正しい宗教はどれですか?
いろいろな宗教はただ道が違うだけであり,行きつく所は同じですか。
それとも,正しい宗教はただ1つだけですか。
もし1つだけなら,どれが正しい宗教ですか。
正しい宗教はどれですか
宗教の目的は人間に救いの道を示すことです。『宗派間の醜聞』が盛んな今日のアメリカには250以上の宗派があり,世界のほかの場所にはさらに幾百幾千もの宗派があります。南アフリカには一千の宗派があると報じられています。すべては相互に矛盾した点を含んでいますから,それらすべてが正しいはずはありません。では,正しい宗教はどれですか。
宗教の相違はただ道が違うだけであり,いずれも救いに通ずるものであるから,どの宗教を信ずるかは問題ではないと言う人が多くいます。これは正しい考え方ですか。そのはずはありません。イエス・キリストはこう言われたからです。『滅びにいたる門は大きく,その道は広く,これよりはいる者おほし。命にいたる門は狭く,その道は細く,これを見出すもの少なし』― マタイ伝 7:13,14。
聖書の神エホバはこう述べておられます。『我のほかに神あらんや,我のほかには岩あらず,我その一つだに知ることなし』。(イザヤ書 44:8)イエスはご自身について,「われは道なり,真理なり,生命なり,我によらではたれにても父のみもとにいたる者なし」と言われました。(ヨハネ伝 14:6)そしてキリストの使徒ペテロはイエスをさしてこう語りました。「天の下には我らの頼りて救はるべきほかの名を,人に賜ひしことな(し)」。(使徒行伝 4:12)ですから聖書に従えば,正しい宗教はエホバ神とイエス・キリストを認めるものでなければなりません。
しかし,聖書の神を崇拝し,イエス・キリストを受け入れると唱える宗教は数多くあります。どれが正しい宗教かをどのように判別できますか。その教えと行ないを,キリストおよびその使徒たちの教えや行ないと比べることによってできます。『その実によりて彼らを知るべし』― マタイ伝 7:20。
神のことばと御国(みくに)
イエスとその弟子たちは,人間の言い伝えや哲学を神のことば以上に尊重しましたか。イエスと弟子たちは,自分たちの教えを聖書のことばより重視し,聖書は無視することができるという態度をとりましたか。彼らは,三位一体,地獄の火,魂の不滅など,古代異教の教理を採用しましたか。(ヨハネ伝 14:28。ロマ書 6:23。エゼキエル書 18:4)決してそのようなことはありません。イエスと弟子たちは,権威のよりどころとして,聖書だけに頼りました。「なんぢのみことばは真理なり」。「聖書はみな神の感動によるものにして……有益である」― ヨハネ伝 17:17。テモテ後書 3:16,17。
イエス・キリストはご自分の生活の中で神の国を第一にされました。イエスはご自分に従う人々に同じようにすることを教え,また,「御国のきたらんことを。みこころの天のごとく,地にも行はれんことを」と祈るべきことを教えられました。(マタイ伝 6:10,33; 13:44-46)牧師たちは,国際連盟や国際連合など人間の作った代用物を,「神の国の地上における政治的な顕現」,また「一致と平和のための最後の希望」と呼び,「高遠な機関」としてそれをたたえています。わたしたちはイエス・キリストがそのようにすることを想像できますか。
むしろイエスはピラトにこう言われました。「わが国はこの世のものならず」。イエスはまた,当時の宗教指導者に対して,「人のなかに尊ばるる者は,神のまへに憎まるる者なり」と言われました。そして弟子ヤコブは,「世の友となるは,神に敵するなるを知らぬか」と問いかけています。―ヨハネ伝 18:36。ルカ伝 16:15。ヤコブ書 4:4。
こうした聖書の簡明なことばを見るとき,世と提携し,政治に手を出し,腐敗した政治家の友となり,世俗的な人々の耳をくすぐり,特異な服装で人気や名声を求め,神のことばをないがしろにし,神の国ではなく国際連合を人間の唯一の希望としてたたえる宗教指導者について,わたしたちはなんと言うべきですか。そのような人々が正しい宗教を奉じていると言えるでしょうか。
愛 ― 判断の基準となるもの
