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目ざめよ! 1992
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高圧下での生きるための闘い

「つばを飲み込んで鼓膜をポンといわせなさい。大切なことだからやってみなさい」。これが結腸の切除手術を受けた後に私が聞いた最初の言葉でした。「おかしなことを言っているわ ― おなかの手術を受けたのに。どうして耳に影響が出るのかしら」と思いました。

しかし周囲の様子が分かるにつれ,ここが普通の病室ではないことに徐々に気づくようになりました。私は細長い魚雷の形をした部屋,高圧室にいたのです。

手術中の合併症

私の手術は当初の予定よりも大がかりなものになったことが分かりました。ガンは,肝臓にまで広がっており,多量の内出血をしていました。手術室を出る時には,血液中のヘモグロビン値は3.6に下がっていました。(成人の正常なヘモグロビン値は,100㍉㍑の血液中約15㌘です。)医師たちは危険を感じ,父を病院に呼びました。父もエホバの証人ですので,輸血を受けないという私の決定を覆すことを断わりました。―使徒 15:20,29。

私を担当していた外科医は,急いでスコットランドのアバディーンに近いダイスにある深海潜水総合施設の高圧室を使用する許可を求めました。高圧室に入れば,私の体に残っている血液が少量でも酸素の運搬をよくすることができます。許可が下りました。それから,救急車でアバディーンからダイスまでの約8㌔を急いで運ばれ,海面下15㍍と同じ気圧のもとに置かれました。

これは関係者すべてにとって初めての経験でした。というのも,この部屋は北海の石油掘削施設で働いている潜水夫の減圧のために通常使用されていたからです。術後の治療としては初めて使用されるため,看護婦二人と技術者一人が私に付き添って中に入りました。3人とも20代でした。それらの人は減圧されるまでそこにとどまらなければなりません。外では高圧室の専門家が,複雑な制御装置を操作しました。

高圧下で

部屋に空気が送り込まれ,気圧が上昇しました。通常の2.5倍の気圧の中で酸素マスクを通して呼吸することは,普段の2.5倍の酸素量で肺を満たすということです。酸素を血液(この時には増量剤で増えていた)の液状成分の中に溶かし込むことにより,ヘモグロビンの不足を補いました。a

続く数日間はかなり大変でした。医療上の厳しい検査を通過した見舞い客だけが,気圧を下げることのできる隣の部屋に入ることができました。ほかの見舞い客は魚雷の先端にある小さなのぞき穴から私を見ることができましたが,私から見えたものはといえば彼らの片目だけでした。

エホバの証人である弟も短い時間,高圧室の中まで見舞いに来てくれました。おかげで私は大いに奮い立たされました。また,たくさんの友人が愛と聖書に基づく言葉を記したカードを親切に送ってくださり,元気づけられました。これらのカードは,私が特に弱気になっていた時にいつも届いたように思います。

高圧室に入って五日目に,ここを担当する医師が私のところに来ました。明らかに心配そうな様子で,「今度は血液中の酸素が過剰になってしまいました」と説明しました。つまり,私の骨髄は機能しなくなったようでした。そして,私の血液には血友病の特徴が現われており,凝固機能が低下しているため,残っているわずかな血液すら徐々に出血することが予想される,と医師は述べました。(この時までに,ヘモグロビン値は低すぎて計器で測定できませんでした。2.6ほどでした。)

看護婦たちはわっと泣きだしました。私は彼女たちを元気づけるためにできる限りのことをして,結果をエホバのみ手に委ねました。

減圧 ― 大成功

医師の指示で,直ちに減圧が始められました。看護婦たちは,あまりにも長いあいだ高圧下にいたので,体に変調が現われてきました。今まで高圧室に一番長くいた人でも三日間だったからです。しかし私たちはもう五日にもなります。そして気圧を徐々に戻すのにもう二日かかります。

次に医師が入って来た時,以前よりもうれしそうな顔をして,「理由は分かりませんが,少しずつヘモグロビン値が上がってきています」と言いました。骨髄が再び機能し始めたのだろうというのが医師の意見でした。私は大喜びしました。

手術後1週間でヘモグロビン値が4.6になり,ついに私はこの部屋から出ることができました。そして隣の部屋に移され,アバディーンの集中治療室に救急車で運ばれるのを待ちました。そこで待っていたとき,ある仲間の証人が王国会館で前の晩に受け取った雑誌を持って来てくれました。「医療に関する決定 ― だれが下すべきか」(「目ざめよ!」誌,1984年10月8日号)という題の特集記事が,ちょうどよい時に届きました。私は,自分がなぜこのような立場を取ったのかを説明するのにこの記事を用いました。

ヘモグロビン値は徐々に上昇して5を超え,私は重症患者のリストから外されました。健康に良い食事をとることを別にすれば,治療は受けなくてよくなりました。体そのものが並外れた回復をみせていました。そしてヘモグロビン値が7.8になった翌日に退院しました。

この種の手術の後は回復に普通ある程度時間がかかるので,体力が付くまで仕事は3か月間休みをもらいました。血液中のヘモグロビン値は現在15.3になり,体重は9.5㌔戻りました。

この数年間,増し加えられた命を用いて他の人々に引き続き自分の信仰を分かち合うことができることを大いに喜んでいます。生命の維持者であられるエホバに,そして異例な仕方で治療を成功裏に施してくださった親切な医療関係者の方々に深く感謝しています。―ドリーン・ストローンの語った経験。

[脚注]

a 理論的には,高圧酸素を用いながら,食塩水やブドウ糖やデキストラン溶液を体液に補充することは,急性失血による貧血の際の即座の応急手当てとして実際的な処置です。しかし,どのような形の医療処置を施すにしても,合併症を引き起こす可能性があり,高圧装置を安全に操作するには高度の技術と細心の注意とが要求されます。―「目ざめよ!」誌,1979年8月22日号,「命を救う新しい治療法」と題する記事をご覧ください。

[21ページの図版]

退院して1週間後のドリーン

[20ページの図版のクレジット]

Grampian Health Boardの厚意により掲載

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