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  • 私は麻薬による純粋な生活を求めていました
  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 11/22 21–23ページ

私は麻薬による純粋な生活を求めていました

私は薄暗い独房の中で,汚れた1枚のフォームラバーの上に座り,この日にあった出来事を思い返していました。捕まってしまうとは,何とどじな真似をしてしまったのでしょう。

冷静を保ち,慌てることさえなければ,私たちの車が警察に呼び止められることはなかったでしょう。警察が灰皿を調べる前に,あのマリファナの吸いがらを処分し,マリファナの入ったあの袋を隠してさえいたらよかったのです。どうしてこんなへまをしてしまったのでしょう。何年も前のことが思い出されました……

十代のころ,私は背が高くやせこけていたので引け目を感じ,自分の居場所がないように感じていました。非常な内気で,友達もほとんどいませんでした。それでも学校で人気者になりたい,“いかす”人間になりたいと思っていました。私は次第に髪の毛を伸ばし,色あせたジーンズを着て,“いかす”ほかの子供たちと一緒に教室の後ろのほうに座るようになりました。

そんなある日,こんなことがありました。幾人かの子供たちと外の喫煙所にいたら,1本のマリファナが私のほうに回って来ました。私はばかにされたくなかったので皆と一緒にそれを吸いました。やがて私は新しい友達に囲まれるようになり,やっとのことである程度の人気者になり,友達も大勢できました。

その後,私はもっと強い麻薬に手を出すようになりました。見つからないようにうまくやって麻薬でいい気分になったり,必然的に生活が自堕落になる他のさまざまなことを行なったりするのは,興奮を誘う冒険でした。私は内心,みんながマリファナを吸えば,生活はずっと純粋になると考えるようになりました。なぜでしょうか。マリファナは周囲の美しさを理解し,くつろいだ気分になるための助けとなるので,だれにとっても良いものに違いない,と私は考えました。しかし,いま私はこの汚い独房の中で,現実というものから顔に平手打ちを加えられていました。

両親は私が麻薬を使っていることを知りませんでした。それを知ったとき,両親はどれほど心を痛めたことでしょう。永遠に続くかに思えた時間が過ぎ,独房の扉がギーッと開きました。一人の係官が,私を保釈するために父が来ている,と言いました。家に向かう車の中の空気は張り詰めていました。

父は私が裁判所の係官と会うのを助けるため,弁護士を呼んでくれました。その人は家族みんなの友達でしたが,私が警察ざたを起こしたことを聞いて当惑していました。その後その弁護士は警察で,私のために係官と話をしてくれました。私は心配しながら,その結果を待っていました。

やっとのことで,私の釈放が決まりました。私には逮捕された前歴がなかったからです。弁護士は,麻薬ではなく,別の事柄に注意を集中するよう親切に助言してくれました。ではそうするようにします,と私は言いました。しかし,言うは易く,行なうは難しです。

憂うつな気分,そして自殺未遂

私は古い友人との付き合いをやめませんでした。それで仲間の圧力に遭い,またもや麻薬に手を出すようになりました。やがてスリルは感じなくなったのですが,麻薬がなくてはやってゆけませんでした。周囲の問題から逃れさせてくれる,また一日一日を切り抜けるよう助けてくれるものが必要だったのです。友人も私も,麻薬がないと楽しくなれませんでした。美しい日に湖で水上スキーをしていても,よくみんなで,「マリファナがあったらなあ」と残念がったものです。

そうしているうちに,ひどく憂うつな時期が始まりました。生活には目的がありませんでした。麻薬でいい気分になること以外に,何の楽しみもなかったのです。私は自殺を真剣に考えるようになりました。ある日のこと,祖母の薬箱に入っていたものをほとんど全部飲んでしまいました。過剰服用を試みたのです。ところが翌朝には再び目が覚めてしまったので,うろたえてしまいました。

麻薬をのんでいなかったある日の夕方,私は家の屋根に登り,夜の美しさに大きな感動を覚えました。月は満月で,ねずみ色の大きな雲が空を流れ,高くそびえる松の木がかすかな風に揺れていました。『穏やかなこの美しさと自然界の秩序の背後には,だれがいるのだろうか』。私は不思議でなりませんでした。『人生には,身体的な欲求を満足させることを求めて動物のように生きるだけではなく,もっと有益な目的があるのだろうか』。私は霊的な必要を意識するようになりました。

輪廻に関する書物も読み始めましたし,仏教の禅も調べました。古い聖書を探し出してきてほこりを払い,「新約聖書」も読み始めました。その中から,私の好きな考え方を幾つか見つけることができました。例えば,「さらば,すべて人にせられんと思うことは,人にもその如くせよ」というイエスの言葉はその一つです。―マタイ 7:12,アメリカ標準訳。

