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  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 1/22 9–11ページ

いよいよ「新しい地」を迎える時

この世界にとって時が尽きると,すべての人にとって時が尽きることになるのでしょうか。決してそのようなことはありません。生存者がいます。しかし,その生存者たちの受け継ぐ地は放射能に汚染されて焦土と化した燃えがらか,暗くて凍てついた不毛の地でしょうか。そのどちらでもありません。地は動植物や人間で満ちあふれる場所になるでしょう。奇妙に思えますか。そうであれば,イエスの預言の言葉をもう一度ご覧になってください。

この世の終わりの近いことを示す合図になるしるしには数多くの面があることを,イエスが述べておられる聖書のその同じ章から調べてみましょう。イエスがわたしたちの時代を別の時代になぞらえておられるのが分かります。イエスはこう言われました。「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。人々は……洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」。(マタイ24:37-39)ノアの時代に,時は尽きました。だれ,あるいは何にとっての時ですか。不敬虔な者たちにとってのみ時は尽きたのです。

ノアとその家族にとって時は尽きませんでした。ノアとその家族は悪のぬぐい去られた地球に生き残り,地そのものが,きらめくように新しくなるのを見ました。なぜでしょうか。彼らが義を愛し,神に従ったからです。―創世記 6:5-9,22。ペテロ第二 2:5。

全地球的な洪水が差し迫っているという事実について,「神の警告を与えられた後」,ノアは自分が実際的な知恵を持っていることを示しました。人類の他の者たちとは異なり,ノアは信仰を示し,自分の家族を救うために行動を起こしました。(ヘブライ 11:7)ノアは自分が敬虔な専心を保つ人であることを実証しました。あなたもそのような人ですか。そうであれば,「エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々……を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられる」という事実から慰めを得られるでしょう。―ペテロ第二 2:9,10。

どんな状態が行き渡るか

神のご意志は,この惑星が生物の住まない黒焦げになった球体になることではなく,「敬虔な専心を保つ人々」のための平和の完全な楽園になることです。地は人類の永遠の家です。創造者は究極の権力の地位を保っておられるので,完全な荒廃という悲劇がこの地に臨むようなことは決してないと保証することができます。神の霊感によるみ言葉は,イザヤ 45章18節で,神は『それを荒れ果てた所ではなく,住む場所として造られた』ことをわたしたちに保証しています。―今日の英語聖書。

しかし,この惑星が美しい楽園になるだけではなく,人間関係もそれに劣らず美しくなります。神がこの邪悪な体制にとっての時を尽きさせようとしておられるのは,正直な心を持つ人々が義の体制で生活を存分に楽しめるようにするためです。神が,『義の宿る』「新しい地」― 新しい人間社会 ― を創造しておられるのはそのためです。―ペテロ第二 3:13。

「新しい地」はどのようにしてもたらされるのでしょうか。第一に,それは「新しい天」の取る行動によります。その「新しい天」とはエホバの任命された王として,義をもって地を支配するキリストを頂く新しい天的政府のことです。第二に,真理を愛する人々を神の義の道において教育することによって行なわれます。ですから,「新しい地」へと生き残る人々は,エホバとエホバの任命された王なるみ子と親密な関係を本当に培ってきたことを自分たちの生き方で示す人々だけになるでしょう。あなたは自分がそのような人であることを実証していますか。―イザヤ 9:7。ヨハネ 17:3。ペテロ第二 3:13。

「新しい地」― だれのためか

『しかし,だれでも義の行き渡る地で生活したいと思うのではないか』とお尋ねになるかもしれません。ところが,すべての人が義の行き渡る環境の中で生活したいとは思わないのです。自分の隣人の妻を自分のものにしようとしたり,そろそろ替え時だと思えば自分の好きな時に離婚をする自由を欲したり,同胞からためらうことなく物を盗んだりするような人は,その「新しい地」で楽しい気分にはならないでしょう。楽しみと言えば,自分の肺に煙を吸い込んだり,鼻から麻薬を吸い込んだり,感覚が鈍くなるまでアルコールを自分ののどに流し込んだりすることを考えるような人は,その「新しい地」を好まないことでしょう。そこには,そうしたものの乱用は存在しないからです。

しかし一方,地を従えて,食糧を産出する畑や美しさを反映する公園へと地を変える業の一端を担いたいのであれば,あるいは動物に対して愛ある支配を行なうことに喜びを見いだすのであれば,その「新しい地」が気に入ることでしょう。すべての既婚者が自分の配偶者に対して忠実になり,子供たちが虐待される恐れを全く持たずに育てられ,すべての人がふさわしい道徳的な振る舞いをするようになる時を待ち望んでいるのであれば,あなたは「新しい地」において大いに喜べるでしょう。爆弾が婦女子を吹き飛ばすことがなく,圧制的な政治支配は消滅し,商業的な貪欲がなくなり,人々が各々自分のぶどうの木やいちじくの木の下で平和に宿る時を望んでいるなら,「新しい地」の見込みに胸を躍らせるはずです。

それに加えて,エホバの豊かな祝福がそそがれることは,今日の幾百万もの人々の生活を特徴づけている欲求不満やいら立ち,不愉快な気持ち,思い煩いなどの全くない生活を意味します。また,その祝福にはすべての人にとっての健康も含まれています。それを一時的に享受するのではありません。七,八十年の命の後に,死によってそれが中断されることはありません。神の言葉は,「神は実際に死を永久に呑み込み,主権者なる主エホバはすべての顔から必ず涙をぬぐわれる」と述べて,死が除き去られることを保証しています。神の記憶の中に残されている死者たちでさえ,復活させられ,義に対する自分たちの愛を実証する機会を与えられます。―イザヤ 25:8。ヨハネ 5:28,29。

そのような義の「新しい地」が魅力のあるものと思えるなら,今こそそのために生きることを始める時です。

賢明に行動しなさい

この不敬虔な世にとって時が尽きるからと言って,あなたにとっても時が尽きてしまう必要はありません。あなたもノアに見倣って義を愛する者になりますか。そうであれば,今すぐに行動しなければなりません。なぜでしょうか。次の点を考えてみてください。緊急時には,どうすれば命を救うことになるでしょうか。警報を聞くだけで十分ですか,それとも警報を聞いてから命を救う行動に移ることが必要でしょうか。命を救う結果となるのは,警報に続いてわたしたちの取る行動ではないでしょうか。

エホバの「新しい地」の到来する時はいまや非常に近づいています。警報は鳴り響いており,この邪悪な事物の体制が神のみ手によって間もなく滅びる合図となっています。命を与えるものとなる知識を神の言葉から取り入れる機会は,洪水前にノアの建造した箱船の開かれた扉のように,あなたの前にまだ開かれています。しかし,それは間もなく閉じられようとしています。ですから,今こそ自分が本当に命を望むことを示す時です。(ゼパニヤ 2:2,3)残されている時を賢明に用い,この体制にとって最終的に時が尽きる時に,生き残るという幸福な見込みを持つ人になってください。

[10ページの図版]

義を愛する人々だけが神の「新しい地」に生き残る

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