そして,一般の宗教組織の成員のあいだにどれほどの愛を見ることができますか。それは人種の相違を超越するほどの愛ですか。そうではありません。社会的な相違を乗り越えるほどのものですか。そうではありません。政治的また商業上の抗争を取り除くほどのものですか。そうではありません。国家的な相違を無視するほどの愛ですか。そうではありません。戦時になると,新教徒が新教徒を殺し,カトリック教徒がカトリック教徒を殺し,ユダヤ教徒がユダヤ教徒を殺しています。
そうした人々の行為とイエス・キリストの行為とのあいだには大きな相違があるではありませんか。イエスはご自分に従う人々を殺すのではなく。それらの人々のために自らの命を与えることによって愛を示されました。そしてイエスはこう命じられました。「わがなんぢらを愛せしごとく,汝らも相愛すべし」。また言われました。「互に相愛することをせば,これによりて人みななんぢらの我が弟子たるを知らん」。―ヨハネ伝 13:34,35。
イエスとその弟子たちは,資金調達のために寄付盆を回し,バザーを開き,運任せの勝負事を催すなどして,人々に絶えずお金を求めましたか。決してそうではありません。それどころか,イエスと弟子たちは,金銭的な利得のために神のことばを売り物にすることを戒めたのです。―コリント後書 2:17; 12:17,18。
イエスとその弟子たちは神のことばを伝道するために費用のかかる大建築物を求め,また人々がそこに集まって来るのをいつも待っていましたか。それとは逆に,自ら「町々村々をめぐって」良いたよりを伝道し,他の人々に愛を示しました。そして人々の家,山腹,海辺,市場などで『公にても家々にても』人々を教えました。―ルカ伝 8:1。使徒行伝 20:20。
正しい実を結ぶ
今日,人に教える事柄を自ら実践しているクリスチャンの一団があります。彼らは何よりも聖書にかたく従い,聖書に基づかない言い伝えやこの世の哲学をことごとく退けています。―イザヤ書 8:20。使徒行伝 17:11。コロサイ書 2:8。
彼らは神の国をいつも第一に求め,イエスの命令に従って御国の良いたよりを165もの言語を用い,200以上の土地で伝道しています。―マタイ伝 24:14。
彼らはこの世の政治,暴動,革命などに加わりません。そして,神の国の代用として人間が建てた憎むべきものを支持しません。―マタイ伝 24:15,16。
彼らは互いに対して真実の愛を示し,国籍,人種,社会的な地位などのゆえに差別を設けません。彼らは神の律法を人間の法律にまさるものとみなし,世の政府の命令であっても,殺し合うことをこばみます。むしろ彼らは互いのために命を捨てることを惜しみません。彼らはイエスの命じられたとおり,力をつくしてエホバ神を愛し,自分の隣人を自分自身のごとくに愛します。―使徒行伝 5:29。マルコ伝 12:30,31。
こうした正しい実を結んでいるのはだれですか。それはエホバの証人として知られるクリスチャンです。あなたは正しい崇拝に心をひかれますか。では,お近くにあるエホバの証人の御国会館で開かれる集会にいらしてください。あなたはそこで,宗教に関するあなたの疑問について喜んで話し合い,聖書からの答えを差し伸べる人々に会うでしょう。あなたが望まれるなら,彼らは喜んでお宅を尋ね,1週1時間の聖書研究を無料で致します。
ここに引用したのは日本聖書協会発行の「旧新約聖書」(文語)です。
あなたは正しい宗教を選びましたか
『神は乱れの神では』なく,人々が『霊と真理とをもって』ご自分を崇拝することを求めておられますから,正しい宗教はただ一つしかないはずです。聖書研究の手引き「とこしえの命に導く真理」は,その正しい宗教を選び出す助けとなるでしょう。そこに含まれる啓発的な22の章は,「わたしたちが年老いて死ぬ理由」「神はなぜ今日まで悪を許してこられたか」「今の邪悪な事物の体制の終わりの日」「正義の支配は地上を楽園に変える」「幸福な家庭生活を築く」などの主題を扱っています。あい色の表紙に金の題字を打ち込んだ,192ページさし絵入りのこの本は,1部100円のご寄付でお求めになれます。
[3ページの図版]
ビンゴ
憎しみ
言い伝え
戦争
異教の教理
偽善
御国の実