ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目01 11/8 26–27ページ
  • 神が力を行使する ― 正当ですか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 神が力を行使する ― 正当ですか
  • 目ざめよ! 2001
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 力の乱用
  • 「そのすべての道は公正」
  • 神は権威を有しておられる
  • 神による裁き ― 残酷なものだったか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2013
  • 神は非人格的な力ですか
    聖書 Q&A
  • このすべてはどのようにしてできたのですか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
  • すべては偶然の所産ですか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1977
もっと見る
目ざめよ! 2001
目01 11/8 26–27ページ

聖書の見方

神が力を行使する ― 正当ですか

致死的な力の行使は,常に人類の歴史の特徴となってきました。ある推定によると,20世紀中に自分の属する政治体制に殺された人は1億7,000万人に上るようです。聖書が極めて的確に指摘しているように,人間は変わることなく他の人間を支配してこれに害を及ぼしてきました。―伝道の書 8:9。

人間が暴力的な力を甚だしく誤用してきたことを考えると,神がご自分に敵する者たちを滅ぼすために力を用いることに疑問を抱く人もいるかもしれません。ユダヤ人は神から直接命令されて,約束の地に住んでいたカナン人を攻撃し,殺しませんでしたか。(申命記 20:16,17)また,神ご自身,敵対するすべての支配権を打ち砕いて終わらせると述べておられないでしょうか。(ダニエル 2:44)誠実な人々の中には,神が力を行使するのは常に正当だろうかと考えてきた人たちもいます。

力の乱用

力を行使できるということが,統治に不可欠の要素であることを理解するのは肝要です。法令を施行できない政権は,事実上無力です。例えば,職権乱用の事例もあるとはいえ,警察による保護をなくしてもよいと考える人がどれだけいるでしょうか。また,強制力を持つ司法制度が必要であるということに,良識のある人が反対するでしょうか。

モハンダス・ガンジーは暴力を忌み嫌っていたことで有名ですが,ある時こう述べました。「ある男が狂ったように暴れ出し,剣を手に猛然と走り回り,出会う人を次々と殺し,だれもその人を捕らえることができないとします。この狂人を始末する人は,地域社会の人々から感謝され,善意の人とみなされるでしょう」。そうです,ガンジーでさえ,特定の状況のもとでは力を行使する必要があることを認めていたのです。

力を行使することが,社会を安定させるうえで必要な要素であることは明らかです。一般に人々が力の行使を非難する場合,実際には力の乱用を批判しているのです。―伝道の書 4:1-3。

「そのすべての道は公正」

歴史を通じて,神がご自分の力を乱用したことを示す証拠は一つもありません。神はほしいままに威力を振るって支配するようなことはされません。わたしたちが愛を動機として崇拝することを望んでおられます。(ヨハネ第一 4:18,19)事実,それを控える公正な方法があれば,神は力を行使されません。(エレミヤ 18:7,8; 26:3,13。エゼキエル 18:32; 33:11)力を用いる場合には,常に十分な警告を与え,だれであれ歩み方を正したいと願う人がそうできるようにされます。(アモス 3:7。マタイ 24:14)理不尽で無情な神であれば,こうした行動を取るでしょうか。

神の力の行使は,人間の不当な力の乱用とは何も共通点がありません。モーセはエホバについて,「そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは少しもない」と述べています。(申命記 32:4)人間の圧制者による支配とは違い,神の支配は,権威主義に基づくものではありません。神はいかなる場合でも,ご自分の完全な愛,知恵,公正さに調和した仕方で力を行使してこられました。―詩編 111:2,3,7。マタイ 23:37。

例えば,神が大洪水で邪悪な人々を滅ぼされたのは,長年にわたって警告を与えた後のことでした。だれでも箱船という備えを利用すれば生き残ることができました。しかし,そうしたのは8人だけでした。(ペテロ第一 3:19,20。ペテロ第二 2:5)ヨシュアの時代に,イスラエルは腐敗したカナン人に対する神の裁きを執行しましたが,その裁きは400年以上前に宣告されていました。(創世記 15:13-21)カナン人がその期間ずっと,イスラエルが神の選ばれた民であることを示す強力な証拠について知らないままでいたはずはありません。(ヨシュア 2:9-21; 9:24-27)しかし,ギベオン人を別にして,カナンの民は憐れみを求めることも和を請う機会をとらえることもしませんでした。むしろ,カナン人は神に対して心をかたくなにしました。―ヨシュア 11:19,20。

神は権威を有しておられる

神が力を行使されることを理解するうえで,まず神のみ前におけるわたしたちの立場に関する基本的な真理を悟る必要があります。預言者イザヤは,「わたしたちは粘土で,あなたはわたしたちの陶器師です」と謙虚に認めました。(イザヤ 64:8)当然,神は宇宙の創造者として,ご自分の望むあらゆる方法で力を用いることができます。神の権威を認識していたソロモンのように,わたしたちもこう言えます。「王の言葉は支配の力だからである。だれが,『あなたは何をしているのか』と彼に言うことができようか」。―伝道の書 8:4。ローマ 9:20,21。

全能の創造者としての立場ゆえに,神は地上に生命をもたらすことも,それを取り去ることもできます。実際のところ,人間的な観点から,神が力を行使されることに疑問を差しはさむのは,理にかなったことでも聡明なことでもありません。人は自分の考え方を神のお考えに合わせることを学ばなければなりません。「正しく調整されていないのは,あなた方の道ではないか」と,エホバは問いかけておられます。―エゼキエル 18:29。イザヤ 45:9。

エホバはご自分の正義感と人類に対する愛に動かされ,力を乱用して荒々しく他人の権利を踏みにじる者たちを地上から一掃されます。そのように力が行使される結果,地上には,平和を愛する人々が望む理想的な状態が確立されます。(詩編 37:10,11。ナホム 1:9)こうして神の支配の正当性は永久に立証されるのです。―啓示 22:12-15。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする