶという挑戦に立ち向かわなければなりません。一夫婦は台湾省で中国語を学び,「最初の3か月間は発音の特訓を受け,舌と唇が痛くなったのを覚えています。最初のうち[クリスチャンの]集会に出席していても話は全く分かりませんでしたし,集会の前後に他の人に近づいて話すこともできず,欲求不満を感じていました」と語っています。しかし二人は今では,台湾省の中国語の諸会衆を訪問する,旅行する奉仕者として仕えるまでになっています。
中国語は音の高さの違いで言葉の意味が違ってくるため,ある日本人宣教者は,「私は聖書の伝道者です」と言うところを,「私は気違いの伝道者です」と言ってしまったり,「クリスチャンは敬虔さを愛する人々です」と言ったつもりが,「クリスチャンはお金を愛する人々です」と述べたりしていました。この宣教者も今では中国語をマスターしています。
しかし,人を宣教者として推薦するものは,現地の言語をどれほど上手に話せるかということではありません。1世紀の宣教者パウロは,自分の推薦状についてこう述べました。「あなた方は,奉仕者であるわたしたちによって書かれ,インクによらず生ける神の霊によって,石の書き板ではなく肉の書き板に,すなわち心に書き込まれた,キリストの手紙として示されているからです」。(コリント第二 3:1-3)日本人の宣教者たちは,そのような手紙を持つ宣教者であることを証明したでしょうか。
推薦の手紙
40年間日本で生活し,兄の死に際し台湾省へ戻ったある中国人の男性に関する経験を馬谷信男はこう話しています。「その人はお兄さんの書棚に日本語の『神が偽ることのできない事柄』という[ものみの塔聖書冊子協会発行の]本を見つけ,その本を読んで,聖書の教えと自分の教会の教えとの違いをすぐに認めました。そして,エホバの証人が訪れたとき,手に入る日本語の文書をすべて注文し,聖書研究をしたいと言いました。しかし,中国語があまりよく話せなかったので,研究生も研究司会者も挫折感を抱いていました。そのころ,私がその会衆に割り当てられたので,週に2回援助することができ,その人は7か月後にバプテスマを受けました。今70歳ですが,聖書の真理を学ぶよう他の人を助けるために中国語を学びました」。
大門義和は,息子が筋ジストロフィーにかかって歩くことができなくなったときにクリスチャンの集会に来なくなったある家族との聖書研究を始めました。一家は10年余り前に聖書を勉強していました。男の子は腰にコルセットをして何とか椅子に座ることができました。自分で聖書を持ち上げることはできず,いったんうつむくと,頭を起こすこともできません。少年は身体障害にもめげず研究しました。学校でいじめられたため,他の人とは口をきかず,親切にしてもらっても「ありがとう」と言えませんでした。義和がその問題について話したところ,その男の子は変化しました。今ではちょっとした親切に対してもはっきりと感謝の言葉を述べます。少年は集会に出席し,自分の抱いている希望を家から家に伝え,台湾省で開かれた「神の公正」地域大会でバプテスマを受ける計画を立てました。
日本へやって来たエホバの証人の宣教者はたゆまず弟子を作る業に携わり,その結果,日本で生み出された弟子が宣教者として他の国々へ派遣されるという実が結ばれました。キリスト教世界の宣教師は日本で弟子を作ることをあきらめてしまったかもしれませんが,エホバは推薦の手紙を持つ真の宣教者たちを日本へ送り,また日本から送り出しておられます。―マタイ 28:19,20。使徒 1:8。