シンガポール ― 輝きを失ったアジアの宝石
ガチャーン! 鋼鉄製の重い扉が不気味な音をたてて閉じられました。71歳の,か弱いやもめのクリスチャンが,シンガポールのチャンギ女子刑務所に入れられたのです。エホバの証人であるその女性は裁判長に,「私はこの国の政府を脅かすような者ではございません」と言って自分の立場を説明しました。
ガチャーン! 続いて,孫のいる72歳の別の女性のクリスチャンが入れられました。彼女の罪状ですか。自分の聖書を含め,ものみの塔協会の聖書関係の出版物を4冊所持していたことでした。
16歳から72歳までの合計64人のシンガポール市民が逮捕され,有罪判決を受けたのです。そのうちの47人は罰金の支払いを道義上拒否し,1週間から4週間の様々な刑期で投獄されました。世界で最も住み良い場所の一つとされる都市国家で,どうしてそういうことが起こり得たのでしょうか。経済的安定,驚異的な発展,近代建築,それに宗教的に寛容であると主張している点などで世界的に有名なこの都市国家で,一体どうしてそういうことが起こり得たのでしょうか。
近代的な都市国家
まず,簡単に歴史を振り返ってみましょう。シンガポールの現代の物語は,英国のトマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が到着した1819年に始まります。東洋の活動拠点を求めていた東インド会社の代表ラッフルズは,シンガポールに注目しました。こうして,今日まで東アジアの発展に影響を及ぼしてきた貿易拠点の活動が始まったのです。
独立前のシンガポールはみすぼらしい都市と言われていましたが,今日,シンガポールのことをみすぼらしいと言う人はいません。実際はその逆で,過去30年余の間に,この都市はほとんど全部建て直されており,古い建物の正面を保存したり,歴史的な建造物全体を現代の建物の中に組み込んだりして,旧市街の面影をできるだけ保存しようとする努力が払われています。シンガポールは東洋の海上交通の十字路になっており,その港には一度に800隻もの船舶が停泊する場合も少なくありません。現代の高度先端技術のおかげで,巨大なコンテナ船の荷揚げや積み込みは数時間で行なえます。同市の金融中心地の地価は1平米当たり6万㌦(約720万円)以上します。
人口は約340万人で,中国人,マレー人,インド人,ヨーロッパ人その他,多種多様な人種が混ざり合っています。人々の話す言語は,中国語,マレー語,タミール語,英語などです。
地上および地下の高速輸送機関の路線距離は80㌔余に達しており,シンガポールは世界有数の近代的かつ能率的な輸送機関のある国となっています。市内には植物が青々と茂る公園がたくさんあって,近代建築物がそびえ立つ風景の中に点在しています。初めての観光旅行者にとっての必見ものは,完全に改装されたラッフルズ・ホテルです。1889年創業のこのホテルは,今では国の記念建造物に指定されています。2番目の必見ものは,広さ52㌶の植物園芸センターで,その敷地のうち4㌶は,かつてトラがさまよっていたジャングルとして保存されています。
保障された信教の自由
シンガポール政府は,前例のない経済上の進歩を補足するものとして全住民に信教の自由を約束していますが,残念ながらその約束を果たしていません。とりわけ,エホバの証人の会衆と交わる人々はこのことを思い知らされています。
シンガポール共和国憲法の第15条(1)には,崇拝の自由という基本的な権利を保障する次のような規定があります。「すべて国民は,自己の宗教を信奉し,実践し,広める権利を有する」。
憲法第15条(3)は次のように保障しています。「すべて宗教団体は ―
(イ)自らの宗教上の事務を処理し,
(ロ)宗教的,または慈善的な目的で施設を設置し,これを維持し,
(ハ)法律にしたがって固有の資産を取得し,所有し,保持し,かつこれを管理する権利を有する」。
エホバの証人は早くも1936年にシンガポール社会の一部になりました。そして長年にわたり,にぎやかな市場のちょうど向かい側のエクセター街8番地にあった,自分たちの王国会館で会衆の集会を定期的に行なっていました。会衆は繁栄すると同時に,社会生活を安定させることに独自の方法で貢献していました。
エホバの証人の活動は禁止される
1972年1月12日に事態は一変しました。シンガポールに23年間住んでいたクリスチャンの宣教者ノーマン・デービッド・ベロッティとその妻グラディスに対し,政府追放条例第109章に基づいて国外退去命令が出されました。そのすぐ後に,エホバの証人のシンガポール会衆の登録を抹消する命令が出されました。それから何時間もたたないうちに,王国会館の正面玄関のドアを破って入ってきた警察官により王国会館は閉鎖されました。次いで,ほとんどその直後に,ものみの塔協会の文書はすべて正式に発行を禁止され,こうしてエホバの証人に対する弾圧の時期が始まりました。