『一体だれが,そういうことを実際に行なっているだろうか』。私は考えました。『私に聖書を説明してくれる人がだれかいるだろうか』。その人を探すため,私はさまざまな教会を回ることにしたのですが,内気な性質のために,自分のトラックを降りてどこかの教会に入ることさえできませんでした。

古本の中にあった答え

ある日の夕刻,私は神に祈ることにしました。「聖書の原則を本当に適用する人を見いだせるよう,どうぞ助けてください」とお願いしました。1週間後に古本屋で本を物色していた時,使い古された本の中にあった,「とこしえの命に導く真理」と題する青い小さな本が目にとまりました。私はそれを買い,読破しました。それは聖書の主要な教理を説明する本で,説明の裏づけとして聖書が引用されていました。138ページには,エホバの証人の王国会館で行なわれている集会に出席するようにとの勧めがあり,私はそれに従うことにしました。

それまでエホバの証人と話をしたことは一度もありませんでしたが,母が以前,室内装飾の仕事をしてくれた男の人はエホバの証人だった,と話していたことを思い出しました。母からは,その人と宗教の話はしないように注意されました。その人はのべつ幕なしに話すから,というのがその理由でした。私はその人の名前を電話帳で探し出し,電話をして王国会館の場所を尋ねました。

室内装飾の男の人は王国会館の玄関で私を迎えてくれ,中に招じ入れてくれました。そしてそばを通りかかったすべての人に私を紹介し始めました。その人たちが互いに知り合っていたことや,教会に対して私が抱いていた静かなイメージとは異なり,王国会館に楽しい会話があふれていたことに驚きを覚えました。私はその人たちの目に奇異に映ったに違いありません。Tシャツにブルージーンズといういでたちで,髪の毛は肩を越えて背中まで垂れ下がっていたからです。しかし,疎外感を抱かせるような人は一人もいませんでした。皆さんは私を歓迎してくれたのです。

集会後に室内装飾の男の人,つまりパルシアチェペ氏から,聖書を研究する気持ちがあるかどうかと尋ねられました。私は同意しました。研究が進むにつれ,自分の生活を変化させる必要のあることに気づきました。私の服装と身繕いは変化しました。麻薬とも縁を切りました。以前交わっていた人たちに代わって,エホバの証人の新しい友人ができました。

弁護士と弁護依頼人

エホバの証人としてバプテスマを受けた約1年後の1979年には,全時間宣教を始めることができました。それを始めた最初の夏に,予想もしていなかったことが起こりました。

会衆の長老で,弁護士を職業とする一人のエホバの証人が,私たちの信念について話すため,町に住む地方弁護士を幾人か訪問することにしたのです。私はその長老に連れられて行きました。私たちが訪問した弁護士の一人は,何年か前,私が麻薬所持で逮捕された時に助けてくださった方であることが分かりました。

長老は訪問の目的を説明してから,私を紹介してくれました。握手をした時に相手は,驚いた,信じられない,という表情をしましたが,すぐ満面に笑みを浮かべ,「ラッド・スタンセルでしょう! よく見なければ分かりませんでした。すっかり変わりましたね!」と声を上げました。

初めの衝撃が和らいでから,私は自分が最初に読んだ書籍をその弁護士に示し,「本当にこの本のおかげで,聖書のいろいろな原則を理解することや,このような変化を遂げることの重要性を知ることができるようになりました。1冊お持ちいただけたらうれしいです」と言いました。その人は本を手に取り,丁寧に感謝の言葉を述べました。家に帰る車の中で,このことからあの人はどんな影響を受けただろうか,と二人で考えました。

数日後,その結果が分かりました。私と一緒に行った弁護士と母に,以前私を弁護してくれた弁護士から感動的な手紙が届いたのです。そこには,麻薬を使う不安定な十代の若者が,今や地域社会に貢献できる立派な若者に変貌するという奇跡を私は見た,と記されていました。

私が円熟する過程において,この7年間は大きな助けになりました。1981年にはニューヨーク市のエホバの証人の世界本部,つまりベテルで自発的な奉仕者として働かせていただくことになりました。昨年スーと結婚したことによって,私の生活は一層豊かになりました。スーは私と一緒にベテルで奉仕しています。

ですから,私の生活を純粋にしたものは麻薬ではありませんでした。それとは全く逆のものです。私の生活が純粋になり,満足と幸福に満たされるようになったのは,麻薬を退け,創造者であられるエホバ神に仕えているからです。(マタイ 6:22)― ラッド・スタンセルの語った経験。

[23ページの図版]

現在のラッド・スタンセルとスー・スタンセル

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