その後,政府は専横な処置の一環として王国会館を売却しました。そのすべてが,通告なしに,また事情聴取も審理も行なわれず,答弁の機会も与えられずに行なわれたのです。
シンガポール政府はエホバの証人の活動に対する全面禁止処置を正当化しようとして,証人たちが兵役に服さないことを繰り返し指摘してきました。最近では,ジュネーブの国連シンガポール常任代表のK・ケサバパニ氏が,ジュネーブの国連人権委員会事務次長のイブラヒム・フォール閣下あての1995年12月29日付の手紙の中で次のように述べました。
「我が国の政府は国家の安全を考慮した上で,エホバの証人の運動を禁止しましたが,この運動を存続させれば,シンガポールの公共の福祉と治安は損なわれるおそれがあります。エホバの証人の登録抹消に伴い,そのすべての出版物の発行を禁止し,その運動に対する禁令を一層強化し,彼らの信条の普及・宣伝を阻止することは必然の措置でした」。
シンガポール国家の安全を脅かすおそれがあるという主張からすれば,兵役を忌避するエホバの証人の青年の数が年間約5人であることは注目すべき事柄です。シンガポールは約30万人の兵士から成る軍隊を維持しているのです。シンガポール政府は,関係するごく少数の人々のための,国家に対する一般市民としての奉仕に関する話し合いをさえ拒んできました。
あからさまな抑圧
寛容さの点で不穏な状態が数年続いた後,1992年に数人の人が逮捕され,不良出版物法によって禁止された文書を所有していたとして起訴された事件は,人権のあからさまな抑圧に関する新しい章を開くものとなりました。ものみの塔協会は1994年に,生涯ずっとエホバの証人として歩んできた75歳の勅選弁護士W・グレン・ハウをシンガポールに派遣しました。ハウは勅選弁護士としての身分ゆえにシンガポールの裁判所に出廷することを認められました。そして,宗教上の保障に関する憲法の規定を考慮して,問題となった逮捕と1972年の禁令の有効性に対する異議申し立てを含め,シンガポール高等法院に対して上訴が行なわれました。1994年8月8日,その上訴はシンガポール高等法院の裁判長ヨン・ペンハウにより却下されました。その裁定に関して,さらに上告が行なわれましたが,その努力は功を奏しませんでした。
シンガポール憲法に基づいて法的に異議申し立てを行なったことがきっかけで,1995年の初めには,なお一層抑圧的な処置が講じられたように思われました。ホープ作戦と呼ばれる軍隊式の計画に基づき,警視庁捜査部の秘密結社班の覆面警察官たちが,幾つかの小さなグループに分かれて個人の家で行なわれていたクリスチャンの集会に突然踏み込んで来ました。70人ほどの警察官と支援要員が特殊部隊さながらの急襲をかけた結果,69人が逮捕されました。それらの人は皆,尋問センターに護送され,中には一晩中取り調べを受けた人もいましたが,全員,エホバの証人の集会に出席し,聖書関係の出版物を所持していた容疑で起訴されました。一部の人は外部との連絡も許されず,家族に電話をかけることさえできない状態で18時間も拘束されました。
それらの人のうち,外国人に対する起訴は取り下げられましたが,シンガポール市民だった64人は1995年末と1996年の初めに裁判にかけられ,64人全員が有罪判決を受けました。そのうち,16歳から72歳までの47人は何千ドルもの罰金を支払わなかったため,1週間から4週間の刑期で刑務所に送られました。
男性も女性も監房に入れられる前に,数人の人の前で衣服を全部脱がされ,体を検査されました。中には,両腕を広げて5回しゃがんだり,口を開けて舌を持ち上げたりするように命じられた女性もいました。少なくとも一人の女性は自分の指で肛門を開けるように命じられました。刑務所の中で便器から水を飲まされた男性も何人かいましたし,危険な犯罪者のように扱われて服役中ずっと独房に監禁され,食事を半分しか与えられなかった若い女性たちもいました。中には,証人たちに自分の聖書さえ持たせないようにした看守もいました。
では,投獄された女性の何人かのコメントに少し注目してみましょう。それらの女性がじかに語った事柄は,この近代的な都市の清純な外観とははっきりとした対照をなしています。
「監房は不潔な所でした。洗面器やトイレはひどい状態で,ぬるぬるしていて汚れていました。わたしが腰掛けたベンチの下にはくもの巣があり,泥がたまっていました」。
「わたしは裸になるように命じられ,一そろいの囚人服と石けん入れ(石けんはない)と歯ブラシを与えられました。同じ監房にいた他の囚人たちによれば,短期間の囚人は練り歯磨きやトイレットペーパーはもらえないとのことでした」。
「わたしのいた監房には20人の人が入れられていました。トイレはわたしの腰ほどの高さの壁しかない,しゃがんで用を足す型のものでした。浴室にはシャワー装置と洗面器と水道の蛇口がそれぞれ一個しかなく,わたしたちは6人ずつ一緒にシャワーを取らなければなりませんでした。監房にいたわたしたち全員は朝,30分以内にシャワーを取らなければならなかったのです」。
投獄という精神的衝撃を受けたにもかかわらず,これらの女性は皆,いつでも,どこでも,またどんな状況のもとでも神に仕えることを特権とみなしました。十代のある少女が次のように述べたことに注目してください。
「わたしは刑務所の中に足を踏み入れた瞬間から,自分がそこにいる目的をいつも思い起こすようにし,毎日エホバに祈って,わたしの祈りを聞き届けてください,わたしを見捨てないでください,とお願いしました。わたしはエホバが祈りに答えてくださったのだと思いました。その聖霊に助けていただいたおかげで忍耐できたからです。あの時,初めてエホバを本当に身近に感じましたし,またそのように感じた時,エホバがわたしたちを見守っておられることを知り,大いに強められました。そのみ名のためにこのような試練を切り抜けることができたのは特権だと思います」。
たちまち世界中の新聞がこのニュースを取り上げました。オーストラリア,カナダ,ヨーロッパ,香港<ホンコン>,マレーシア,米国その他の場所の報道機関は,この事件について繰り返し伝えました。カナダのトロント・スター紙は,「聖書を所持していたかどで有罪宣告を受けるおばあちゃん」という見出しを掲げて,事件当時の激しい怒りを端的に表現しました。確かに世の中にはもっと大勢の人が関係する重大な問題がたくさんありますが,この事件の場合,どこでも大変驚かされた人々は異口同音に,「シンガポールで?」という疑問を抱きました。
世界中の200以上の国や地域で,法律による十分の保護を受けながら公に活動している宗教団体が,シンガポールで迫害の的とされているのは理解し難い事柄です。シンガポールのほかの宗教団体で,これほど不当かつ独断的な仕方で処置された団体はないということを考えると,それはなお一層理解し難い事柄です。
実際,エホバの証人の一斉検挙を行なった警官隊を指揮した警視補は,同警視補とその部下が宗教上の会合を解散させるように命じられたのは今回だけだったことを法廷で認めました。次に,証言の写しからの引用文を掲載します。
質問: (証人に対して)あなたの知る限り,秘密結社班は,エホバの証人以外のいずれかの未登録宗教団体を調査し,起訴したことがありますか。
答え: そういうことはないと思います。
尋問はさらに続きました。
質問: (証人に対して)結社法に基づいて登録されてはいないものの,家庭で集会を開いている小さな宗教団体に対して,あなたはいつか同様の一斉検挙を直接行なったことがありますか。
答え: ありません。
行動を求める声
アムネスティ・インターナショナルも国際法曹学会もその裁判の公正さを観察するため,それぞれ特別のオブザーバーを派遣しました。アムネスティ・インターナショナルの公正なオブザーバーで,香港<ホンコン>の法廷弁護士でもあるアンドルー・ラフェルはこう言いました。「私は,その裁判が見せかけの裁判のように見えたと報告に書きました」。そしてさらに,証人として召喚された政府の役人は,エホバの証人の文書がなぜ好ましくないものとみなされたかについて法廷で弁明できなかったということも説明しました。ラフェルは,「幸福 ― それを見いだす方法」や「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という本を含め,発行を禁止された聖書関係の出版物を何冊か列挙し,これらの本はどの点から見ても好ましくない出版物だとみなすことなどできないと付け加えました。
国際法曹学会のオブザーバーであるセシル・ラジェンドラは次のように述べました。
「私にとって,この裁判全体は最初から……表向きはシンガポールで依然として民主主義が守られていることを世界に示すために仕組まれた茶番劇以外の何ものでもないことが明らかだった。
「結末は初めから決まっており,裁判が行なわれる以前のいつでも,裁判中でも,また最終弁論の時でも,被告人全員が起訴どおり有罪判決を受けることにはいささかの疑いもなかった。
「裁判は下級裁判所で行なわれ,容疑は実際,結社法の軽微な違反であったが,裁判所の庁舎の周囲は恐怖や脅威を感じさせるような空気に包まれていた。
「それはおもに,制服姿の10人もの警察官がそこに(6人は法廷内に,4人は法廷外に)配置されており,特別班の私服姿の数人の職員が傍聴席に腰掛けていたためであった」。
裁判の進め方そのものに関して,ラジェンドラはさらにこう述べました。
「私が傍聴した期間(および公判記録がはっきり示すように裁判の全期間)の前述の裁判官の行動は遺憾な点が多かった。……公正な裁判のすべての基準にもとることであるが,その裁判官はしばしば検察側の味方をして口を出し,発行を禁止された出版物を被告人が所持していたことを示すために検察側が提出した証拠物,例えば,ジェームズ王欽定訳聖書に関して検察側の証人に対する反対尋問を弁護人にさせようとしなかったのである!」
シンガポール政府が人権を抑圧した結果,国際的な関心が大いに高まったため,ベルギーで発行されている,「国境なき人権」という雑誌には,専らエホバの証人に対するシンガポール政府の攻撃を扱った18ページの記事が掲載されました。同誌の編集主幹ビリ・フォトレはその論説記事の中で,どんな国家に関してであれ,人間の自由が認められている度合いを示す真の尺度について次のように極めて簡潔に述べています。
「宗教上の自由は,ある特定の社会で人間の自由が一般にどの程度認められているかを示す最善の指標の一つであるが,宗教もしくは信条に基づく差別や不寛容を排除する過程や,信教の自由を擁護し,促進すると考えられる政策の展開に関与している一般の人権組織はごく少ない」。
「国境なき人権」誌は,その記事の裏表紙に同誌の勧告の言葉を肉太活字で掲げています。
エホバの証人はシンガポールのためになる人々です。証人たちは隣人の権利を尊重しており,隣人に対していかなる犯罪も行ないません。シンガポール市民で,エホバの証人のだれかがドアを押し破って家に侵入したり,強盗を働いたり,殴ったり,強姦を行なったりしはしまいかなどと心配する必要のある人はいません。
証人たちが自発的に携わっている公の宣教活動には,人々の家族生活をしっかりしたものにさせ,向上させ,市民としての立派な行動を促進する働きがあります。証人たちは,だれでも建設的な聖書の原則を学んで自分の生活に当てはめたいと思う人がいれば,そのような人との聖書研究を無料で司会します。証人たちの聖書研究と祈りのための集会は,キリスト教に即した教育の一環として行なわれています。そのおかげで,証人たちは立派な市民になっているのです。
シンガポール共和国に敬意を払い,その最善の将来を願う市民は,シンガポール社会におけるエホバの証人の正当な立場を,改めてよく考慮するよう政府に促すべきでしょう。今こそ,証人たちに対する制裁を解除し,市民はだれでも受ける権利があるもの,つまり崇拝の自由を証人たちに取り戻させるべき時です。
[26ページの囲み記事]
世界は見守っている
1. 「去る2月のある夜,シンガポールの警察官が5軒の家に軍隊式の電撃的な手入れを行ない,男女および未成年者を含む69人を逮捕して警察本部に連行した。それは聖書研究の集会を閉じるようなやり方ではなかった」― カナダのオタワ・シティズン紙,1995年12月28日付,A10ページ。
2. 「もしシンガポール政府が無実無害のこれらの人々に関する態度を改めて,彼らが恐れたり妨げられたりすることなく自分の信仰を実践し,信仰を広められるようにするなら,信教の自由や良心上の権利に関心を抱く人々すべてに真の満足をもたらすことになろう」― 英国オックスフォード大学,ブライアン・R・ウィルソン教授。
3. 「シンガポールの裁判所は昨年11月以来,市民的自由を擁護する国際的な諸団体に抗議の声を上げさせるものとなった一連の裁判で,63人のエホバの証人に有罪判決を下した」― 日本のアサヒ・イブニング・ニューズ紙,1996年1月19日付,3ページ。
4. 「エホバの証人は逮捕もしくは投獄するという脅迫を受けることなく,平和裏に集会に出席し,自分たちの宗教を実践することが許されるべきである。信教の自由はシンガポール憲法により保障された権利である」― アムネスティ・インターナショナル,1995年11月22日。
5. 香港<ホンコン>カトリック教区の正義・平和委員会のチャン・シーチン議長は,シンガポール総理府のリー・クアンユー上級国務相にあてた1995年6月1日付の手紙の中で次のように述べました。「主要な問題は,たとえシンガポール政府が,兵役忌避者を法律違反者とみなし,兵役忌避者は告発されなければならないと考えるとしても,単に崇拝の目的で宗教上の会合に参加する他の会員には影響を及ぼすべきではないということです。……
「ゆえに私たちは,貴政府に対して,
1. エホバの証人の活動を禁止するのをやめ,彼らが崇拝および良心の自由を享受できるようにし,
2. 単に宗教上の目的で集会に出席する,エホバの証人の他の会員を起訴するのをやめ,
3. 宗教活動に携わったという理由だけで最近逮捕された,エホバの証人のそれらの会員を釈放するよう要請いたします」。
[23ページの図版]
起訴された後に裁判所の庁舎のそばに立つエホバの証人
「私はこの国の政府を脅かすような者ではございません」と裁判官に語った71歳の証人。しかし彼女は投獄された